なんまんだぶ、最強

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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『登山状』という法語を読んであれこれ編集したり末註を書いたり。(*)

『登山状』とは、従来の価値観を破壊するような、全く新しい仏教を提唱した法然聖人への批判に応答する為に、既成仏教の本山である比叡山へ出した書状である。

いわゆる、延暦寺衆徒をはじめとした専修念仏に対する弾圧を和らげるために書かれた書状で、法然聖人の請によって聖覚法印が代書したものといわれる。
聖覚法印は、父、澄憲法印とともに、安居院流と呼ばれる唱導(お説教)の流派を開かれた方で、故事来歴の自由自在な引用や、流麗な七五調の語りには定評があった。
さて、件の『登山状』には、釈の雄俊という、シナの坊さんの話がある。いわゆる往生伝の説話で、『瑞応伝』には次のようにある。
僧雄俊第二十一
僧雄俊姓周。城都人。善講説無戒行。所得施利非法而用。又還俗入軍営殺戮。逃難却入僧中。
大暦年中。見閻羅王判入地獄。
俊高声曰。雄俊若入地獄。三世諸仏即妄語。
王曰。仏不曽妄語。
俊曰。観経下品下生。造五逆罪 臨終十念尚得往生。俊雖造罪。不作五逆。若論念仏。不知其数。
言訖往生西方。乗台而去。

上記の漢文を意約してみる。

シナに雄俊という坊主がいた。
口だけは達者なのだが、戒律を守って修行することもなく、信者から得た布施はろくな事にしか使わないという、まるで真宗坊主のような坊主だ。
坊主が嫌になってので軍隊に入って、一方的に多くの人を殺したあげく、追求を逃れる為にまた教団にもぐりこむような坊主であった。

そのうち死んで、閻魔大王の裁きを受けることになった。

閻魔 この閻魔帳によると、お前は、坊主のくせにろくなことをしとらんから地獄行き決定な。

雄俊 うわわああ、閻魔さん、そりゃないやろ。俺が地獄行きなら仏さんは皆な嘘付きじゃあぁぁぁ。

閻魔 ボケッ、お前は何を考えとんじゃ? 仏さんは未だかって嘘付いた事などないわい。

雄俊 ほんなら、『観経』というお経に、親殺しなどの五逆罪の者でも、十回、なんまんだぶ称えたら極楽へ往くと書いてあるんは嘘なんか。俺も相当の悪やってきたけど、さすがに五逆罪はやっちょらん。また、なんまんだぶなら自分でも覚えてないくらい称えたぞ。お経には嘘が書いてあるなら仏さんは嘘吐きじゃあああぁぁ!

と、雄俊が言い終るか終わらないかのあいだに、西方から金蓮の台が飛んできて、雄俊を乗せ、あっという間に極楽へ往きましたとさ。

信心とか宗教とかいう字さえ知らず、無知なるが故に、坊主という信心を売り物にする高等遊民に、搾取され続けてきた歴史を持つ林遊のような門徒には、胸きゅんとなる話ではある。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

西方指南抄

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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『西方指南抄』という、御開山が書写された法然聖人の法語集の全六巻の編集がほぼ終わった。
法然聖人の法語と称する物には偽作、真偽未詳なものが多いと言われている。書誌学的にはあれこれ論じられることがあるらしい『西方指南抄』だが、親鸞聖人の転写であり、御開山の眼を通っているのが安心ではある。
読んでて思うのだが、法然聖人は対機説法(相手の理解力に応じて話をすること)が上手だった。この事は、誰でも仏に成れるという、浄土宗(教団名ではなく教法名)を、初めて開宗されたので、それに対するあらゆる非難に対処されたという面もあるのだろうが、法然聖人の頭の良さと懐の深さというものを感じさせる。
宗教の世界は、世間とか自己と他者との関係とかではなく、自己自身の存在そのものが問題になった時、開かれる門である。まさに越前永平寺の道元禅師が言われるように、「仏道をならふといふは、自己をならふ也。」である。経・釈(お経やその解説書)によって、仏の法を理解することは可能であろうが、その仏法が私にとって、どのような実践として与えられているのかに悩み、比叡山において、智慧第一の法然房と称されながら、自己の出離の道を見出せなかったのが法然聖人であったのであろう。
御年、四十三にして、悩み悩みながら仏典を繰り、シナの善導大師の『観経疏』散善義の「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故」の、順彼佛願故の文にぶち当たって、浄土へ往生する業因は、口称の、なんまんだぶ一つというカルチャー・ショックに遇われたのである。
天才の凄いところは、これだ、と思い立ったら、学んだ学問を全て捨てて、市井の、なんまんだぶを称える人と同じ地平に自分を投擲できるのである。

