深川倫雄和上の謦咳

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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深川倫雄和上は、旧軍の士官であり、いわゆる軍隊あがりであったから厳しい和上であった。ある意味では、この厳しさによって、林遊は深川倫雄和上に信心の驕慢の鼻を叩き折られて、愚直に、なんまんだぶを称えるようにさせて下さったものである。
「阿弥陀さまがごいっしょです」のサイトの「深川倫雄和上」の著作の欄には、「信心が欲しければ山口の俵山へ行けば手に入ります。木津西念寺支坊光摂坊の回りには、深川勧学和上の法莚に座し僧俗が捨てた信心が山のように転がっています」、と記したものであった。

厳しい和上であったが参詣者との会食の席などでは、アンタぁ、よう参ったの、まぁこっち来て一杯呑めやと親しくさせて下さったものである。── 和上に見つけて貰えるように会食の席では近くに席をとるようにしていたのは内緒である(笑 ──
以下の法話はyoutubeで見つけた温泉津での「彰順会」での法話である。午前の部は少しくノイズが入っているが和上の口吻(口ぶり。言い方)は、ありもしない信心から、なんまんだぶの味をお示し下さったことを想起し有難いことである。

「第7回彰順会深川倫雄和上」

「午後の部」

→七深信

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

生きて 死ぬ いのちを 生きている

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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武漢肺炎ウィルス(COVID-19)禍について思ふのだが、死なないように生きるといふことは不可能である。厚生労働省の2019年の人口動態統計によれば、昨年は138万1098人の方が亡くなっている。この死について第1位は癌(37万3,178人)、第2位は心疾患(20万4,203人)、第3位は脳血管疾患(10万9,844人)と死因が挙げられている。しかし仏教的視点では、これら死因とは、死の縁無量なり、といふように死の縁であり因ではない。仏教での死の因とは「生まれたから」であり、生まれたからには死ぬのは必然であり、これを仏教では因と果といふのである。
本願寺派では、宗教の視点から以下のようなメッセージポスターを作製している。浄土教として古来から死ぬことの意味を追求してきた浄土真宗らしいメッセージで門徒として好感がもてるポスター標語ではある。

【メッセージ文について】
この言葉は蓮如上人(れんにょしょうにん)の『御文章(ごぶんしょう)』4帖目第9通(
『浄土真宗聖典(註釈版第二版)』1181頁)をもとにしています。蓮如上人がその『御文章』をお書きになったのは、延徳4年(1492)6月のことです。それは、疫病(えきびょう)が流行して多くの人々が亡くなっていった年でした。

『御文章』のなかで蓮如上人は、「このごろ疫病が流行し、多くの人々が亡くなっておられます。しかし、人は疫病のせいで死んでしまうのではないのですよ。死ぬということは生まれたときから定まっていることであって、それほど驚くことではないのですよ」(取意)といわれます。思わず「えぇ?!」と思うような内容です。

いま現在、世界中で新型コロナウイルスに感染して多くの方が亡くなっておられることを思うと、たいへん厳しい言葉です。しかし、蓮如上人は、決して、亡くなった方やその家族の心情を無視されたわけではなく、また、医療の努力を無駄なことだとしてこのようなことをおっしゃったのではありません。蓮如上人自身、病気などで何人もご家族を亡くされた方ですので、その悲しみは深く知り抜いておられたはずです。それを踏まえると、この言葉には、「私が、いま、ここに生きているということの根底を見つめることが大事ですよ」という思いを受け止めることができます。

人間に限らず、この世に生まれてきたものは、いつか必ず死にます。私たちはそれを当たり前のことと思っていますが、実際には、それを忘れて日々の生活を送っています。いつ、どこで、どのような形で死がおとずれるかも知らず、いざ、自分や家族に死が迫ってくると、その現実のありように恐れおののくのです。

『御文章』では、先の言葉に続いて、「そのようなものをこそ必ず救う」とはたらき続けてくださる阿弥陀(あみだ)さまの救いが示されています。そして、阿弥陀さまの救いにおまかせして、お念仏を申す生き方をお勧めになっているのです。➡新型コロナウイルスの感染拡大に伴うすべての人へのメッセージポスター

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

➡疫癘の御文章
➡末灯鈔(6)