将来する浄土

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

幼い頃から、お仏壇の前で家族でお勤めをする環境で育った。 そして、御開山という方の話や阿弥陀さまという仏さまの話を聞きながら育ったせいか、お仏壇の正面の掛け軸に描かれた阿弥陀さまという仏さま(越前では正面は阿弥陀如来の絵像で、両脇掛は帰命尽十方無碍光如来の十字名号と南無不可思議光如来の九字名号である)は、わたくしの方へ来る仏さまだと思っていたも のである。阿弥陀さまを、親さまと呼び親しんだ年寄りや両親の言葉に、親をも超えた「親さま」という存在は常に現在のわたしを包む存在のように意識してい たのだと思ふ。その意味では、灯明の油煙で幾分金ぴかは煤けてはいる仏壇だけれども、その中におられる阿弥陀さまは、わたくしへわたくしへと向かって下さ る仏さまだと思っていたものである。
もちろん思春期を迎え反抗期に入れば、お仏壇は愚かな年寄りの迷信の産んだ産物であり、なんまんだぶというわ けの判らない呪文を称える輩は人生の敗残者としか見えなかったものであった。それはそれとして、何がどう間違ったのか、この林遊が、なんまんだぶをとなえる 身になった。幼少に耳にし経験した向こうから来るという概念は、過去から未来へという時間の流れという時間軸ではなく、未来が現在へ将来するという「弥陀 如来は如より来生」する、如─来であった。そしてそれは、まさに来る「将来する浄土」であり、浄土からわたしの口に届きつつある如─来する名号であった。 なんまんだぶを称えるという行為は、世界が世開として浄土が音をたててバリバリと開いて現在に将来するすることでもあろう。
未来と将来は同義語であるが、未だ来たらずという未来への願望ではなく、いままさに 現在のわたくしに、なんまんだぶと声になって将来してくださるのが現在する如来であり浄土であった。(もちろん現前といっても神秘的な意味でも凡夫の妄想する体験でもなく、御開山のお示し下さったご法義の上での論理的必然としての意である)。言葉を超えた世界から、言葉として口に称えられ耳に聞こえる大悲の顕現としてのなんまんだぶは、如来であり浄土であった。
ともかく、「将来する浄土」と いう表現の考察が面白いので『親鸞と現代』という著書のさわりをUPしておく。少しく西欧哲学思想の描くキリスト教くさい哲学の視点もあると思うのだが、御開山 親鸞聖人のみておられた「大悲往還の回向」の往相と還相の描く世界を知る手がかりとして、この「将来する浄土」という観点は面白い思ふ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

リンク:将来する浄土─親鸞と現代より

無量寿経と観無量寿経の三心

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
0

『無量寿経』と『観無量寿経』と『阿弥陀経』の三部を所依の経典とされたのは法然聖人である。(*)
法然聖人はこの三部経を「三経一致」の立場でみられるのだが 、自らの回心の契機となった『観経疏』を著された善導大師にちなんで、偏依善導一師(偏に善導一師に依る)という立脚点から『観経』からの視点を主とされる。
御開山が、「ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり」と『歎異抄』で述懐されたと同じように善導大師を一師として追慕されたのである。
もちろん、本願が説かれているのは『大経』であるから、御開山が著された法然聖人の法語集である『西方指南抄』で、

「『双巻無量寿経』、浄土三部経の中には、この経を根本とするなり。其故は、一切の諸善は願を根本とす」(*)

とされておられ本願が説かれている『大経』を根本の経であるとみられていた。
御開山は、この法然聖人の経典観を敷衍し『大経』の衆生の生因三願、第十八願、第十九願、第二十願を根本と枝末に分判し、願海真仮をいわゆる六三法門としてあらわされたのである。これは「三経差別門」からの見方である。

六三法門(*)

三 願 三 経 三 門 三 藏 三 機 三往生
第十八願 仏説無量寿経 弘願 福智蔵 正定聚 難思議往生
第十九願 仏説観無量寿経 要門 福徳蔵 邪定聚 双樹林下往生
第二十願 仏説阿弥陀経 真門 功徳蔵 不定聚 難思往生

