今日は久しぶりの勉強会。

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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浄土教は《事》を強調するので法話などでは阿弥陀如来の慈悲を強調する。その慈悲を生み出した背景である悟りの智慧を説くことは少ない。しこうして、勉強会などでは仏法の《理》である仏陀の智慧の領域を学べるので面白い。
夏目漱石は『草枕』の冒頭で、

智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。

と、人間の心を知・情・意に分けて述べている。たしかに人間社会においては、慈悲を強調すれば情に流されて足元をすくわれ、仏陀の智慧の理を説けば他者と衝突するものではある。とかくに人の世は住みにくいものである。

さて、御開山は晩年になればなるほど智慧を強調される。もちろん救われる喜びもあるのだが、慈悲とその慈悲を生み出した背景の阿弥陀如来の覚りの世界を強調される。ふつうなら八十歳を過ぎた老境であれば慈悲に関心が向くのだが、御開山は慈悲よりも覚りの智慧の世界に関心がおありであったのであろう。もちろん智慧と慈悲は一体のものであり別のものではない。
家の爺さんは、
真実は真実だけでは真実にならん。真実は真実ならざるものによって真実を顕すんじゃ、これが本当の真実じゃ。
と、よく言っていたものだが、阿弥陀如来の覚りの智慧は、慈悲を通して感受でき、またその慈悲によってその慈悲を生み出す智慧の世界を窺えるのであろう。

と、いうわけで、今日は阿弥陀如来の智慧の世界を堪能してくるとしよう。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