フェティシズム

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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仏教の縁起とか空などという概念は判りにくいが、以下の文章は判りやすかった。
縁起とか空とは、モノを実体化する思想に対するアンチテーゼである。
このような実体化/実体視を、フェティシズム(物神化つまり実体化)という形で考察しているのは面白い。

引用元:瓜生津隆真師著『龍樹ー空の論理と菩薩の道』p.100~
>>引用開始

ナーガールジュナが縁起をどのように説いたか、それを一口でいうと、縁起とは、①空であり、②相依性である、ということであろう。空とは、ものはすべてそれ自体として存在するのではないこと、すなわち実体(あるいは本体)はないという否定を示している。相依性とは、ものはすべて相依相関の関係にあること、すなわち相互依存の関係性を示している。したがって、縁起が空であるというのは、自己をはじめこの世界はすべて原因や条件によって生じ、また滅するのであって、それ自体として生ずるのでなく、また滅するのでないことを示している。

また、相依相関、相互依存の関係性とは、ものはすべて相互関係や因果関係などの関係性の上に成り立っているのであって、原因や条件などが即自的に(それ自体として)成立し、存在しているのでないことを示しているのである。

このようにものやものごとは、互いに因となり縁となって成立しているのであって、深いつながりのなかに存在し、成り立っている。
しかし日常的思考や思惟の立場では、自他を区別し、対立的にとらえ、とらわれている。その結果、自己や他者をそれぞれそれ自体として実体化し、固定的に見ている。ちなみにこのような考え方は、現代の問題としてフェティシズム(物神化)の上に見ることができよう。物神化とは、この実体化ということが根底にある。

たとえば価値という関係の体系がある。そこへ貨幣という中心が登場すると、その「中心化によってそれぞれの商品があたかも個としての実体であるかのごとき錯覚が生れ、関係性が隠蔽されて個々の商品が実休的・自存的価値を内在させるように見えてくる」三九ページ(丸山圭三郎著『文化のフェティシズム』勁草書房、一九八四年)という。まさしく、これがものを実体化するメカニズムであるといってよい。

なおまた、上記の著書には、言語哲学者ソシュールの手稿を引いて、これは西欧近代思想ヘ一大衝撃を与えるものであるという指摘があり、「縁起が空性である」というナーガールジュナの中心思想を理解する上に大いに参考になる。

事物そのものに先立って事物と事物のあいだの関係が存在し、その関係がこれら事物を決定する役割を果す。……いかなる事物も、いかなる対象も、一瞬たりとも即自的には与えられていない。 (断章番号三二九五)

丸山氏は「これを読んだ私には、従来の観念論、実在論がともに疑ってみようともしなかった<ロゴスの現前>が、ソシュールによって根底から覆されたと思えた。文化現象の一切は表象によって二次的に生み出された共同幻想の世界で、その表象すらももともとは存在しなかった関係の網の目に過ぎない、という考え方は、ヘレニズム、ヘブライズムの正道である西欧近代思想をその根底から揺さぶる」(『文化のフェテシズム』一〇ページ)と述べられる。

この丸山氏の指摘を待つまでもなく、これはナーガールジュナがすでに考えていたことであって、ただその思想の意義が後に伝わらなかっただけである。私は改めて、ナーガールジュナ研究の重要性を強く感じたのである。

もう一つ、中国浄土教の始祖曇鸞の『浄土論註』に説かれる「無生の生」ということに一言しておこう。
この「無生の生」とは浄土への往生のことをいっているのであるが、その思想構造は「不生の縁起」と同じであるといえる。なぜなら、「不生の縁起」とは「不生起の生起」ということだからである。往生とは、実体として想定された自己(我)が浄土に生まれることではない。そのことを「無生」ということが示しているが、曇鸞は穢土の仮名人、あるいは浄土の仮名人といって、実体としての自己を否定している。もと四論宗(ナーガールジュナ系統の思想を研究する中国仏教の学派)の学者であった曇鸞は、ナーガールジュナの思想を基盤として、浄土教の思想を実に見事に構築したのである。

>>引用終了

と、いうわけで、興味を持ったので、丸山圭三郎著『文化のフェティシズム』を読んでいるのだが、智慧熱が出そうである。
この系統の本を久しく読んでいないという事もあるのだが、レトリックというか、引用される書籍や思想用語を多用しているので、その意味を調べながらであるから、ほとんど読めていない。
おまけに著者はランス語学者であるせいかフランス語やラテン語の語彙(片仮名語)を使うので訳がわからん(笑

