知識帰命

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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宗教において教祖に絶対服従してしまうことを「知識帰命」という。
真宗においては阿弥陀如来に帰依することを帰命というのであるが、その教説を説く者を絶対化し崇拝する対象としてしまう異義である。
古来から浄土真宗では阿弥陀如来を人格化して、親さまなどと呼称して来たので対人関係のみでしか関係性を構築できない人はこのような異義に陥りやすい面もあるのだろう。
信という言葉は、人+言(ことば)という意味もあるから、法を説く人を絶対化しその言葉を受け入れ従うことが信であると誤解するのである。

釈尊が涅槃にお入りになるとき、偉大な人格を失う恐怖におびえる弟子達に「今日からは、自らを灯明とし法を灯明とすべし」といわれ自灯明・法灯明ということをお示しであった。

これを『大智度論』に、四つの依りどころの法四依として、

釈尊がまさにこの世から去ろうとなさるとき、比丘たちに仰せになった。
①今日からは、教えを依りどころとし、説く人に依ってはならない。(依法不依人)
②教えの内容を依りどころとし、言葉に依ってはならない。(依義不依語)
③真実の智慧を依りどころとし、人間の分別に依ってはならない。(依智不依識)
④仏のおこころが完全に説き示された経典を依りどころとし、仏のおこころが十分に説き示されていない経典に依ってはならない。(依了義経不依不了義)(『註釈版聖典』p.414)

このように、説く人に依ってはならないという意で、以下のような話を聞いたことがある。

和上のお寺で、近隣の坊さんの法話があった。
その法話に参っていたばあちゃんが、和上の部屋の前をぶつぶつ言いながら通ったそうである。
聞くとはなしに聴くと、

今日の布教使は若い頃はろくでもない奴じゃったなぁ。
酒は飲むしケンカ腰で物をいうし、ほんまに近郷近在のロクデナシじゃった。
ほんでもなあ、今日の説教はありがたかったな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…

人の人格や生き方や知識や人生観や見てくれや矜持や態度には、何の用事もないのである。
我々に用事があるのは、阿弥陀さまのご法義である。

そんな話を和上にお聞かせに預かったものだった。
爾来、知識帰命というようなモノからは無縁で、たとえ新発意(新米の坊主)の、本を読むような法話でもあり難いものは有り難く、熟練した布教使の法話でもつまらんものはつまらんと駄目だしができるようになったものだ。

お聴聞は法を聞く耳を育てるというが、熟練してくると猫のちょっとしたしぐさや一杯の酒にでも法を聴けるものではある。
それにしても、最近の法話は人間の話ばっかりで、阿弥陀さまの話をなんまんだぶの話を出きる坊主が減ったのは困ったものだな。

極重悪人、ただ弥陀を称せよ

林遊@なんまんだぶつ Posted in 管窺録
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とあるブログ間で『教行証文類』「化巻」の「極重悪人唯称弥陀」であれこれやり取りをしている。

しかれば、それ楞厳の和尚(源信)の解義を案ずるに、念仏証拠門(往生要集・下)のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。濁世の道俗、よくみづからおのれが能を思量せよとなり、知るべし。

ここんとこは引用の引用で、 言葉の意味が3回くらいひっくり返ってるのだが、その経緯を以下にメモをしておく。
そもそも、この文の出拠は懐感禅師の『群疑論』であり、御開山は『群疑論』を直接引用せずに源信僧都の『往生要集』に引文された処を参照されておられる。

これは、法然聖人の『選択本願念仏集』の「偏依善導釈」で、

問ひていはく、もし三昧発得によらば、懐感禅師はまたこれ三昧発得の人なり。なんぞこれを用ゐざる答へていはく、善導はこれ師なり。懐感はこれ弟子なり。ゆゑに師によりて弟子によらず。いはんや師資の釈、その相違はなはだ多し。ゆゑにこれを用ゐず。

と、法然聖人が示されたように、唯識の立場によって浄土門仏教を把握しようとした懐感禅師の『群疑論』に疑問をもって直接の引文を忌避したのであろう。
で、以下は暇つぶし。


『群疑論』:無量壽經又言。上中下輩行有淺深。皆唯一向專念阿彌陀佛。
無量寿経にまた言く、上中下輩の行に淺深あれども。みなただ一向に阿弥陀仏を念ぜよ。

 

『往生要集』:二 双観経 三輩之業 雖有浅深 然通皆云 一向専念無量寿仏
二には、『双巻経』の三輩の業、浅深ありといへども、しかも通じてみな「一向にもつぱら無量寿仏を念じたてまつれ」とのたまへり。

『教行証文類』:
引用なし


『群疑論』:又 四十八弘誓願。於念佛門 別發一願言。乃至十念 若不生者 不取正覺。
また四十八の弘誓願、念佛門において別に一の願を発してのたまはく、乃至十念せん、もし生ぜずは、正覚を取らじ

 

『往生要集』:
三 四十八願中 於念仏門 別発一願云 乃至十念 若不生者 不取正覚
三には、四十八願のなかに、念仏門において別に一の願を発してのたまはく(同・上意)、「乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ」(第十八願)と。

『教行証文類』:
念仏証拠門中 第十八願者 顕開 別願中之別願
念仏証拠門のなかに、第十八の願は別願のなかの別願なりと顕開したまへり。


『群疑論』:観経下品上生・下品中生・下品下生三処経文 咸陳唯念阿弥陀仏往生浄土
観径の下品上生、下品中生、下品下生の三処の経文には、みなただ弥陀仏を念じて浄土に往生すと陳ぶ。

 

『往生要集』:
四 観経極重悪人 無他方便 唯称念仏 得生極楽
四には、『観経』に、「極重の悪人は、他の方便なし。ただ仏を称念して、極楽に生ずることを得」と。

 

