利他力

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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某ブログへの投稿が「本文に含まれるURLの数が超過しています」 と撥ねられたので、自前のブログにしてみた。

浄土真宗は他力(利他力)のご法義ですから、阿弥陀仏の信心というのがあります。→(*)

阿弥陀仏が、他(衆生)を摂受することに、一点の疑いも無くハッキリしている阿弥陀仏の信心です。阿弥陀仏の信がハッキリしているので、浄土真宗ではわたくしの側でのハッキリした信を論ずることはしません。
阿弥陀仏がハッキリしているのにわたくしのハッキリをプラスするなら半他力ですね。

高森親鸞会の影響を受けている方は、高森親鸞会の教義の認知バイアスがかかっているので理解しがたいのでしょうけど、御開山のご著書を読むときには「約仏」で読まれると判るかもです。→(*)

なお、浄土真宗には「聞即信の一念」という表現はありません。
「聞即信」とは、聞いていることが即ち信心であることを意味する言葉です。阿弥陀仏の、これで必ず済度されるという信を聞信していることを聞即信というのでした。→(*)

一念とは、御開山によれば「行の一念」と「信の一念」があるのですが、お尋ねの一念は文脈からして信の一念と仮定するならば、信の一念には「時剋」の一念と「信相」の一念があります。こういう言葉の使い方の意味を辞書などを使って学んでみましょう。→(*)

自覚という語を使われてますが、本来自覚という語は仏教語であり「自覚・覚他・覚行窮満、これを名づけて仏となす」とあるように自ら迷いを断って悟りを開くことを意味する言葉でした。→(*)

ともあれ、浄土真宗の全分他力のご法義では、わたくしが変わるではなく、曠劫以来変わらないわたくしに、なんまんだぶという言葉になって阿弥陀仏の可聞可称のご法義なのでした。→(*)

ほとんど理解できないと思ひますが、高森親鸞会で学んだハッキリする自覚の信と全く違う世界が、なんまんだぶと称えるご法義が、御開山の示して下さった信心の世界でした。要するにわたくしの信を離したときに、少しく窺えるのが、御開山が説かれた「信の世界」なのでしょうや。

「三品の懺悔」云云は、専である〔なんまんだぶ〕以外の雑行に固執する、高森親鸞会の専雑得失の雑行の十三失を誡める言葉でした。→(*)

『往生礼讃』の、

懺悔に三品あり。
上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。 「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。 「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。→(*)

の文から御開山は、

真心徹到するひとは
金剛心なりければ
三品の懺悔するひとと
ひとしと宗師はのたまへり

と、和讃されたのだが、真実の懺悔は「称仏六字 即嘆仏即懺悔」の〔なんまんだぶ〕を称えることでした。

また「即懺悔」といふは、南無阿弥陀仏をとなふるは、すなはち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになると申すなり。→(*)

浄土真宗の信は〔なんまんだぶ〕と称える所から立つのですが、あほみたいな高森親鸞会の信を捨てたところから、真の求道があるのかもでした。

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みづからの善根において信を生ずることあたはず。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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御開山は『無量寿経』の罪福を説く胎化段を、異訳の『無量寿如来会』の文を引文されて、

みづからの善根において信を生ずることあたはず。 (*)

と、されておられました。
高森親鸞会では縦の線とか横の線とか、浄土真宗をプロセスとして捉えていますが、ご開山のお勧めは第十八願に誓ってある、

わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。(現代語

の、阿弥陀仏の正覚と衆生の往生を不二とされたのでした。
真偽未詳といふか、ほとんど仮託した句ですが、林遊のように口の悪い一休宗純が、

極楽に さのみ用事はなけれども
弥陀を助けに 往かにゃなるまい

と詠ったといふ意も「若不生者 不取正覚(もし生ぜずは、正覚を取らじ)」の文からでした。
「業は願によりて転ず」という語が『往生要集』にありますが、「絶対の幸福を求める」という幸福は、一人の幸福はみんなの為に、みんなの幸福は私の為にという意かもです。 (*)

ともあれ高森親鸞会の宿善論の「信心獲得」の呪縛から逃れられてのはよかったですね。

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美しく齢を取りたいと言ふ人を

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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美しく齢を取りたいと言ふ人を

アホかと思ひ 寝るまへも思ふ(河野裕子)