しこうして法然聖人の本意は『大経』の第十八願にあるということを確定されていかれたのであった。第十八願が根本の願であるとし、第十九願、第二十願を枝末の方便の願であるとみられ、それぞれの願に三経を配当されたのは前人未到の御開山の卓見である。まさに信心の智慧で経典の源底を探られたからであろう。
ただし『観経』も『小経』も経の当面の「顕説」では方便であるが、第十八願の意が「隠彰」されているときは真実があらわされているとみられた。これを顕彰隠密(けんしょうおんみつ)という。
このように『大経』と『観経』(『小経』もふくむ)は、重層的に複雑に絡み合っているのであった。

覚如上人は『口伝鈔』で、各経典の説相(説き方)に着目され、救済する法の真実と、救済される機の真実という形で三部経を理解することを示しておられる。

いはゆる三経の説時をいふに、『大無量寿経』は、法の真実なるところを説きあらはして対機はみな権機なり。『観無量寿経』は、機の真実なるところをあらはせり、これすなはち実機なり。いはゆる五障の女人韋提をもつて対機として、とほく末世の女人・悪人にひとしむるなり。『小阿弥陀経』は、さきの機法の真実をあらはす二経を合説して、「不可以少善根福徳因縁得生彼国」と等説ける。無上大利の名願を、一日七日の執持名号に結びとどめて、ここを証誠する諸仏の実語を顕説せり。(*)

現代語:梯實圓和上著『聖典セミナー 口伝鈔』より引用。

いわゆる「浄土三部経」が説かれた時(とその法義)についていうと、まず最初に説かれた『大無量寿経』は、第十八願に誓われている他力真実の法を説き表されたものですが、それを聞いておられる聴衆は、還相の菩薩であって、仏が仮に菩薩の姿を現して聴聞されているのですから、説法の対機は権機(権化の人)です。
次に説かれた『観無量寿経』は、救済の目当てとなっている機の真実のありさまを顕し示したものです。これをすなわち実機といいます。仏が救済の目当てとされている者のまことの姿だからです。従来は、いわゆる五つの障りがあって仏になることは出来ないといわれていた女性の韋提希夫人を救済の目当てとすることによって、釈尊在世のころより遠くへだたった末法の世にあって苦しみ悩んでいる女性や、悪業を積んで皆から見放されているようなものも、阿弥陀仏の本願はわけへだてなく平等に救うということを知らせるための経なのです。
最後に説かれた『阿弥陀経』は、先に説かれた法の真実を顕す『大経』と、機の真実を顕す『観経』という二経の法義をあわせて説かれています。すなわち「少善根福徳の因縁をもつて、かの国に生ずることを得べからず」(『註釈版聖典』一二四頁)といって、『観経』に説かれたような、自力の定善や散善という権仮方便の行法は、少善根にすぎないから報土には往生できないと誠め、五濁悪世の凡夫のために、『大経』に説かれた本願の名号を、あるいは一日、あるいは七日、数の多少を問わず称えるばかりで、報土に往生できるという大きな利益を得させる、無上の功徳を具えた真実の法を勧められています。さらに『阿弥陀経』は、このように本願の名号(真実の法)によって五濁悪世の凡夫(実機)が救われると説かれた釈尊の教えが真実であることを、無量の諸仏が、讃嘆し証明されるという諸仏の証誠を説き顕されています。 このように機法を合説して諸仏が証誠されるところに『阿弥陀経』の特徴があります。

このように『大経』は法の真実をあらわし、『観経』は機の真実を説き、『小経』は合説という視点は三部経の一定の理解に資するであろうと思われる。

この、機の真実を説く『観経』には、至誠心、深心、回向発願心の三心が説かれ「具三心者 必生彼国(三心を具するものは、かならずかの国に生ず」と《必》の字がある。この《必》の「かならずかの国に生ず」の語に古くから浄土願生者が深い関心を持って来たところである。

さて、『大経』の第十八願には「至心信楽欲生我国(至心信楽して、わが国に生ぜんと欲へ)」とある。この文の当面では、至心信楽は、欲生の修飾語であって三心(信)にはみえない。この至心信楽欲生を『観経』の三心から逆観して、至心と信楽と欲生の三心(信)であるとみられ、『大経』の「至心信楽欲生」を開いて具体的に三心として説かれているのが『観経』の三心であるとされたのは法然聖人であった。至心は至誠心、信楽は深心、欲生我国は廻向発願心であるとされたのである。以下は法然聖人の『観経釈』から当該部分を引いておく。