この原点に立ちながら、順彼佛願故の意味を追求し、それは本願力回向であると「論註」の用語によって他力という用語の真の意味を示されたのが御開山親鸞聖人であった。

ヒステリアンシベリアカ

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕していて、
ある日ふと地平線を見上げるとちょうど夕陽がはるかな西の地平線に沈みゆくところであった。
それを見たとたん、突然手にした鋤を投げ捨て、自分の家族や自分の関わってるもの全てを投げ捨て、ただひたすらその夕陽に向かって歩き出す。
ヒステリアンシベリアカというそうだが、20年位前にパソコン通信で目にした話ではある。

同じように突然西方へ向かう人の話が、
『今昔物語集』19-14に「讃岐國多度郡五位、法をききて聞法即ち出家せる語」にある。
悪の限りを尽くしてきた源太夫が、ひょんなことから西方浄土を知り、悪の限りを尽くした者でも阿弥陀仏という名号を称えれば、仏になるということを聞いて、即座に発心出家して「阿弥陀仏よや、を~いを~い」と称えながら、ひたすら西方を目指し歩き続けて往生したという説話である。
http://www.geocities.jp/yassakasyota/konjyaku/konjyaku.html

芥川龍之介の『往生絵巻』は、この説話に題をとった作品である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/117_14836.html

西方に沈む夕日は、耽美的な美しさ同時に、自らの心の底にある本当の願い、人間が生まれて来たという、根源的な意味を問いかけるものでもあるのだろう。

子供の頃に、美空ひばりが歌う「花笠道中」の、♪西へ行くのは こっちかえ~という歌に、西方には真実の国があるんだなと思いながら口づさんだものだった。

廃悪修善

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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御開山の仰ることは重層的なので非常に判りにくい。
「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」『歎異抄』という非常にシンプルな教えなのでだが、シンプルであるがゆえに誤解する者も多い。
中には、浄土真宗は廃悪修善を勧めないから、おかしいという意見もあるのだが、この廃悪修善について、善導大師、法然聖人、御開山聖人のお示しを窺ってみよう。
まず、善導大師は『観経疏』「玄義分」で、

娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。
その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす(息慮以凝心)。 「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す(廃悪以修善)。この二行を回して往生を求願す。
弘願といふは『大経』(上・意)に説きたまふがごとし。 「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(*)

と、要門と弘願ということを示して下さった。
ここで、要門とは、即慮凝心と廃悪修善であり、弘願とは阿弥陀仏の大願業力に乗ずることであると善導大師は定義される。
この文の解釈が、定散二門の行をもって弘願に乗ずるのであるか、それとも要門という法義と弘願という法義の二つの法門を指すのかに解釈が分かれた。

例えば、鎮西派の良忠上人は、「第四、問何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也」『淨土宗要集』(*)
(第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云う、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得る也。)

と、され、要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)が相依って往生の(果)を得るとされている。これは増上縁を、仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏の大願業力に乗ずるのだとされている。
これは常識的な見方であり、当然、廃悪修善という行が、往生の行に含まれているというのである。
以下の、七仏通誡偈にあるごとく、

諸悪莫作(もろもろの悪を作すこと莫く)
衆善奉行(もろもろの善を行い)
自浄其意(自ら其の意<こころ>を浄くす)
是諸仏教(是がもろもろの仏の教えなり)

