文明第三炎天のころ

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浄土真宗はラジカルな宗教である。
西洋かぶれの我々は宗教改革といえば16世紀のルターの宗教改革を想起しがちなのだが、それに先立つ12~13世紀に日本では法然聖人によって仏教の宗教改革がなされたのであった。
既存の仏教の論理と全く違った、なんまんだぶを称えるだけで浄土で仏陀の悟りを得ることが出来ると主張する法然聖人の浄土宗は、革新的な教えであった。
それまで仏教から見離れされていた民衆にとって、あらゆる者が済度され得るいう大乗仏教運動に匹敵する衝撃をもって迎えられたのである。その衝撃ゆえに既存の仏教や為政者からは弾圧を受けた。日本の歴史上初めて僧侶の斬首が行われ主だった関係者は流罪という大弾圧をうけるのであった。
御開山親鸞聖人はその弾圧の流罪を体験した一人であり、法然聖人の教えを正確に理論体系づけられた方であった。この体系を記述した書を『顕浄土真実教行証文類』という。
ただ御開山は他の法然聖人の弟子と違い、寺院を持つことはなく著作と思索に没頭したのだが、曾孫の覚如上人は御開山の教えを慕う門徒を統合しようと本願寺という寺院を創設した。

その寺の後継者として200年後に、潰れかかった/潰れていた本願寺を再興し、御開山の教えを津々浦々まで届け日本最大の教団を組織したのが蓮如さんであった。
蓮如さんは「おれは身を捨てたり」という覚語の下で越前吉崎の地に下向されたのである。その蓮如さんの文書伝道を示す「お文(手紙)」をUPしてあるのだが、意図が掴みにくいので、本文のノート(mediawikiのシステムでは、本文について議論するノート・議論というページがある)に、梯實圓和上の講演禄をUPした。別の機会に、このお文を取り上げた和上の講義を受けたのだが耳に残る和上の口吻を思い出すとありがたいことである。
宗教離れの昨今、寺院の経営とか今後の寺院の在り方で悩んでいる坊さんも多いと思ふのだが、要するに自らが信を持つか否かであって、坊主に信心の炎が無いならば寺は早晩潰れていくだけである。

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講義の元となった帖外のお文

講演の内容

『柴門玄話』について

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードしてあった『柴門玄話』を流し読みしてみた。
いわゆる「信心正因 称名報恩」は浄土真宗の御常教なのだが、戦後に封建思想の名の下で「恩」という思想が排斥され「称名報恩」ということが現代人には受け容れ難いものになってしまったのだと思ふ。
僧俗の中には、称名は報恩であるからしなくてもよいという者までいるので困ったものである。

そのような意味において、信心正因は動かないのだが、信心正因と称名報恩はセットにするものではなく別々に領解するものだと思っていたりする。
ともあれ、信心正因という「稟受の前後」の他に、「法相の表裡」という解釈もあるのだという『柴門玄話』を読んで感じたことをメモ用に記述してみた。「名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず」(p.816)書物を読まんとするや、という声が聞こえてきそうなのだが、これはこれ文の出拠を調べながら〔なんまんだぶ〕を称えさせて、ご本願を知らせて下さる楽しみ事の遊びではある。ありがたいこっちゃな。

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→『柴門玄話』について

略-正信念仏偈

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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御開山は「正信念仏偈」の、
本願名号正定業……以下の文を、鏡のご影、安城のご影に讃名として記しておられた/おられる。
また『尊号真像銘文』で自ら解釈もされておられるから大切な文であったのだと思ふ。
三法立題という文を記述していて思ったのだが、この文は以下のように、行・信・証の次第になっている。

行:第十七願
 本願名号正定業
  本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。
信:第十八願
 至心信楽願為因
  その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする。
証:第十一願
 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
  信を得て如来と等しい徳をいただき、涅槃のさとりに至るのは、第十一願の功である。
(現代語訳は梯實圓和上の訳を依用した)