『教行証文類』:
観経定散諸機者 勧励極重悪人 唯称弥陀也
『観経』の定散の諸機は、極重悪人、ただ弥陀を称せよと勧励したまへるなり。

ここに知識の御化導あり

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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あさましや、さいちこころわ、あさましや。
妄念がいちどに出るぞ、にがにがしい。
悪のまぜりた火がもゑる、
悪のまぜりた波がたつ、あさましや。愚癡のまぜりた火がもゑる、
邪険もの、あさましや、
とどめられんか、さいちがこころ、
くよくよと起こるこころを、たする(尋ねて)みれば、
天にぬり(乗り)こすさいちのこころ、
ここに知識の御化導あり、
「これさいち、ここがそなたの聞き場ぞよ。」
「ありがとうございます」
「みだの本願、なむあみだぶが、できてから、
われ(汝)が案ずることはない、
きけよ、きけよ、なむあみだぶを、
ききぬれば、われが往生これにある。
なむあみだぶは、われ(汝)がもの。」

ごおん(御恩)うれしや、なむあみだぶつ。
妄念の置き場をきけば、
機法一体、なむあみだぶつ。

このこころで、十方微塵世界を、
佛や菩薩や親さまと、
遊んで居るか、このこころ。

なむあみだぶをた(食)べて遊んで、
なむあみだぶと共に日暮し。

ご恩うれしや、なむあみだぶつ。

ここの知識とは梅田謙敬和上であるが、他者を悲泣雨涙のどんぞこに叩き込み、必堕無間と脅すような人は悪知識だな。
本物の善知識とは、罪の深さに泣いているひとに、なんまんだぶができたから、あなたの案じることではないのですよと、弥陀の救いを告げるのだ。

十方微塵世界
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、我が案ずることではない。

不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮

林遊@なんまんだぶつ Posted in 管窺録
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さて、「至誠心」が明らかになったので「不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮」についてもう少し梯實圓和上の『法然教学の研究』から窺ってみよう。漢文読み下しは私において付した。


二、内外相翻釈の意義

『選択集』「三心章」の私釈には、『散善義』の「不得外現 賢善精進之相、内懐虚仮」といわれた文意をつまびらかにするために、内外相飜の釈が施されている。

外者対内之辞也、謂外相与内心不調之意、即是外智内愚也。賢者対愚之辞也、謂外是賢、内即愚也。善者対悪之辞也、謂外是善、内即悪也。精進者対懈怠之辞也、謂外示精進相、内即懐懈怠心也。若夫飜外蓄内者、祇応備出要。内懐虚仮等者、内者対外之辞也、謂内心与外相不調之意、即是内虚外実也、虚者対実之辞也、謂内虚外実者也。仮者対真之辞也、謂内仮外真也。若夫飜内播外者、亦可足出要。
外は内に対する辞なり。いはく外相と内心と不調の意なり。すなはちこれ外は智、内は愚なり。賢といふは愚に対する言なり。いはく外はこれ賢、内はすなはち愚なり。善は悪に対する辞なり。 いはく外はこれ善、内はすなはち悪なり。精進は懈怠に対する言なり。いはく外には精進の相を示し、内にはすなはち懈怠の心を懐く。もしそれ外を翻じて内に蓄へば、まことに出要に備ふべし。「内に虚仮を懐く」と等とは、内は外に対する辞なり。いはく内心と外相と不調の意なり。すなはちこれ内は虚、外は実なり。虚は実に対する言なり。いはく内は虚、外は実なるものなり。仮は真に対する辞なり。いはく内は仮、外は真なり。もしそれ内を翻じて外に播さば、また出要に足りぬべし。

といわれたものがそれである。すでにのべたように疏文の当分は、内外不調を不真実といい、内外相応して真実心でなければならないといわれているのである。それに対して法然は、外相が智、賢、善、精進、実、真であっても、内心が癡、愚、悪、懈怠、虚、仮であるならば至誠心ではない。しかし外を飜えして内に蓄え、内を飜えして外に播すならば、出離の要道となりうるといわれるのである。この内外虚実の相対について「往生大要抄」には次のように四句分別をされている。

「一には、ほかをかざりて、うちにはむなしき人。二には外をもかざらず、うちもむなしき人。三にはほかはむなしく見えて、うちはま事ある人。四にはほかにもまことをあらわし、うちにもまことある人」というのがそれである。そして「前の二人をば虚仮の行者といふべし、後の二人をば、ともに真実の行者といふべし。しかればたゞ外相の賢愚、善悪をばゑらばず、内心の邪正迷悟によるべき也」といわれている。

この釈によれば、外相と内心が不調である場合に二種があって、内に虚仮心を抱いて、外に賢善精進を現ずるものを不真実とするのであって、内に真実があるならば、外相はたとえ愚悪懈怠の相であっても、出離に足る真実心であるとみなされていたことがわかる。これは、善導には見られない釈であって、外相よりも内心を問題とし、重視することによって、浄土教を内面化しようとされたからであると考えられる。

