入法界品

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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『華厳経』入法界品の菩提心の譬喩(*) を国訳に随って読み下し文を入力しようとしたが、数えたら117個もあるし、定型文なので漢文でもわかると思ひ中止(笑

御開山は、この『華厳経』六十巻の結論である、

【34】 『華厳経』(入法界品・晋訳)にのたまはく、「この法を聞きて信心を歓喜して、疑なきものはすみやかに無上道を成らん。もろもろの如来と等し」となり。(*)

の文を、信楽釈で、さらりと訓点を代えて引文しておられる。阿弥陀如来の菩提心である信心を聞いて疑い無き者は、速やかに無上のさとりを得るというのである。浄土真宗の信心とは阿弥陀如来の仏心が私のものになったということである。
そして、唐訳の『華厳経』を引いて、

【36】 またのたまはく(華厳経・賢首品・唐訳)
「信は道の元とす、功徳の母なり。一切のもろもろの善法を長養す。疑網を断除して愛流を出で、涅槃無上道を開示せしむ。……

以下、信を讃嘆する文を引かれる。
これは明らかに、華厳宗の「初発心時 便成正覚」の信満成仏説を意識して引文されたものであろう。
もっとも、華厳宗の相即相入の教理の意図とは違い、本願力回向によって回向される、仏心であるような信楽であることを立証されたかったのであろうと思ふ。御開山は、ほとんど人跡未踏の領域に達しておられたのである。
ともあれ、お聖教を拝読していると、こういう御開山が見ておられた世界が一分でも窺えるので、なんまんだぶの味が深くなるのでありがたい。
林遊は在家だし不惑を過ぎてお聖教を開いたので、全く仏教学や真宗学には素養はないのだが、日渓法霖師の、

今宗の学者、 大蔵中の三部を学ぶなかれ、 須く三部中の大蔵を学ぶべし。 三部は根本なり。 大蔵は枝末なり。 今の人、 三部を以て小となし、 大蔵を大となす、 謬れるというべし。

の指示によって、御開山の引文を眺めて、その出拠を拾い出す作業をすることは楽しい学びではある。ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

『華厳経』入法界品の菩提心の譬喩

何を信ずるのか

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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時々、我、何をなすべきかと、我、何を信ずべきかをごっちゃにして浄土真宗の御法義を語る方がいる。
何を信ずるかという時と、何をなすべきかという時では論理の立て方の意味が違う。しかしこれを一緒にして考えるから訳がわからなくなるのだろう。こんなものを一緒にする方がおかしいのである。
何を信ずるのかは、本願の《言葉》を信ずるのである。具体的には第十八願の、

たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。

現代語:
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。 (*)

の「本願の言葉」を信ずるのである。

何をなすべきかと信ずるのは、「行に就きて信を立つ(就行立信)である。阿弥陀仏が、私の名である〔なんまんだぶ〕を称えながら生きていきなさいというのである。〔なんまんだぶ〕が本願に選択された往生浄土の行であると信ずるのである。
そのような意味では、浄土真宗は「本願を信じ念仏を申す」という非常に判りやすい、信と行のご法義なのである。我、何を信ずべきかは、本願の言葉を信ずるのである。我、何を行じて生きていくかは〔なんまんだぶ〕の行を称えて生きていくことである。
これを、ごっちゃにするから、御開山は「行に迷ひ信に惑ひ」p.131 と仰ったのであった。

時々、阿弥陀様が判りません、信じられませんという同行がいる。これは信ずる対象が間違っているのである。阿弥陀仏を人格的にとらえて、その人(仏)の存在が肯えたら信じましょうというのである。
そもそも、さとりの「さ」の字も知らない凡夫が、真如法性を体としている阿弥陀如来が、判る筈がないではないか。

御開山は、『唯信鈔文意』で、

法身はいろもなし、かたちもましまさず。しかれば、こころもおよばれず、ことばもたえたり。p.709

と、示して下さっているのだが、色も形も無く、心も言葉も及ばない言亡慮絶した法性法身の阿弥陀仏が判るはずがない。判ろうとするのが、そもそも間違いなのである。
とはいえ、全く手掛かりがないのではない。それは、真如法性の世界から、我が名を称えよ、と届いている阿弥陀様の呼び声であった。これが可聞可称の〔なんまんだぶ〕であり、これが浄土真宗の救いの法なのである。