帰敬偈の、帰命無量寿如来 南無不可思議光を真仏・真土に配すれば、

真仏:第十三願 真土:第十二願
 帰命無量寿如来 南無不可思議光
  限りなき「いのち」の如来に帰順し、はかりなき光の如来に帰依したてまつる。

になる。(身土不二だから真土がないとの突っ込みは却下(笑 )
ようするにお勤めの時間が無い時は、

帰命無量寿如来 南無不可思議光
本願名号正定業
至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

と、誦し言葉にあらわして本願に想いをいたすこともあるのであろうと思ふ。

ともあれ、浄土真宗の信心とは、「本願の名号は、正しく往生の決定する行業である」ということを受け容れた三心即一の信楽である一心を正因とするのであった。
それが、世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国(世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず)」の『浄土論』の讃歎門と不離の「一心の華文」であった。
信心正因の語をドグマ化して捉え、幾百万幾千万の、ひたすら〔なんまんだぶ〕を称えてきた名もない同行を揶揄する真宗坊主は、前念命終 後念即生と、いっぺん死ねばいいのにと在野の田舎門徒は思っていたりする。
なお五願立法の場合、教は行文類にある。一乗海釋の「しかるにについて」がそれであり、「しかるに本願一乗海を案ずるに、円融満足極速無碍絶対不二の教なり」である。
いわゆる第十七願の諸仏の〔なんまんだぶ〕せよというのが教であり、それを修するのが行なのである。第十七願を教法とも行法ともいう所以である。

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時衆の大道場

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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長崎称念寺の「除『昼』の鐘」についてのニュースがあった。
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2016123002000182.html

越前長崎の称念寺は、蓮如さんが越前吉崎へおいでになる前は、北陸一体はおろか奥州にまで教線を張る時宗(時衆)の大道場であった。
いわゆる口に〈なんまんだぶ〉をとなえれば、西方極楽へ往生するという教義によって当時の民衆に絶大に受け入れられたのが時宗であった。
この隆盛な時宗に対して、蓮如さんは「信心正因」という教化をされたのである。
吉崎での御文章の最初期ともいわれる帖外の御文章(御文章集成八:浄土真宗全書p.234)では、俗人が坊主分に対して、

まづ聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもて本とせられ候。そのゆへは、もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として仏のかたより往生を治定せしめたまふなり。このくらゐを「一念発起入正定之聚」とも釈したまへり。このうへには行住坐臥の称名念仏は如来我往生をさだめ給ふ御恩報尽の念仏と心得べきなり。これを信心決定の人とは申なり。(*)

と、語らせるのであった。(この一文は後に「聖人一流章」(5-10)として流布された。)
いわゆる無信単称(信なくして単に称名するだけ)の信無き称名の民衆に対して、本願力回向の「仏のかたより往生を治定せしめたまふ」他力の「信心」のご教化であった。
このようなご信心のご教化は、当時の民衆に主体的に自からの生死のいく末を問うのであった。これにしびれたのが群萌のごとき越前・加賀の我らの先祖である百姓であった。生きている意味とその目的を「信心」という言葉に投射して、自らの生きる意味を発見したのであった。
もちろん、〈なんまんだぶ〉を称えることは、時宗の示すように往生浄土の業因なのであるが、信心という補助線をいれることによって〈なんまんだぶ〉を称えることの意味の転換を起こしたのである。
このような変化は、〈なんまんだぶ〉を称えるだけで西方極楽に往生できる、という無信単称の時宗に属していた大衆にとって驚天動地の事柄であったから、雪崩を打つように吉崎の蓮如さんの元へ群集したのであった。
まるで盤面のオセロの駒をひっくり返すように、大衆が時宗から浄土真宗へひっくり返ったのであった。それは時宗の〈なんまんだぶ〉を称えるという素地があったからこそ、蓮如さんの信心正因というご教化の真意が発揮されたのであった。
そのような意味において、時宗の越前長崎の大道場であった称念寺は、浄土真宗のご法義に於いて歴史的役割を果たしたのであった。

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大悲

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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WikiArcの大悲の項目に追記

だいひ

〈悲〉の原義は〈呻き〉を意味する梵語のカルナーであるともいわれ[1]、(他者の苦痛をわがこととして)苦しむこと、嘆き悲しむことから、〈同情・あわれみ〉を意味するようになった。慈悲と熟語される慈悲の〈慈〉は、梵語「マイトリー (maitrī)」であり、「ミトラ (mitra)」から造られた語で、本来は〈友情・親しきもの〉の意であるが、転じて〈慈しみ〉、純粋の〈親愛の念〉を意味する。大乗仏教においては、他者の苦しみを救いたいと願う「悲」の心を特に重視し「大悲 (マハー・カルナー mahā karunā)」と称する。仏の〈悲〉はとくに、大悲と呼ばれ無縁の大悲(あらゆる差別を離れた絶対平等の慈悲)だとされている。
御開山は、可聞可称の〈なんまんだぶ〉を、「大行とはすなはち無碍光如来の名(みな)を称するなり。……しかるにこの行は大悲の願(第十七願)より出でたり。」(*)と大行であるされ、この行は大悲の願より出でたのであるとされる。この大行という名目は衆生の側から立ったのではなく、阿弥陀如来の大悲の願より起こったのであり、これが本願力回向の「行」なのであった。そして、この回向された〈なんまんだぶ〉を称える生き方を「しかれば大悲の願船に乗じて光明の広海に浮びぬれば、至徳の風静かに、衆禍の波転ず。すなはち無明の闇を破し、すみやかに無量光明土に到りて大般涅槃を証す」(*)と、言われたのであった。