しかし、当たり前だと思っているモノ/コトが、実は関係性が生んだ幻想に過ぎないのだということを説く点では面白いので、出来たら完読したいと思うけど、たぶん無理だな(笑

林遊の場合は、浄土や阿弥陀如来を、ほぼ実体視している。その他にもフェチの対象はあるのだが、縁起→無自性→空ということを通って、その上でのフェチだと言うと、たぶん龍樹菩薩(ナーガールジュナ)に殴られるので言わない。

なんまんだぶという言葉は、意味にがんじがらめに縛られている存在に、口蓋下から発せられる空気振動でもある。意味の奴隷として呪縛されている自己の妄想した存在からの解放する言葉が、なんまんだぶという口に称えられる言葉なんだろうな。
もちろん、「弥陀如来は因位のとき、もはら我名をとなえむ衆生をむかへむとちかひたまひて、兆載永劫の修行を衆生に廻向したまふ。濁世の我等が依怙、生死の出離これにあらずは、なにおか期せむ。」(三部経大意)の、仏の選択したもうた行業ではあるのもちろんである。

キリスト教から浄土真宗へ

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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転載

>>
「キリスト教から浄土真宗へ」

ご自身の信仰をキリスト教から浄土真宗へと転じていかれた萩女子短期大学の名誉学長であられる河村とし子先生をご紹介したいと思います。

先生は兵庫県明石市の、敬虔なクリスチャンの家庭に生まれ、地元の学校を卒業後、東京女子大学に進まれます。
そこで今は亡き夫、河村定一さんと知り合われ、生涯クリスチャンとして生きるということと、夫の実家で暮らさなくてもいいということを条件に結婚されます。

ところが、戦争が次第に激しくなり、空襲を避けるため夫を東京に残し、子供二人を連れて、夫の実家に疎開されるのです。
実家は山口県の萩市にほど近い山間の村にあり、年老いた両親が家業の農業を営んでいました。

「こんな思いがけないところに来たのはキリスト教を広めよという神様の思し召しに違いない」と思い込んだ先生は、クリスチャンとしての使命を果たすべく、その日から毎晩のように両親の部屋へ出向いてはキリスト教の教えを説き始めるのです。

夫の両親は、嫌な顔もせず「そうか、そうか」とニコニコしながら彼女の話を聞いてくれたそうです。

そういう日が続いていくうちに、先生の心の中に微妙な変化が起こるのです。

それは、四人の子供を立て続けに亡くされたにもかかわらず、両親の生活からはその暗さやわびしさが全然感じられないのです。しかも、都会育ちで田舎の習慣になじもうとしない彼女のような傲慢な嫁に対して両親は本当に親切にしてくれるのです。

さらに驚くべきことに、田舎の生活には珍しく、日の良し悪しや、占い、まじないといった迷信めいたことが全くなく、河村家の家訓として代々言い伝えられてきたことが、人間として一番大切なことはお寺に参って仏法を聴聞することだというのです。
そうして、「仕事は聴聞のあまりがけですればいい」というのです。

このような、仏さまを中心に穏やかな日暮らしを続ける両親を見ているうちに、お寺というのは一体どんなところなんだろという思いが生まれてきたのです。

そこで先生は好奇心も手伝って生まれて始めてお寺を訪れることになるのです。

その時のお説教が、「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」というものでした。

これは、阿弥陀さまの救いの目当ては善人ではなく悪人だという、浄土真宗の教えの要になるお話です。

これまで、善人は救われるが、悪人は裁かれると、キリスト教で教えられてきた先生にとって、初めて聞くこのお話は大きな驚きでした。しかし、その話全体を通して何ともいえない感動を覚えたのです。

このことがきっかけになり、先生は次第に仏教の勉強を始めるようになりました。

特に、クリスチャンとして守るべき戒律を中々守れないことに矛盾を感じていた先生にとって、自分の浅ましい心をごまかさず赤裸々にさらけ出していかれた親鸞聖人という方に、何ともいえない安堵感を覚えると同時に、強く惹かれるものがあったのです。

何としてもこのお念仏の道を極めたいと、方々のお寺に聴聞に出かけました。

しかし、その道は決して平坦なものではありません。聞けども聞けども心の底からうなずけるまでには至らないのです。
純真で一途な先生は、いっそのこと離婚をして、家を出てでも、このお念仏の道を求めていきたいと両親に願い出たこともありました。

そんな時、両親は「聞きたいという気持ちが起こったということは、もう仏さまのお手の中に抱かれているということだから、ともかく家のことも子供のことも一切私たちに任せて、気の済むまで、日本はおろかどこまででも行ってお聴聞してくるがいい」と励ましてくれたのです。

