体失不体失の往生の事

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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WikiArcにタイトルの項目を追記。
善恵房証空上人は、即便往生(そくべん-おうじょう)当得往生(とうとく-おうじょう)の二種往生を説かれた。これは『観経』の三心についての、

もし衆生ありてかの国に生ぜんと願ずるものは、三種の心を発して即便往生す。なんらをか三つとする。一つには至誠心、二つには深心、三つには回向発願心なり。三心を具するものは、かならずかの国に生ず。また三種の衆生ありて、まさに往生を得べし(当得往生)。なんらをか三つとする。一つには慈心にして殺さず、もろもろの戒行を具す。二つには大乗の方等経典を読誦す。三つには六念を修行す。回向発願してかの国に生ぜんと願ず。この功徳を具すること、一日乃至七日してすなはち往生を得。 (観経 P.108)

という経文によって、平生に他力の三心を発起したときに、ひそかに即生無生身の利益を得るとして現生の即便往生を明かされた。当得往生とは、同じく『観経』の「まさに往生を得べし(当得往生)」の経文から、当来の臨終に来迎を受けて浄土に往生すると言われていた。
『口伝鈔』では、体失往生を諸行往生とし、不体失往生を業事成弁の念仏往生の正義として法然聖人に語らしめているが、『選択本願念仏集』撰述の勘文役を務めてたほどの証空上人が諸行往生義などをとなえる筈がない。そもそも不体失往生とは語義矛盾であろう。もっとも『大無量寿経』を真実の教とする御開山と、『観経』に依って宗義を立てる証空上人との綱格の違いをあらわそうとされたのかも知れないとはいえる。
『口伝鈔』の解説(*) にもあるように、覚如上人は「法然上人門下の浄土異流の中心である鎮西・西山派に対し、その派祖の弁長・証空を本書のなかで批判し、親鸞聖人の一流が正しく法然上人を伝統するものであることを示」そうとされ、「体失往生と不体失往生」のような一段を記されたのであろう。覚如上人は、御開山の現生正定聚説を強調するために、体失往生と不体失往生という名目を使われて、異流の証空上人を批判されたのであろうが、この『口伝鈔』の「体失不体失の往生の事」という諍論の存在の信憑性についてはいささか疑念の残るところである。

証空上人の『観経定善義他筆鈔』には、

此世 後生 随心解脱云事。
此世者 云即便往生、後生者 云当得往生也。

此世とは即便往生を云ひ、後生とは当得往生を云ふなり。

と、あるので証空上人は、此世と後生の現当二種の往生をみておられた。なお即も便もすなわちという意であるが、『観経』では経文の字数を合わせるために即便としたのであろう。
ちなみに御開山は『観経』に隠顕をみられるので、

また二種の往生あり。二種の三心とは、一つには定の三心、二つには散の三心なり。定散の心はすなはち自利各別の心なり。二種の往生とは、一つには即往生、二つには便往生なり。便往生とはすなはちこれ胎生辺地、双樹林下の往生なり。即往生とはすなはちこれ報土化生なり。(化巻 P.393)

と、即便の語を、即と便に分けて『観経』には即往生の報土往生と、便往生の化土往生の二種の往生が説かれているとされた。

→「体失不体失の往生の事」

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三恒河沙

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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昭和に生まれて平成まで生きてきた〔いのち〕だと思うのだが、仏から見ればお前の〔いのち〕の歴史はとてつもないほど長いとおっしゃる。
御開山は、『正像末和讃』で、

三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
自力かなはで流転せり

と、ガンジス河の砂の数を三倍したほどの過去からの〔いのち〕の歴史だとされる。
ともあれ、三恒河沙という語の出拠である『涅槃経』に脚注を付けてみた。

御開山は『安楽集』「発心の久近」で引く、この『涅槃経』(意)の一段、

もし三恒河沙等の仏の所において菩提心を発すことあれば、しかして後にすなはちよく悪世のなかにおいてこの法を謗ぜず、経巻を書写し、人のために説くといへども、いまだ深義を解らず。(『安楽集』p.187)