御開山は「行巻」で、元照律師の『弥陀経義』から、

いはんやわが弥陀は名をもつて物を接したまふ。ここをもつて、耳に聞き口に誦するに、無辺の聖徳、識心に攬入す。永く仏種となりて頓に億劫の重罪を除き、無上菩提を獲証す。まことに知んぬ、少善根にあらず、これ多功徳なり。  (*)

を引文されておられるが、阿弥陀如来は、名をもって我を救いたもうのである。なんまんだぶ なんまんだぶと、阿弥陀如来の呼び声を称えて聞いていることが、もうすでに私は阿弥陀如来の救済の目的の中にいるのであった。
阿弥陀如来の衆生済度の目的を、外から眺めているときは如来と私の対応関係が気になるのだが、なんまんだぶ、なんまんだぶと称えて私が阿弥陀如来の目的の中にいることを信知したとき、私は、摂取不捨の救いの中にいるのであった。
なんまんだぶつが出来たから、我が案ずることはないのであった。ありがたいこっちゃな。

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観心為清浄円明事

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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資料サイトに解脱上人貞慶の「観心為清浄円明事」をUPした。その前書き。

 

解脱上人貞慶は、法相宗の学僧で最初の念仏弾圧事件を引き起こした『興福寺奏状』の起草者といわれる。貞慶は、学徳兼備の名僧として人々から尊敬され戒律の再興に力をそそいでいた。そのような貞慶にとっては、法然聖人の破戒・持戒、有智・無智、善・悪を問わず念仏を専修して浄土へ往生するという教えはとうてい理解できなかったのであろう。
貞慶は、この「観心為清浄円明事」で「出離の道は取(う)ける身の惘然として其の法を聞かざるに非ず、ただ其の心〔清浄円明な菩提心〕の発(おこ)らざるなり。是れ則ち機の教と乖(そむ)き、望みと分と之に違(たが)ふの故か。心広大の門に入らんと欲すれば、我が性堪えず、微少の業を修せむと欲すれば、自心頼み難し、賢老に遇ふ毎に問ふと雖も答へず」と、いっている。
真摯に仏道を修行している貞慶は、菩提心の発らぬことを歎き、機と教が合わないのではないかと「賢老に遇ふ毎に問ふと雖も答へず」と述べている。賢い先輩にあう毎に問うのだが誰も答えてくれる人はいなかった、といっていることから貞慶の信仰は生涯動揺し続けていたのであろう。
梯和上によれば、この問に答えてくれる人は、たった一人、法然聖人だけだったのである。法然聖人もまた同じような求道上の機と法の乖離の悩みを持っていたからである。貞慶はその問に答えるべき法然聖人を敵にまわしてしまったのであった。→「法然聖人の回心」を参照
この、死の半月前に口述された「観心為清浄円明事」では、「予は深く西方を信ずる」としているから、いつしか「但だ予の如き愚人は観念に堪えず」と述懐していた貞慶も浄土教に帰順したのであろう。
しかし、それは選択本願の本願に選択された〔なんまんだぶ〕を称える法然浄土教ではなく、また「学者性相の疑に同ぜず。世人一向の信に同ぜず」という自己の属する法相宗学にも無い貞慶独自の考える浄土教であった。 そして、「真実の正因正業は〔聖衆の来迎の〕瑞相を見て後に希有の心〔正念〕を発す。或は略法を開き、或は被(こう)むる所に依って、暫時と雖も大乗の心〔清浄円明な心〕に住すべし。然る後に正しく浄土に生ずべきなり。其の瑞相不思議と併(なら)びて是れ仏宝法宝不思議なり。」
と、聖衆の来迎によって正念を発し、そこで大乗の心〔清浄円明な菩提心〕に住して往生すると領解していたようである。その意味では、貞慶は生きているうちに〔清浄円明な菩提心〕を決定(けつじょう)できず、結局は臨終の聖衆の来迎に一縷の望みを懸けていたのであった。
法然聖人の示された、生前に信と疑を決判し、現に救いの法が〔なんまんだぶ〕と称えられ聞こえている選択本願念仏の信心に到達できなかったのであった。
聖道の菩提心とは、御開山が述懐されたように、
自力聖道の菩提心
こころもことばもおよばれず
常没流転の凡愚は
いかでか発起せしむべき
であったのである。自力の菩提心は、尊いことではあるが、機と教が乖離していては真のさとりへの階梯ではなかったのであった。御開山が「しかるに菩提心について二種あり」(*)として本願力回向の横超の菩提心を別立した所以である。
トーク:観心為清浄円明事に現代語あり。

