漢讃と和讃

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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和讃というものがある。

仏の徳をたたえる讚で仏教讃歌の意味。
日本語のものは和讃といい漢文で書かれたものは漢讃という。

御開山の「浄土和讃」は、曇鸞大師の『讃阿弥陀仏偈』という漢讃に依って作られたものである。
ちょっと調べたい事があったので、『讃阿弥陀仏偈』と「浄土和讃」を対応させてみた。(ブログネタの仕込み(笑))

成仏已来歴十劫 寿命方将無有量
法身光輪遍法界 照世盲冥故頂礼

弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きはもなく
世の盲冥をてらすなり
http://wikidharma.org/4e316d8da8957

上記のように、御開山は、漢文から和語へと翻訳されながら意訳しておられる。
このように漢讃と和讃の対応と、その翻訳された意訳を見ていくと、御開山がどのような言葉に関心をお持ちになっていたかが窺えると思ふ。

大谷派のお勤めでは、「正信念仏偈」で、「三帖和讃」を繰り読み(和讃を六首づつ繰り込んで詠む)するのだが、節が難しいので林遊は後半はよく間違えてしまう(笑

西のだら節、東のしゃくり節と東西の門徒の間では言っているのだが、東派のお勤めは難しい。
小学生の時に箸を持って、博士「はかせ」(偈文の傍らに記してある、音の高低・長短を示す記号)をなぞりながら習ったので、今でもつい指で博士をたどってしまう。

それにしても、鍬を担いでたんぼへ行くような悠長な時代ではないのであるから、もう少し在家のお勤めは簡単にしたらいいのではないかと密かに思っていたりする。
まあ、なんまんだぶを称えることが生きたお勤めであるので、暇がある時か有縁の人の浄土への誕生日などに「正信念仏偈」を讃歎していたりするのではあるが……。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……これが生きたお勤めである。

極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり

林遊@なんまんだぶつ Posted in 管窺録
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『教行証文類』の化身土巻は難しい。
なぜなら、簡非(非なるものを簡ぶ)であるからである。『教行証文類』は、真・仮・偽という三つで全ての宗教を包括しようという立場で書かれている書である。
真とは、教・行・信・証、そして真仏土巻であり、仮と偽は化身土巻で表わされている。仮の中に浄土門中の要門と真門を説かれ、聖道門もこの仮に納める。偽とは煩悩を助長するような外道の教説を指す。
しかるに、親鸞聖人が化巻に、この道は行くのではないですとお示し下さった三願転入の文をもって要門のご法義を勧める輩がいる。
真門決釈の三願転入の文前で、
「悲しきかな、垢障の凡愚、無際よりこのかた助正間雑し、定散心雑するがゆゑに、出離その期なし。みづから流転輪廻を度るに、微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。」(*)
(現代語:悲しいことに、煩悩にまみれた愚かな凡夫は、はかり知れない昔から、迷いの世界を離れることがない。果てしなく迷いの世界を生れ変り死に変りし続けていることを考えると、限りなく長い時を経ても、本願力に身をまかせ、信心の大海にはいることはできないのである。まことに悲しむべきことであり、深く嘆くべきことである。)
と、仰せになっているのに、なお三願転入などということを論ずるのは、実は本願を疑っているということなのだが、それに気が付いていないのであろう。

さて、化巻で第十九願の意を述べられたあと、第十九願ではなく第十八願の「念仏往生の願」を結勧されるのがタイトルにある言葉で表現される釈である。
以下、梯實圓和上の『顕浄土方便化身土文類講讃』で、その意を窺ってみよう。

六、結勧の文
[本文]

しかれば、それ楞厳の和尚の解義を案ずるに、念仏証拠門のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。(*)

[講讃]

(一) 別発一願の開顕

上来第十九願の意を述べ、最後に「往生要集』によって報化二土を弁立し、専修と雑修の得失を明らかにされたから、『往生要集』大文第八念仏証拠(「七祖篇」一0九八頁)によって第十八願に帰して念仏すべきことを結勧されるのである。けだし従真垂仮された権仮方便の本意は、あくまでも従仮入真させるということに終帰していくからである。「念仏証拠門」には、懐感禅師の『群疑論』を拠り所にしながら、念仏が往生の業因であることを経論の十文をあげて証明されているが、そのなかの第三文と第四文である。

三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」と。四には、『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。(*)

といわれているのを取意して挙げられたものである。第三文は、第十八願取意の文であり、第四文は『観経』下々品を取意された文である。第三文は『群疑論』五(大正蔵』四七・六0頁)の文をほぼそのまま引用されたものであるが、第四文は、「『観径』の下品上生、下品中生、下品下生の三処の経文には、みなただ弥陀仏を念じて浄土に往生すと陳ぶ」といわれていた。それを源信僧都は「『観経』に極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」といい換えられたのである。 「極重の悪人」というのであるから、単に下品の三生のことではなく下品下生を指していた。そして「無他方便」という言葉で、本願の念仏以外にさとりを開く手がかりのない者ということを表しているから、善導大師のいわゆる機の深信を表す言葉になっていた。