こうして懸命に道を求める先生に、ついに仏さまのお心に出遭う時が来るのです。

その時のことを次のように語っています
「いつものように理屈をこねながら聞いておりました私が、今まで思いもしなかったことに気付いたことがあります。
自分が生きて自分が求めて、自分がこうして苦労しているんだと思っておりましたこの私というものが、自分で生きているんじゃない、人間を超えた大きな大きなおかげさまで生かされている私だということに、フッと気付いた瞬間があります。
本当にそれは瞬間なんです。

ところが不思議でならないのはお念仏を唱えることが大嫌いだった私が、その時全く無意識のうちに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」と声に出してお念仏を唱えていたのです。

そうだったのか、呼ばれている身だったんだ、願われている身だったんだと、その時はっきり気付かせていただけたんです。その日は家に帰る道すがら、深い感動に襲われ涙が止まりませんでした」

まさに、聞かさずにはおれないという阿弥陀さまのお心が、しぶといしぶとい彼女の心に至り届いたのです。
こうして見事な回心を遂げた彼女はさらに次のように語っています。

「その日を限りに私がありがたい人間に変ったのかと言いますと、私自身はちっとも変わってはいないのです。傲慢でもあり、不遜でもあり、どうにもならない浅ましいものを抱えていることにはちっとも変わらないのです。

けれども、その私にお念仏が出て下さることによって、のど元まで怒りがこみ上げた時には、我慢せよと慰めて下さる。道を間違いそうになった時には、危ないよと呼んで下さる。悲しみのどん底にある時には、共に泣いている親があることを忘れるなよと呼んで下さる。

そんな、阿弥陀さまの呼び声であるお念仏によって導かれていく日暮の安らかさというものを、私は知ることが出来たんです。本当にみ仏さまに出遭わせていただいたというのはそのことだと思います。」

これが信心を頂いた念仏者の日暮らしというものです。
よくよく味わっていただきたいと思います。

こうしてクリスチャンから念仏者へと転じていかれた先生は、来し方を振り返り 次のように語っています。
「私の人生で最もありがたかったことは姑(河村フデ)との出遭いでした。
一字の読み書きも出来ない母でしたが、阿弥陀さまにすべてをおまかせすることを、身を以って教えていただいた方でした。決して説教じみたことや押し付けがましいことを言う人ではありませんでしたが、母は私を教化下さるために、この世に出てこられた仏さまではなかったかと思います」
「人は人によって育てられる」と言いますが、ことに仏法はその真理を体現した人を介さなければ決して伝わりません。
それだけに、そのような人(仏法の体現者)との出遭いが極めて大事なことになるのです。
相田みつをさんの詩に次のようなのがあります。

そのときの出逢いが
その人の人生を
根底から変えることがある
・・・
・・・
人間を根底から変えてゆくもの
人間を本当に動かしてゆくもの
それは人と人との出逢い

まことにその通りだと思います。
しかも、その出遭いの背後には、無限の過去からの無量無辺のご縁が、はたらいていたことを思う時、「遠く宿縁を慶べ」という親鸞聖人のお言葉をあらためて思い起こさずにはおれません。

http://www.koumyouji.com/houwa/51.htm
>>

 

ちょうど河村とし子さんが聴聞に励んでいた頃のエピソードであろうか。
同じ山口県の深川倫雄和上に次のような話をお聞かせに預かったことがあった。

とし子さんが、ある一人で日汽車に乗って遠方へ聴聞に出かけた。
家から駅までの長い道を歩き、駅に到着した汽車に乗ろうとしたところ、
ちょうどその汽車で長期の出張で家を空けていた夫が降りてくるのとバッタリ出会った。

お帰りなさい、では私は聴聞へ、という訳にもいかず夫の後ろからカバンを持ってついて帰ったそうである。
玄関の戸を開ければ両親が、よお帰ったよお帰った早く上がれと夫を迎える。

と、続いて夫の後からカバンを持って玄関に入ったとし子さんに向かって、

あんたはお聴聞に出かけた筈ではなかったか、浄土真宗のお聴聞というのはそんな生易しいものではないぞ、
今すぐ次の汽車でお聴聞に行きなさい、と言ったそうである。

そしてまた長い道を駅へ引き返しお聴聞に出かけたという。

如来の方を向いていない間は、一言も寺へ参れといわず、如来の方を向いた途端の厳しい言葉である。
浄土真宗のご法義は他力だから何もしなくても良いという人がいる。
もちろん全分他力のご法義であるからなんまんだぶの他力を慶ぶ事は当たり前だ。

