もし念仏するのもは

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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wikiarcのトップに、

もし念仏するものがいるなら、まことにその人は白く清らかな蓮の花とたたえられる尊い人であると知るがよい。

という画像を貼っている。
宮沢賢治は、「法華経」に説かれる常不軽菩薩を理想としたそうだが、浄土真宗の家に生まれた彼には、聴聞の場で、なんまんだぶ、なんまんだぶと称える愚昧な門徒こそが、「もし念仏するものは、まさに知るべし、この人はこれ人中の分陀利華なり(若念仏者 当知此人。是人中分陀利華)」だということにまで理解が及ばなかったのであろうか。
これこそ、なんまんだぶの法を伝えることを懈怠した真宗坊主の怠慢なのだが、御開山が『華厳経』と『涅槃経』を引いて、

信心よろこぶそのひとを
如来とひとしとときたまふ (*)
大信心は仏性なり
仏性すなはち如来なり (*)

と、された、なんまんだぶを称える信心は仏性であるから、互いに尊重してお互いの仏性を礼拝する心持で接するのが、浄土真宗における常不軽菩薩の精神であろう。
かって、本願寺派では「信心の社会性」という語で教団をリードし改革しようという試みがあった。しかし、信無き社会派の坊さんを量産するだけであった。
僧侶としてのアイデンティティー(主体性)を、浄土を目指す「念仏往生の本願」におくのではなく、世俗社会の中に求めようとした結果である。社会という近代の概念に幻惑されて、浄土を喪失した坊主の「成れの果て」であろう。
浄土教は、此土と彼土の二元論に立脚する宗教であり、一元的に把握する宗教ではない。浄土において/浄土を目指すことにおいて、自己の存在の意味を知る仏教である。本願力回向という仏陀のさとりの世界から届く、称えて聞く、なんまんだぶを知らないから、御開山が示して下さった「現生正定聚」という世界を知らないのであろう。
なんまんだぶと称える行為は、現に私の上に仏陀のさとりの世界が顕現しているのであり、それを御開山は現生正定聚といわれたのである。
ありがたいこっちゃな。

なんまんんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
「正定聚」

若我成仏 十方衆生 称我名号 下至十声

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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『教行証文類』を拝読していると、時々、ん? となる。
林遊は好奇心のかたまりであるから、一度気になると脳内がもやもやして気持ちわるいので納得のいく解が欲しくなる。
そんなこんなで、「行巻」で引文されておられる『往生礼讃』の文の末尾に、

智昇法師の『集諸経礼懺儀』の下巻は善導和尚の『礼讃』なり。これによる。(*)

と、ある語が気になったので、wikiarcに追記してみた。
好奇心の無い者は、たとえ若者であっても老人と呼ぶのであり、好奇心のある者はたとえ百歳であっても若者と呼ぶそうだが、死ぬまで好奇心を大事にしたいものである。「法門無尽誓願知(法門は無尽だが、すべて学び尽くそう)」、ありがたいこっちゃ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
「若我成仏…」

願行具足論

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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wikiarcの「別時意」の項に、善導大師の願行具足論を追記。

面白いことに御開山は願行具足論を使われないのだが、こういうところが勉強になる。

願行具足論

この摂論学徒の往生別時意の論破が善導大師の願行具足論である。(玄義分p.324)

『摂大乗論』では、「唯だ発願するに由りて安楽仏土に於いて、(かしこ)に往きて生を受くるを得」(*)という経の文は別時意であるとする。それを釈した『摂大乗論釈』では「譬えば、一金銭を営むに由つて千金銭を覓(もと)めて得るとは、一日に千を得るには非ず、別時に由つて千を得るが如し。如来の意もまた爾なり。此の一金銭を千金銭の因と為す。仏名を誦持するもまた爾なり。退堕せずを菩提の因と為すなり」(*)と、今の称仏は、遠い未来 (別時)に得ることをすぐに得られるように説いた方便説であるという。たとえば日に一の金銭を蓄積すれば、やがて未来に千の金銭を得ることができるようなものだとする。称仏の果を得るのは遠い未来のことだというのである。
それに対して善導大師は、たしかに願のみでは「遠生のために因」であるといえるが、『摂大乗論』では、願について論ずるのみで、行について論じていないから後の摂論学徒は誤解したのだとする。善導大師は、「今時の一切の行者、知らずなんの意ぞ、凡小の論にすなはち信受を加へ、諸仏の誠言を返りてまさに妄語せんとする」と「凡小の論にすなはち信受を加へ」と仰信の強烈な言葉を発している。
そして、有名な六字釈