観心為清浄円明事(心は清浄にして円明たるを観ずる事)

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「一心正念」といふは、正念はすなはちこれ称名なり。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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二河白道の画像検索をしたら自宅にある構図と同じ画像があった。
林遊という法名を欲しさに度牒を貰ったのだが、その時に爺さんの奨めで在所の同行に配った複製画像である。

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二河譬はビジュアルな表現なのでインパクトが強く誤解されやすいのだが、「いまさらに行者のために一つの譬喩を説きて、信心を守護して、もつて外邪異見の難を防がん」とあるように、いわゆる譬えである。p.223
浄土真宗は信心を強調するので、ともすれば信心の対象である〔なんまんだぶ〕が忘れられることが多い。
当ブログの「汝一心正念にして直ちに来れ」でも書いたのだが、ここでの正念とは〔なんまんだぶ〕の意である。

御開山は、『浄土文類聚鈔』では、その意を明確に、

【33】 これによりて師釈を披きたるにいはく、「西の岸の上に人ありて喚ばひてのたまはく、〈なんぢ、一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉」(散善義 四六七)と。また〈中間の白道〉といふは、すなはち、貪瞋煩悩のなかによく清浄願往生の心を生ぜしむるに喩ふ。仰いで釈迦の発遣を蒙り、また弥陀の招喚したまふによりて、水火二河を顧みず、かの願力の道に乗ず」(散善義 四六八)と。{略出}

【34】 ここに知んぬ、「能生清浄願心」は、これ凡夫自力の心にあらず、大悲回向の心なるがゆゑに清浄願心とのたまへり。しかれば、「一心正念」といふは、正念はすなはちこれ称名なり。称名はすなはちこれ念仏なり。一心はすなはちこれ深心なり。深心はすなはちこれ堅固深信なり。……以下転釈 (*)

と、正念は〔なんまんだぶ〕であるとされておられる。

なんまんだぶ なんまんだぶ要するに、〔なんまんだぶ〕を称えた者を迎えとるという本願の勅命を一心に受け容れて、〔なんまんだぶ なんまんだぶ〕と称えて来いということである。
これが、御開山の仰る、「この心すなはちこれ念仏往生の願(第十八願)より出でたり」(*) というご信心であった。
信心正因の言葉に幻惑されて、信心の対象である可聞可称の「なんまんだぶ」を等閑にする浄土真宗の僧俗が多いのは困ったものである。

 

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

 

教行証文類のこころ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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久しぶりにUPしてある「教行証文類のこころ」を読んで見た。
梯實圓和上は、浄土真宗の根幹のタームである、往相回向と還相回向について述べておられるのだが、和上の意図を掴むには、少しく判りにくい。
往相と還相は、浄土真宗という教法の宗義でいえば、

つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。「教文類」p.135

であり、法義でいえば

本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。「浄土文類聚鈔」p.478

の、二種の回向を基底とする本願の宗義である。
浄土真宗は本願力回向という法義なのであり、この本願力回向ということは、浄土教の七祖の誰も論じられなかった義であり、それは御開山の独自の発揮であった。
ともあれ、少しでも理解を助けるために、自分用に脚注を付し、和上の示される第二十二願の3種類の読み方をノートにUPしてみた。
返って判りにくくなったかもしれないが、まあいいか。

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→「教行証文類のこころ」二日目二講

原理と現象

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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FBより転載

かなり昔だが、パソコン通信をしていた時に、浄土真宗は山のごとき高き教学と、底辺の愚鈍な門徒の総体である、というようなことを言われたことがあった。
底辺の愚直な門徒である林遊はブチキレたのだが、抗弁のしようが無かったので悶々としていた記憶がある。
何の間違いか、不惑を過ぎてお聖教というものを披いて学び、よくよく考えてみたら逆であった。原理と現象とか理論と実践ということが言われるが、本願を信じ念仏を申せば仏に成る、と愚直に〔なんまんだぶ〕を称える行を実践している門徒を、底辺で支えているのが浄土真宗の教学であった。
もっとも、現在の真宗学は、かっての阿毘達磨のごとき煩瑣教学の様相を示しているので、もう少し門徒にも判るような教法の体系が必要なのではなかろうか。
そのような意味において、浄土真宗の坊さんは門徒の行信を支える為にもっと勉強して成果をネットなどに公開してもらいたいと思っていたりする。
こんな事を書いてるから坊さんに敬遠されるんだろうな、どうでもいいけど(笑