こうした源信僧都の言葉を受けて、親鸞聖人はさらに徴妙に表現を変えていかれる。まず「四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく」といわれていたのを、「第十八の頭は別願のなかの別願なりと顕開したまへり」と註釈的な引用をされている。第十八願は別願のなかの別願なりといわれた、初めの別願とは四弘誓願のような菩薩の通願に対するから、四十八願を指していた。しかし第十八頭が、その別願の中の別願であるということによって、四十七願は諸仏と同じ水準の別願であって、そこには第十九願、第二十願、第二十八願等の方便願も含まれていることを表し、そうした諸仏通相の別願を超えて、 一切の衆生を善悪・賢愚の隔てなく平等に救うという、諸仏がなしえなかった救済を実現された誓願が第十八願であることを強調する言葉と受け取っていかれたのであった。
この第十八願があるから四十八願も超世無上の誓願といわれるのである。そしてまたこの無上の誓願によって選定された念仏であるから、極善最上の本願他力の行であって、その極善最上の法を『観経』では、極悪最下の機に与えて真実報土へと迎え取られていくことを顕示されていく。

(二) 顕機の経意

それを表しているのがつぎの「『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり」という文であった。この文をよく見ると「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」といわれていた『往生要集』の文に、「定散の諸機は」という文言を挿入されていることがわかる。
これは親鸞聖人が『観経』全体を「顕機の経」 (機の真実を顕わす経)と読み取られていたからである。善導大師に依れば『観経』は韋提希夫人の要請に応じてまず定善を説き与えられたが、さらに定善に堪えられない機のために釈尊は慈悲をもって散善を自開された(唯請定善、自開散善)(*)といわれていた。その仏意を徹底していくと定善にも散善にも堪えられない無他方便の機(定散不堪の機)のためには、定善でも散善でもない本願の行(非定非散の他力念仏)を与えて救わねばならないことを表していた。それが下々品の苦逼失念の機に与えられた口称念仏であった。そしてそれこそ『観経』の極意であると親鸞聖人は読み取っていかれたのである。
その意を表すために、 『往生要集』には書かれていなかった「定散の諸機は」という言葉を挿入し、定散の諸機は、極重の悪人であるという自身の真相を信知して第十八願の行である非定非散の称名を信受せよと勧励された文であると見ていかれたのであった。
親鸞聖人は『唯信紗文意』(七一六頁)に、下々品の念仏を釈して、

「汝若不能念」といふは、五逆・十悪の罪人、不浄説法のもの、やまふのくるしみにとぢられて、こころに弥陀を念じたてまつらずは、ただ口に南無阿弥陀仏ととなへよとすすめたまへる御のりなり。これは称名を本願と誓ひたまへることをあらはさんとなり。(*)

といい、ここに「こころに弥陀を念じたてまつらずは」といわれたのは、臨終の行者が、苦しさのあまり、心もそぞろになって、心底から如来を有り難く尊く思う力もなく、明晰な意思力もはたらかないままで念仏していることを表している。未来の生処を決定する業力は、はっきりとした意思(思)を伴った身業、口業でなければならないのであるから、この下々品の念仏は善行としての価値のない行であるといわねばならない。その様な行によって往生したということは、行者の思いによって行になったのでも、ロのはたらきによって行になったのでもなくて、南無阿弥陀仏そのものが、往生の行であるような本願の行であったからである。それを定善でもなく散善でもない、本顕他力の行というのである。『観経』は、自力に執着している定散の諸機に、定善と散善という厳しい自力の行法を説き与えることによって、還って自身は定散諸行に堪えられない、無他方便の機であることを信知させて自力のはからいを捨てさせ、「極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励して他力の救いに心を開かせる経だったのである。それを「顕機の経」といい、その仏意を知らせるために第十九願釈の最後に、『往生要集』の文を引釈し、第十九願開説の『観経』の仏意を結勧されたのである。

それがまた「濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし」という結びの言葉の意味であった。すなわち仏の方便調育の教化によって、わが身の程を知らされ、驕慢の心を捨て、懈怠の心を離れて本願力に帰すべきことを勧められているのである。ところでこの言葉は、後に「三時の開遮」を明かされるとき、「しかれば、穢悪濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼の威儀を毀る。今の時の道俗、おのれが分を思量せよ」(四一七頁)といわれた文章と対応していた。時と機と法とが相応することによってのみ、まことの赦いが成するからである。