この句の作者は全く知らないのだが、いい句である。
昼の世間の付き合いや喧噪と離れて、夜の一人で床で寝入る時間は、一日の来し方を思索の時間でもある。
物書を生業とする輩は、言葉を操り本質から目をそらせることに、たけているので、自らの老醜を化粧によって覆い隠す術に長じているのであろう。
そのような、世間に面(つら)を出す前の、朝の化粧する鏡台の上のわたくしを見て、アホかと寝る前に思ふのであろう。
御開山は、陶淵明の『帰去来辞』を依用した善導大師の文を「証巻」「真巻」で引文されておられる。

帰去来   魔郷不可停
曠劫来流転 六道尽皆逕
到処無余楽 唯聞愁歎声
畢此生平後 入彼涅槃城

帰去来(イザイナム)、魔郷には停まるべからず。
曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。
到るところに余の楽しみなし。ただ愁歎「生死」の声を聞く。
この生平を畢(お)へてのち、かの涅槃の城に入らん

この文の「愁歎」を御開山は「生死」として引文(原典版)されておられるのだが、現代の長生きという世相にてらせば、愁歎や生死の語は「老愁」とでも表現できるかもである。
ともあれ、河野氏の「アホかと思ひ寝るまへも思ふ」という句は、法然聖人が寝る前に

阿弥陀仏と十こゑとなへてまとろまん
なかきねむりになりもこそすれ (『全書』和語灯録p.685)

と詠われた意(こころ)を想起せしめるのであった。我々が口になずんだ「正信念仏偈」の、

本願名号正定業(本願の名号は、正しく往生の決定する行業である)

であった。いのち終わって往くべき浄土を持たない人は可哀想である。
「美しく齢を取りたい」という方には申し訳ないのだが、やがて訪れる死を考察しないならば「アホかと思ひ寝るまへも思ふ」である。
死ぬことが許容されない現代社会では、痴呆になってベッドの上で胃婁を処されて生物としての「生」を受け入れる選択肢しかないのだが、生をリセットして新しい生がめぐまれるという

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。

という、往相・還相を説く、浄土真宗のご法義の上でいえば、死は新しいわたくしの再生であり、還相はいのちを繋ぐリレーであった。往相・還相という概念は、そのような意味によって理解されるべきなのだが、存在のゼロポイントという基底から、浄土教を考察されたのが御開山親鸞聖人であった。

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幸西成覚房の教学

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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先日のwikiarcの「八万四千の法門」で、幸西大徳にふれた。

幸西大徳は鎮西派の『法然上人行状畫圖』第二十九などでは、

比叡山西塔の南谷に、鐘下房の少輔とて、聰敏の住侶ありけり。弟子の兒にをくれて、眼前の無常におどろき、交衆ものうくおぼえければ、三十六のとし遁世して、上人の弟子となり、成覺房幸西と號しけるが、淨土の法門をもとならへる天台宗にひきいれて、迹門の彌陀、本門の彌陀といふことをたてて、十劫正覺といへるは迹門の彌陀と。本門の彌陀は無始本覺の如來なるがゆへに。我等所具の佛性と、またく差異なし。この謂をきく一念にことたりぬ。多念の遍數、はなはだ無益なりと云て、一念義といふ事を自立しけるを、上人、此義善導和尚の御心にそむけり。はなはだしかるべからざるよし、制しおほせられけるを、承引せずして、なをこの義を興しければ、わが弟子にあらずとて、擯出せられにけり。  (*)

などと、法然聖人から破門されたなどの非難を浴びせているが、これは一念義を排斥する為の多念義の宗風の鎮西派からのいわれなき中傷であろう。
幸西大徳の教学については、梯實圓和上の『玄義分抄講述』に詳しく、その一部をUPしてある。 →「幸西大徳の一念義
幸西大徳は非常に御開山と近い思想であり、「八万四千の法門」についても御開山と同じなので、『玄義分抄講述』から「(四)教法の開示」をUPした。
旧漢字を使っているので読みにくいかもしれないが、《「門餘八萬四千」トイハ一乘ヲ加テ餘トス。》 以下だけでも読めば、御開山が「八万四千の仮門」といわれた意が領解できるであろう。

