みみず

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家内が買い物から帰ってきて

ねえ、大きいミミズが死んでるよ、
というので玄関の外まで見に行った。

コンクリートの上でどばみみずが死んでいるので、何でこんな庭の土から離れた所でミミズが死んでいるのかとあれこれ。
昨日の雨でミミズが引越しの方向を間違えたとか、鳥が咥えていたのを落としたとかミミズを見ながらの雑談。(暇ですねえ 笑い)

ふと、お聴聞で聴いた

涅槃絵に みみずは嘆く 術(すべ)知らず

という句を思い出した。

涅槃絵とは世尊がお亡くなりになるところを描写した絵で、世尊の母親である摩耶夫人から天人、羅漢、あらゆる動物や鳥、手足の無い蛇やミミズまで参集して大聖世尊がお亡くなりになることを嘆いている。

しかしミミズは世尊が今お亡くなりになるというのに、地団太踏む足も合掌する手もない。
そんなミミズの為にも、阿弥陀様は、なんまんだぶつと声になって聞こえて下さる仏様になったのだ、という話だった。

異訳大経の「蜎飛・蠕動の類、わが名字を聞きて慈心せざるはなけん」*のお示しだったな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…

馬鹿は死ななきゃなおらない

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馬鹿は死ななきゃ治らない、とか言いますが、煩悩は死なにゃあ消えん。
死なにゃあならんほどの、どうしようもない煩悩を抱えて、死ぬ間際まで、煩悩の火を燃やしながら生きて行かざるを得ないのが林遊のような存在だ。
 
 「生きている限りは煩悩具足の凡夫でしかあり得ない。浄土に往生しなければ仏に成れないということは、煩悩具足であるという事の慚愧です。
 死んでからの話をして何になるかではない、死ななければ治らないほどの煩悩を持っていることを慚愧していくのが浄土の法門です。
それを離れたら浄土教ではありません。」と、聴かせて下さった和上様がおられた。
 
このような慚愧が、自らの内に「真/信」を求めず、浄土を「真/信」とする御法義だな。
死なにゃあ治らんほどの、どうしようもない煩悩を種として、至心 信楽 欲生我国と、摂取不捨のなんまんだぶつを称えながら生まれて来い、というのが浄土を真実とするこの御法義だ。
 
時々、我何をなすべきかと、我何を信ずべきかをごっちゃにして浄土真宗の御法義を語る僧俗がいるが、「信心決定後の生活が往生であり、その帰着点が成仏である」と言われる方に多そうだ (笑い
 
 煩悩よ 何かつかまにゃ さみしいか
 
なんまんだぶつが出来たから、我があんずることはない。
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信心仏教

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久しぶりに新聞を眺めていらた面白い記事を見つけた。

いわゆる平安仏教は「おがみ仏教」であり、鎌倉期の仏教は「信心仏教」だというのである。
つまり自分の外なる仏像を拝んだり祈ったりする仏教ではではなく、自己の内なる仏心/仏性に着目する「信」としての信心仏教という事を、禅門の人が書いているのである。

林遊は所謂「信心」という語が大嫌いなのであるが、仏教を自己の内面化していくという意味では何となく納得した文章だった。

浄土真宗では覚如上人以来の伝統として「信心正因 称名報恩」という枠組みで仏教を捉えるが、林遊はどうもこれが気に入らない。行のない仏教(宗教でもよい)がどこにあるのだと思うのである。
行という表現でなければ規範でもいが、規範の無い宗教などというものは存在しないのである。

規範という意味ではもう既に浄土真宗という宗教、特にご法義を「お取次ぎ」する真宗坊主の世界はアノミーの世界であると思ふ。阿弥陀様という存在は、クリスマスにプレゼントをくれる人の良いおじさんになってしまっているのが現状であろう。ご法義の世俗化ここに極まれりである。

念仏成仏 これ真宗。本願を信じ念仏すれば仏になる。なんまんだぶつのない真宗が何処にあるのかと、浄土真宗の僧侶に聞きたい気分ではある。
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表現

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表現とはネットの辞書に寄れば

内面的・精神的・主体的な思想や感情などを、外面的・客観的な形あるものとして表すこと。また、その表れた形である表情・身振り・記号・言語など。特に、芸術的形象たる文学作品(詩・小説など)・音楽・絵画・造形など。

という事らしいのだが林遊はこの表現という行為が苦手である。
表現したい衝動は山ほどあるのだが、外部世界へ表すことが下手である。

と、いう訳で丸は丸であり三角は三角であり四角は四角である。時々△が○や□になろうというので困った事だ。
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水馬 (みずすまし)

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方一尺の天地 水馬しきりに円をえがける
なんじ何処より来たり 何処へ旅せんとするや
へぇ 忙しいおましてなぁ (村上志染)

心を亡くした事を忙しいというらしい。