いまこの『観経』のなかの十声の称仏は、すなはち十願十行ありて具足す。 いかんが具足する。

「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。(玄義分p.325)

と、南無阿弥陀仏と称えることは、南無は帰命という「願」であり、阿弥陀仏とは第十八願の乃至十念という阿弥陀仏が選択された「行」であり、南無という「願」と阿弥陀仏の「行」が具足しているから、必得往生(ひっとく-おうじょう)、必ず安楽仏土へ往生するのだとされた。
また、浄土へ往生するということは、正報(仏陀と成ること)ではなく、依報(仏の報仏国土)を目指すものであるから、摂論学徒は、この点でも『摂大乗論』の意図を誤解しているのであると論破された。なお御開山の六字釈(*)は、この善導大師の六字釈を元に本願力回向の立場で解釈されておられ、願行具足論は使われていないので注意すること。

参照→「六字釈」

wikiarcの「別時意」の項に追記。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

念仏別時意

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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善導大師の有名な六字釈

「南無」といふはすなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。 「阿弥陀仏」といふはすなはちこれその行なり。 この義をもつてのゆゑにかならず往生を得。

を、善導大師がしなければならなかった『攝大乗論』と『攝大乗論釈 』の該当部分をUPしたページを更新してみた。

これで思ひ出すのが、高森親鸞会の高森顕徹氏の「現代の教行信証」とされる「会報」の文である。かって脱会した幹部から入手した文書を斜め読みしてたところ、

別時意趣とは、無著菩薩の書かれた『攝大論』の中に、佛の説法に四趣といって、四通りの説き方があるとして、その一つに別時意趣というのがある。

という文に行き当たって、頭を抱えた(笑
この一段は、高森親鸞会の講師もブログで引文していたので、ネットで突っ込みを入れたら何故かブログごと削除されてしまった。
たぶん高森顕徹氏が、意味も判らずに他の書物から書き写したとき、乗と朱、意と悪を写し間違えたのだろう。 まともな真宗の者なら、六字釈の論破の対象となった『攝大乗論』や「四意趣」という言葉を間違う筈はないのである。
それにしても、数十年の間、誰もチェックしなかったというのは、高森親鸞会の仲間うちで蓮如上人以来の善知識であるという高森顕徹氏の権威に、誰も反論できない空気があったのであろう。これこそ善知識頼みの弊害である。裸の王様に、あなたは裸ですと言えないのであろう。

真宗の布教使も、時々意味不明な言葉を引用するのだが、林遊のような門徒としてはその文言の出拠を言え、と突っ込みたくなるのを我慢していたりするのであった。
坊主を育てるのは門徒の仕事ともいわれるのだが、門徒の声に耳をかさない坊主は困ったものではある。

なんまんだぶ なんまんまんだぶ なんまんだぶ
『摂大乗論』、『摂大乗論釈 』の別時意釈

いはれ いわれ 謂れ

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wikiarcに「いはれ」の項を追加した。

いはれ いわれ 謂れ

(由来として)いわれていること。物(モノ)と事(コト)の成り立っている筋道、由(よ)って来たるわけ、理由、来歴。なお一般には〔寺のいわれ〕などのように事物の由緒の意で使う場合もある。
浄土真宗では、『教行証文類』信巻p.251の、

