真宗教団で、「生かされているいのち」とか、「尊いいのち」とか「いのちがあなたを生きている」など耳障りのよい言葉が多すぎる。
未来の見えない派遣労働で働く兄ちゃんや、リストカットを繰り返すお姉ちゃんや、病院のベッドにくくられているボケ老人にも命はあるのである。
悪人という語が、世間倫理の枠から外れ、聖道門仏教からも相手にされない者を指すならば、悪人正機を標榜する浄土真宗に、気持ちのいい言葉は似合わない。
正機とは傍機に対する言葉である。阿弥陀仏の慈悲の眼(まなこ)が、誰に焦点を結んでいるかが正機という表現である。
美しい耳障りのよい言葉を使い続けることは、本当にご法義をお伝えしなければならない方たちとの交渉を絶つ事だと思ふ。
「諸仏の大悲は苦ある者に於てす。心偏に常没の衆生を愍念す」「玄義分」なのだから。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…
[20080803]