なお親鸞聖人が『往生要集』の別発一願の釈や極重悪人無他方便の釈、それに報化二土の弁立などを、源信僧都の釈功として取り上げられたのには、源信僧都の師の慈恵大師良源の『九品往生義』(『浄土宗全書』一五・一八頁)の第十八願観や称名観、往生観との違いを評価されたからであろう。称名観や往生観はさておいて、良源僧正は、第十八願は五逆と誹謗を犯していない凡夫の往生を誓った願であるが、その往生業は深妙ではないから臨終の来迎が誓われていない。
それに引き替え第十九願に臨終来迎が誓われているのは、菩提心を発し、諸の功徳を修した勝れた行者であるからであって、当然第十八顧より第十九願の方が深妙な往生業が誓われている。なお第二十願は、既に決定業を持っていて順次生では決して往生できない者を、順後生に往生させるという三生果遂を誓った願であると見ていた。したがって往生業を誓った三願の中で、最も勝れているのは、第十九願であって、第十八願がそれに次ぎ、第二十願が最低の往生法が誓われていると理解されていたのである。こうした第十九願中心の本願観を転換して、第十八願中心の四十八願観を樹立した日本最初の祖師が源信僧都であると認め、僧都を浄土真宗伝持の七高僧の一人として選定されたのが親鸞聖人であった。

以上、断章取義と言われないために、文言の出拠は、聖典の頁及び掲載文章の文末の(*)で示した。
ある団体の会員との間で、文言の出拠を尋ねたら自分で探せと言われたことがあったが、少なくともお聖教の出拠は示すべきであろう。相手に再検証の機会も与えずに自説を述べるのは、フェアな立場ではない。

要するに、浄土真宗のご法義は、(念仏した者を救う)という「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」ご法義であって、念仏をしない者を救うというご法義ではないのである。ゆえに第十八願の大信釈に「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり。」(*)と、親鸞聖人は仰るのである。
行(なんまんだぶ)無き信は観念の遊戯と言われるが、行が教であり救いの法であるということが理解できないから観念の遊戯になるのであろうか。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

 

左文字 おせば右文字 助くるの

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左文字 おせば右文字 助くるの
外に助かる こころやはある (利井鮮妙和上)

阿弥陀仏の「助ける」の左文字を、衆生の心に捺せば「助かる」という右文字が現れるという意味。
印鑑の左文字を紙に捺せば、そのまま右文字が現れる。
左文字のままが右文字で、右文字の他に左文字はなく、別のものではない。
助けるという阿弥陀仏(法)と、衆生が助かるという南無(機)の、機法一体という、いわゆる浄土真宗の安心の話である。
機法一体と機法合体は違う。
機が、法に包摂されていることを機法一体というのであり、いわゆる別々のものが合体するという意味ではない。
回向を首としての本願であるから(*)、Religion(再び結びつける:合体)の訳語としての宗教という語の意味と違うのである。

さて、同じ印鑑でも、これと全く違うのに判子(はんこ)信心というのがある。
誰かに、自らの信心を証明してもらい、これで間違いがないと判子を捺して貰おうという信心である。
自らが拵えた信心を善知識などに間違いがないと証明して欲しいのである。
どうせ判子を捺してもらうなら、阿弥陀さまに捺してもらえばいいのであるが(笑
このような信心に迷う人は、これで必ず救われてくれるという阿弥陀さまの御信心を聞かずに、自らの心に信心を拵え探そうとする。
そして、その信心が間違っていないかどうかの保証を求めるのである。これを判子信心という。

ご信心もなくて、中途半端に浄土真宗の「教学」と称するものを学ぼうとする輩もこの一類であろう。そもそも『教行証文類』を、理解しようというのが間違いである。この書は、御開山の信心の智慧によって書かれた書物であるから、信なくして読んでも意味不明である。
七百数十年以上も、色んな人たちが精魂込めて拝読し続けて、なお『教行証文類』の全体像が掴めず、判らん判らんと言われているほどの書物である。しかし、解からない中でもほんの一部分でも、有り難いなというところもあるから面白い書物であるのも事実ではあるが……。

なにはともあれ、『教行証文類』を読んで信心を得ようとする輩は、所詮、重箱の隅をほじくりかえしているだけであろう。
特に三願転入などという、このご法義をプロセスでしか考えられない輩にとっては、「微塵劫を超過すれども、仏願力に帰しがたく、大信海に入りがたし。まことに傷嗟すべし、深く悲歎すべし。」(*)であろう。

物種吉兵衛さんは、
「聞けばわかる、知れば知れる。聞こえたはこっち。知れたはこっち。こっちに用はない。聞こえたこちらはおさらばと捨てる方や。用というのは我ゃ我ゃと向こうから名乗って下さる」
と、言われたそうであるが、聞いた私には用事がないのである。私の努力をゼロにした時、私の信心を離したときに、如来回向のご信心の月は皎々と煩悩の葦の生え繁る心に照って下さるのである。

御開山は、本願名号正定業 至心信楽願為因(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする。 )と、なんまんだぶという行を顕して下さった。

法然聖人は、「諸人伝説の詞」に、

又人目をかざらずして往生の業を相続すれば自然に三心は具足する也。たとへば葦のしげきいけに十五夜の月のやどりたるは、よそにては月やどりたりとも見へねども、よくよくたちよりて見れば、あしまをわけてやどる也。妄念のあしはしげゝれども、三心の月はやどる也。