しかるに『経』に「聞」といふは、衆生、仏願の生起本末を聞きて疑心あることなし、これを聞といふなり。「信心」といふは、すなはち本願力回向の信心なり。

の文によって、聞くとは、仏の願いを聞いて疑う心の無いことを「聞」という。この疑い無き聞が信である(聞即信)から、本願のいわれを聞くことを特に重視する。「疑心あることなし」とは、私のはからいが、無いありさまをいい、信心を私の側にみないということである。これが「すなはち本願力回向の信心」であった。
「生起」とは、阿弥陀仏があらゆる衆生をさとりの界(さかい)である浄土へ往生させようという本願(仏願)を起こされた根本の意図である。本末の「本」とは、阿弥陀仏が本願を成就された因本の修行の意である。「末」とは阿弥陀仏の本願と修行が既に成就して、私に届いて称えられ聞こえている〔なんまんだぶ〕が、さとりの浄土へ往く衆生済度のはたらきをしていることをいう(果末)。
この「仏願の生起本末」を、本願のいわれといい、浄土真宗では、このいわれを聞くこと、つまり聴聞することを御恩報謝の行業として最重要視する。凡夫には、広大な仏陀のさとりの世界は眼で確認(眼見)することは出来ないが、耳で聞く(聞見)ことによって信知することができるのであった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

五念門

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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wikiarcの五念門の脚注が『浄土論』を読む時に、しっくりこないので、天親菩薩の当面であろう五念門をあれこれ資料を漁って追記してみた。
『浄土論』では、奢摩他、毘婆舎那という、いわゆる止観の行を挙げているので、これに言及すべきだと思ふ。
もちろん、御開山は「「観」は願力をこころにうかべみると申す、またしるといふこころなり」(一念多念証文p.691)とされているのだが、思想の発展という意味では天親菩薩の意も示しておかないと、後で学ぶ者が混乱するのではと思ふ。
特に、田舎の愚昧で学ぶことに縁のない林遊のような輩には必要なことだと思っていたりする。
鈴木大拙師は『浄土系思想論』の中で、

 正統派の学者達は出来上がった御膳立を味わうことに気をとられて、そのものがどうしてそう組み上げられねばならなかったということを問はないようである。つまり自己の宗教体験そのものを深く省みることをしないという傾向がありはしないだろうか。お経の上で弥陀があり、本願があり、浄土があるので、それをその通りに信受して、自らは何故それを信受しなければならぬか、弥陀は何故に歴史性を超越しているのか、本願はどうして成立しなければならぬか、その成就というのはどんな意味になるのか、浄土は何故にこの地上のものでなくて、しかもこの地上と離るべからざるくみあわせにたっているのかというような宗教体験の事実そのものについては、宗学者達は余り思いを煩わさぬのではないか。浄土があり、娑婆があるということにたっている。──これをその通りに受け入れる方に心をとられて、何故自らの心が、これを受け入れねばならぬかについて、反省しないのが、彼等の議論の往往にして議論倒れになって、どうも人の心に深く入りこまぬ所以なのではなかろうか。始めから宗学の中に育ったものは、それでも然るべきであろうが、どうも外部に対しては徹底性を欠きはしないだろうか。p.332-333

と、言われているが、御開山が何故このように領解なさったかという過程を学ぶことで、より深く御開山の示して下さる、なんまんだぶのご法義が領解できるのである。ありがたいこっちゃな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
→「五念門」

真俗二諦

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浄土真宗における社会との関わりについて、批判の対象とされてきた真俗二諦説についてWikiArcに記述した。

→「真俗二諦」

真俗二諦

 しんぞく-にたい

真諦(しんたい)俗諦(ぞくたい)のこと。

浄土真宗では、『浄土真宗辞典』(本願寺派総合研究所編)によれば、

真諦は、「第一義諦」の項に、梵語パラマールタ・サトヤ(paramārtha-satya)の意訳。世俗諦に対する語。勝義諦・真諦ともいう。真如法性、真如実相などに同じ。言説を絶した仏自内証の正覚の内容であり、出世間の真理をいう。
俗諦は、「世俗諦」の項に、梵語のサンヴリティー・サティヤ(samvrti-satya)の意訳。第一義諦に対する語。俗諦、世諦ともいう。仏の正覚の内容について仮に説きあらわされたものをいう。