三種の慈悲(三縁から転記)

『浄土論註』の性功徳釈より。

〈正道の大慈悲は出世の善根より生ず〉といふは、平等の大道なり。平等の道を名づけて正道とするゆゑは、平等はこれ諸法の体相なり。諸法平等なるをもつてのゆゑに発心等し、発心等しきがゆゑに道等し、道等しきがゆゑに大慈悲等し。大慈悲はこれ仏道の正因なるがゆゑに、〈正道大慈悲〉とのたまへり。
慈悲に三縁あり。一つには衆生縁、これ小悲なり。二つには法縁、これ中悲なり。三つには無縁、これ大悲なり。大悲はすなはちこれ出世の善なり。安楽浄土はこの大悲より生ぜるがゆゑなればなり。ゆゑにこの大悲をいひて浄土の根とす。ゆゑに〈出世善根生〉といふなり」と。浄土論註の性功徳釈を真仏土巻で引文

『浄土論』の偈文「正道大慈悲 出世善根生」の大慈悲の語を『浄土論註』で解釈する中で、「慈悲に三縁あり」とし、衆生縁、法縁、無縁とする。この三縁という語は『大智度論』巻四〇や『涅槃経』梵行品などの 三縁の語に依られたものであろう。ここでの縁とは、「縁ずる(心のはたらきが対境に向かってはたらき、そのすがた(相)を取ること)」という意味で、慈悲がどのような関係性によっておこるかを三種に分けて考察されている。この中の大悲を無縁の大悲という。

なお、三縁については諸経論でさまざまな解釈があるが、一つは衆生縁の慈悲といわれるもので、人間関係の因縁によっておこす慈悲で、父母、妻子、親族などを縁じておこす慈悲で普通には愛といわれるものである。我・法ともに有とする執着にもとずく慈悲であるから小悲という。

法縁の慈悲とはあらゆる縁によって生ずるものであるから、その関係、道理によっておこす慈悲を法縁という。我という実体はないという仏教の道理は体得しているが、一切の法は空であることを体得していないので中悲という。

無縁の慈悲とは、迷いの世俗を超越した仏・菩薩のみにある、縁なくしておこす絶対平等の慈悲であるから無縁という。人・法の一切法は空であると体得した智慧よりおこる慈悲であるから大悲という。この智慧を因とする無縁の大悲が浄土の法性であり根本である。そして、真仏・真土の浄土とは、この大慈悲をエネルギーとして性起された涅槃の境界である。

参照

『大智度論』巻40

復次慈悲心有三種。衆生縁法縁無縁。

復た次ぎに、慈悲心に三種有り、衆生縁、法縁、無縁なり。

凡夫人衆生縁。声聞辟支仏及菩薩 初衆生縁後法縁。

凡夫人は衆生縁なり。声聞、辟支仏、及び菩薩は、初は衆生縁、後は法縁なり。

諸仏善修行畢竟空故名為無縁。

諸仏は、善く畢竟空を修行するが故に名づけて、無縁と為す。

WikiArc大悲

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浄土をねがふ行人は、病患を得てひとへにこれをたのしむ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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某ブログで、『御文章』4帖目13通の、

これによりて法然聖人の御ことばにいはく、「浄土をねがふ行人は、病患を得てひとへにこれをたのしむ」(伝通記糅鈔)とこそ仰せられたり。しかれども、あながちに病患をよろこぶこころ、さらにもつておこらず。あさましき身なり。はづべし、かなしむべきものか。