しかし、如来の真実の謂れ聞けば聞くほど、あくなき御恩報謝の道もこのご法義にはある。

如来大悲の恩徳は
身を粉にしても報ずべし
師主知識の恩徳も
ほねをくだきても謝すべし

身を粉にしたり骨を砕くような真正の御報謝は不可能だが、せめて御報謝の真似事を心がける事もあってもいいのではないか。

そのような深川和上のご法話であった。

和上は常に仰せになる。

信心の話と御報謝の話は理屈が違うのです。信心は何の話かというと、如来さまのお話。
ご報謝は私どもの努力。私どもの努力を、ご信心のところでごっちゃに考えるから間違えるのです、と。

かくなる上は、なんまんだぶなんまんだぶと、如来さまの好きなことはするように、如来さまの嫌いなことはせぬように自己を策励していく道もあるのだろう。

なんまんだぶ なんまんだぶ 慚謝、慚謝

SNS [2009/11/14」より

 

お前のお前

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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*お前とは、「前」に接頭語の「御(お)」が付いた語。眼の前にいる相手を指す代名詞。

日本人は「二人称」しかない社会で生きているという考察がある。
いわゆる山本七平氏の主張する「日本教」の中での考察である。

「我と汝」という二人称の世界を、お前(汝)と、お前のお前(我)という関係で日本人は把握しているのだという。
いわゆる西洋的な自律と他律という形ではなく、「お前」の反応によって「お前のお前」(すなわち「私」)が律せられるというのである。

これは面白い視点で、ともすれば、いわゆる真宗でいう悪しき他力思想になってしまう。
一方的に相手に迎合したり尽くしたりすることは、お前(汝)と、お前のお前(我)という悪しき関係性のことであり、主体としての我と汝との関係ではない。単なる他者依存であって、自己という責任の主体がなくなってしまう。

このような関係では、ひたすらお前(相手)の主張に私を合わせ、主導権を委ねることになってしまう。面白いことにこのような関係が破綻した時、初めて私は、お前のお前(我)であったことに気づき動転するのである。
越前の道元禅師は、

仏道をならふといふは、自己をならふ也。
自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。「現成公按」

と、示されているが、「仏道をならふといふは、自己をならふ」とは、先ず自己を知る(確立)ことであって、その上で「自己をならふといふは、自己をわするるなり」と示されるのであって決して逆ではない。
自己をならわず(自己を知らず)して次下の禅師の句を読むなら、三十棒を食らわされるであろう。
私という存在が確立できて、初めて他との関係を考察することができるのだが、山本氏の示すような、お前(汝)と、お前のお前(我)という対人関係では他律はあっても自律という主体性が忘れさられてしまうであろう。
主体の無いところには、自己を見つめる自律も、それに対する反省も起こり得ないのである。
浄土真宗は、大人の宗教であると言われる。梯和上は、

それというのも浄土教というのは、元来大人の宗教なんです。いい歳をして悪いことだと知りながら、性懲りもなく愛憎や憎悪の煩悩を起こし、人を妬んだりそねんだりして、自分で悩み苦しんでいる。そんな自分の愚かさと惨めさに気づきながら、その悪循環を断ち切れない自分に絶望したところから、浄土教は始るのです。その意味で浄土の教えは決して「きれいごと」の宗教ではありません。
そうした自分のぶざまな愚かさを見すえながら、そんな自分に希望と安らぎを与えてくれる阿弥陀如来の本願のはたらきを「他力」と仰いでいるのです。だから他力とは、私を人間の常識を超えた精神の領域へと開眼させ、導く阿弥陀仏の本願力を讃える言葉だったのです。

と、示されている。
その意味で、山本氏のいう、お前のお前という対人関係における他律ではなく、自律しようともがきながら愛憎・憎悪に苦しんできた大人の前に開かれるご法義が、浄土の真実を宗とする浄土真宗である。いわゆる二種深信といわれる立場である。
道元禅師の、

自己をならふといふは、自己をわするるなり。
自己をわするるといふは、万法に証せらるるなり。

という句が、真に意味を持ってくるのである。

慚愧なき真宗は外道に堕するといわれるが、自己が懺悔の主体であるとき、初めて、如来が、汝として呼びかけて下さる我を発見するのである。
その意味で、浄土真宗とは、あくまで主体たる自己の確立の上で、自己の燃え盛る煩悩を凝視した上に展開するご法義である。