→「第二講 序題門

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三恒河沙

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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昭和に生まれて平成まで生きてきた〔いのち〕だと思うのだが、仏から見ればお前の〔いのち〕の歴史はとてつもないほど長いとおっしゃる。
御開山は、『正像末和讃』で、

三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
自力かなはで流転せり

と、ガンジス河の砂の数を三倍したほどの過去からの〔いのち〕の歴史だとされる。
ともあれ、三恒河沙という語の出拠である『涅槃経』に脚注を付けてみた。

御開山は『安楽集』「発心の久近」で引く、この『涅槃経』(意)の一段、

もし三恒河沙等の仏の所において菩提心を発すことあれば、しかして後にすなはちよく悪世のなかにおいてこの法を謗ぜず、経巻を書写し、人のために説くといへども、いまだ深義を解らず。(『安楽集』p.187)

の文について考察されておられる。『安楽集』では、今現在『無量寿経』の教えに出あえたのは、三恒河沙の諸仏のみもとでお育てを受けたお蔭なのだとされる。 この意を『唯信鈔文意』では、

おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。 ( (『唯信鈔文意』p.713)

と、本願力に出遇えた由縁は、過去久遠にガンジス河の砂の数の三倍ほどの諸仏のみもとで、自力の菩提心を発し、あらゆる善根を修してきたからであったとされる。
しかるに、『正像末和讃』では、

三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
自力かなはで流転せり (『正像末和讃』p.603)

と、恒河沙(ガンジスの砂)の数を三倍したほどの諸仏のみもとで、大菩提心を発しながら、何ゆえ今も迷いの境界にいるのか、という疑問について考察されておられる。これは、自力の大菩提心の成就しがたきを思ひ知るとともに、三恒河沙の諸仏に出あい菩提心を発しながら、いままで全く手掛かりのないほどの救われがたい自己であったという述懐であろう。それはまた、反顕すれば三恒河沙の諸仏のお育てによって、このたび『無量寿経』の本願力回向の教えに出あえたことを感佩しておられるのである。

浄土真宗に於ける「信心正因」とは、菩提心正因ということであるが、横超の菩提心とは私が発すのではなく、因位の阿弥陀如来の菩提心に包摂されていることを信知することであった。これを御開山は本願力回向と仰るのである。

『涅槃経』「三恒河沙諸如來」

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法然聖人と御開山の相違について

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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FBのフレンド?さんからコメント欄で以下のような問いを受けた。通常ならお聖教を読めやで済ますのだが、暇なので反応。

>先日「法然と親鸞は一緒や!」とおっしゃる方がいて、その場の空気で、何も言えませんでした。
>帰宅し家事をしながら、「あれはなんなん?僧籍にある人の言う言葉か?」と、悶々と、煩悩が起こってきました。頭の中で三願転入の言葉が、浮かび次々と和讃 経文 ネット等探しているうちに、気づきました。批判していたお方のおかげで、我が信を少しく見なおすことになり感謝でした。
>法然と親鸞の相偉点について御提示頂ければ、うれしいです。

「法然と親鸞の相偉点について御提示頂ければ、うれしいです」と、自らの生死を託す祖師方を呼び捨てにする神経は理解しがたいのだが、以下に思ふところを記してみる。

単純な「法然と親鸞は一緒や!」という言い方は、少しく穏当さを欠いています。
念仏を強調された、高田派の真慧上人の『顯正流義鈔』あたりを己の字力だけで読めば、そのような解釈になるのかもです。
また、御開山は、

(99)
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ

と、浄土真宗を開かれた方は法然房源空聖人とされておられる意を、直截(すぐに裁断を下すこと)に取って言っているのかも知れません。
法然聖人は対機説法に巧みでしたから、その本意を誤解されることが多いのですが、法然聖人の「念仏往生」思想の中核を正しく継承し、深化発展させた方が御開山です。
梯實圓和上は「教行証文類のこころ」の講義で、