と、言われておられる。往生の業とは、なんまんだぶである。

浄土真宗は、救済の法であるなんまんだぶを称える宗教である。そのなんまんだぶの法から信を別開して下さったのが御開山である。
ゆえに法のない信はないのである。南無阿弥陀仏とは、行であり教であり法である。何に救われるかといえば名号に救われるのである。
その名号が、なんまんだぶ、なんまんだぶと凡夫の口先に称えられているのを信というのである。
なんまんだぶという言葉は、そのまま来いよ間違わさんぞ待っておるぞという、阿弥陀仏の名号(なのり)である。

信心とか安心を論ずる前に、救済の法である、なんまんだぶを称えてみたらと思うのは老婆心かもな、どうでもいいや(笑い

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

第十八願と登山ルート

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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登山は、した事がないのだが、新しい登山ルートを発見するということは大変であるらしい。
特に、前人跡未踏の山であるなら、クレパスやガレ場など危険な場所を避けて登山ルートを探す事になる。
ルートの選択を間違えれば遭難ということになり、生命の危険と隣りあわせである。
新規の登山ルートを探すということは、自らの足と経験と能力を十二分に発揮して探すということである。
また、試行錯誤された先人の経験を聞くことも、前人未到の新しいルート発見には必要である。
このようにして、あらゆるルートを試行錯誤しながら探し、やがて、ルートを発見し登頂に成功するのである。

後の人は、先人が発見してくれたルートを頼りとして、ルートの地図に随って登山すれば最短の時間で登頂出来るのである。

さて、浄土真宗の所依の経典である『無量寿経』の四十八願には、衆生に誓われた願が三願ある。
至心信楽の第十八願と至心発願の第十九願、至心回向の第二十願の三願である。
この三願のうちで、第十八の願が衆生を浄土へ迎え取るという阿弥陀如来の本意の願であるということは、乃至十念の称名という、なんまんだぶが誓われてあるからであるというのが浄土門仏教の通規である。ゆえにこの願を念仏往生の願というのである。

龍樹菩薩は、『十住毘婆沙論』易行品で、阿弥陀仏の本願はかくのごとし、「もし人われを念じ名を称してみづから帰すれば、すなはち必定に入りて阿耨多羅三藐三菩提を得」と。このゆゑにつねに憶念すべし。(*)と称名を示されて「易行道」を明かして下さった。
「正信念仏偈」の憶念弥陀仏本願 自然即時入必定 唯能常称如来号 応報大悲弘誓恩(意訳以下同じ:阿弥陀仏の本願の救いを疑いなく聞き受ければ、本願力によって、即時に必ず仏になる位に入れしめられる。それゆえ、つねに名号を称えて、仏のご恩を報謝すべきである」)である。

天親菩薩は、『浄土論』を著して、世尊我一心 帰命尽十方無碍光如来(*)と、本願力回向の一心という信心を示して下さった。「正信念仏偈」の広由本願力回向 為度群生彰一心(本願力の回向によって、普く衆生が救われることを知らせるために、それを受けいれる一心「信心」が往生の因であると彰された。)である。

曇鸞大師は、天親菩薩のお心を『浄土論註』という書物を著し、阿弥陀如来の本願について詳しく解説して下さった。
報土(浄土)への因も果も、阿弥陀如来の誓願によって成就していると他力ということを示して下さった。(*)「正信念仏偈」に「往還回向由他力 正定之因唯信心」( 往相も還相も、すべて本願力によって回向されるから、往生の正因は疑いなく受けいれる信心一つである。 )と説かれたのがその意である。

道綽禅師は、このように先人が示された体系を、龍樹菩薩の易行道と、天親菩薩の阿弥陀仏より回向された信心を、曇鸞大師が示される他力という概念によって浄土門と名づけ、自因自果を説く聖道門という出家仏教とを分判されたのであった。(*)
「正信念仏偈」には、道綽決聖道難証 唯明浄土可通入(道綽禅師は、自力聖道の修行によってこの土でさとることは不可能であり、 ただ浄土に往生することのみが、さとりを得る道であると決着された。)と、ある。

善導大師は、師である道綽禅師の意を受け継ぎ、より精密に阿弥陀如来の救済を顕すことに腐心された。
観仏経典であるとされていた『観無量寿経』流通分にある、汝好持是語 持是語者 即是持 無量寿仏名(そなたはこのことをしっかりと心にとどめるがよい。このことを心にとどめよというのは、すなわち無量寿仏の名「みな」を心にとどめよということである)に着目されたのである。そして『観無量寿経』とは、なんまんだぶをを称える者を、阿弥陀仏が救済する経典であると示されたのである。(*)当然、なんまんだぶを称える凡夫は、阿弥陀仏が建立した報土に往生するという凡夫入報説になる。
「正信念仏偈」では、矜哀定散与逆悪 光明名号顕因縁(善に誇る善人も、悪にひがむ悪人も、ともに哀れむべきものと思し召す阿弥陀仏は、大悲の光明を縁として育て、往生の因となる名号を与えて救いたまうと顕された。 )と、この御手柄を御開山が讃嘆されるゆえんである。

