『玄義分抄講述』

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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梯實圓和上の幸西大徳の『玄義分抄講述』のUPしてあった一部に追記した。
『玄義分抄』は梯和上が「序分」中で、
 わずか全文六十八丁の短編の著作であるが、その義理の深遠なることは驚嘆すべきものである。それは単なる「玄義分」の注釈書ではなく、むしろ「玄義分」をとおして大徳の独創的な浄土教思想を表明したものといった方がよかろう。あるいは法然聖人の教学の特徴である廃立義を究極までつきつめた書であるともいえよう。
と、言われている。
そのような意味では、浄土三部経や善導大師、法然聖人の著作を読んでいないと、その深遠なる玄義の意味が解らないのかも知れないと思ふ。そもそも安居の講本(平成六年度)なので遠慮会釈なく教義概念の専門用語が飛び交うし、漢文も頻出するので、初めて読んだときには意図を理解するのが困難であった。
ただ、御開山の思想と非常に近いので、読んだときには選択本願念仏の行を強調する法然聖人と、その行から信を開いて信心正因を強調する御開山とのあいだのミッシングリングリンクを見つけたようで感銘したものではあった。
信心は仏心、浄土の菩提心、一乗思想、浄土の真仮、仏智疑惑の誡めと明信仏智、真の仏弟子、現生正定聚などという真宗のテクにカールタームの指し示すものが判ったと思ったものであった。なお、浄土教の教説に隠顕をみるという発想は幸西大徳が嚆矢である。その他にも御開山独自の思想とされてきたとされる思想に共通する概念は多いから法然門下で同じグループに属しておられたのであろうと思ふ。

ともあれ、「聞くところを慶び、獲るところを嘆ず」るためにUPしてみた。

→『玄義分抄講述』の幸西大徳の一念義

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