「往生大要抄」に「しかるを人つねにこの至誠心を熾盛心と心えて、勇猛強盛の心をおこすを至誠心と申すは、此釈の心にはたがふ也」といって、至誠心を、勇猛強盛なる熾盛心と誤解する人々のいたことを指摘し、誡められている。これについて井上光貞氏は『台記』の久安四年(一一四八)五月十四日の条などに出てくる、四天王寺念仏衆の出雲聖人の如きものを指しているのであろうといわれている。彼は勇猛念仏を修して多くの人々の信仰を得ていたが、『台記』の著者の頼長は、「其説 非正直、足為怪」(この説正直に非ず、怪しむとなすに足る)といい、外面の賢善ぶりに比して内心は非正直だと評しているのが好例であるといわれている。もっとも勇猛なる至心念仏を強調したのは、永観の『往生拾因』であって、法然もあながちに勇猛心熾盛心を否定しているわけではない。「往生大要抄」には前文につづいて「さればとてその猛利の心をすべて至誠心をそむくと申にはあらず、それは至誠心のうゑの熾盛心にこそあれ、真実の至誠心を地にして熾盛なるはすぐれ、熾盛ならぬはおとるにてある也」といわれている。至誠心なき熾盛心は、名聞に堕するが、至誠心のうえの、つまり起行門としての熾盛心は評価されているのである。ともあれ法然は内に願生の信心をもたずに、名利のために後世者ぶるものを「ひじり名聞」と批判し、それを虚仮不実の心として厳しく誡められたのであった。

もっとも外相はいかにもあれ、といったからとて、「人のそしりをもかへりみず、ほかをかざらねばとて、心のままにふるまふがよきと申すにてはなき也。菩薩の譏嫌戒とて、人のそしりになりぬべき事をば、なせそとこそいましめられたれ」といい、譏嫌戒をまもって、放逸をつつしみ、人のそしりを招かないようにはげむべきであると注意されている。

ところで『選択集』の内外相飜について石田充之氏は「飜外蓄内」とは、内外一致して賢善なる賢者のことであり、「飜内播外」というのは内外一致して愚悪なる虚仮者のこととみ、賢者は賢者のまま、愚者は愚者のまま「その現状のありのままの姿や心で、内外一致して至心に阿弥陀仏の本願の真実心に帰順する意味だといった理解を」示されたものであって、善導の至誠心釈に一大変革を与えられた釈であるとみられている。
たしかに法然が「弥陀如来の本願の名号は、木こり、くさかり、なつみ、みづくみのたぐひごときものゝ、内外ともにかけて一文不通なるが、となふれば、かならずむまれなんと信じて、真実に欣楽して、つねに念仏申を最上の機とす。……浄土門の修行は、愚癡に返りて極楽にむまると」といわれたものも「十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚癡の法然房が念仏して往生せんといふ也」といわれたものは、まさに内外ともに愚悪なままに本願に帰して念仏する至誠心のあったことが知られる。

しかしこのように内外一致して虚仮なるものに至誠心をみとめるということは、さきにあげた「往生大要抄」の四句分別の釈と矛盾するようにみえる。彼の第二句の内外倶虚のものは、至誠心なき虚仮の行者で、往生できないとされていたからである。しかし「大要抄」をしさいにみると、第一句の外実内虚の者は、願生の信なくして、名利ばかりの後世者をさしており、第二句の内外倶虚の者は、願生心なき世俗の人であり、第三句の外虚内実の人は、願生の信をもつ愚者であり、第四句の内外倶実の人は、信をもつ賢者をあらわしていた。従って第三句の外愚内実の人と、内外倶虚の願生者とは、結局同致するとみるべきであろう。もっとも親鸞が『愚禿鈔』において

「聞賢者信、顕愚禿心、賢者信、内賢外愚也、愚禿心、内愚外賢也」(賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。 )といって自身を慚愧されたものは、法然のそれを更に展開されたものである。


浄土真宗とは、親鸞聖人の御領解を基本とし規矩とするご法義である。
『観経疏』の玄底を探り、善導大師の凡夫入報の真意を顕して下さったのが「至誠心釈」の訓点の付け換えであり読み換えであった。
「不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮」を、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」と、読むことによって機の真実を知らされ同時に阿弥陀如来の真実心(至心)によっての救済が明らかになるのである。
親鸞聖人は『愚禿鈔』で、「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」と仰せであるのも、そのお心である。

しかるに「高森親鸞会のホームページ」「浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い」では、この文を、鎮西浄土宗が読むように、「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ」と読み、会への寄付や人集めの善の奨めの根拠としている。これはもう親鸞聖人のお示しの浄土真宗とはいえないであろう。早々に浄土真宗の看板を下ろして浄土宗鎮西派とでも名乗ったら如何であろうか。

なお、親鸞聖人が善導大師を「正信念仏偈」の「善導独明仏正意」や「高僧和讃」で「大心海より化してこそ 善導和尚とおはしけれ 末代濁世のためにとて 諸仏に証をこふ」と讃詠されておられるのは、『大無量寿経』の第十八願の意から『観経疏』を顕されたからである。主著が『観経疏』であるからといって善導大師は『観経』の顕説の教説に立たれたのではないのである。

善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪
光明名号顕因縁 開入本願大智海
行者正受金剛心 慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍 即証法性之常楽

善導独り仏の正意をあきらかにせり。定散と逆悪とを矜哀して、
光明・名号
因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、
行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応してのち、
韋提と等しく三忍を獲、すなはち法性の常楽を証せしむといへり。

光明名号顕因縁とあるように、善導大師は『観無量寿経』の流通分の「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」によって、「上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。」とされる。
一見すれば定善、散善の善を説くように見える『観無量寿経』は、実は南無阿弥陀仏という称名を勧める経典であると、古今誰もが成しえなかった『観無量寿経」に説かれる真意を見出されたのが善導大師であった。この釈功を親鸞聖人が讃嘆されておられる文が「善導独明仏正意」であり「大心海より化してこそ」なのである。

至誠心釈 再び

林遊@なんまんだぶつ Posted in 管窺録
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善導大師の『観経疏』の至誠心については至誠心釈で少しく述べたが、あい変らず至誠心釈を誤解してブログを書いている人がいる。
「浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い」というブログで、至誠心釈の「不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮」の文を善のすすめの根拠としているのだが、この人は『観経疏』を読んだことがないのであろうか。
親鸞聖人は『教行証文類』化巻で、法四依を引文されて「義に依りて語に依らざるべし」(化巻p.414)といわれている。