しかれば経に云く。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具する者は、かならずかの国に生ず。  おおよそ三心は万行に通ず故に、善導和尚この三心を釈して以って正行・雑行の二行とす。 いまこの経の三心は即ち本願の三心を開くなり。
しかる故は、至心とは至誠心なり、信楽とは深心、欲生我国とは廻向発願心なり。  これを以ってこれを案ずるに必生彼国の言は深き意(こころ)のあるべしか。(*)

これによって、第十八願の至心・信楽・欲生は、『観経』の至誠心・深心・回向発願心と対応づけされたのであった。『大経』には至心信楽欲生の様相は説かれていないのだが、『観経』の三心と対応することにより、そして善導大師の著された『観経疏』の釈によって『大経』の三心(信)を洞察されたのである。
本来ちがう経典をこのようにみることが出来るのは天才の法然聖人のなせる技である。なお法然聖人は、『西方指南抄』中本「十七条御法語」によれば、

又云く、導和尚、深心を釈せむがために、余の二心を釈したまふ也。経の文の三心をみるに、一切行なし、深心の釈にいたりて、はじめて念仏行をあかすところ也。(*)

と、至誠心・深心・回向発願心の中では、深心が中心であるとみられていた。『大経』では至心、信楽、欲生の三心(信)の中の信楽である。
御開山は、この『観経」の三心を深心一心に総摂し、その深心を展開されたのが『大経』の三信(心)であるとみられたのであろう。 そして『大経』の信楽を中心として至心と欲生を洞察し「如来よりたまはりたる信心」として展開されるのが「信巻」の三心釈である。そしてこの三心(信)を信楽一心に総摂し『浄土論』の「世尊我一心 帰命尽十方無礙光如来」の「一心の華文」であるといわれるのであった。

このようにみてくると、単純に平面的に『観経』の三心を自力とし、『大経」の三心(信)を他力とするのは如何かと思ふ。『観経』も『小経』も、そこに阿弥陀如来の本願があらわされているときは真実なのである。御開山が「信巻」で、第十八願の三心の解釈をされる前段に、善導大師の『観経疏』の 至誠心釈、 深心釈、回向発願心釈を引文されておられるのもその意であろう。もちろん、このような見方は聖人といわれる方だけができることであって、我々は御開山の指南にしたがってお聖教を楽しむだけではある。

なお、古くから「三経一致門」の立場から、『大経』は本願を説く経であるから《薬》にたとえられ、『観経』は救われがたい機の真実をあらわす経であるから《病気》にたとえ、『阿弥陀経』は機法合説といわれ、六方恒沙の諸仏の証誠は《医者》にたとえた法話がなされてきたものである。
ともあれ、浄土三部経には、「三経差別門」と「三経一致門」の両方の見方があるが、要するに、本願を信じさせ、なんまんだぶを称えさせ、必ず往生させ仏たらしめようという阿弥陀如来の本願力回向のご法義であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

お念仏の称え方

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
0

幕末~明治時代の学僧であった七里恒順和上は福沢諭吉と昵懇であった。
福沢諭吉が真宗門徒であったからであろうが和上と諭吉氏に以下のエピソードがある。以下、「七里恒順法話集」から引用してみる。

和上は福沢諭吉氏とは、豊前在学の際は、たがいに俊才のほまれをとりつつも、ひじょうに懇意であった。
当時、豊前の風習として、名前を全部呼ばないことが多かった。和上を恒(ごう)や、恒やと呼べば、諭吉氏を諭(ゆ)かい、諭かいと呼んでいた。

あるとき福沢氏がいった。
コリャ恒や、どうも分からぬことがある。真宗の寺院で、参詣者たちが念仏しておるあの有様についてである。あれをみておると、殆ど個々別々に、なんら統一ができておらぬではないか。
一方で、ナムアミダブツと称えておるかと思えば、一方ではナマイダアと半分ぐらいで称えてすますものもある。
婦人などは、いかにも、きえ込むような細い声で称えるかと思えば、壮年は寺をひっくりかえすような声で称える。このような乱雑きわまる状態のまま放置しないで、真宗の信者は、一様に、ナムアミダブツ、ナムアミダブツと、名号全体をを称えるように定め、秩序をつけてはどうか。
これに対して和上はいわれた。