さて、因明(仏教論理学)の大家であった源信僧都である。『往生要集』の冒頭に、「予がごとき頑魯のもの、あにあへてせんや。このゆゑに、念仏の一門によりて、いささか経論の要文を集む。これを披きこれを修するに、覚りやすく行じやすし。」(*)と、あるように、仏陀の覚りに至るような仏教の深遠な教理は自らの手にあまるが、念仏一門によって生と死を超える道があると身をもって示したのが源信僧都である。日本に浄土教を持ち込み、日本人の精神文化の基底に阿弥陀仏の浄土を持ち込んでくださったのが源信僧都である。日本の古典を紐解けば、必ず浄土思想に行き着くのだが、近代人は浄土という観念を忘れてしまったゆえに、生と死に煩悶しているのだろうというのは林遊の感慨である。また、地獄という概念が日本人に認知されたのは、『往生要集』であろう。

その地獄を、阿弥陀仏の救済の言葉によって無化したのが、次の「正信念仏偈」の文である。この文は『往生要集』「念仏証拠」の「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」(*) と、「雑略観」の「われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて、見たてまつることあたはずといへども、大悲倦むことなくして、つねにわが身を照らしたまふ」(*)の文によられたものである。

極重悪人唯称仏 我亦在彼摂取中 煩悩障眼雖不見 大悲無倦常照我(極重の悪人はただ仏を称すべし。われまたかの摂取のなかにあれども、煩悩、眼を障へて見たてまつらずといへども、大悲、倦きことなくしてつ ねにわれを照らしたまふといへり。)が、それである。

さて、法然聖人である。聖人という呼称は御開山がそのように使われていたからである。
「聖」という言葉は、無分別知と言われる覚りの世界から、分別によってしか自らを措定しえない者に覚りの世界を示す言葉である。『歎異抄』に、
親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。たとひ法然聖人にすかされまゐらせて、念仏して地獄におちたりとも、さらに後悔すべからず候ふ。
と、ある述懐は、この無分別知の世界から法然聖人を通して届けられたなんまんだぶを感佩するお心を述べておられるのである。
なんまんだぶを称える者を救うというのが、『教行証文類』の「大信釈」にある念仏往生の願(第十八願)である。その阿弥陀仏の教説を、受け入れるか受け入れないかの決断を、法然上人は信疑決判と仰せであった。(*)

それを、「正信念仏偈」に、還来生死輪転家 決以疑情為所止 速入寂静無為楽 必以信心為能入(迷いの境界にとどまり、輪廻を繰り返して離れることができないのは、本願を疑って受けいれないからであり、すみやかに煩悩の寂滅したさとりの領域に入ることができるのは、 善悪平等に救いたまう本願を疑いなく受けいれる信心を因とすると決着された。)といわれるのである。

さて、宿善とか三願転入とか論じている輩は、行信という、如来から回向された、なんまんだぶという行と回向される信という意味が理解できない輩であろう。
南旡阿弥陀仏という仏が成就された名号は、光明名号摂化十方という救いの源泉であり、それを受け入れてなんまんだぶを称えることが信心であり、往生の正因である。

しかるに、この第十八願である念仏往生の願に背いて、自らが新しい登攀ルートを探そうとしている団体がある。
親鸞聖人が、自らの経験を元に、第十九願や第二十願の別ルートを行くのではないですよと、懇切にお示しくださった道を会員に実行させようという団体である。
いわゆる、三願転入というタームで、本物の第十八願へのルートを遮蔽している団体である。
御開山聖人が、自らの経験で、この道は行くのではないのですよと、化身土巻で懇ろにお示し下さった意味が判らずに、自らも御開山聖人と同じような道程を辿り、覚りへの道(ルート)を切り拓こうというのであろうか。
第十九願や二十願に拘泥し、第十八願の念仏往生の願を見失い、有りもしない行なき信心という物柄を求めている会員こそ不憫である。

御開山聖人が生涯をかけてお示しくださった道は、第十八願の全分他力の道である。何を今更、三願転入などという遠回りをする/させるのであろうか。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

不安の中の安心

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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こんな話を聴いたことがある。

講の集まりでのエピソードである。
(講とは浄土真宗のご法義を讃嘆する仲間の集まりのこと)

私は、今朝、家を出がけに浅ましいものを見ました。
実は、隣の爺さんが死にかかっているので可哀想に想い訪ねてみました。

隣の爺さんは、骨と皮ばかりの姿で布団に横たわり、
死にとうない、死にとうないと、寝巻きをはだけ胸を叩いて悶えていました。

その姿を見て、ああ、仏法を聴かん者(もん)は哀れなもんじゃな。
このように浅ましく死んでいくとは、なんと哀れなもんじゃ。
やっぱり、人間は仏法を聴かんと、あのような浅ましい姿で死んでいくのですね。

この言葉が終わるやいなや、声を挙げた同行があった。

あんたは、そのおじいさんの死に様(ざま)以外の死に方が出来るんですか。
ここは、畳を掻き毟りながら、死にとうない、死にとうない、と喚きながら死んでいくことしか出来ない者の講ですよ。
死にたくないという不安におののきながら、その不安ごと抱き取って、必ず浄土へ迎え取るというのが阿弥陀さまのご法義でしたね。