隆寛律師は「他力往生の道理」に立つ浄土門は、「自力得脱の道理」に立つ聖道門とは教格が異なるのであるから、聖道門の論理をもって浄土門を論じてはならないとされ「文に依って義に依らざるは、愚者の好む所なり。はづべし、はづべし」といわれている。このような立場も親鸞聖人と同じく「義に依りて語に依らざるべし」の不依文依義1 の立場に立たれておられたからであろう。

さて、ここで法然門下における至誠心釈について、梯實圓和上の『法然教学の研究』から窺ってみよう。なお、文中の漢文読み下しは私において付した。

第二節 至誠心の意義

一、至誠心釈の概要

『選択集』「三心章」によれば、三心は念仏行者の至要であって必ず具すべき心とされている。至誠心とは真実心であり、深心とは二種深信であらわされるような無疑の信心であり、廻向発願心とは、善根回向の義と、決定得生の願往生心という意味とをもっているとみなされていたようである。

第一の至誠心を、真実心とするのは『散善義』の至誠心釈に、

一者至誠心、至者真、誠者実、欲明一切衆生、身口意業所修解行、必須真実心中作、不得外現賢善精進之相、内懐虚仮。
一には至誠心と。「至」とは真なり、「誠」とは実なり。一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。

といわれたものによっている。すなわち至誠心を具するとは、真実心をもつことであり、具体的には、願生行者が修する身口意の三業行はすべて真実心をもってなすべきで、外に賢善精進の相を現じて内に虚仮を懐くような内外不調があってはならないというのである。そして次の如く「内懐虚仮」のありさまを釈される。

貪瞋邪偽、奸詐百端、悪性難侵、事同蛇蝎、雖起三業、名為雑毒之善、亦名虚仮之行、不名真実業也。若作如此安心起行者、従使苦励身心、日夜十二時、急走急作、如炙顕燃者、衆名雑毒之善、欲廻此雑毒之行、求生彼仏浄土者、此必不可也。何以故、正由彼阿弥陀仏因中行菩薩行時、乃至一念一刹那、三業所修皆是真実心中作、凡所施-為趣求、亦皆真実。
貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。真実の業と名づけず。もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに。まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。

内に貪瞋邪偽の煩悩悪性をいだいているならば、三業を苦励し、頭燃をはらうが如く急作急走してつとめてみても、すべて雑毒の善であり、虚仮の行であって、浄土に生まれることはできない。何故ならば、浄土は阿弥陀仏が因位のとき、真実心をもって三業二利の行を修して成就された真実の境界である。それゆえ真実ならざる解行、すなわち安心起行をもって往生することはできないといわれるのである。
疏文は、さらに行者の修すべき真実なる行業を自利と利他に分け、その自利行について止悪門と作善門にわたって詳細に解説し、内外、明闇をえらばず、皆真実であるべきことを勧励されている。この『散善義』の文脈によれば、あくまでも願生行者が、内外ともに賢善精進であることを真実心を具している相とみなされていたとせねばならない。しかもその真実心の典型として、法蔵菩薩の浄土建立の菩薩行の真実性をあげられたことは重要な意味をもってくる。
後に親鸞が「信文類」において至心釈を施されるとき、『大経』と『如来会』の勝行段の文を出して、真実心の何たるかを釈出されたのは、善導のこの釈意をうけられたものである。しかし法蔵の如き真実心をもって二利行をなせというのは、凡夫の行者にとっては至難の要求であった。むしろ行者は、この教説に直面して真実の何たるかを知らしめられると同時に、自身の反真実性、煩悩性が顕わになり、痛切な懴悔が生ずるはずである。善導が『礼讃』や『法事讃』に、切実な懴悔の表白をされているのはそのあらわれである。特に『礼讃』に示された上品、中品、下品の三品の懴悔は有名である。

就実有心願生者而勧、或対四衆、或対十方仏、或対舎利尊像大衆、或対一人、若独自等、又向十方尽虚空三宝、及尽衆生界等、具向発露懴悔、懴悔有三品、上中下、上品懴悔者、身毛孔中血流、眼中血出者、名上品懴悔、中品懴悔者、遍身熱汗従毛孔出、眼中血流者、名中品懴悔、下品懴悔者、遍身徹熱、眼中涙出者、名下品懴悔、……若不如此、縦使日夜十二時急走、衆是無益、若不作者応知。
実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。懺悔に三品あり。上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。……もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。

ここに「若不如 此、縦使日夜十二時急走、衆是無益、若不作者」(もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし)といわれているが、これは明らかに前掲の至誠心釈下に雑毒虚仮の行を批判して「縦使苦励身心、日夜十二時急走急作、如炙頭燃者、衆名雑毒之善、欲廻此雑毒之行、求生彼仏浄土者、此必不可也」(たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。)といわれたものと一致している。善導においては、こうした懴悔をなしつつ、安心起行していくことが至誠心の相であったといえよう。のちに親鸞が「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」等と悲歎述懐されたのも、善導の至誠心釈に感応されたものである。如来の真実に直面して、自身の虚仮不実を知らされたものにとって「真実」とは、 自身に真実はないという懴悔することのほかになかったのである。

『礼讃』 には、 上掲の文につづいて、 具体的な発露懴悔の相を説示されるが、 そこには無始以来の十悪、 破戒等無辺の罪障があげられ、「唯仏与仏、 乃能知我罪之多少」(ただ仏と仏とのみすなはちよくわが罪の多少を知りたまへり。 ) といわれている。 これはまさに次の深心釈における機の深信の内容であったとしなければならない。 かくて善導においては、 法蔵の如く真実心であらねばならぬという教説に呼応して、 痛烈な懴悔の実修が行われ、 その懴悔をとおして、 「決定深信自身現是罪悪生死凡夫、 曠劫已来常没常流転無有出離之縁」(決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。) という機の深信が呼びおこされ、 さらに機の深信と一 具なる法の深信が成立していくのであった。