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文明第三炎天のころ

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土真宗はラジカルな宗教である。
西洋かぶれの我々は宗教改革といえば16世紀のルターの宗教改革を想起しがちなのだが、それに先立つ12~13世紀に日本では法然聖人によって仏教の宗教改革がなされたのであった。
既存の仏教の論理と全く違った、なんまんだぶを称えるだけで浄土で仏陀の悟りを得ることが出来ると主張する法然聖人の浄土宗は、革新的な教えであった。
それまで仏教から見離れされていた民衆にとって、あらゆる者が済度され得るいう大乗仏教運動に匹敵する衝撃をもって迎えられたのである。その衝撃ゆえに既存の仏教や為政者からは弾圧を受けた。日本の歴史上初めて僧侶の斬首が行われ主だった関係者は流罪という大弾圧をうけるのであった。
御開山親鸞聖人はその弾圧の流罪を体験した一人であり、法然聖人の教えを正確に理論体系づけられた方であった。この体系を記述した書を『顕浄土真実教行証文類』という。
ただ御開山は他の法然聖人の弟子と違い、寺院を持つことはなく著作と思索に没頭したのだが、曾孫の覚如上人は御開山の教えを慕う門徒を統合しようと本願寺という寺院を創設した。

その寺の後継者として200年後に、潰れかかった/潰れていた本願寺を再興し、御開山の教えを津々浦々まで届け日本最大の教団を組織したのが蓮如さんであった。
蓮如さんは「おれは身を捨てたり」という覚語の下で越前吉崎の地に下向されたのである。その蓮如さんの文書伝道を示す「お文(手紙)」をUPしてあるのだが、意図が掴みにくいので、本文のノート(mediawikiのシステムでは、本文について議論するノート・議論というページがある)に、梯實圓和上の講演禄をUPした。別の機会に、このお文を取り上げた和上の講義を受けたのだが耳に残る和上の口吻を思い出すとありがたいことである。
宗教離れの昨今、寺院の経営とか今後の寺院の在り方で悩んでいる坊さんも多いと思ふのだが、要するに自らが信を持つか否かであって、坊主に信心の炎が無いならば寺は早晩潰れていくだけである。

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講義の元となった帖外のお文

講演の内容

『柴門玄話』について

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国立国会図書館デジタルコレクションからダウンロードしてあった『柴門玄話』を流し読みしてみた。
いわゆる「信心正因 称名報恩」は浄土真宗の御常教なのだが、戦後に封建思想の名の下で「恩」という思想が排斥され「称名報恩」ということが現代人には受け容れ難いものになってしまったのだと思ふ。
僧俗の中には、称名は報恩であるからしなくてもよいという者までいるので困ったものである。

そのような意味において、信心正因は動かないのだが、信心正因と称名報恩はセットにするものではなく別々に領解するものだと思っていたりする。
ともあれ、信心正因という「稟受の前後」の他に、「法相の表裡」という解釈もあるのだという『柴門玄話』を読んで感じたことをメモ用に記述してみた。「名号のほかにはなにごとの不足にて、かならず」(p.816)書物を読まんとするや、という声が聞こえてきそうなのだが、これはこれ文の出拠を調べながら〔なんまんだぶ〕を称えさせて、ご本願を知らせて下さる楽しみ事の遊びではある。ありがたいこっちゃな。

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→『柴門玄話』について

略-正信念仏偈

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御開山は「正信念仏偈」の、
本願名号正定業……以下の文を、鏡のご影、安城のご影に讃名として記しておられた/おられる。
また『尊号真像銘文』で自ら解釈もされておられるから大切な文であったのだと思ふ。
三法立題という文を記述していて思ったのだが、この文は以下のように、行・信・証の次第になっている。

行:第十七願
 本願名号正定業
  本願の名号は、正しく往生の決定する行業である。
信:第十八願
 至心信楽願為因
  その行法を受けいれた第十八願の信心を往生の正因とする。
証:第十一願
 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
  信を得て如来と等しい徳をいただき、涅槃のさとりに至るのは、第十一願の功である。
(現代語訳は梯實圓和上の訳を依用した)