(40)
罪障功徳の体となる
こほりとみづのごとくにて
こほりおほきにみづおほし
さはりおほきに徳おほし

御開山が讃詠されるように、罪障が転じられて「悪業おほければ功徳のおほきなり」である。
このご法義では、お前(汝)と、お前のお前(我)という関係で、他者の視点からの我という形でご法義を理解しようとし苦しんできた者が多い。しかし、このご法義は他に我を合わせるご法義ではない。ましてや我と汝という相対関係の対話上で自己を確立するご法義でもないのである。
「なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん」の声を聞いた一念に、自己を包みこんで下さるのが阿弥陀如来の本願の宗教であった。

自分でsnsの日記にリプライした、日本教ということについて書いてみたのだが、はしょりすぎてわけワカランな(笑

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

ネッカーの図形

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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人は見たいものを見たいように見るという。
そして一度脳内で記憶が固定されると、それからの離脱は困難であるとされる。

ここに上げた画像は「ネッカーの図形」といわれるものである。通常はabcdの頂点とした面が前面であるように見える。しかし、よく見るとABCDを前面とした図形にも見えるのである。慣れないと視覚が混乱して気持ち悪くなるかも知れないので不悪。

御開山聖人の著書を読んでいると、何故このように読めるのかという所が多々ある。
依義不依文(義に依りて文に依らず)の姿勢なのであり、また「聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる」お心なのであろう。
そして、宗教的天才には、常人にはネッカーの図形は、abcdが前面にしか見えないのだが、天才は融通無礙な視点で、凡人には見えない世界が見えるのであろう。お聖教を縦横無尽に引文されて訓点まで変えておられる宗教的天才のなせる技である。

林遊のような愚鈍な者には、御開山のご著書の真意は理解不能なのだが、それでも拝読させて頂く度に、前には判らなかったことが少しだけ判る気がする。これも、お育てなんだろうな、ありがたいこっちゃ。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

凡情を遮せず

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 仏教SNSからリモート
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浄土真宗には「凡情を遮せず」という言葉がある。

『口伝鈔』にあるように、「まづ凡夫は、ことにおいてつたなく愚かなり」(*)である。
この凡夫の為に、

ただ念仏の力のみありて、よく重罪を滅するに堪へたり。ゆゑに極悪最下の人のために極善最上の法を説くところなり。例するに、かの無明淵源の病は、中道腑臓の薬にあらずはすなはち治することあたはざるがごとし。(*)

と、極善最上の法が、なんまんだぶのご法義である。
そもそも、浄土真宗の浄土とは往生浄土の略であり、真とは真実の略である。法然聖人が開宗された往生浄土宗を略して浄土と呼び、その真実の義を指して御開山は浄土真宗と名づけられたのである。
浄土の真実を宗とするとは、自らの内に全く真実が存在しないということの反顕である。その真実の欠片すら持ち合わせていない林遊が、阿弥陀如来の覚りの顕現である浄土が判るはずがないではないか。
生のみで死の意味づけを知らない近代論者は、浄土教教徒は、西方仏国への往生を願うが架空のおとぎ話であると揶揄する。しかれば汝らに問いたい、汝らの言う世界での宇宙の始まりの前の前は何であるのかと。

さて、経典によれば、浄土は太陽の沈む西方十万億仏土を超えた処にある阿弥陀如来の仏国である。そして覚りの世界であるにも関わらず、七宝の池があり楼閣あり、車輪のごとき蓮華が咲き誇る国だと説かれてある。もちろん覚りの象徴表現ではあるのだが、実に林遊のような凡夫向けの世界が説かれてある。実に心強いではないか。

「倶会一処」と、先立った愛しい人と、また会える世界が用意してあるのですよと『阿弥陀経』は告げる。本来なら無生の生といわれる世界なのであるが、凡夫にも理解出来るような説き方がされているのは大悲の極みであろう。
如来の智慧が、智慧そのままで大悲の顕現として説かれているのが、浄土教の浄土である。御開山は、このような浄土を『安楽集』の曇鸞大師の行実によって和讃されておられる。

(23)
世俗の君子幸臨し
勅して浄土のゆゑをとふ
十方仏国浄土なり
なにによりてか西にある
(24)
鸞師こたへてのたまはく
わが身は智慧あさくして
いまだ地位にいらざれば
念力ひとしくおよばれず (*)

世俗の君子とは、東魏の国王、孝静帝であろうが、少しく仏法の義に通じていたのであろうか、曇鸞大師を呵(叱る、笑う)して、十方仏国みな浄土ではないか、この娑婆世界も覚れば浄土であるが、ひとへに西方仏国に執着するのは迷いではないかと問う。
曇鸞大師は答えて、