にある、法然聖人の識語を取り上げていた。
で、「浄土をねがふ行人は、病患を得てひとへにこれをたのしむ」という言葉の出拠とされる『伝通記糅鈔』の該当部分を読み下してWikiArcに追記してみた。
法然聖人は著述をなさらかった──主著の『選択本願念仏集』も弟子の口述筆記であった──ので、真偽未詳や偽作の文献が多いといわれている。
そのような事から蓮如上人は、前記の識語を法然聖人のものとして扱われておられるのであろう。いわゆる文献批判ということが俎上に上がっていない時代にあっては、先人は文献の真偽の判定に苦労されたのであろうと思ふ。
しこうして、御開山の遺書として、怪しい『御臨末の御書』なるものがネットで流通しているのだが困ったものである。まともに御開山のご著書を読み解く〈字力〉がある者なら、文体や内容から偽書であることは一目瞭然なのだが、この書によって歌まで作ってしまった教団があるから門徒としては困ったものではある(笑

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浄土をねがふ行人は、病患を得てひとへにこれをたのしむ

無宗教ジョーク

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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日本人は宗教的痴呆だといわれることがある。だいぶ前だが面白いジョークをSNSに挙げたので再掲。

あるクラスの授業で、小さな生徒を受け持つ若い女性の先生が、自分は無神論者だと述べました。

彼女は次に、クラスの中で無神論者がいたら手をあげなさいと言いました。小さな子供たちなので、無神論者というのが何のことかわからず、大半の子供らは先生の真似をして自分もと、嬉しそうに手をどんどんあげていきました。

ところが、一人だけあげない子供がいて、名前はルーシーと言いました。ルーシーはほかに混ざって手をあげなかったので、先生はルーシーにどうしてほかの子と違うほうがいいのかを尋ねました。

ルーシーは「だって私は無神論者じゃないからです」と答えました。

先生は「じゃぁ何なの?」

ルーシー「キリスト教です」

先生はちょっと不満気にキリスト教である理由を尋ねました。

ルーシーは「キリストを信仰するように育てられたからです。それに私の母親はキリスト教で、父もキリスト教で、だから私もキリスト教です」と答えました。

先生はちょっと怒って、「それは理由にはならないわ」と大きな声で言いました。

「じゃぁ、あなたの母親が間抜けで、父親も間抜けなら、あなたは一体何なの?」と尋ねました。

するとルーシーは答えました。「そうしたら私は無神論者になると思います」

→ジョークでわかる無宗教の温度差

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般舟三昧

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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WikiArcの「般舟三昧」の項に以下の文章を追記した。

御開山は「無碍光如来の(みな)を称する」(*)ことを明かす「行文類」で、龍樹菩薩の『十住毘婆沙論』を引いて「般舟三昧および大悲を諸仏の家と名づく。この二法よりもろもろの如来を生ず」(*) と「般舟三昧」という語を出される。
この唐突にあらわれる「般舟三昧」という語は、比叡山時代の御開山の修行を想起するに、口称の念仏(なんまんだぶ)と同値であろう。以下、それを考察してみる。

御開山の奥様である恵信尼公のお手紙(『恵信尼消息』)によれば、法然聖人との邂逅を示して「殿(親鸞聖人)の比叡の山に堂僧つとめておはしましけるが、山を出でて、六角堂に百日籠らせたまひて後世の事いのりまうさせたまひける九十五日の あか月の御示現の文なり。」(*)とあり、御開山は比叡山におられた頃は堂僧であったとある。この堂僧とは、天台宗の祖である天台(てんだい)大師智顗(ちぎ) (538-597) の『摩訶(まか)止観(しかん)』 に説かれる四種三昧のうちの一である常行三昧である。『般舟(はんじゅ)三昧(ざんまい)(きょう)』の説によって九十日を一期として堂内に安置された阿弥陀仏像のまわりを常に歩行し、その仏名を唱え[1]、心に仏を念ずる般舟三昧の行法である。この念仏三昧の行法が完成すれば十方の諸仏をまのあたりに見る(諸仏現前)ことができるという。
シナ浄土教の嚆矢である廬山の慧遠は、念仏結社「白蓮社」を結び、般舟三昧による空観の完成を目指した。浄土経典による浄土への往生と違い、現世での般舟三昧の行に依って精神を集中し見仏を目指すのが廬山流念仏であった。いわゆる口称の念仏(可聞可称の、なんまんだぶ)ではなく、禅定三昧)の語義であるサマーディ(samādhi)に入る念仏三昧の修行であった。御開山が比叡山の常行三昧堂で修行されたのも、諸仏現前三昧・仏立三昧を期する般舟三昧の行であった。
その、比叡山時代の御開山を、曾孫の覚如上人は、その著『嘆徳文』で「定水を凝らすといへども識浪しきりに動き、心月を観ずといへども妄雲なほ覆ふ」(*)といわれている。自らの心を静かな水面のように穏やかにしようとつとめても煩悩の衝動の波がしきりに動いて心が安らかではなく、さとりの月が心に至っているということを観じても、迷いの暗雲がさとりの月を距ててしまうのである、というのである。
この見仏から聞仏への移行したのは法然聖人の門を叩かれてからであった。法然聖人からお聞きした言葉を『恵信尼消息』には「ただ後世のことは、よき人にもあしきにも、おなじやうに生死出づべき道をば、ただ一すぢに仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめて候ひしかば」とあり、生死を出る道を説く法然聖人の言葉を「仰せられ候ひしを、うけたまはりさだめ」られたのであった。晩年の『歎異抄』には「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」(*)とあり「仰せをかぶり」た「如是我聞」であった。
御開山は「聞」ということを強調されるのだが、祖師方の言葉を引文することに依って『教行証文類』を著述されたのも、如是我聞(かくのごとく、われ聞けり)という「聞」の姿勢を貫いたからだと思ふ。いわゆる観仏という眼見から聞見へ転じられたのであった。
『無量寿経』の「聞其名号、信心歓喜(その名号を聞きて、信心歓喜せん)」の「聞」を、
「しかるに『経』に「聞」といふは、「衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり(然経 言聞者 衆生聞仏願生起本末 無有疑心 是曰聞也。言信心者 則本願力廻向之信心也。)」(*) の、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなしのでありであった。

