凡夫が、なんまんだぶを称えて報土へ往生する。

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凡夫が、なんまんだぶを称えて報土へ往生する。

そんなアホで理不尽な仏教がどこにあるか、というのが法然浄土教に対する最大の論難であった。
承元の念仏弾圧の原因となった『興福寺奏状』では「新宗を立つる失」として法然聖人の浄土宗立教開宗を非難している。
そして「第七に念仏を誤る失」(*)では、口称のなんまんだぶを、

「観経付属の文、善導一期の行、ただ仏名に在らば、下機を誘ふるの方便なり」

と「下機を誘ふるの方便なり」といい、

「ただ余行を捨つるを以て専とし、口手を動かすを以て修とす。謂ひつべし、「不専の専なり、非修の修なり」と。虚仮雑毒の行を憑み、決定往生の思ひを作さば、寧ぞ善導の宗、弥陀の正機ならんや」

などと、なんまんだぶを「虚仮雑毒の行」と非難していた。

その論難に対する為に、既存の仏教論理と違う、全く新しい宗義を展開し浄土宗を確立されたのが法然聖人であった。
のちに御開山が、法然聖人も驚くような信心の形而上学ともいえる宗義を展開をさせるのだが、凡夫が、なんまんだぶを称えて往生する、という一点を御開山は決して外しておられない。この意を、現代の真宗の坊さんは留意すべきであろうと思っている。
「信因称報説」は、覚如上人以来のご定教であろうが、善導大師の「凡夫入報説」や「是報非化論」を、少しく門徒にも説くべきであろう。

と、いうわけでwikiarcの「同居の土」に追記してみた。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

正定業

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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WikiArcの「正定業」の項に追記。

なんまんだぶを称えたから救われるのではありません。
なんまんだぶを称えた者を救うという本願があるから救われるのです。
これを『歎異抄』の著者は、

本願を信じ念仏を申さば仏に成る (第12条)

と、単純明快に示してくれたのでした。
法然聖人が、

「たれだれも、煩悩のうすくこきおもかへりみず、罪障のかろきおもきおもさたせず、ただくちにて南無阿弥陀仏ととなえば、こゑにつきて決定往生のおもひをなすべし、決定心をすなわち深心となづく。その信心を具しぬれば、決定して往生するなり。」(『聖全』四 p191 『西方指南抄』「大胡の太郎實秀へつかわす御返事」)

と、仰ったと御開山は『西方指南抄』に書き残して下さってあるのだが、なんまんだぶと称えて、耳に聞こえる声に決定往生のおもひをなすべしであった。
ありがたいこっちゃな。

「正定業」

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