難治の三病人

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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なんで御開山は、浄土門の教えに聖道の経典である『華厳経』や『涅槃経』を引文しなさるんですか?と和上にお聞きしたことがある。
それは、『華厳経』や『涅槃経』に浄土門の「内容」が「顕」されていると、ご覧になったから引文してなはるんです、とお示しであった。
御開山は自己が学んだ天台の『法華経』は意固地なまでに引文されない。『法華経』の法華一乗説に聖道門仏教の教理を代表させて対判されたからであろう。
天台の「五時八教判」では法華・涅槃同時をいう。その『涅槃経』理解の「追説追泯」説に示唆されて『涅槃経』の主題である「一切衆生悉有仏性」に、阿弥陀仏の「誓願一仏乗」の仏道を見られたからかも知れない。
それは、仏教の「さとり」から疎外されている者の「済度」こそが、真の大乗の本意であると見られたのであった。そして、それは法然聖人が示された「選択本願念仏」の、なんまんだぶを称える「念仏往生」の成仏道なのであった。個々の「心」の持ち方を問題にすれば千差万別であるので、なんまんだぶと称えて浄土に往生して仏に成る「念仏成仏」のご法義であった。同一念仏無別道故(同一に念仏して別の道なきがゆゑに)なのであった。

ともあれ、「信巻」では長々と『涅槃経』を引文される。
そこでは、訓点の付け代えだけでなく文章まで入れ替えてしまうのだが、御開山の組み替えた文章は、たしかに浄土教の阿弥陀仏の悪人(林遊のような莫迦)を救う善悪平等の済度を説く文になっているので、ありがたいこっちゃ。

→「仏菩薩に…発せん

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

「生死出ずべき道」

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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仏教における「生死出ずべき道」である後世を、

ただ後世のことは、よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめて候ひしかば、「上人のわたらせたまはんところには、人はいかにも申せ、たとひ悪道にわたらせたまふべしと申すとも、世々生々にも迷ひければこそありけめとまで思ひまゐらする身なれば」と、やうやうに人の申し候ひしときも仰せ候ひしなり。(*)

と、領解されたのが御開山であった。
これを晩年の『歎異抄』では「往生極楽のみち」と言われていた。
その往生して仏陀のさとりを得る御開山と意を同じくする者を「門徒」と呼ばれたのであった。教位に立たず同じ群萌として阿弥陀仏の〔なんまんだぶ〕を称えて往生する一文不知の立場に立たれたのが御開山であった。
無茶苦茶に難しい『教行証文類』という信心の形而学ともいえる著作を残された御開山だが、その本意をは〔なんまんだぶ〕を称えて西方仏国に往生して仏陀と成るご法義を顕彰する為であった。ありがたいこっちゃ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

「門徒」

スマートフォン対応

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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google からスマートフォンでのアクセスで404エラーが増加したというメッセージが来たので、wikiarcにスマートフォン対応のスキン(外装)を入れてみた。
wikiarcのメンバ-ならば好きなスキンを選択できるので林遊はPC用のスキンを使っている。しかしスマートフォンでのアクセスが増えているので初期設定のスキンをスマホ対応にしてみた。

これでお聴聞の時に、判らない真宗用語をスマホでチェックしたり、引用のお聖教の文を確認したり、または布教使さんの使う用語の誤謬にツッコミを入れることが出来るかもである(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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人が生きるということは、ゴーギャンが、

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか

という命題と密接な関係があるように思ふ。
もちろんゴーギャンの精神世界は豪も知らないのだが、この命題に幻惑して自殺しようとした彼の意図はわかるかもである。
要するに彼は、何を描くべきかという芸術的な美的耽溺と自らの才能に絶望したのであろう。西洋神学の中で幼少期を育った者に特有の思想の結論であろう。
明恵上人の夢記に見られるような青少年期の経験が「阿留辺畿夜宇和(あるべきようわ)」という理想世界を求めさせたのであった。彼の理想論は、法然聖人の『選択本願念仏集』への『摧邪輪』の批判で解る。

ともあれ、浄土仏教では「我々はどこから来たのか」や「我々は何者か」「我々はどこへ行くのか」についての答えの用意がある。

ゴーギャンが、なんまんだぶを称えて浄土へ往生するというご法義に出合えたならば、彼の作風も違ったものになったかもである。
それにしても「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」という近代フランス風命題は、ゴーギャンを賛美する画商の営利的流布であり、キリスト教的思想背景のない林遊には、正直意味不明であった。

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