ところで法然は、 この 『散善義』 の至誠心釈に対して、 大きな問題意識をもっておられたと考えられる。 それは後にのべる 『三部経大意』 の至誠心釈に 「もしかの釈のごとく一 切の菩薩とおなじく諸悪をすて、 行住座臥に真実をもちゐるは悪人にあらず、 煩悩をはなれたるものなるべし」 といい、 疏の文相のままならば、 煩悩具足の凡夫にはありえない至誠心になるのではないか、 というのである。 また 「回向発願の釈は、 水火の二河のたとひをひきて、 愛欲、 瞋恚つねにやき、 つねにうるほして、 止事なけれども、 深信の白道たゆることなければむまるることをうといへり」 といって、 二河譬との矛盾をとりあげておられるものなどがそれである。 すなわち至誠心釈を疏文のままに理解するならば、 煩悩悪性を止めなければ至誠心が具せられないことになり、 煩悩具足の凡夫が、 本願を信じ、 念仏して報土に往生するという凡夫入報の法義が成立しなくなるではないかという問題である。 法然やその門下の人々が善導の至誠心釈の文意の領解に苦心された所以である。

法然門下の学匠のなかで、 至誠心 (真実心) を如来のがわで語り、 無漏真実の心とみるものと、 あくまでも行者が発起すべき真実心とみるものとの二派が分れるが、 それもこの疏文の領解をめぐる見解の相違であった。 至誠心を阿弥陀仏の無漏清浄なる真実心とみたのは隆寛や親鸞等であり、衆生発起の心とみるのは弁長や良忠等であった。隆寛は『具三心義』に「所帰之願真実故、能帰之心名真実心、以此義故、立至誠心也」(所帰の願真実なるがゆえに能帰の心真実心と名づくるなり、この義をもってのゆえに至誠心を立てるなり)といい、『極楽浄土宗義』にも「是即指弥陀本願、名為真実、帰 真実願之心故、随所帰願、以能帰心、為真実心」(これすなわち弥陀の本願を指して名づけて真実となす。真実の願に帰するの心なるがゆえに所期の願に随って能帰の心をもって真実心となる)といい、至誠心の体を本願の真実と定め、所帰より能帰に名づけて、能帰の心も真実心と名づけられるといわれている。

また親鸞は『教行証文類』「信文類」に、至心を釈して「斯心則是不可思議不可称不可説一乗大智願海回向利益他之真実心、是名至心」(この心すなはちこれ不可思議不可称不可説一乗大智願海、回向利益他の真実心なり。これを至心と名づく。)といい、成仏の因種となるような真実心は、煩悩具足の凡夫の上には法爾として存在せず、ただ如来より清浄真実なる智慧心を回向されてはじめて至心を具足するといわれている。
また『尊号真像銘文』(広本)には「至心は真実とまふすなり。真実とまふすは、如来の御ちかひの真実なるを至心とまふすなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆへなり」といい、至心、すなわち至誠心は如来の誓願の真実なるをいい、それを「ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば信楽とまふす也」というふうに至心を所信の法とされる場合もある。いずれにしても親鸞は至心、真実心を如来の領分としてみていかれるのであって、真実心の体を無漏の仏智とされたことは明らかである。

これに対して弁長は『念仏三心要集』に「第一至誠心者、真実申事也。其真実心者、雑毒虚仮心無申也」(第一至誠心とは真実と申すことなり。その真実とは、雑毒虚仮心の無きを申すなり)といい、雑毒の毒とは名利心であり、驕慢心であるといわれている。
すなわち雑毒虚仮の行とは驕慢念仏、利養念仏、貪欲念仏、誑惑念仏のことであるとし「此名聞利養、驕慢貪欲二心捨、只一筋此念仏決定往生念仏也思取申至誠心念仏也。真実心念仏者也。穴賢、穴賢、此念仏以世過身過不可思」(この名聞利養、驕慢貪欲の二心を捨てて、ただ一筋にこの念仏は決定往生の念仏と思いとりて申すは至誠心の念仏なり。真実心の念仏者なり。あなかしこ、あなかしこ。この念仏をもって世を過ぎ身を過ごさんと思うべからず)といわれる。そして虚実について四句分別をし、一内虚外実、二内実外虚、三内外倶実、四内外倶虚とし、二は往生人、三は決定往生人、一と四は非往生人であるといい、「善導所立浄土宗意、此四句中第三内外倶実人以本意」(善導所立の浄土宗の意は、この四句の中に第三内外倶実の人をもって本意とす)と決定されている。
要するに名利心を捨て、驕慢心を去り、貪欲をはなれて、臨終正念往生極楽のためにのみ念仏することを至誠真実心というのである。石井教道氏はこの場合の真実心は煩悩と雑起する真実心であるから、凡夫有漏の真実心であるといわれている。有漏ではあるけれども根本真如を体としているから、凡夫の弱い有漏真実も、仏の真実に相順する理があり、強力な本願力によって摂取されて往生をうるというのである。良忠は、『散善義記』一に「但菩薩真実強、聖心堅固故、行者真実弱、凡心羸劣故、強弱雖異、真実相順、謂仏願強故、摂行者弱心、以令生浄土也」(菩薩真実強し聖心堅固ゆえに、行者真実弱し凡心羸劣ゆえに。強弱異るといえども、真実相順、謂仏願強ゆえに、行者弱心を摂して、もって浄土に生ぜしめるなり也)といわれる。すなわち地上の菩薩は強い無漏真実心が発るが、凡夫の行者は弱い有漏の真実心しか起こせない。しかし真実相順の道理によって、強い仏願に摂取されていくというのである。

