越前というか林遊の住む在所では、盆といっても何も特別なことはしない。(嫁はんの誕生日だけど)
近年TVの影響からか墓参りすることもあるが、元々在所にある墓なので身近であり、田んぼや畑に行くついでに手を合わせたりしていたものである。
なんまんだぶと称える声に、先立った人は、倶会一処と蓮の華の半座を空けて待っていてくれるので、宗教的イベントとしての盆の行事を考えることは無い。ちなみにこれを示す四字熟語に一蓮托生という語句があるのだが、近年ではネガティブなイメージなので困ったものである。
とにかく盆とは、ふだん会うことの稀な親族が集まって越し方の四方山話に花をさかせ、一杯呑むことの方が盆という行事であった。
いわゆる浄土にリアリティを持っているから、ことさらイベントをするでもなく、なんまんだぶを称える中に、先立って浄土へ移住した人との会話が成立していたのだと思ふ。普段着のご法義である。
浄土真宗に於ける大切なイベントは「報恩講」であって、盆とか彼岸などというものは枝葉末節である。坊主の糊口をしのぐ金儲けではあるかもだが(笑
こんな事、書いてるから真宗の坊さんに嫌われるんだろうけど、本当の御開山の門徒なら坊主に嫌われてナンボだと思ふ。
と、いうわけで〔いのち〕の行く末の思いを馳せる盆だし、御開山が敬仰された賀古の教信沙弥の伝記を伝える1000年ほど前の浄土願生者であった永観師の『往生拾因』の《序》を読下してみた。
同書で示される教信沙弥の行状については、「ノート:教信沙弥」で読下し文が読めると思ふ。あほだから漢文は判らないし適当だから責任は持たない。
→『往生拾因』の序
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