こんな話だった。

なんまんだぶのご法義は、不安の中にありながらその不安ごと抱きしめて下さるというご法義である。
私が不安であるからこそ、阿弥陀さまは、金剛不壊の如来の絶対安心のご信心を決定して下さったのである。
仏願の正起本末を聞くといくことは、私の不安を材料とした阿弥陀さまのご信心を聞くということである。
凡夫の定義に畏怖心の去らぬ者というのがある。
まさに、死におびえ生に苦悩している、そのいのちの現場に飛び込んで、お前は不安でいいよ、お前の不安が私の救いが成就する場である、と阿弥陀さまは仰るのである。その呼び声が、口に称えられる、なんまんだぶであった。

お前が不安であるからこそ、安心して不安なままでいいのだよ、その不安ごと抱きしめて摂取するというのが摂取不捨の意味である。
『無量寿経』には「欲拯群萌 恵以真実之利」(群萌を拯ひ、恵むに真実の利をもつてせんと欲してなり)と、ある。この真実の利(益)とは下巻末で説かれるなんまんだぶの名号であるが、なんまんだぶとは、不安なままで、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞという、仏の名号(なのり)であった。

ありがたいこっちゃな。林遊がしっかりしないから、阿弥陀さまがしっかりして下さるのだな。これが「他力といふは如来の本願力なり」ということである。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、ようこそ、ようこそ

不断煩悩得涅槃

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不断煩悩得涅槃
(フダンボンノウトクネハン)
読み下し
煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり
意訳
煩悩を断ち切らないままで、涅槃の領域にいたる。

『正信念仏偈』にある偈文である。
『論註』では、「不断煩悩得涅槃分」なのだが、偈文は七字なので不断煩悩得涅槃となっている。→『浄土論註』観察体相
この分とは、涅槃の一分なのか、それとも涅槃の全分なのかの論義があるが、往ってみれば判るので煩瑣な議論だと思う(笑
興味のある方は「正信偈講読ノート」を参照されたい。

この論註の「不断煩悩得涅槃分」の元の文は、『維摩経』にある「不斷煩惱而入涅槃」である。
→[大正新脩大藏經テキストデータベース]

漢文なので簡単に読み下し文をコピペしておく。

我、昔かつて林中に於いて、樹下に宴坐(座禅)せり。
時に、維摩詰は来たりて、我に謂いて言わく「『唯、舍利弗よ。必ずしも、この坐を宴坐と為さざれ。
それ宴坐は、三界に於いて、身意を現ぜず、これを宴坐と為す。
滅定より起たずして、諸(もろもろ)の威儀を現ず、これを宴坐と為す。
道法を捨てずして、凡夫の事を現ず、これを宴坐と為す。
{中略}
煩悩を断ぜずして涅槃に入る、これを宴坐と為す。
もし、よく、かくの如く坐する者は、仏の印可したもう所なりと」。

これでは、何のことか判らないかも知れないので、面白い超訳をUP。

>>引用開始
ちょうどその頃、維摩の住むヴァイシャリーの町に来ていた世尊(お釈迦様)は、町外れのマンゴー樹園で、500人の弟子と修行僧8000人、それから32000人の菩薩を相手に説教の真っ最中でした。

維摩の思考をテレパシーで察知した世尊は、一番弟子のシャーリプトラ(舎利佛)に言いました。

「おい、維摩のオッサンが見舞いに来て欲しがっているぞ。
シャーリプトラよ、お前さん、ちょっくら行ってきてくれないか?」

表情を曇らせるシャーリプトラ。

「いや、そうしたいのはヤマヤマなのですが、私、どうもあのオッサンが苦手なんですよ・・・
実は以前、林の中で瞑想にふけっている時に、維摩のオッサンに因縁をつけられたことがありましてね。
あのオヤジ、座っている私のところにやってきて、いきなりこう言ったんですよ。
「何をこんなところで引き籠っとるんじゃ、いい若いモンが!!
修行は、ただ座り込んでおればよいというものではないぞ。
あれやこれやと忙しく社会生活をこなし、かつ、心の安定を失わないようにすること、それを修行というんじゃ!わかったか、ボケ!!」
・・・で、私、言われっぱなしで一言も反論できなかったんです。
ホントすみません、あのオッサンだけは勘弁してください・・・」
http://bunchin.com/choyaku/yuima/yuima002.html
>>引用終了

と、まあこういうわけで、本来は社会生活という煩悩の中にありながらも、なおかつ心を落ち着けて人として為すべきことをなしていこうという意味である。煩悩というエネルギーを転じて、よき方向を目指そうという意味であろう。