の文について考察されておられる。『安楽集』では、今現在『無量寿経』の教えに出あえたのは、三恒河沙の諸仏のみもとでお育てを受けたお蔭なのだとされる。 この意を『唯信鈔文意』では、

おほよそ過去久遠に三恒河沙の諸仏の世に出でたまひしみもとにして、自力の菩提心をおこしき。恒沙の善根を修せしによりて、いま願力にまうあふことを得たり。 ( (『唯信鈔文意』p.713)

と、本願力に出遇えた由縁は、過去久遠にガンジス河の砂の数の三倍ほどの諸仏のみもとで、自力の菩提心を発し、あらゆる善根を修してきたからであったとされる。
しかるに、『正像末和讃』では、

三恒河沙の諸仏の
出世のみもとにありしとき
大菩提心おこせども
自力かなはで流転せり (『正像末和讃』p.603)

と、恒河沙(ガンジスの砂)の数を三倍したほどの諸仏のみもとで、大菩提心を発しながら、何ゆえ今も迷いの境界にいるのか、という疑問について考察されておられる。これは、自力の大菩提心の成就しがたきを思ひ知るとともに、三恒河沙の諸仏に出あい菩提心を発しながら、いままで全く手掛かりのないほどの救われがたい自己であったという述懐であろう。それはまた、反顕すれば三恒河沙の諸仏のお育てによって、このたび『無量寿経』の本願力回向の教えに出あえたことを感佩しておられるのである。

浄土真宗に於ける「信心正因」とは、菩提心正因ということであるが、横超の菩提心とは私が発すのではなく、因位の阿弥陀如来の菩提心に包摂されていることを信知することであった。これを御開山は本願力回向と仰るのである。

『涅槃経』「三恒河沙諸如來」

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不断煩悩得涅槃

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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かって当ブログで「不断煩悩得涅槃」について記した。→「不断煩悩得涅槃」

その時は『維摩経』の当該の一部を記したのだが、wikiarcに「不断煩悩得涅槃」の項を設けて考察を記述してみた。
『歎異抄』二条には、

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。念仏は、まことに浄土に生るるたねにてやはんべらん、また地獄におつべき業にてやはんべるらん。総じてもつて存知せざるなり。(*)

という、御開山の述懐が記されている。
まことに、「煩悩を断ぜずして涅槃を得る(不断煩悩得涅槃)」道は、なんまんだぶの他には無いのであった。
「不断煩悩得涅槃」の文、ありがたいことである。

→wikiarcの「不断煩悩得涅槃」
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法然聖人と御開山の相違について

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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FBのフレンド?さんからコメント欄で以下のような問いを受けた。通常ならお聖教を読めやで済ますのだが、暇なので反応。

>先日「法然と親鸞は一緒や!」とおっしゃる方がいて、その場の空気で、何も言えませんでした。
>帰宅し家事をしながら、「あれはなんなん?僧籍にある人の言う言葉か?」と、悶々と、煩悩が起こってきました。頭の中で三願転入の言葉が、浮かび次々と和讃 経文 ネット等探しているうちに、気づきました。批判していたお方のおかげで、我が信を少しく見なおすことになり感謝でした。
>法然と親鸞の相偉点について御提示頂ければ、うれしいです。

「法然と親鸞の相偉点について御提示頂ければ、うれしいです」と、自らの生死を託す祖師方を呼び捨てにする神経は理解しがたいのだが、以下に思ふところを記してみる。

単純な「法然と親鸞は一緒や!」という言い方は、少しく穏当さを欠いています。
念仏を強調された、高田派の真慧上人の『顯正流義鈔』あたりを己の字力だけで読めば、そのような解釈になるのかもです。
また、御開山は、

