唯請定善、自開散善

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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漢文は造語力があるので言葉の定義をするのに便利である。

唯請定善、自開散善という言葉は、浄土真宗における『観経』解釈上のテクニカルタームである。『観経』は、誰が読んでも定善散善を説かれた教典である。(各用語の説明は用語にリンクが張っておいた)

この言葉の生まれた背景は、『観経』に息子の阿闍世のクーデターによって、夫の王である頻婆娑羅が幽閉され、王妃である韋提希自身も牢獄(閉置深宮不令復出)に置かれる。その悲嘆する韋提希の願いをどのように解釈するかにある。

いわゆる、釈尊が光台現国の中にあらわされた十方諸仏の浄妙の国土の中から、韋提希が極楽世界の阿弥陀仏の所に生まれたいと願い、その浄土へ生まれる為に「唯願世尊 教我思惟 教我正受」(やや、願はくは世尊、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ)と、思惟と正受を請うたことからはじまる。

この思惟と正受については、『観経疏』玄義分(*)に詳しい。

御開山はこの思惟と正受を、「教我思惟といふは、すなはち方便なり。教我正受といふは、すなはち金剛の真心なり。」(*)とされ、回向される阿弥陀如来のご信心を正受するとことであるとされた。『観経疏』の帰三宝偈にある「正受金剛心」(まさしく金剛心を受け)(*)から語を採られ『正信念仏偈』で「行者正受金剛心」と讃詠される所以である。

さて、『観経』には、定善と散善という二種類の異なる行法が説かれているのだが、仏の本意は何であるかを定義するのが、唯請定善、自開散善という言葉である。

善導大師は、「諸仏大悲於苦者」(諸仏の大悲は苦あるひとにおいてす)(*)という立場に立脚して『観経』の解説書『観経疏』をあらわされておられる。

そして、常没の衆生に、定善という行じ難い観法が説かれているのは、韋提希が釈尊に請うたからであるとされた。これが唯請定善(ただ定善を請ふ)という言葉である。また釈尊の本意は自開散善(自らは散善を開く)、つまり釈尊自らの説きたかった往生の行法である。

このことは、

問ひていはく、定散二善はたれの致請による。
答へていはく、定善の一門は韋提の致請にして、散善の一門はこれ仏の自説なり。(*)

や、

また向よりこのかた、韋提上には請ひて、ただ「教我観於清浄業処」といひ、次下にはまた請ひて「教我思惟正受」といへり。 二請ありといへども、ただこれ定善なり。 また散善の文はすべて請へる処なし。 ただこれ仏の自開なり。 次下の散善縁のなかに説きて、「亦令未来世一切凡夫」といへる以下はすなはちこれその文なり。(*)

から解るし、また重ねて、

前には十三観を明かしてもつて「定善」となす。 すなはちこれ韋提の致請にして、如来(釈尊)すでに答へたまふ。 後には三福・九品を明かして、名づけて「散善」となす。 これ仏(釈尊)の自説なり。(*)

という文から解る。

ところが、法然聖人や御開山は、この『観経』に説かれている定善と散善の他に、弘願という『無量寿経』の第十八願が説かれているのだと見られた。その根拠となるのが「玄義分」にある、要弘二門判である。

しかるに衆生障重くして、悟を取るもの明めがたし。 教益多門なるべしといへども、凡惑遍攬するに由なし。たまたま韋提、請を致して、「われいま安楽に往生せんと楽欲す。 ただ願はくは如来、われに思惟を教へたまへ、われに正受を教へたまへ」といふによりて、しかも娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。(*)

このことについては当ブログの「廃悪修善」で少しく述べた。
要するに法然聖人は御開山が著された以下の『西方指南鈔』で上記の玄義分の文を釈し、

又云、『玄義』に云く、「釈迦の要門は定散二善なり。定者(は)息慮凝心なり、散者(は)廃悪修善なりと。弘願者如大経説、一切善悪凡夫得生」といへり。予(よが)ごときは、さきの要門にたえず、よてひとへに弘願を憑也と云り。(*)

と、息慮凝心の定善と廃悪修善という要門の他に、安楽の能人(阿弥陀仏)のあらわされた別意の弘願(第十八願)が説かれているとされたのである。いわゆる、『観経』流通分の「汝好持是語 持是語者 即是持無量寿仏名」(なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり)から、『観経』は、なんまんだぶを勧める経典であると見られ、この、なんまんだぶを称える行法こそが阿弥陀如来の仏願に順ずる順彼仏願故とされたのである。

まさに知るべし、随他の前にはしばらく定散の門を開くといへども、随自の後には還りて定散の門を閉づ。
一たび開きて以後永く閉ぢざるは、ただこれ念仏の一門なり。弥陀の本願、釈尊の付属、意これにあり。行者知るべし。(*)

一見すると、定善という観法と散善という廃悪修善が説かれているように見える観経であるが、仏意にしたがってその玄底を窺えば、『観経』は、なんまんだぶ一行の弘願が説かれていると、選択本願念仏が説かれていると、法然聖人は見られたのである。

これを受けられたのが御開山であり、本願力回向の行信として顕されたのが『教行証文類』であった。以下の三心結釈において、非定非散(定にあらず散にあらず)とされた所以である。

 おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず、行にあらず善にあらず、頓にあらず漸にあらず、定にあらず散にあらず、正観にあらず邪観にあらず、有念にあらず無念にあらず、尋常にあらず臨終にあらず、多念にあらず一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり。たとへば阿伽陀薬のよく一切の毒を滅するがごとし。如来誓願の薬はよく智愚の毒を滅するなり。(*)

『観経』で定善を致請したのは韋提希であり、それを機縁として定善に堪えられない者の為に散善を説かれたのが釈尊であった。その定善と散善を説く中に、定善・散善を超えた別意の弘願を読み取られたのが御開山である。そして、『無量寿経』の教説に拠って第十九願は『観経』の所説を解釈されのものとしたのが、「三願真仮論」(*)であったのである。それにしても、阿弥陀如来の本願に真仮があるとは、とうてい常人には窺え知ることの出来ない領域であるが、信心の智慧によってのみ感得出来る世界であるのだろう。

林遊には窺うすべもない世界であるが、そのような世界から行となり信となって、なんまんだぶと口に称えられ届いているのはありがたいことではある。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、往生之業 念仏為本。

 

 

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