という、廃悪修善は、仏教上での常識的な解釈であろう。

ところが、法然聖人には廃悪修善について以下のような法語がある。

ある人問ていはく、つねに廃悪修善のむねを存して念仏すると、つねに本願のむねをおもひて念仏するといづれかすぐれて候。
答ての給はく、廃悪修善は、これ諸仏の通誡なりといへども、当世のわれらことごとく違背せり。若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか。『諸人伝説の詞』(*)

一。つねに悪をとどめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏申候はんと、ただ本願をたのむばかりにて、念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。
答。廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当世のわれらは、みなそれにはそむきたる身なれば、ただひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智、持戒・破戒をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候なり。御意え候へ。『一百四十五箇条問答』(*)

或人問云、常存廃悪修善旨念仏与、常思本願旨念仏何勝哉。
答、廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等、悉違背、若不乗別意弘願者、難出生死者歟云云『一期物語』
( 或人問て云く、常に廃悪修善の旨を存じて念仏すると、常に本願の旨を思い念仏すると何れが勝れたるや。
答、廃悪修善は是れ諸仏の通戒といえども、当世の我等、悉く違背せり、若し別意の弘願に乗ぜずば、生死を出で難きものか。云云

廃悪修善は諸仏の通誡(七仏通誡)ではあるが、「当世の我等はことごとくこれに違背」していると仰るのである。黒田の聖人へつかはす御文には、「罪は十悪五逆のものむまると信して、少罪おもおかさしとおもふべし」(*)とあるが、悪を廃することの重要性を知りながら、その上で、悪を廃することのできない凡夫の現実の姿を直視されておられるのである。
七仏通誡偈をめぐっては、白居易と鳥窠道林のエピソードにもあるように、実践の場に於いては<判る>と<出来る>は違うのである。
これを誤解すると七仏通誡偈は単なる世俗の道徳に陥ってしまうであろう。

さて、法然聖人は上記の法語で「別意の弘願」ということを仰っておられる。
これは、あきらかに前記の良忠上人の解釈とは違い、善導大師は定散の「要門」(廃悪修善)と「別意の弘願」(阿弥陀仏の大願業力に乗ずる)という二つの法門を示されていると領解されていた。法然聖人は、善導大師の『観経疏』は『無量寿経』の本願の意をもって『観経』を解釈さたと見られたのである。つまり、釈尊は韋提希の請によって浄土の要門を開き、阿弥陀仏は別意の弘願(特別な願=第十八願)の法門を顕された、と見られたのである。これが「若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか」の述懐である。

御開山は、この法然聖人のお示しを受けて、要門と弘願を『観経」の法義の要と『無量寿経』の法義の弘願という二門の法義に分判されたのである。
そして要門を第十九願の法門であるとし、弘願門を第十八の願であると見られたのである。無量寿経の第十九願の「発菩提心 修諸功徳」は、まさに七仏通誡偈にあるごとく、聖道門仏教の願行を以って浄土を欣わしめる法門であるから、要門とされたのであろう。行は願によって転ずるといい、その願うところによって行の意味が変わる。この土で覚りを得ようとする聖道門の行をもって、浄土を欣わしめる法門であるから『観経」の「三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。」(*)といわれたのである。
なお、この欣慕の語は、「散善義」の深信釈、第三深信の観経深信「また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。」(*) からであるのはいうまでもない。

このように見てくると、一部の三願転入派の、第十九願を経て第二十願に入り、そして第十八願に転入するというプロセスという考え方はおかしいのである。三願は、全く違った法門であるから御開山は転入と仰ったのであり、各プロセスの果てに第十八願の法門があるのではないのである。

三 願 三 経 三 門 三 藏 三 機 三往生
第十八願 仏説無量寿経 弘願 福智蔵 正定聚 難思議往生
第十九願 仏説観無量寿経 要門 福徳蔵 邪定聚 双樹林下往生
第二十願 仏説阿弥陀経 真門 功徳蔵 不定聚 難思往生

念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ (*) 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