(99)
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ

と、浄土真宗を開かれた方は法然房源空聖人とされておられる意を、直截(すぐに裁断を下すこと)に取って言っているのかも知れません。
法然聖人は対機説法に巧みでしたから、その本意を誤解されることが多いのですが、法然聖人の「念仏往生」思想の中核を正しく継承し、深化発展させた方が御開山です。
梯實圓和上は「教行証文類のこころ」の講義で、

親鸞聖人は浄土真宗というのはこれは、浄土真宗を開いた方は、法然聖人だと言い続けておられますね。皆さん、お正信偈拝読させて頂きましたら、一番最後が法然聖人の徳を讃える源空讃になりますね。あのとこにね、本師源空は、仏教にあきらかなり、善悪の凡夫人を憐愍し、真宗の教証を片州に興し、選択本願悪世に弘めしむ、と仰ってますでしょ。
あれ同じ事を和讃、法然聖人の和讃見ますとね、
智慧光のちからより
本師源空あらはれて
浄土真宗をひらきつつ
選択本願のべたまふ
と、こう仰ってます。つまり日本の国で浄土真宗を開いた方は法然聖人だというんですね。源空聖人、法然聖人というのは房号ですからね。正確に言うと源空、法然房源空というのがこの方のフルネームでございます。
この法然聖人が浄土真宗を開いた最初の方だ。つまり、浄土真宗という教義体系ですね。浄土真宗という教義体系を持つ宗教を日本で初めて開いた方は法然聖人である。
『教行証文類』でも一番最後の所に、「真宗興隆の大祖源空法師」、とこういうふうに仰っています。
浄土真宗を日本の国で興隆して下さった方は源空である、とこう仰っていますから、法然聖人が浄土真宗を開いた方だというふうに仰っているわけですね。

と、仰っていました。
我々は知らず知らずのうちに「宗我」という名の自是他非に陥り、念仏VS信心という対立構造で浄土真宗というご法義を理解したつもりになるのですが、これは間違った浄土真宗のご法義の捉え方です。明治期以降の信を強調するキリスト教の影響によって、真宗教団が愚直に往生の業因である〔なんまんだぶ〕を称える門徒を切り捨てて、回向されたご信心と自覚を等値した結果が、信心という自覚に迷う輩を輩出してきたのかもです。
御開山が、

穢を捨て浄を欣ひ、行に迷ひ信に惑ひ、心昏く識寡く、悪重く障多きもの、ことに如来(釈尊)の発遣を仰ぎ、かならず最勝の直道に帰して、もつぱらこの行に奉へ、ただこの信を崇めよ (*)

と示されたように、「行に迷ひ信に惑」っているのが、現代の真宗門徒なのかも知れませんね。御開山の「ご影」には、どれも珠数をつまぐっている姿が描かれていますが、なんまんだぶ なんまんだぶと、法然聖人が示して下さった、「親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまゐらすべしと、よきひと(法然)の仰せをかぶりて信ずるほかに別の子細なきなり。」でありましょう。

で、お尋ねの問いに関して、
→「五願開示
「浄土真宗の特長」
へ、リンクしておきます。

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醍醐本法然上人伝記

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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wikiarcの『法然上人伝記』に追記。

大正6年に真言宗醍醐三宝院で発見された『法然上人伝記』、通称、醍醐本である。「一期物語」「禅勝房との十一箇条問答」「三心料簡事」「別伝記」「臨終日記」「三昧発得記」からなる法然聖人の伝記、法語等からなる書である。勢観房源智上人(1183-1238)またはその弟子が書き記されたといわれる。源智上人は、13歳のとき法然聖人の室に入り、常時随従して秘書的役割を担ったとされる。また、法然聖人の最晩年の念仏の領解を述べられた、『一枚起請文』を授けられている。

梯實圓和上は自著『法然教学の研究』のはしがきで、

江戸時代以来、鎮西派や西山派はもちろんのこと、真宗においても法然教学の研究は盛んになされてきたが宗派の壁にさえぎられて、法然の実像は、必ずしも明らかに理解されてこなかったようである。そして又、法然と親鸞の関係も必ずしも正確に把握されていなかった嫌いがある。その理由は覚如、蓮如の信因称報説をとおして親鸞教学を理解したことと、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などをみずに法然教学を理解したために、両者の教学が大きくへだたってしまったのである。しかし虚心に法然を法然の立場で理解し、親鸞をその聖教をとおして理解するならば、親鸞は忠実な法然の継承者であり、まさに法然から出て法然に還った人であるとさえいえるのである。