この『維摩経』の原文の意味を転じて、煩悩を持ったままでも浄土へ往生して涅槃を得ることが出来る、と仰ったのが曇鸞大師の「不断煩悩得涅槃分」である。
それを引き継いだ御開山は、『正信念仏偈』に、「能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃」と、信心一発すれば阿弥陀如来の本願力に依って煩悩を断じて(横截五悪趣 悪趣自然閉)涅槃に入ることが出来ると仰ったのであろう。
真実なるものを自己に求めず、阿弥陀如来の真実を仰いでいくとき、真実に照らされた自らの煩悩の深さを慙愧していく仏道が浄土を真実とする宗教であった。
自らの思い描く罪悪感を、機の深心と錯覚している者がこのご法義にもいるが、真実なる浄土を欣求することを主とするのである。
蓮師が「わが身の罪のふかきことをばうちすて、仏にまかせまゐらせて」『御文章』五の四 と仰るのもその意である。

ともあれ、御開山が使用されている用語の出拠をアレコレ探していると、より『教行証文類』の深みが味わえて面白い。
やはり、なんまんだぶのご法義は大乗の至極ではあるとつくづく思う夏の暑い日である。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

仏教の因果論

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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因果の道理と称し、さかんに悪因悪果 善因善果を標榜する人がいる。
因果の道理 認めたくない人たち

正しい仏教の因果論では、単純に原因があって結果が生じるというのではなく、その間に「縁」というものがある。
種があって芽が出るというが、そもそも発芽条件という「縁」がなければ種から芽は出ない。
種が播かれた土や適度な水や空気という、縁によって種は芽となるのである。

ましてや、悪因悪果というように、悪が因となって悪が生じるのであれば、悪を行うものは永遠に悪を行い続けることになり、悪を転じて善となすということは無くなってしまう。善因善果という表現もまた、善を行うものは永遠に善を行うということになってしまう。これでは仏教で排斥する決定論であり運命論に陥ってしまう。
仏教では、このような過ちを犯さないために、善や悪の行為は因であって果ではないとする。
因・縁・果によって成立する果は、苦または楽であって善でも悪でもない「無記」であるというのである。

パーリ語のダンマパタ(真理の言葉)には、

67 もしも或る行為をなしたのちに、それを後悔して、顔に涙を流して泣きながら、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善くない。

68 もしも或る行為をなしたのちに、それを後悔しないで、嬉しく喜んで、その報いを受けるならば、その行為をしたことは善い。

と、あるように、苦を招く行為が悪であり、楽を招く行為が善であるとされている。
これを因と果の関係に置いた表現が、悪因果であり善因果である。
ここでいう、苦とか楽は「無記」といって、善とも悪とも記することの出来ない中間的な性質のことである。

つまり、善・悪とは、楽または苦なる果報を招来する因の名称であって、果の名ではない。
果報は無記であるから、苦の状況であっても善なる行為が出来るのであり、楽の状態で悪を行うことも出来るのである。このように苦の状況を脱するために、苦を転じて楽の果報を招来するために善を行えというのが、仏教における正しい因果論である。

もっとも浄土真宗においては、このような因果を阿弥陀如来の本願力によって「横に五悪趣を截り、悪趣自然に閉ぢ」しめたもうご法義であって、救済においては自らの行為による因果を忖度しないのである。

このことは、当ブログで、「自業自得の救済論」および「大悲の必然としての救済論」で述べたことがあるので興味のある方は、リンク先を参照されたい。

そもそも仏教とは、我々の虚妄な概念を否定して覚りといわれる領域に導いていく教えであるのだが、このような思想の一端を知りたい方は「聖典による学び」を読まれることをお奨めする。

 

人生という学校

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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30代の頃、友人と話をしていた。30年ほど前の話だ。

友人いわく。
この間、嫁と話していて愕然としたわ。20代の頃に話していた事と同じようなことを自分が喋っていることに驚いた。
俺って10年間、いったい何をしていたんかなあって、進歩がない自分に自分でで驚いた云々。

と、いうわけで、人間のこころの深化という話になった。
結局、20代は30代を、30代は40代を生きていく為の、学びという事が必要だという結論に達したものだ。

孔子は、

「吾十有五にして学に志し、
三十にして立つ。
四十にして惑はず、
五十にして天命を知る。
六十にして耳順ひ、
七十にして心の欲する所に従ひて矩を踰えず。」

と、いう。

裏読みすれば、15になっても目的を定められず(奇しくも高校選択の時期)、30になっても自らの生きる意味に立脚出来ずに自立できない、
そして40になって迷いの真っ只中にいる自分を自分自身が持て余している。そんな世俗で生きることに汲々としている人々の状況を皮肉ったものと取る事も可能である。
林遊は、「心の欲する所に従ひて矩を踰えず」が好きなのだが、たぶん、矩を踰えてしまいそうだ(笑

さて、僧侶であり教育者でもあった、東井義雄さんに「人生という学校」という詩がある。

 

「人生という学校」

人生という学校に
七十七年もおせわになって
結局
何になったか

醜い
汚れた
みすぼらしい
じじいになった

申しわけない はずかしい
じじいになった

でも
やっとおかげさまで
お念仏申す以外
何もない私に
していただいた

 