とする。後に述べる、仏法を真諦とし王法を俗諦としてきた論理は使われていないようである。

この二諦は、諸経論で種々に論じられるが、代表的な大乗仏教の立場を『仏教学辞典』から部分引用。

③大乗仏教では、北本『涅槃経』巻十三 聖行品に、世間一般の人が知っている事柄を世諦とし、仏教の真理に目ざめた出世間の人のみが知っている事柄(例えば四諦)を第一義諦とする。
『中論』「観四諦品」には、すべてのものには固定不変な本性(実体、自性)がなく、無生無滅で空であると知るのを第一義諦とし、またすべてのものは、その空性(空なること)が空性としてのはたらき(空のあり得るいわれ、空の目的)をもつために、仮に現実的な物の相において顕れ、相依(そうえ)相待(そうたい)的に存立すると認めるのを世俗諦とする。
そして、われわれの言語や思想の世界は世俗諦において許されているのであり、しかもこの世俗諦によらなければ言語思慮を超えた第一義を衆生に説くことができず、第一義が得られなければ涅槃のさとりを得ることができないとする。以上『仏教学辞典』より。

御開山が「化巻」で引文された『末法灯明記』(*)には、

「それ一如に範衛してもつて化を流すものは法王、四海に光宅してもつて風を垂るるものは仁王なり。しかればすなはち仁王・法王、たがひに顕れて物を開し、真諦・俗諦たがひによりて教を弘む。このゆゑに玄籍宇内に盈ち、嘉猷天下に溢てり」

とあり、真諦・俗諦の二諦の意味を転用し、仏法を真諦、王法を俗諦とする。浄土真宗ではこの説を享けて、宗教的信仰の面を真諦、世間的道徳の面を俗諦とし、この二は相依り相(たす)けあうとしてきた歴史がある。
もちろん、御開山の『末法灯明記』引文(*)の意図は、このような真俗二諦を示すにあるのではない。現在は、末法の時代であることを否定する天台の衆徒の『延暦寺奏状』(*)の論難に対して、日本天台宗の開祖の最澄の著とされた『末法灯明記』の末法の年代の記述をもって対抗されたのである。あなた達の天台の宗祖が現代は末法であると示しているではないか、と『末法灯明記』を引文し浄土門興起の末法の証明としたのである。
また、時の権力(王法)によって、僧の破戒をもって僧尼を弾圧したことに対しての抗議を示す意図もあった。それは、仏教の通規である、戒・定・慧の三学を護り得ずに苦闘苦悩した法然聖人の帰浄(*)を追体験した御開山のプロテストでもあったのである。
それはそれとして、現代の真宗の進歩派僧侶は、仏法を真諦とし時の権力を俗諦とする、いわゆる過去の真俗二諦説を攻撃するのであるが、時間という歴史のカンニングペーパーを使って先人を攻撃するのは如何かと思ふ。真俗二諦説は、在家仏教である浄土真宗に戒がない故に、俗諦はその時代時代の倫理習慣に順応しながら、「当流安心をば内心にふかくたくはへて」(*)生きるしたたかな作戦でもあった。上に政策あれば下に対策ありである。
ともあれ、戒律を用いない浄土真宗においては、至心釈で御開山が引文された因位の阿弥陀仏の「勝行段」(*)に、真実なる生き方とはどのようなものであるかを窺うことであるといえるであろう。
越前の古参の同行は、戒律がなきゆえに、ことあるときは阿弥陀仏と相談し「親様の好きなことはするように、親様の嫌いなことはせぬように」と、自らを戒めていたものであった。

→「真俗二諦」

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

約仏、約生

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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WikiArcに「約仏、約生」の項目を追加。→「約仏、約生」