法然が「十二箇条問答」に、

はじめに至誠心といふは、真実心也と釈するは、内外とゝのほれる心也。何事をするにも、ま事しき心なくては成ずる事なし。人なみくの心をもちて穢土のいとはしからぬをいとふよしをし、浄土のねがはしからぬをねがふ気色をして、内外ととのほらぬをきらひて、ま事の心ざしをもて、穢土をもいとひ、浄土をもねがへとおしふる也。

といわれたものは、弁長の考え方に親しい。但しこれを石井氏のように有漏の真実というべきかどうかは問題である。また後に詳述するように醍醐本『法然上人伝記』「三心料簡事」に、

由 阿弥陀仏因中真実心中作行、悪不雑之善故云真実也、其義以何得知、次釈凡所施為趣求亦皆真実文、此以真実施者、施何者云、深心二種釈、第一罪悪生死凡夫云施此衆生也、造悪之凡夫、即可  由此真実之機也。
阿弥陀仏因中真実心中作に由るべし行こそ悪雑はらざるの善なるが故に真実と云ふ也。其の義何を以て知るを得。   次の釈に、凡そ施為趣求する所また皆真実なりの文。此の真実を以て施すとは、何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一 罪悪生死凡夫と云へる此の衆生に施すなり。造悪の凡夫、即ち此の真実に由るべき之機なり。

といわれたものは、隆寛や親鸞の無漏真実心の領解に親しいといわねばならない。

法然の至誠心釈には、こうした両面があって、しかもそれらは決して矛盾するものではなかったといわねばならない。行者が発起する至誠心は、心相であり、如来の真実心は、至誠心の心体であったといえよう。さらに心相としての至誠心にも、後述するように安心門の所談と起行門にかけての釈があったと考えられる。もっとも心体と心相といっても後に親鸞が『教行証文類』で展開されるような本願力回向の信心論が教義的に確立されていて、両者が構造的に統一されていたわけではない。後に述べるようにそのような考え方は萠芽的にみとめられるに過ぎないのである。


親鸞聖人は「不得 外現賢善精進之相 内懐虚仮」の文を「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」と読まねばならなかったのは「至誠心」(真実心)を、如来の領分としてみていかれ、真実心の体を無漏の仏智とされたことによるのである。
真実の証明に自らには真実がないという慙愧を通して真実の証明をされ、阿弥陀如来の真実を回向されるという本願力回向の宗義を明らかにされたのが親鸞聖人であった。

無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ

つづく

  1. 『大智度論』によって「依法不依人・依義不依語・依智不依識・依了義経不依不了義依法」の四依  []

信の一念

林遊@なんまんだぶつ Posted in 管窺録
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浄土真宗の信心とは、念仏往生の願(第十八願)を聞信し、念仏を称えながら本願にうちまかせているすがたのことである。この信心は念仏(行)を離れたものではなく、また念仏は信心を離れたものではない。
称名は本願に誓われた名号によって、往生せしめられると疑い無く受け容れている信心の表現であるから、これを信行不二の称名という。

『教行証文類』の「行巻」に行一念釈をされて称名を、「信巻」では本願成就文に依って信一念釈によって信心を釈されておられる。

行一念釈
おほよそ往相回向の行信について、行にすなはち一念あり、また信に一念あり。行の一念といふは、いはく、称名の遍数について選択易行の至極を顕開す。

信一念釈
それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。

この二つは別々のものではないという親鸞聖人の思し召が両一念釈であろう。
さて、この信と行は不離であるということを念頭に、梯實圓和上の『一念多念文意講讃』から「信の一念」の意を窺ってみる。
これは、親鸞聖人が、本願成就文の「諸有衆生 聞其名号 信心歓喜 乃至一念 至心回向 願生彼国 即得往生 住不退転」(*)を、『一念多念文意』で釈されている中から「一念といふは、信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり」(*)の解説である。
なお、本願(第十八願)は、阿弥陀如来の本願であるから「至心 信楽 欲生我国」と我が国に生まれんと欲(おも)えとあり、本願成就文は釈尊が本願の成就したことを説かれる一段であるから「願生彼国」と、彼の国に生まれんと願え」である。つまり、阿弥陀如来の招喚と釈尊の発遣である。

以下、梯實圓和上の『一念多念文意講讃』P.155信の一念から引用。


七 信の一念

「一念といふは、信心をうるときのきはまりをあらはすことばなり」といわれたのは、信の一念を解釈された言葉である。一念とは信心がおこる時の極限を顕した言葉であるといわれるのである。

もともと「一念」と訳される梵語には二種があって、意味は全く違っていた。一つはeka-ksanaの訳で、一刹那と音訳することもある。それは極めて短い時間の単位をあらわしていた。もっとも時間としての一念の長さについては経論の中に異説があって、必ずしも決まったものではなかった。たとえば『大智度論』巻三十(『大正蔵』二五・二八三頁)には「一弾指の頃に六十念あり」といわれているし、『同』巻三十八(『同』三三九頁)には「時中の最小は、六十念中の一念なり」といっている。また『仁王経』巻上(『大正蔵』八・八二六頁)には九十刹那を一念とするといい、一刹那に九百生減を経るといっている。なお『論註』巻上(『註釈版聖典七祖篇』九八頁)の八番間答には「百一の生減を一刹那と名づく。六十の刹那を名づけて一念となす」といわれていて、一刹那は百一の生減のことであり、一念は六十刹那のことといわれている。ただし『論註』では本願に十念とか一念といわれたのは、こうした時間のことではなくて、心念の意味であり、また称念のことであるといわれていた。このようにさまざまな説があって一定しないが、基本的には一念といっても一刹那といっても、実際にそれがどれほどの長さであるかはわからないし、それを詮索する必要もないことは後に述べるとおりである。さらに転じて、「ただちに」「たちまち」という意味で使われることもあった。もう一つは、eka-cittaの訳で、何かを一たび心に念ずることを意味していた。この場合一念とは「ひとおもい」」を意味しており、仏の総相あるいは別相を「ひとたび想うこと」とか「ひとおもいの信心」を意味することもあり、また一声の称名(称念)のことを一念ということもある。後に述べる行の一念がそれである。あるいは一向と組み合って、「ひたすら」の意味で使われることもある。さらに時間と心の働きとが一緒になって、「極めて短い時間に起こる心の作用」「ひとおもいの心」ということを表したりもする。