それは、いままでの通りで結構である。別にかえることはいらぬ。早い話が、君の名を呼ぶにも殆ど十人十色、各自別々ではないか。
有る人は、福沢さんといい、ある人は、福沢諭吉という。
おたがいの間のように、親密であれば、ただ、諭かい、諭かいですます。そう呼んでも、呼ばれた君の手許では、さらにかわることはあるまい。
いま如来さまのみ名を称えるのは、十人十色、個々別々であっても、うけるお手許には変わりはない。思想の全分を曝露して、個々別々に称えるのがありがたいのじゃ。

如来から賜った念仏であるから、どのように称えても、それは本願の行である。
なんまんだぶ たまに、いまめがはしく帰命尽十方無碍光如来

老人六歌仙

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
0

林遊の好きな禅僧の一人に仙厓和尚がいる。
浄土真宗のご法義が解らなくて、石見の国からはるばる博多の仙厓和尚を尋ねた坊さんに、

貴様、南無阿弥陀仏の他に何の不足があってここにやって来たかッ!!

と、怒鳴りつけて引っ込んでしまったというエピソードがあるが、ようこそようこそである。その和尚に「老人六歌仙」という洒脱な句がある。加齢という現象は、生・老・病・死という苦なる無常であるのだが、死の彼方に、輝くような無量光明土という世界を信知するからこそ老いを拈弄(ねんろう)し敬虔(けいけん)することも出来るのであろう。

「老人六歌仙」

しわがよる、ほくろができる、腰まがる、頭ははげる、ひげ白くなる。
手は振れる、足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。
身に添うは、頭巾、襟巻、杖、眼鏡、たんぽ、温石、しびん、孫の手。
聞きたがる、死にとむながる、寂しがる、心はまがる、欲ふかくなる。
くどくなる、気短になる、ぐちになる、出しゃばりたがる、世話やきたがる。
またしても、同じはなしに子を誉める、達者自慢に人は嫌がる。

なんまんだぶのご法義は、若いときに聞いておきなさいよ、というご法義である。
同行の聞見会(*)の慈海坊に云わせれば、それは時限爆弾のご法義だそうだが、年老いた己を時間軸の上に見出す「老人六歌仙」の世界を信知するとき、愚痴にまみれながらも、なんまんだぶを称える豊かな老いを楽しめるのであろう。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

仙厓和尚「老人六歌仙」
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/sengai06.html

やさしい 安心論題の話

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
0

WikiArcに灘本和上の『やさしい 安心論題の話』がUPしてある。
このテキストは、今はもう西方仏国の住人である、ネット上の知人の近藤智史さんが入力してくれたものだが、やさしいの語とうらはらに全然やさしくない。
昔、何を間違ったかこのご法義をより深く学ばせてもらおうと『真宗の教義と安心』という薄い書籍を購入したのだがサッパリ判らん。そもそも『教行証文類』も披いたことが無かったので判るはずがない(笑

本願を信じ念仏を申せば仏に成る、という御法義は、信じさせ称えさせ必ず往生させて仏陀の悟りを得させようという「如来よりたまはりたる信心なり」であるから信心が違うということはない。ただ、その回向された賜りたる御信心を、領納する心の据わり(安心)が異なることを案じて論ずるのが安心論題という論義であろう。
出拠の引用が多く、あちこちお聖教を披きまわる必要のある「安心論題」だが、さいわいWikiでは文字間や項目にリンクを張れるので立体的に浄土真宗の綱格を信知するには便利だ。そんなわけで少しく誤字の校正とか聖典へのリンク付けを楽しんでいる。リンク先の文を読むことに嵌って作業は遅々として進まないのだが、それはそれで楽しいものである。

各論題は、それぞれの持つテーマに従って考察しているので、論題の論じる主題だけにとらわれると全体像が見えなくなることもあるだろう。それぞれの論題はあくまで義を指す指であり、御開山が見ておられた世界を垣間見る言葉の補助線であるということに留意しておきたいものである。
ともあれ、本願を信じ、なんまんだぶを称えて、仏陀と同じ悟りを得るというシンプルなご法義の基底には2500年に及ぶ仏教の生と死を超えて来た歴史がある。より正確にいえば釈尊を釈尊たらしめた阿弥陀如来の本願の歴史である。
それはまた、本願に選択された、なんまんだぶを称えて生死を超える「往生極楽のみち」を示しかつ目指した、幾百万幾千万幾億の林遊の先輩方の生の歴史でもあった。ありがたいことである。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
→やさしい安心論題の話