『教行証文類』を初めて披いたころ、深川倫雄和上が「教・行・信・証」は約仏(やくぶつ)の論理で書かれている書だから自分の字力では読まないようにと仰っていた。
約仏とは、仏の救いっぷりを仏の側から語るという意味である。私が助かるか助からないかは如来が心配して下さる事であって、私が心配することではないのである。
普通の書物を読むときは、自己が主体として読むから、解らないことが苦になる。しかし、約仏の姿勢で『教行証文類』を拝読していると、解らないことが苦でなくなるのであった。
もちろん全く解らないということではなく、少しは解るのであり、年を経て読んでいれば20年前には解らなかったことが、そういうことだったのかと突然判ることもある。まるで脳内シナプスの発火による結合のように、言葉と言葉が結合して新しい領域を示してくれる。
そのような意味では、慌ただしい日々に、たとえ一文での『教行証文類』の文を拝読することは楽しみ事ではある。ともあれ『教行証文類』は不思議な書物である。

→「約仏、約生」

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

行信一念について

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御開山は御消息で、

信の一念・行の一念ふたつなれども、信をはなれたる行もなし、行の一念をはなれたる信の一念もなし。そのゆゑは、行と申すは、本願の名号をひとこゑとなへて往生すと申すことをききて、ひとこゑをもとなへ、もしは十念をもせんは行なり。この御ちかひをききて、疑ふこころのすこしもなきを信の一念と申せば、信と行とふたつときけども、行をひとこゑするとききて疑はねば、行をはなれたる信はなしとききて候ふ。また、信はなれたる行なしとおぼしめすべし。

と、信をはなれたる行もなく、行の一念をはなれたる信の一念もないとされている。いわゆる行信不離ということである。御開山は「行巻」で行の一念を釈され、「信巻」で信の一念を釈しておられる。この二つはだいぶ離れているが、この二つは行信不離だから対にして読むべきだと聞いたものである。「行巻」で、「行にすなはち一念あり、また信に一念あり」とあるから、行一念と信一念の釈はセットで読むべきなのであろう。そこで、行一念釈と信一念釈を抜き出してみた。真宗の学問とやらには全く縁がないのだが、UPしてある文章へのリンク用に、とりあえず項目を上げて見た。

→「行信一念について」

なんまんだぶj なんまんだぶ なんまんだぶ

三法立題

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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→WikiArcに以下の三法立題を追記

『顕浄土真実教行証文類』は御開山の主著であり、浄土真宗開宗の根本聖典である。
『顕浄土真実教行証文類』とは、浄土の真実の(きょう)(ぎょう)(しょう)を顕わす文類という意味である。巷間では『教行信証』と略称されることが多い。『教行信証』という呼び名は、本書の内容が教・行・信・証となっているので間違いではない。しかし、御開山が『顕浄土真実教行証文類』とされておられるのだから『教行証文類』あるいは『教行証』と略称するのが正しいであろう。
浄土真宗は、信心正因というように信を重視するご法義であるから、一見すると信を含んだ教行信証の四法立題が親しいと思われる。しかし、御開山ご自身が『顕浄土真実教行証文類』と「教行証文類」とされておられるので三法立題の書であるとしなければならない。御開山は20数年にわたって『教行証文類』を増補改訂されておられるのだが、『顕浄土真実教行証文類』という題号は一貫しておられ、自著を『教行信証』とよばれたことはない。また当時の関東の直弟子も『教行証』と呼称したようであり、時代が下った蓮如上人の頃にも高田派の真慧上人は、その著『顯正流義鈔』中で『教行証』と記述されている。
この教・行・証とは、教・行・果ともいい、「教」とは仏の説いた教え、「行」とは教に従ってなす行、「証」とは行によって得られるさとりの証果を意味し、元来は聖道門仏教の教義体系をあらわす語であった。
その教・行・証を、法然聖人の開示された、往生浄土門の「教」、順彼仏願故の称名である「行」、往生浄土の証果である「証」の三法として顕わされたのが『教行証文類』であった。法然聖人の『選択本願念仏集』を聖道門の教行証の三法立題で展開されたのが『顕浄土真実教行証文類』なのである。そして、この浄土門の教行証の三法立題によって聖道門の三法に対判されたのである。
仏陀入滅の後には時代が下がるにつれて、仏の教えが教えのとおり実行されなくなるという当時の末法歴史観に基づき、時代を正法・像法・末法の三時に分けて浄土門と聖道門の教法の綱格を考察されたのである。
聖道門の教・行・証は、正法の時代には教・行・証の三法がきちんと揃っている。しかし正・像・末の三時にわたって次第に衰えていく。正法の時代を下って像法の時代には、まず証果を獲る者がいなくなり証が欠ける。教と行はあるが証が無くなる。さらに末法の時代に至っては戒律を護り如実に修行する者がいなくなるので行すらも無くなり、行証の無い教だけが虚しく残る(有教無人)と決示された。行の基礎である戒律の衰えがその原因であろう。
そのような三時にわたって衰退する聖道門仏教と違い、法然聖人の開顕された往生浄土の教・行・証は、正・像・末の三時を通じて失われない法門である。浄土へ往生することを期する浄土宗は、もともとこの世でさとりを開く修行(此土入聖)に堪えられない、戒律を護ることのできない衆生に与えられた、浄土でさとりを開く教法(彼土得証)であるから正・像・末の三時を通じて証を得ることのできる仏教であった。 法然聖人が「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚癡にかへりて極楽にむまると」と言われたのがその意である。
御開山が、『教行証文類』の後序で、