親鸞聖人は浄土真宗というのはこれは、浄土真宗を開いた方は、法然聖人だと言い続けておられますね。皆さん、お正信偈拝読させて頂きましたら、一番最後が法然聖人の徳を讃える源空讃になりますね。あのとこにね、本師源空は、仏教にあきらかなり、善悪の凡夫人を憐愍し、真宗の教証を片州に興し、選択本願悪世に弘めしむ、と仰ってますでしょ。
あれ同じ事を和讃、法然聖人の和讃見ますとね、
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ
と、こう仰ってます。つまり日本の国で浄土真宗を開いた方は法然聖人だというんですね。源空聖人、法然聖人というのは房号ですからね。正確に言うと源空、法然房源空というのがこの方のフルネームでございます。
この法然聖人が浄土真宗を開いた最初の方だ。つまり、浄土真宗という教義体系ですね。浄土真宗という教義体系を持つ宗教を日本で初めて開いた方は法然聖人である。
『教行証文類』でも一番最後の所に、「真宗興隆の大祖源空法師」、とこういうふうに仰っています。
浄土真宗を日本の国で興隆して下さった方は源空である、とこう仰っていますから、法然聖人が浄土真宗を開いた方だというふうに仰っているわけですね。

と、仰っていました。
我々は知らず知らずのうちに「宗我」という名の自是他非に陥り、念仏VS信心という対立構造で浄土真宗というご法義を理解したつもりになるのですが、これは間違った浄土真宗のご法義の捉え方です。明治期以降の信を強調するキリスト教の影響によって、真宗教団が愚直に往生の業因である〔なんまんだぶ〕を称える門徒を切り捨てて、回向されたご信心と自覚を等値した結果が、信心という自覚に迷う輩を輩出してきたのかもです。
御開山が、

穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ (*)

と示されたように、「行に迷ひ信に惑」っているのが、現代の真宗門徒なのかも知れませんね。御開山の「ご影」には、どれも珠数をつまぐっている姿が描かれていますが、なんまんだぶ なんまんだぶと、法然聖人が示して下さった、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」でありましょう。

で、お尋ねの問いに関して、
→「五願開示
「浄土真宗の特長」
へ、リンクしておきます。

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絶滅危惧種

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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FBより転載

浄土真宗は信心正因のご法義だという。
しかして、その信心とは何かということを、坊さんが説かないから門徒は右往左往する。
まして他力の信心という、他力の「他力」の概念の意味が判らない布教使が、信心、信心というので、門徒は迷いに迷って、私の想ひを変革する奇跡の出来事が「信心獲得」によって得られる事象と勘違いをするのであった。

九条武子さんは、その著『無憂華』の「背くもの」で、

 信仰を特異の存在であるかのやうに思ってゐる人たちは、信仰の門にさえ佇めば、容易になやみの絆は断ち切れて、みづからの欲するまゝに、慰安の光がかゞやくかのごとく思ふ。
しかしながら、信仰は一の奇跡ではない。宗教はまた気やすめのための、力なき慰めでもない。信仰は荷せられた悩みを逃避するのではなく、悩みの肯定のうちに、救ひの光にみちびかれるのである。
多くの人たちは、宗教の本質について、かなしき錯覚のもとに、法をもとめようとしてゐる。そして一様に、自らの想像する驚異の世界を発見することが出来ずして、却ってをしへの常凡なるに失望してゐる。 (*)

と、記述されている──信仰という表現は、九条武子さんがおられた時代背景の大正デモクラシーの影響を受けたキリスト教表現であろう──が、「悩みの肯定のうちに」という表現は、御開山の示して下さったご法義を正確に言い表していると思ふ。
「教えの常凡なるに失望している」という常凡(つねなみ)という言葉の捉え方がややこしいのだが、ようするに〔なんまんだぶ〕を称えて、西方仏国を目指せということである。大正デモクラシーの個人の意識の覚醒を指示する中にあったからこそ、御開山の示された、林遊のように莫迦みたいに、なんまんだぶを称えて浄土を目指すご法義を「常凡」とされたのであろう。
もっとも平成の世では、かっては何処にでもいた、なんまんだぶを称えて往生浄土を期す門徒は、まるでメダカのようにレッドリストの絶滅危惧種に位置づけられているのであった。

ともあれ、いわゆる社会派を自称する真宗の坊さんは、本物のご法義流通の為にも、この絶滅危惧種の保存に目を向け保護を計るべきであろう(笑

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光なき人 光を仰ぐ

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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加賀の三羽烏といわれた藤原鉄乗師に、