御開山は『一念多念証文』で、『往生礼讃』の「今信知弥陀本弘誓願 及称名号」を釈して、「名号を称すること、十声・一声きくひと、疑ふこころ一念もなければ、実報土へ生ると申すこころなり」(*)と、なんまんだぶの名号は、称えて聞くものとされておられる。この名号を聞くものといわれるのは、法然聖人がところどころで「こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし」と述べておられる可聞可称の、なんまんだぶという声を聞くことが信であるというのである。
なんまんだぶと称えれば、なんまんだぶと聞こえる。この聞える阿弥陀仏の名号法が、浄土真宗の救いの法であり、
(71)

念仏成仏これ真宗
 万行諸善これ仮門
 権実真仮をわかずして
 自然の浄土をえぞしらぬ

という往生成仏の浄土真宗の法義である。

→般舟三昧

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三生果遂の願

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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御開山は、第二十願を、植諸徳本の願、係念定生の願、不果遂者の願、至心回向などの願名で呼ばれている。この第二十願について『西方指南抄」の十七条御法語で、

或人念仏之不審を、故聖人に奉問曰、第二十の願は、大綱[1]の願なり。係念といふは、三生の内にかならず果遂すべし[2]。仮令通計するに、百年の内に往生すべき也。 云云
これ九品往生の義意釈[3]なり。極大遅者[4]をもて、三生に出(いで)ざる[5]こころ、かくのごとく釈せり。又『阿弥陀経』の已発願等は、これ三生之証也と。[6]十七条御法語

と、ある。この「三生の内にかならず果遂すべし」の三生について、源信僧都の師である慈慧大師の『極楽浄土九品往生義』から該当部分を読み下してみた。

第二十願の願文は、

設我得仏 十方衆生 聞我名号 係念我国 植諸徳本 至心廻向 欲生我国 不果遂者 不取正覚。(たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、わが名号を聞きて、念をわが国に係け、もろもろの徳本を植ゑて、至心回向してわが国に生ぜんと欲せん。果遂せずは、正覚を取らじ。 )

である。この文の「係念我国(おもい〔念〕を我が国にか〔係〕け)」れば、そのおもい〔念〕を「果遂(果たし遂げる)」というところから、浄土門では古くから「果遂の願」とも呼ばれてきた。この果遂という言葉は、現在に於いてではなく、未来を表現するに親しい言葉だとして、三生果遂という概念が生まれたのだと思ふ。

ただ、御開山は果遂という表現を、第二十願の自力念仏の真門から第十八願の選択本願の弘願へ導いて下さった意を「果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。」(*)と感佩されておられるので、三生果遂という概念は使われない。未だ来ない未来を思ひ描くより、今という現在を重視なさったからであろう。いわゆる「念仏衆生 摂取不捨(念仏の衆生をおさめ取って捨てず)」の語に、法然聖人の示して下さった、口に称え耳に聞こえる念仏(なんまんだぶ)の意を、信楽とは「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり」(*)とされたのであろう。御開山の念仏という語は、口になんまんだぶと称えている事実を指すのであり、念仏という漢字語を指すのではない。