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。

と、聖道門の行証は久しく廃れ、現今においては往生浄土の真宗だけが証を得ることが出来る仏教であると示された所以である。
また、三法によって立題されたのは、聖道門仏教では教行証の三法によって教理を論じ、特に修行(仏のさとりを求める実践)に各種の特徴がある。そのような各種の行に対して選択本願の行である念仏をもって対抗する意から、三法立題とされたのであろう。 当時の聖道門仏教からの、法然聖人が立教開宗された浄土宗に対する主たる論難は、口に〔なんまんだぶ〕と称える念仏の行法に対しての強烈な非難であった。
承元の念仏弾圧を引き起こした、『興福寺奏状』や、明恵上人高弁の『摧邪輪』、嘉禄の念仏弾圧の遠因となった『延暦寺奏状』などに共通するのは、口称の〔なんまんだぶ〕は劣悪な虚仮の行であって、このような愚劣な行によって浄土へ往生できるというのは法然の妄説である、との罵倒に近い論難であった。例えば『興福寺奏状』の第七には「念仏を誤る失」として、専修念仏を、

ただ余行を捨つるを以て専とし、口手を動かすを以て修とす。()ひつべし、不専の専なり、非修の修なりと。虚仮雑毒の行を(たの)み、決定往生の思ひを作さば、(なん)ぞ善導の宗、弥陀の正機ならんや。

と、法然聖人の提唱された、雑行を捨てての口称の専修念仏は、不専の専(専といえない不実の専)、非修の修(修に非ざる虚仮の修)であり、〔なんまんだぶ〕の称名は、煩悩まじりの虚仮雑毒の行であり、決定往生の行ではなく、善導の宗旨や弥陀の本意にも背いていると非難していた。

このような論難に対して、法然聖人の示して下さった選択本願の念仏とは、第十七願に、十方世界の無量の諸仏が咨嗟し称名したまう行であり、阿弥陀如来より賜った破闇満願の「大行」である、と聖道門の雑多な諸行万行に対抗されたのが「行文類」を著された意図である。
第十八願の乃至十念は、十方衆生に誓われた願であり、その乃至十念の〔なんまんだぶ〕は、第十七願の十方世界の無量の諸仏の称名(称我名)と徳を同じくする行であるから大行なのであった。第十七願成就文に「十方恒沙の諸仏如来は、みなともに無量寿仏の威神功徳の不可思議なるを讃歎したまふ。あらゆる衆生、その名号を聞きて……」とあるように、十方の諸仏の讃歎をとおして名号の功徳を衆生に聞かせ称えさせるのが第十七願だったのである。第十八願の乃至十念が称名であることを第十七願の「諸仏称名の願」によって証明されたのであった。
教行証の三法立題は、聖道門の行に対して本願に選択された念仏の称名行が諸仏の称名と等しい「大行」であることを顕わすためであったのである。