「われすでに凡夫にして、智慧浅短なり。 いまだ地位に入らざれば、念力すべからく均しくすべけんや。 草を置きて牛を引くに、つねにすべからく心を槽櫪に繋ぐべきがごとし。 あにほしいままにして、まつたく帰するところなきことを得んや」と。(*)

我すでに凡夫たり……わたしは悟れば娑婆も浄土であるという十地の菩薩のようではありません。自らの背に食べる草があるといえども、心は常に帰るべき牛小屋の槽櫪(飼い葉おけ)に思いを馳せる者であります、とのことである。

お天道さんの沈む西方に、阿弥陀さまの覚りの世界があるのですよ。なんまんだぶを称える者は、やがてこの命、終わった時にその世界へ往生して、今度という今度は、自分のことばかりで苦しむのではなく、あらゆる衆生に寄り添って、お念仏しましょうとのお勧めが出来る者になるのですよというのが浄土真宗のご法義である。

凡夫の想い、「凡情を遮せず」とは、このような凡夫の林遊の思いを遮すのではなく、「遮せず」というご法義である。覚りの世界には凡夫は居ないのであるが、往生を願う者には、想うように思わせておけということである。これを古来から「凡情を遮せず」というのであった。
ただ、このままでは凡情に堕する危険性があるので、先人は「凡情に応ぜず」という言葉も用意してくださってある。「凡情を遮せず、凡情に応ぜず」がそれである。略して「遮せず応ぜず」と言い習わしている。浄土は凡夫の情に応じた世界ではない悟りの無生の世界であるが、凡夫の抱く見生の火は自然に滅するのである。

また氷の上に火を燃くに、火猛ければすなはち氷解く。氷解くればすなはち火滅するがごとし。かの下品の人、法性無生を知らずといへども、ただ仏名を称する力をもつて往生の意をなして、かの土に生ぜんと願ずるに、かの土はこれ無生の界なれば、見生の火、自然に滅するなり。(*)

ここいらへんの言葉の使い方は実に微妙なのだが、語に囚われて義の何たるかを知らない輩には理解不能だろう。浄土真宗のご法義は、本願に選択された、なんまんだぶを称えて浄土に往生して生死を超える仏法なのである。
あなたの信心も、あなたの安心も真実ではないから、阿弥陀さまの選択された名号を称えて、我が国に生まれんと欲(おも)えというのが、御開山がお示しくださったご法義である。

なんまんだぶしましょうよ、お念仏称えましょうよ。
私が選んだ私の行(行為)ではなく、あらゆる生きとし生ける者を、我が国に生まれさせんと立ち上がった阿弥陀さまの願いではありました。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ

また会いましょうよ

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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御開山が、法然聖人のお言葉を蒐集された『西方指南抄』という書物がある。
この書物の中に「正如房へつかわす御文」という女性に対する一文があるのだが、情愛がこもった、法然聖人の熱い息づかいが立ち上るような手紙である。

法然聖人は、醍醐本の『三心料簡および御法語」では、『阿弥陀経』の「一心不乱」を、

慕(こい)する人とは阿弥陀仏也、恋せらるる者とは我等也。
既に心を一向阿弥陀に発せば、早く仏の心と一に成る也。
ゆえに一心不乱と云。

と、釈されておられるが、単なる理論家ではなく、情愛にも通じた心の懐の深い方であったのだろう。

病床で死におののく正如房に、

「おなじ仏のくににまいりあひて、はちすのうえにて、このよのいふせさおもはるけ、ともに過去の因縁おもかたり、たがひに未来の化道おもたすけむことこそ、返返も詮にて候べきと、はじめより申おき候しか」

などと、また会える世界のあることを懇切に語っておられる。
この、正如房とは、式子内親王の出家名が承如法であることなどから、後白河天皇の第三皇女である、式子内親王であろうとも言われている。

玉の緒よ絶えなば絶えね 長らへば忍ぶることの弱りもぞする

の句で、有名な式子内親王である。
この句は、「この命よ絶えるなら絶えてしまいなさい。このまま時間が続いたら、忍んできたこの恋心も、心が弱って秘密にできなくなりそうだから」という意味で恋の歌だとされてきた。

もちろん、そのような解釈もあるのだろうが、病床で病に耐えながら生きながらえることで、自らの往生浄土信仰をおびやかす、異学・異見の者に煩わされず、はやく浄土へ往生してしまいたい、という読み方も出来るではなかろうか。

「正如房へつかわす御文」は、返信なので、正如房の手紙に前掲の和歌がしるされていたという想像も可能である。式子(しょくし)は斎宮であり、法然聖人は僧であったから、男と女の間の愛を超えたひかれあう心の交流を感じさせる一文でもある。透明で相手を想うプラトニックな法然聖人のギリギリの恋文だと見ることも出来るであろう。