近代、特に戦後は西欧の個人主義(神の前での個としての私というキリスト教の影響)からか、個の自覚と信心を同値する風潮がうるさいのだが、仏教とは、教えを行じて証す「教行証」である。この教行証の行から御開山は、願作仏心という信(浄土真宗の菩提心)を別開されたのであって、なんまんだぶを称える行を無しにして「信文類」で信を論じておられるのではない。

信心正因というドグマに毒された浄土真宗の僧俗には、口になんまんだぶと称える愚直な行為は受け容れがたいのであろう。「迷行惑信(行に迷ひ信に惑ひ)」、「つつしんで往相の回向を案ずるに、大行あり、大信あり。大行とはすなはち無碍光如来の名を称するなり。」(*)という、大行の、なんまんだぶと称える行を知らないからであった。

昔の布教使は、阿弥陀さまの第十八願のご信心を領納できないご門徒に、
一世をかけても駄目なら二世をかけて、二世でも駄目なら三世をかけて、必ず救うの親さまの、果たし遂げる第二十願、三生果遂の願があるから、なんまんだぶを称えるべし、という説教を節をしていたものであった。

法然聖人は『徒然草』の三十九段で、「疑ひながらも、念仏すれば、往生す」と言われたそうだが、たとえ本願力回向のご信心が解らなくても、三生のうちには、念仏すれば、往生す、であった。

→『極楽浄土九品往生義』の抜き書き

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ネットで拾った言葉。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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ネットで拾った言葉。

 現今の仏教研究は、仏教が本来もつ宗教性、すなわち、信心や修行、覚(さと)りや救い、祈祷や修法、現世利益や死者供養、といった行動や体験と切り離して進められているが、はたしてそれでよいのであろうか。そのような現状を評して、「仏教学ますます盛んにして、仏教いよいよ滅ぶ」と揶揄(やゆ)されるのである。

浄土真宗とは、往生浄土の真宗という意味だが、この往生浄土ということを抜きにしては、布教使がどのよう語ろうとも空言であろう。巷間の真宗の坊さんの中には、死後に浄土に生まれるなどという非科学的なことは現代では通じませんという輩までいる。
弘法大師空海(774~835)は、「生生生生暗生始 死死死死冥死終(生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し)」『秘藏寶鑰』といわれた。生に暗く死に冥いのが凡夫である。何のために生まれて何の為に死ぬのか解らずに、一生を空しく過ごし、やがて冥く死んでいくのである。
浄土真宗は、その冥く空しい死に対して、死ぬことの意義を提示する一面もあるのである。死を往生として浄土へ生まれることであるというのである。死に対する真摯で深い考察と洞察から浄土教という仏教は生まれたのであった。
1000年ほど前の日本で、源信和尚(942-1017)は往生浄土の要文を集めて『往生要集』という書物を著された。その中で、天台大師智顗の撰とされる『淨土十疑論』を引き、

ゆゑに『十疑』にいはく、「浄土に生れんと求むる所以は一切衆生の苦を救抜せんと欲ふがゆゑなり。 すなはちみづから思忖すらく、〈われいま力なし。 もし悪世、煩悩の境のなかにあらば、境強きをもつてのゆゑに、みづから纏縛せられて三塗に淪溺し、ややもすれば数劫を経ん。 かくのごとく輪転して、無始よりこのかたいまだかつて休息せず。 いづれの時にか、よく衆生の苦を救ふことを得ん〉と。 これがために、浄土に生れて諸仏に親近し、無生忍を証して、まさによく悪世のなかにして、衆生の苦を救はんことを求むるなり」と。 {以上}余の経論の文、つぶさに『十疑』のごとし。
知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。 たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。p.929

『歎異抄』四条に、

浄土の慈悲といふは、念仏して、いそぎ仏に成りて、大慈大悲心をもつて、おもふがごとく衆生を利益するをいふべきなり。今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。 しかれば、念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心にて候ふべきと[云々]。(*)

と、あるのと同じ趣旨である。
なんまんだぶを称えて、浄土に往生しようということは、速やかに仏のさとりを開いて、生死を繰り返し苦悩している衆生をさとりの世界へ誘うためであった。自分が救う者になることとは「自利によるがゆゑにすなはちよく利他す。これ自利することあたはずしてよく利他するにあらずと知るべしとなり。」七祖p153なのである。御開山が「還相の利益は利他の正意を顕すなり。」p.355とされる所以であった。ありがたいこっちゃ。

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