そして、念仏の行を受け容れている浄土門の者に対しては、大行が如実の行であることを示す為に、行から信を別に開いて(信別開)、「信文類」を顕わされたのである。行に信を摂して(行中摂信)いるから如実の大行といわれるのであり、信のない行は無いのであり、行のない信もないのである。古来から「行信不離」といわれる所以である。 「信文類」を別開することは、信のある行と信の無い行の違いを示すとともに、浄土真宗の信は、願作仏心であり、仏道の正因である横の大菩提心であることを示すためでもあった。「この無上菩提心は、すなはちこれ願作仏心なり。願作仏心は、すなはちこれ度衆生心なり」p.247 とされる所以である。
御開山は、行と信の関係を、曇鸞大師の『論註』のニ不知三不信釈を引いて示しておられる。

「かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲す」とは、かの無礙光如来の名号は、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。しかるに名を称し憶念すれども、無明なほありて所願を満てざるものあり。なんとなれば、如実に修行せず、名義と相応せざるによるがゆゑなり。いかんが如実に修行せず、名義と相応せざるとなすとならば、いはく、如来はこれ実相身なり、これ為物身なりと知らざればなり。また三種の不相応あり。一には信心(あつ)からず、存ずるがごとく亡ずるがごときゆゑなり。二には信心一ならず、決定なきがゆゑなり。三には信心相続せず、余念(へだ)つるがゆゑなり。この三句展転してあひ成ず。信心淳からざるをもつてのゆゑに決定なし。決定なきがゆゑに念相続せず。また念相続せざるがゆゑに決定の信を得ず。決定の信を得ざるがゆゑに心(あつ)からざるべし。これと相違せるを「如実に修行し相応す」と名づく。このゆゑに論主(天親)、「我一心」と建言す。

と、行を修していても、如実の信が無いから破闇満願の力用がないのであるとされた。如来が実相身であり為物身であることを知らないからニ不知といい、信心が、淳心・一心・相続心の展転する三信でないことを三不信というのである。 これをニ不知三不信と言い慣わしている。道綽禅師は『安楽集』で三不信を淳心・一心・相続心の三信として示されたので「正信念仏偈」では道綽禅師の釈功として「三不三信誨慇懃(三不三信の(おしえ)慇懃(おんごん)にして)」とされたのである。 和讃ではこの三不信を五句あげて、五句目に、

決定の信をえざるゆゑ
 信心不淳とのべたまふ
 如実修行相応は
 信心ひとつにさだめたり

と、「如実修行相応は信心ひとつにさだめたり」と如実の行を修することを信心であると和讃されたのである。この「如実修行相応」の語は信楽釈の結論として「〈如実修行相応〉と名づく。このゆゑに論主(天親)、建(はじ)めに〈我一心〉とのたまへり」p.240と引文されておられる。 浄土真宗の信心とは、〔なんまんだぶ〕の行を如実に修行して往生の行を信ずることであり、それは信文類の中核である三心一心の結論の釈において、

まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その(ことば)異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋(まじ)はることなし、ゆゑに真実の一心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり。このゆゑに論主(天親)、建めに「我一心」とのたまへり。また「如彼名義欲如実修行相応故」とのたまへり。

と、「真実の信心はかならず名号を具す」のであり「如彼名義 欲如実修行 相応故(かの名義のごとく、如実に修行して相応せんと欲するが故に)」と如来の名義に相応した如実の行を修することを「我一心」と言われたのであった。これに依って信は行に収まり行は信の裏付けがあり、行と信は不離であることが解かるのであった。 梯實圓和上は「行のない信は観念の遊戯であり、信のない行は不安の叫びである」とされておられ行信不離を示していて下さったものである。

なお、七高僧の論釈をすべて引文されているのは「行文類」だけであり、真宗の重要な概念である「破闇満願釈」や「他力釈」、「一乗海釈」、我々が口になずんだ「正信念仏偈」が記されているのも「行文類」である。行とは教法であり行法であるからである。「行文類」末尾の「正信念仏偈」は「行文類」と次の「信文類」を結ぶものといわれている。「正信念仏偈」は、正信に念仏する偈と読むようだが、「行文類」にあるので、念仏を正信する偈と読むほうが「教行証文類」の構成上親しいようである。