光追う 人に光は  なかりけり
光なき人 光を仰ぐ

という句がある。
若い時には理想や自己実現という願望の光を目指すのである。しかして、その理想と現実のギャップの中に存在している光なき自己の現実に気がついたとき、ごまかす事のできない、苦悩の中にあった自己を発見するのであろう。
理想と現実のはざまで、夢や期待の光を追いかけていた自己の存在の基底の、光なき煩悩の闇の中に息づいている自力の中にいる己を発見するのであった。
小林一茶は、世の中は 地獄の上の 花見かな、という句を詠んだが、理想の実現をおい求めることを想い描く自己の足下には、いつか現実化される厭わしい世界が着々と根底に準備さつつあるのであった。
老いるとは、死なねばならぬという現実の中で、自らの想いの火を消して浄土からの、なんまんだぶという救いの光を仰ぐことであり、これが他力の浄土を目指す浄土真宗のご法義であった。
ともあれ、仏教には心理学的な方面からの考察もあり、ユング派の河合隼雄氏の「灯を消す方が よく見えることがある」という考察は、第十九願や第二十願の光を求めるという発想の逆であろうと思ふ。
以下、河合隼雄氏の『こころの処方箋』から引用。

灯を消す方が
よく見えることがある

子どもの頃に読んだ、ちょっとした話がずっと心のなかに残っていることがある。次に紹介する話も、少年倶楽部あたりで読んだのだと思うが、妙に印象的で心のなかに残り続けていたものである。
何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角がわからなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯(たいまつだったか?)をかかげて方角を知ろうとするが見当がつかない。
そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫におされて消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんとなれてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方角がわかり無事に帰ってきた、というのである。

この話を読んで、方向を知るために、一般には自分の行手を照らすと考えられている灯を、消してしまうところが非常に印象的だったことを覚えている。子ども心にも何かが深く心に残るということはなかなか意味のあることのようで、このエピソードは現在の私の仕事に重要な示唆を与えてくれている。
子どもが登校しなくなる。困り切ってその母親が相談に行くと、学校の先生が、「過保護に育てたのが悪い」と言う。そうだ、その通りだと思い、それまで子どもの手とり足とりというような世話をしていたのを一切止めにしてしまう。ところが、子どもは登校しないどころか、余計に悪くなってくる気がする。そこで他の人に相談してみると、子どもが育ってゆくためには「甘え」が大切である。子どもに思い切って甘えさせるといい、と言われる。困ったときの神頼みで、ともかく言われたことをやってみるがうまくゆかない。どうしていいかわからないということで、われわれ専門家のところにやって来られる。
「過保護はいけない」、「甘えさせることが大切」などの考えは、それはそれなり一理があって間違いだなどとは言えない。しかし、それは目先を照らしている灯のようなもので、その人にとって大切なことは、そのような目先の解決を焦って、灯をあちらこちらとかかげて見るのではなく、一度それを消して、闇のなかで落ちついて目をこらすことである。そうすると闇と思っていたなかに、ぼうーと光が見えてくるように、自分の心の深みから、本当に自分の子どもが望んでいるのは、どのようなことなのか、いったい子どもを愛するということはどんなことなのか、がだんだんとわかってくる。そうなってくると、解決への方向が見えてくるのである。
不安にかられて、それなりの灯をもって、うろうろする人(このことをできるだけのことをした、と表現する人もある)に対して、灯を消して暫らくの闇に耐えて貰う仕事を共にするのが、われわれ心理療法家の役割である。このように言っても、闇は怖いので、なかなか灯を消せるものではない。時には、油がつきて灯が自然に消えるまで待たねばならぬときもあるし、急を要するときは、灯を取りあげて海に投げ入れるほどのこともしなくてはならぬときがある。そんなことをして、闇のなかに光が必ず見えてくるという保証があるわけでもない。従って、個々の場合に応じて、心理療法家の判断が必要となってくるのだが、その点については、ここで論じることはしない。
もっとも、不安な人は藁をもつかむ気持で居られるので、そのような人に適当に灯を売るのを職業にしている人もある。それはそれなりにまた存在意義もあるので、にわかに善し悪しは言えないが、それは専門の心理療法家ではないことは確かである。
子ども心にも、特に印象に残る話というのは、やはりその人にとって、人生全体を通じての深い意味をもっているものなのだろう。子どもの頃に知って記憶している話が、現在の自分の職業の本質と密接にかかわっていることに気づかれる人は、あんがい多いのではなかろうか。
別に心理療法なんかを引き合いに出さなくとも、目先を照らす役に立っている灯──それは他入から与えられたものであることが多い──を、敢て消してしまい、闇のなかに目をこらして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても、人生のどこかで必要なことと言っていいのではなかろうか。最近は場あたり的な灯を売る人が増えてきたので、ますます、自分の目に頼って闇の中にものを見る必要が高くなっていると思われる。