と、仰っておられた。ことに「三心料簡および御法語」の法然聖人のご法語の趣旨を拝読するに、親鸞聖人独自の「己証」とされている中には、法然聖人から承けられた法門の発揮があると思ふ。たとえば『歎異抄』第三条で喧伝される御開山の悪人正機説「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」も、「三心料簡事」では「善人尚以往生 況悪人乎事〔口伝有之〕 」と、法然聖人の口伝の法語としてあるのであった。御開山の著述は重層構造だから難解なのだが、梯實圓和上の示されたように、『西方指南抄』や醍醐本『法然聖人伝記』『三部経大意』などを拝読すれば、御開山と法然聖人の浄土仏教解釈の共通点が明らかになると、〔なんまんだぶ〕を称えるだけの愚鈍な林遊のような門徒は思ふ。

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『法然上人伝記』

足の指、地を按ずるに

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『論註』の、

 足の指、地を按ずるにすなはち金礫の旨を詳らかにす。

の脚注に追記してみた。

維摩経』仏国品では「その心、(きよ)きに随って、すなわち仏土浄し(随其心浄則仏土浄)」という。この意を舎利弗に教える為に、「仏が足の指でもって地を(おさ)(仏以足指按地)」えて、仏の感得している浄らかな仏国土を舎利弗に示現し、この苦悩渦巻く穢土も、釈尊の浄らかなさとりの眼から観(み)れば浄土(きよらかな土)であると示される。いわゆる善悪や浄穢という対立の世界は煩悩が描き出している虚妄の世界であり、煩悩を寂滅した仏のさとりの立場からみれば、全ては縁起するものであり、故に自性を持たない無自性であり、この故にあらゆる認識しうる、もの/ことは空であり、その空であることによって全ては平等であるとする。これが仏教の縁起の思想における平等という存在の視点である。これを悪しく理解すると、単純な唯心論に陥り、ただ心の持ち方によって、この世が穢土にもなり浄土にもなるという発想になる。
しかし、このような発想は、穢土と浄土という法然聖人の二元論の原則を継承した御開山からみれば、

しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す。 (信巻p.209)

という穢土の他なる浄土を考察しない、己心の浄土、唯心の弥陀という自性唯心の立場であろう。此土(この世)という語には、彼土(かの世)という概念が内包されている。生きること、生きる意味を考察するすることは、同時に、死ぬこと、死ぬ意味を推察することでもある。浄土仏教の歴史は、その死ぬことの意味を、千数百年かけて観察し考察し推察して洞察してきたのである。生き難い此土で、愛憎煩悩に憂い悩乱し、さとりへの手がかりすらない凡夫にとって、この世を超えた煩悩の寂滅した、さとりの浄土の存在は、不安の中にありながらも不安の中で安心できる世界である。その浄土を目指し、さとりを完成しようとする生き方が浄土仏教である。

その穢土と浄土の二元論の上に「信心の智慧」によって、本願力回向による一元的な自然の浄土を感得せられたのが御開山であった。それは、「あらゆる衆生、その名号を聞きて、信心歓喜せんこと、乃至一念せん(諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念)」という、なんまんだぶの名号を聞信するところに開かれるて来る「如-来(如より来生する)」する世界であった。これが浄土を真実とする「浄土真宗は大乗のなかの至極なり」である。
浄土真宗の「信心正因」とは、なんまんだぶと称えることが往生成仏の業因であると信知した者の前に開かれる、本願力回向の世界(世開)であった。それはまた、釈尊の感得せられたさとりの世界であり、なんまんだぶと声になって届いている、智慧の念仏の躍動する世界である。

「足の指…」

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