帰敬偈の、帰命無量寿如来 南無不可思議光を真仏・真土に配すれば、

真仏:第十三願 真土:第十二願
 帰命無量寿如来 南無不可思議光
  限りなき「いのち」の如来に帰順し、はかりなき光の如来に帰依したてまつる。

になる。(身土不二だから真土がないとの突っ込みは却下(笑 )
ようするにお勤めの時間が無い時は、

帰命無量寿如来 南無不可思議光
本願名号正定業
至心信楽願為因
成等覚証大涅槃 必至滅度願成就
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

と、誦し言葉にあらわして本願に想いをいたすこともあるのであろうと思ふ。

ともあれ、浄土真宗の信心とは、「本願の名号は、正しく往生の決定する行業である」ということを受け容れた三心即一の信楽である一心を正因とするのであった。
それが、世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来 願生安楽国(世尊、われ一心に尽十方無礙光如来に帰命したてまつりて、安楽国に生ぜんと願ず)」の『浄土論』の讃歎門と不離の「一心の華文」であった。
信心正因の語をドグマ化して捉え、幾百万幾千万の、ひたすら〔なんまんだぶ〕を称えてきた名もない同行を揶揄する真宗坊主は、前念命終 後念即生と、いっぺん死ねばいいのにと在野の田舎門徒は思っていたりする。
なお五願立法の場合、教は行文類にある。一乗海釋の「しかるにについて」がそれであり、「しかるに本願一乗海を案ずるに、円融満足極速無碍絶対不二の教なり」である。
いわゆる第十七願の諸仏の〔なんまんだぶ〕せよというのが教であり、それを修するのが行なのである。第十七願を教法とも行法ともいう所以である。

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時衆の大道場

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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長崎称念寺の「除『昼』の鐘」についてのニュースがあった。
http://www.chunichi.co.jp/kenmin-fukui/article/kenmin-news/CK2016123002000182.html

越前長崎の称念寺は、蓮如さんが越前吉崎へおいでになる前は、北陸一体はおろか奥州にまで教線を張る時宗(時衆)の大道場であった。
いわゆる口に〈なんまんだぶ〉をとなえれば、西方極楽へ往生するという教義によって当時の民衆に絶大に受け入れられたのが時宗であった。
この隆盛な時宗に対して、蓮如さんは「信心正因」という教化をされたのである。
吉崎での御文章の最初期ともいわれる帖外の御文章(御文章集成八:浄土真宗全書p.234)では、俗人が坊主分に対して、

まづ聖人一流の御勧化のおもむきは信心をもて本とせられ候。そのゆへは、もろもろの雑行をなげすてて一心に弥陀に帰命すれば、不可思議の願力として仏のかたより往生を治定せしめたまふなり。このくらゐを「一念発起入正定之聚」とも釈したまへり。このうへには行住坐臥の称名念仏は如来我往生をさだめ給ふ御恩報尽の念仏と心得べきなり。これを信心決定の人とは申なり。(*)

と、語らせるのであった。(この一文は後に「聖人一流章」(5-10)として流布された。)
いわゆる無信単称(信なくして単に称名するだけ)の信無き称名の民衆に対して、本願力回向の「仏のかたより往生を治定せしめたまふ」他力の「信心」のご教化であった。
このようなご信心のご教化は、当時の民衆に主体的に自からの生死のいく末を問うのであった。これにしびれたのが群萌のごとき越前・加賀の我らの先祖である百姓であった。生きている意味とその目的を「信心」という言葉に投射して、自らの生きる意味を発見したのであった。
もちろん、〈なんまんだぶ〉を称えることは、時宗の示すように往生浄土の業因なのであるが、信心という補助線をいれることによって〈なんまんだぶ〉を称えることの意味の転換を起こしたのである。
このような変化は、〈なんまんだぶ〉を称えるだけで西方極楽に往生できる、という無信単称の時宗に属していた大衆にとって驚天動地の事柄であったから、雪崩を打つように吉崎の蓮如さんの元へ群集したのであった。
まるで盤面のオセロの駒をひっくり返すように、大衆が時宗から浄土真宗へひっくり返ったのであった。それは時宗の〈なんまんだぶ〉を称えるという素地があったからこそ、蓮如さんの信心正因というご教化の真意が発揮されたのであった。
そのような意味において、時宗の越前長崎の大道場であった称念寺は、浄土真宗のご法義に於いて歴史的役割を果たしたのであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