親鷺聖人は、「信文類」(『註釈版聖典』二五〇頁)に、信心についての一念を解釈されるのに時剋釈と信相釈とを施されていた。時剋釈とは、

それ真実の信楽を案ずるに、信楽に一念あり。一念とはこれ信楽開発の時剋の極促を顕し、広大難思の慶心を彰すなり。

といわれたものがそれである。「信楽開発の時剋の極促を顕」すといわれているから、一念を時剋の意味で解釈されたものとみて、時剋釈といい習わしているのである。それに対して信相釈というのは、次下に「本願成就文」の乃至一念について、

一念といふは、信心二心なきがゆゑに一念といふ。これを一心と名づく。一心はすなはち清浄報土の真因なり。(*)

といわれたものがそれである。この場合は「一念」とは「一心」と同じ意味で、「二心」すなわち疑い心がない状態をいうのであるから、時間としての一念ではなく、信心のありさまをあらわすから、信相釈といいならわしているのである。もっとも親鸞聖人は「本願成就文」の当分は、時剋の一念を顕しているとみられるから時剋釈が当義であって、信相釈は宗義をあらわす義釈と見られていた。なぜならば、経文は、名号を聞信するときに即時に往生が決定するという正因決定の「時」を表すことを主とした経説であるからである。それゆえ『一念多念文意』は時剋釈だけを挙げられたのである。

もっとも仏教では時間を実体と見ることはなかった。『華厳経旨帰』(『大正蔵』四五・五九〇頁)に「時に別体なく、法に依って立つ」といわれるように、時間そのものが実在するのではなくて、諸法の生減変化という状況があるのである。すなわち一瞬もとどまることなく生減変化していく存在の状況を表すために過去、現在、未来という「時剋」を設定しているに過ぎないのである。いまも時剋の極促といっても時間が実在するということではなくて、信楽の開発という事柄を時間的に表現しているのである。仏願の生起本末を如実に聞いて、生死を超えていく手がかりさえももないこの罪障の身を、障りなく救いたまう難思の弘誓のましますことを信知し、無上涅槃を一定と期する信心が、わが身の上に開け発ったという状況があるのである。そのような「信心をうるときのきはまりをあらはすことば」が「一念」であるから、「信楽開発の時剋の極促を顕す」といわれたのである。

その「時刻の極促」において現成している信心は、一切衆生を平等に救うという、人間の思議を超えた広大難思の本願を聞信して、あいがたい本願にあいえたことを慶喜する心であるから、信楽の一念は、広大難思の慶心が現成しているという言外の意味がひそかにあらわされている。そのことを「広大難思の慶心を彰す」といわれたのである。ところで信の一念が「信楽開発の時剋の極促を顕している」ということは、文章のうえにはっきりと見ることができるから「顕」という字を用い、その時に起こっている信心が「広大難思の慶心」であるということは文面に見えていない事柄であるから「彰」という字を用いられたのである。「西本願寺本」に「彰」の字に「ウチニアラハス」という左訓を施されているのはその故であろう。

さて「時剋の極促」あるいは「ときのきはまり」ということの意味について二説がある。それは極促の促について延促対の促とみるか、奢促対の促とみるかによって意味が変わるからであった。延促対の促ならば、延に対する短促の意味になり、延びるに対して縮まることを意味していることになる。しかし奢促対の促ならば、遅いに対する速いということを意味していることになるからである。

第一説の延促対で促を解釈するならば、「極促」というのは生涯持続する信心がつづまった極限のこととなり、信心が開け発った最初の時(初際)を一念といったとし、一念を「初めの時」と解釈するのである。この場合は速い遅いは問題にはならない。しかし第二説のように、奢促対で促を解釈するならば、信心を得るのに要する時間が極めて速いということを極促といったことになる。この場合は時聞の速さの極限を意味していることになる。

親鸞聖人が延促対で時剋の極促を見られたと思われるのは『浄土文類聚紗』(『註釈版聖典』四八〇頁)の本願成文の」「乃至一念」の釈である。

また「乃至一念」といふは、これさらに観想・功徳・遍数等の一念をいふにはあらず。往生の心行を獲得する時節の延促について乃至一念といふなり、知るべし。

と釈されているものがそれである。すなわち念仏者の生涯を貫いて相続し、延びていく信心が、はじめて私どもの心に開け発った時のことを「極促」とも「ときのきはまり」ともいうのである。相続し延びていく状態を「乃至」であらわし、それのつづまりきった極限は最初に発った時であるから一念」といわれたとするのである。したがってこの場合、一とは「初一」のことで、「はじめ」という意味であり、一念とは時刻、すなわち時間の始まりを表す言葉となるのである。こうして、延促対の促の意味で、「時剋の極促」を解釈するならば、仏願の生起本末を疑いなく聞き受けて、信心が開け発った最初の時、すなわち受法の初際のことであって、信心を得るのに要した時間の「速さ」を表わしたことばではないということになる。