醜い、汚れた、みすぼらしい、じじいには、誰でもなれる。
林遊はすでになっておる。
しかし、申しわけない、恥ずかしい、と言えるじじいになれるだろうか。
御開山は、日本人に、何をよろこび、何を悲しむべきかを示して下さった方である。

岡本かの子は、

年々にわが 悲しみは深くして いよよ華やぐ命なりけり

という句を残したが、深い悲しみの中に、華やぐいのちの世界を示しているのであろう。

このご法義に出遇えてよかったなあ。
生きる意味も目的も、全部阿弥陀さまの方に用意があったというのが本願のご法義である。
阿弥陀さまが、私を目的として下さったのがこの、なんまんだぶのご法義である。
私に、なんまんだぶを称えさせることが阿弥陀さまの目的なのである。
なんまんだぶの、わたしは、もう既に阿弥陀さまの目的に中にいるのである。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、いよいよ華やぐわがいのちである

代受苦

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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浄土真宗の所依の経典、『無量寿経』に「讃仏偈」という短い偈文(讃嘆の詩)がある。
その末尾にある句が以下の句である。

仮令身止 諸苦毒中
(たとひ身をもろもろの苦毒のうちに止くとも、)
我行精進 忍終不悔
(わが行、精進にして、忍びてつひに悔いじ。)

阿弥陀如来が法蔵菩薩で在りしとき、自らの決意を偈頌にされたものである。

この句を読誦するたびに、遠藤周作の『深い河』の一節を思い出す。

 

>>引用開始
「・・・・チャームンダーは墓場に住んでいます。だから彼女の足もとには鳥についばまれたり、ジャッカルに食べられている人間の死体があるでしょう。・・・彼女の乳房はもう老婆のように萎びています。
でもその萎びた乳房から乳を出して、並んでいる子供たちに与えています。彼女の右足はハンセン氏病のため、ただれているのがわかりますか。 腹部も飢えでへこみにへこみ、しかもそこにはさそりが噛みついているでしょう。 彼女はそんな病苦や痛みに耐えながらも、萎びた乳房から人間に乳を与えているんです」
一時間前までは愛想よく冗談を言っていた江波がこの時、突然、顔をゆがめた。 彼の頬を流れ落ちる汗はまるで泪のように見えた。「深い河」遠藤周作(220~221頁)
>>引用終了

心を病むということも当人以外には理解しがたい苦悩だが、飢渇や病苦に身を冒され飢えと痛みにのた打ちまわる苦痛もある。慈悲の非の語源はカルナー(呻 き)というそうだが、その呻きに自らを同値して救済しようという象徴的シンボルがインド女神のチャームンダーだろうか。
彼女はインドの死の女神であるが 人々を死の世界へ送り届けると同時に、死の縁となった飢渇や病苦の不条理に終わりのない挑戦を続けている存在でもある。

現在の日本では飢渇、飢えるということは考えられないことかも知れないが、飯時の一椀の白飯を前にして飢えに苦しんだ人々にすまないという想いで箸が止ま ることもある。生きるものを糧としてしか生きられないのが人であり、その罪を代わりに受けて下さる存在が「代受苦」である阿弥陀さまなのかもなあ。
善導大師は、慚謝という言葉を教えて下さった。

すまんこっちゃな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、慚謝、慚謝。

[101223]

他力の信の特色

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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お聴聞は、いいものである。

浄土真宗は、「聴聞に極まる」という。
究めるのではなく極まるのである。
このご法義の先人は、聴聞を、聴けば聞こえると和語にして下さった。
聴聞の聴は、聴く私が主体の能動性であるが、聞は受動性の聞であるという意味である。
聴いた法が、聞こえたとおりにはたらいている状態を聴聞というのである。
聴を究めるのではなく、聞に極まるのである。

ここで、何を聴くかといえば自らの「救い」を聴くのである。
救いの条件を聴くのではなく、聴けば聞こえる、阿弥陀如来の本願を聞信するのが浄土真宗の聴聞の作法である。
親鸞聖人は、「信文類(末)」で、大経下巻の「聞其名号信心歓喜乃至一念」を、「聞といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。」(*)と釈されておられる。
聞を信で解釈なされているいるのだが、この本願力回向の信心という言葉の意味を理解できないから、古来「信」に迷う人が跡を絶たないのである。
浄土真宗の信心とは、受動性であり受容するという意味なのだが、明治以来のキリスト教の影響からか、信じるという方向に力点をおき受動性という信が判らなくなっているのであろうか。

と、いうわけで「他力の信の特色」という稲城和上の法話を法話サイト「阿弥陀さまがごいっしょです」のサイトにUPしてみた。
他力の信の特色を、
信順性 「そのまま」ということ。
逆対応性  「如来先手の法」ということ。
無所得性 「ものがらが無い」ということ。
の三種に分けて語って下さったものである。ライブのご法話を文字にしたものであり、和上の口吻、話し方/口ぶりがことに有り難い法話である。

「いつでも どこでも だれにでも 阿弥陀さまがごいっしょです」
http://hongwan.net/4e0f8d9268d57