南無阿弥陀三耶三仏檀

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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『無量寿経』には十念とか一念とかいう語はあるのだが、直ちにこれが声の称名だという説示はない。そもそも念仏とは、主とする字義からいえば、仏を心で念ずることであろう。もちろん龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』(易行品)に「もし人疾く不退転地に至らんと欲せば、恭敬心をもつて、執持して名号を称すべし」(*)とあるように、仏名(究極的には、阿弥陀 仏=無量寿仏)を称えることが、不退転地(正定聚)に至る行としての位置付けではあった。しかし、『無量寿経』には、一念や十念とあるだけで、これが、なんまんだぶという称名であると示す直接の文言はない。(第十七願という突っ込みはここでは却下)
『無量寿経』の異訳『阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(大阿弥陀経)には、南無阿弥陀仏を称える一段がある。『無量寿経』では霊山現土の一段である。暇なので読み下してみた。

仏告阿難。我哀若曹。令悉見阿弥陀仏。及諸菩薩阿羅漢所居国土。若欲見之不。阿難即大歓喜長跪叉手言。願皆欲見之。 仏言。若起更被袈裟西向拝。当日所没処。爲阿弥陀仏作礼。以頭脳著地言。南無阿弥陀三耶三仏檀。阿難言。諾受教。即起更被袈裟西向拝。当日所没処。爲弥陀仏作礼。以頭脳著地言。南無阿弥陀三耶三仏檀。阿難未起。阿弥陀仏。便大放光明威神。則遍八方上下。諸無央数仏国。(*)
仏阿難に告げたまわく。我れ若(なん)じ曹(ともが)らを哀れんで、悉く阿弥陀仏及び諸の菩薩・阿羅漢所居の国土を見せしめん。若じこれを見んと欲うやいなや。 阿難、即ち大に歓喜し長跪叉手して言く、願くば皆なこれを見んことを欲す。仏の言く、若じ起ちて更た袈裟を被て西に向て拝し、まさに日の所没の処に当りて、阿弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著け、南無阿弥陀三耶三仏檀と言え。阿難の言く、諾。教えを受けて、即ち起て更に袈裟を被けて西に向て拝したてまつり、日の所没の処に当りて、弥陀仏の爲に礼を作し、頭脳を以て地に著けて、南無阿弥陀三耶三仏檀と言く。阿難、未だ起たざるに、阿弥陀仏、便ち大に光明を放ちて、威神則ち八方上下の諸の無央数仏国に遍す。
◇三耶(samyak)は正しく完全なもの、三仏檀(sambodhi)は悟り、という意味の梵語の音写語で、三藐三菩提と同じで仏の意。 つまり南無阿弥陀+仏で、南無阿弥陀仏のこと。

このように仏名を称える行業があるだが、所依の『無量寿経』には直接仏名を称えるということは見えない、そこで本願の意に立って、『観経』に説かれている「南無阿弥陀仏」という声こそが、『無量寿経』の乃至十念であるとされたのが古今楷定の善導大師であった。『礼讃』には、

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声 若不生者 不取正覚 彼仏今現在成仏 当知本誓重願不虚 衆生称念必得往生。(*)
〈もしわれ成仏せんに、十方の衆生、わが名号を称せん、下十声に至るまで、もし生れずは正覚を取らじ〉と。かの仏いま現にましまして成仏したまへり。まさに知るべし、本誓重願虚しからず、衆生称念すればかならず往生を得。)

と、第十八願の乃至十念を下至十声とされたのであった。御開山が後序で、法然聖人の真筆をもって書いて下さったことを讃仰されているのも、この文であった。
覚如上人の「信心正因」のご教化は、無信単称への誡めであるのだが、あくまでも称名の上で信を論ずるのであって、なんまんだぶという行を離れての信心などというものは存在しないのである。
法然聖人は、『禅勝房にしめす御詞』の中で、

一念・十念にて往生すといへはとて、念仏を疎相に申せは、信が行をさまたぐる也。念念不捨といへはとて、一念・十念を不定におもへは、行が信をさまたぐる也。かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはけむへし。(*)

との仰せだが、信心正因というドグマに陥って、口称のなんまんだぶを軽視する輩が多いのは困ったものだ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

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