「おなじ仏のくににまいりあひて、はちすのうえにて、このよのいふせさおもはるけ、ともに過去の因縁おもかたり、たがひに未来の化道おもたすけむことこそ、返返も詮にて候べきと、はじめより申おき候しか」
意訳:(来世では、阿弥陀仏の浄土の蓮(はちす)の台(うてな)の上で、この世の悩ましい思いとを語り、お互いが出合えた縁(えにし)に思いを馳せながら、あなたと一緒に寄り添い仏道を修しましょうと、お会いした初めから何回も話してきたことでしたと。)

きっと会えますよ、お念仏なさいませ、という、また一つ処でともに会える「倶会一処」のご法義であった。

この手紙に引用されている、経・釈の出拠を思い浮かべながら読むと一層ありがたい手紙ではある。

原文:『西方指南抄』下・本

現代語:面影人は法然『式子内親王伝』石丸晶子著より引用

絃の切れた琴は鳴りません

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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久しく妄心に向って 信心を問う

断絃を撥して 清音を責むるが如し

何ぞ知らん 微妙梵音のひびき

劉喨 物を覚らしむ 遠くかつ深し

*劉喨(声や音のさわやかで澄んでいるさま。)

意訳:

長年、自らの心に信心の有無を尋ねてきた。
しかし、それはまるで絃の切れた琴に向かって、
澄んだ音色を求めるようなものであった。
どうして、浄土から届けられる、
あの阿弥陀如来の、微妙な救済の呼び声を知らなかったのであろうか。
聞くものをして悟らしめる、梵声は劉喨(りゅうりょう)として深遠である。

我ながら下手な意訳だな(笑

この句の「微妙梵音のひびき」とか、「物を悟らしむ 遠くかつ深し」の語は、『浄土論』の「如来微妙声 梵響聞十方(*)の句を解釈された曇鸞大師の『論註』からであろう。

また、『論註』の「梵声悟深遠 微妙聞十方(*) の妙声功徳釈にも、「名声ありて妙遠なれども、またを悟らしむることあたはず」と、仏願の生起のところから名号をお示しであるところからでもあるのだろう。

それにしても、「断絃を揆して 清音を責むるが如し」、という表現ははいいな。

真実の信心とは、阿弥陀如来の信心(菩提心)と同じ心をいうのであるが、信心正因という言葉を取り違えて自らの 妄心の中に信心とやらを求めるならば、それは御開山聖人のお示しとは、全く隔絶した領解と言わざるを得ない。近年、成就文の一念を曲解し、名号なき、単信無称の邪義をもって大衆に勧化する、北陸の一狂惑者があると仄聞する。

所詮は、自らがこしらえた、有りもしない安心とか信心に沈潜する妄心の拵えた信であろう。なんまんだぶという名は、を悟らしめる仏事をなすのである。
なんまんだぶという名号には、破闇満願(闇を破り志願を満たす)の徳用がある。自らの心を妄念に縛りつけるような信ではなく、自らを解放していくはたらきが、なんまんだぶの信である。御開山は、そのこころを、

しかれば名を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。

と、お示しである。浄土教興起のところから、なんまんだぶを離れた信はないのである。
和上から、割れた尺八は鳴りません、という法話を聴いたが、打っても叩いてもウンともスンともしない林遊に、聞くものをして悟りへ至らしめる、なんまんだぶが届いているのはありがたいな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

『教行証文類』再読中

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ, 管窺録
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据わりは本典ということで『教行証文類』を再読している。どうせ読むなら漢文で読もうということで、白文に句点を付け読みやすいように区切って読んでみる。(*)
漢字は孤立語なので、読み下しとは違い一語ずつの意味をしっかりとらえないといけないのでややこしい。しかし、漢文独自の簡潔さゆえ意味の曖昧さがへるのはよいことだ。
たとえば、信という語にも御開山は字訓釈という形で言葉の意味を解き明かして下さってあるのだが、あれこれ参照しながら読んでいる。
字訓釈 とは漢字一字の持つ意味を、ご法義の上から文字に寄せてその意味を探る手法だそうだが、文に依らず義によって言葉の意味をあらわそうとする御開山の面目躍如たるところがある。以下、字訓釈についての梯和上の御著書から「信」という漢字についての考察を窺ってみよう。


 

信楽の字訓を挙げるなか、まず信の訓として、

信とはすなはちこれ真なり、実なり、誠なり、満なり、極なり、成なり、用なり、重なり、審なり、験なり、宣なり、忠なり。(*)