宗教の世俗化ということが久しいのだが、浄土真宗の坊さんが「場あたり的な灯を売る」、癒しを説く人になっているのは門徒として悲しいことではある。

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死の五段階

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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古いFBの自分の投稿を見ていたら、YouTubeに上げられたキューブラー・ロスを取材した映像があった。

『死ぬ瞬間』までの経過を、

〈第1段階〉否認
〈第2段階〉怒り
〈第3段階〉取引
〈第4段階〉抑うつ
〈第5段階〉受容

という五段階で示したキュプラロスだったが、別の民放クルーの晩年の彼女を取材した怒れる彼女の映像を見るに、自らの死に関しては自分の論理は役に立たなかったのかもである。
なんまんだぶのご法義では、きれいに死ぬなんて嘘を言わない。醜く畳を掻き毟って、死にたくない死にたくないと喚きながら死んでいけるのが浄土真宗である。ありがたいこっちゃなあ。

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https://www.youtube.com/watch?time_continue=478&v=Tp0eYiAOsZY

生まれたなら死ぬのはあたりまえ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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越前では夜伽(通夜)の席では、お文(御文章)の四帖九通目の「疫癘の章」が拝読される。

 当時このごろ、ことのほかに疫癘とてひと死去す。これさらに疫癘によりてはじめて死するにはあらず。生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり。 (*)

伝染病(疫癘)によって次々と人が死んでいくのに「生れはじめしよりして定まれる定業なり。さのみふかくおどろくまじきことなり」との仰せである。
このお文の趣旨の元であろうと思われる御開山の御消息にも、飢饉で次々と人が死んでいく状況のもとでの、お手紙(御消息)がある。

 なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふらんことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。 (*)

両者に共通するのは、人は、生まれたからには、死ぬのはあたりまえである。どうしておどろき たじろぐことがあろうか。人々の死を驚き嘆くならば、それを縁として、いそぎ自らの生死の解決をすべきであろうというのであろう。
人は何故死ぬのかと云えば、生まれたからであり、生まれた(因)からには死ぬ(果)のは当たり前である。最近は死の判定は医師以外は出来ないという風潮からかマスコミでの「心肺停止」という言葉をよく耳にする。死の三兆候として心拍停止、呼吸停止、対光反射停止という基準があったのだが、臓器移植推進のせいか、最近では死ぬことも難しい社会になったのかもである(笑

夜伽(通夜)の晩には、同行衆の『正信念仏偈』『和讃』読誦の後で、「疫癘の章」のお文を拝読する。かっては、同行、老人会、集落、垣内のお勤めが4回もあった。そしてお文も、それぞれの代表の門徒が読み上げたので、村落社会にいる者にとっては、お文を読めることが必須のアイテムであり、どれだけ地位や金があっても、お文を読めなければ莫迦にされていた。
そして、葬儀が済んで納骨が終わった後の勤行で、朗々と読み上げられるのが「白骨のお文」(*)であった。
稲城選恵和上は、日本人にとって最高の弔辞は「白骨の御文章」である、と仰っておられたが、先立つ人が、身をもって「後生の一大事」を示して下さるのであった。
ともあれ、白骨章の文は、耳にタコができるくらいに聞かされたのだが、文中の「あはれといふもなかなかおろかなり」を、蓮如さんが上から目線で、死んでいく意味を知らない奴は、あはれ(哀れ)でアホ(愚か)というのだと思い、偉そうな奴やなと思っていたのだが、本願寺派の「注釈版聖典」の脚注を読んで林遊があほだったということを知った(笑
そんなこんなで、大谷派と本願寺派の聖典の流布という意味では、本願寺派の言葉の意味を示す脚注付の『註釈版聖典』には、大谷派は圧倒的に敗北してると思ふ。
そもそも、大谷派の坊主は真面目に『教行証文類』を読んでいないし、あほみたいな往生浄土無き「近代教学」に嵌っているから、御開山が描いた浄土を知らないのであった。宗名に「浄土」がないのが、その証拠であろう(笑

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