という十二訓が出されています。まず「信」を真、実、誠といわれたのは、『説文解字』には「信は誠なり」といわれているように、嘘・偽りのない「まこと」の意味を持つ「誠」が信の本訓としてあります。その誠には、至心釈で挙げたように、誠実、真実の意味がありますから、信には真と実が誠の転訓として出てくるわけです。しかし、至心と会合するために、順序をかえて真、実、誠と出されたのでしょう。

次の「満なり」といわれたのは、実から出た転訓です。『広韻』五に、実の字の訓に「満なり」といわれています。実というのは、実が一杯に詰まっていて空虚でないことを表しているからです。

「極なり」とは、『広韻』四から採られた訓であろうといわれています。香月院深励師は、『教行信証講義』六(『仏教大系』五一・二四頁)に、信楽の信の字訓は『広韻』と『礼部韻略』(『広韻』の略本)を多く用いられており、楽の字訓は『玉篇』が多く用いられているといっています。そして『広韻』四に、信を「忠信なり」といい、その忠信の註に、「また験なり、極なり、用なり、重なり、誠なり」という五訓が出されていることに注目しています。「極」は、その第二に挙げられています。この上ない究極の状況を表しているわけです。「成」は五訓のなかにもありませんが、誠の同音訓として挙げられたものでしょう。誠と成とは、もともと違った意味の言葉ですが、音が共通していることから、共通の意味を表す言葉として用いることがしばしばあります。それを音通とも、同音訓ともいうわけです。誠と成の同音訓の例としては、『楽邦文類』三(『大正蔵』四七、一八五頁)に「誠とは成なり」といわれたものがあります。この場合は、成は誠の転訓になります。ともあれ親鸞聖人は、先の極と合わせて極成という熟字を造るために、あえて信の訓として成を挙げられたものでしょう。

「用なり」は、『広韻』の忠信の五訓にありますが、また「信用」というように「信じて用いる」「信じて受け容れる」という意味があります。「重なり」というのも『広韻』の五訓のなかにあります。敬い重んじるという意味です。次の「審なり」は、信の直接の訓としてはありませんが、『広韻』二や『玉篇』には誠の字に「審なり」という訓がありますから、誠の転訓として挙げられたものでしょう。物事をはっきりと明らかに決定することです。

次の「験なり」は、『広韻』の五訓のなかにあります。明らかな証拠にしたがって考えてみることです。先の審と合わせて、審験といった場合には、「間違いないとはっきりと明らめ知ること」をいいます。.

次の「宣なり」は、どこから採られたのかわかりません。深励師は「信を真淳の韻とするときは、宣と同音になるから、同音訓として宣を挙げられた」といっています。『広韻』二に「宣とは布なり、明なり」といわれるように、「教えを宣布すること」を表しているといい、興隆師の『教行信証徴決』巻一0(『仏教大系』五一・四六頁)も同様に述べ、「明らかに仏智を信じること」といっています。「忠なり」とは、すでに述べたように、『広韻』四に信を「忠信なり」と釈したものによっています。その忠の註には「無私なり、直なり」といわれているように、まったく私心をまじえずに、素直に仕えることで、いまは、はからいなく仏にしたがう心を表しています。聖典セミナー『信の巻』より。

 


善導大師の二種深心釈に法の深心がある。

二者、決定深信、彼阿弥陀仏四十八願 摂受衆生 無疑無慮 乗彼願力 定得往生。
(二には決定して深く、かの阿弥陀仏の、四十八願は衆生を摂受したまふこと、疑なく慮りなく、かの願力に乗じてさだめて往生を得と信ず。)(*)

この「摂受衆生 無疑無慮」を、阿弥陀如来が衆生を摂受することに無疑無慮であるのか、衆生が阿弥陀如来の「摂受衆生」を、疑なく慮りなく受け容れるかの二通りの読み方がある。いわゆる阿弥陀如来が因位の時、これで衆生が救われてくれるという阿弥陀如来の御信心と、衆生が領受する信心であるかの違いである。
御開山にお聞きすれば、同じことだと仰るであろう。阿弥陀如来の御信心が真実であるからこそ、それを受け容れた衆生の信心もまた真実なのである。
浄土真宗の信心という概念は、通常いわれる「信心」という言葉と意味が異なるのであるが、迷行惑信(行に迷い信に惑う)と、その本意が見えなくなるのであろう。
ましてや、なんまんだぶを称えていることが、如来の救済が身の上で顕現しているということにおいては、なおさら理解不能であるやも知れんな。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