それにひきかえ奢促対で時剋の極促を見られていたと思われるのは、西本願寺本の『教行証文類』の極促の促に「トシ」という左訓があり、また「行文類」の六字釈に「報土の真因決定する時剋の極促を光闡するなり」といわれているが、高田専修寺本『教行証文類』(『原典版聖典』校異篇一〇九頁)には、その「極促」に「キワメテトキナリ」という左訓が施されている。これらはいずれも促を「はやい」という意味で見られたものと考えられるから、極促とは信心を得るに要する時間が極めて速いという意味を表していたことになる。なお奢促対という言葉は「行文類」一乗海釈(『註釈版聖典』一九九頁)に用いられている。

こうして信の一念を時剋の意味で解釈していく時剋釈に、一念を信心が私のうえに開発した最初の時と見る説と、一念を極めて速い時聞のことと見る説とがあることがわかったが、私は両者は必ずしも矛盾する説ではないとおもう。成就文の「乃至一念」とは、生涯相続していく信心が初めて私の心に開発したという事柄を表しているのであるから、一念を受法の初際と見るべきことはいうまでもない。しかしその信心が開発するのに時間的な経過を必要としないという意味で、「キワメテトキナリ」ともいいうるのである。一念を極めて速い時間とみるといっても、それは何万分の一秒というふうに数字で表すことの出来るような時間ではなくて、「ときのきはまり」すなわち時間の極限を表しているのである。先哲の中には、それは凡夫に識別できる時間ではなくて「唯仏与仏の知見」であるという人もいる。それは、しかし信心が私の心に開き発る時間の長さを識別することができないということであって、信心がわからないということではもちろんない。時の長さを識別できないということは、対象化できない時間ということである。信心を得るのに時間的な経過を要しないということでもある。しかし対象化できず、経過しない時間とはもはや時間とはいえないような時間であるといわねばならない。

信心が私の上に実現するのに時間的な経過を要しないというのは、第十八願の信心は、如来より回向されたものであって、人間が作り上げていくものではないということを表している。自分で作り上げていくものならば、どんなに速く仕上げたとしても、必ず時間の経過を要する。しかし「必ず救う」という本願のみ心が私の心に宿るのには時間はかからないのである。天上の月がその影を水中に宿すのに時間の径過を要しないのと同じである。時魁の極促とは、本頴力回向が現成する時を超えた時を顕す言葉だったのである。

こうして信の一念の時剋釈における「一念」には、受法の初際を表すという延促対の「促」の意味と、極めて速い時間、いいかえれば時間を要せずに信心が成就するという奢促対の「促」の意味との両義を含んでいるのが親鴛聖人の時剋釈であったというべきであろう。要するに信の一念とは、私のうえに信心が初めて発った時ということであるが、その信心が発るのに時間の経過はない、それは如来より賜った信心であるからであるという、他力回向の信心のありようを表していたといえよう。

ところで「信文類」(『同』二四五頁)に、四不十四非をもって大信海の徳を讃えられる一段がある。そこに、「多念にあらず、一念にあらず、ただこれ不可思議不可称不可説の信楽なり」といわれている。それは信心の本体は如来の智慧であるということを顕示されたものであった。それゆえ分別的に説かれていく相対的な状況を十八項目にまとめて、そのすべてを「非」といい「不」といって否定していかれたのである。如来の無分別智の領域にあっては、分別知が作りあげた過去、現在、未来といった対象化された三世の時間系列はすべて不可得として否定されていく。そして「一念に無量劫を摂め」ただ今の一瞬が三世であるような、いわば念劫融即というような超時間的な時を自覚的に生きていくのが仏陀である。そのようなさとりの智慧の領域においては前もなく後もなく、始めもなく終わりもないから、したがって一念とか多念というような区別はない。ゆえに非一非多というのである。それにひきかえ凡夫には過去・現在・未来という三世の差別が厳然と立ちはだかっている。虚妄なる分別によって三世という生死流転の時間を描き出し、その時間に束縛されて身動きができなくなっているのが凡夫である。こうした私ども凡夫を救うために、三世を超えた超時間的な如来の智慧が、凡夫の生死流転という時間系列のなかに現れて呼び覚ましていく。それを如来の大悲招喚というのである。

信の一念とは、曠劫のむかしから未来際を尽くして生死流転する空しい三世を断ち切るように、三世を超えた如来の願心が大悲招喚の勅命となって、私の煩悩のただなかに現成する充実した「時」である。それゆえ聖人はその「時」の内実を「広大難思の慶心」といわれたのであった。すでに三世を超えた仏心の宿る「ただ今」が信の一念であるならば、それは時間の中にあって時間を超えている。それゆえ一念の信はそのまま「一念にあらず、多念にあらず」ともいわれるのである。しかしその三世を超えた一念の信から、信受した本願のみ言葉のままに念仏していく人生が開かれていく、そこに自ずから一念から多念へという念仏生活が展開していくのである。

このような信の一念において、私の時間の意味、すなわち私の人生の意味と方向が転換する。それは煩悩にまみれた、しかも悔いに満ちた過去の中にも、大悲をこめて私を念じ育てたまうた久遠の願心を感じ、そこに遠く宿縁を慶ぶという想いが開けてくる。また次第に迫ってくる死の影におびえ、人生の破滅という暗く閉じられた未来への想いを転じて、死を往生と聞き開くことによって久遠の「いのち」を感じ、涅槃の浄土を期するという「ひかり」の地平が開けてくるのである。こうして信の一念という「いま」は、新たな過去と将来を開いていくような「現在」であるといえよう。それは決して対象化できず、主体的に生きるしかない「時」であった。

それは信心が開発した最初の一念がそうであるというだけではなくて、どの「今」を取ってみても如来の招喚の勅命に呼び覚まされている信心は常に一念であるといわねばならない。信心とはつねに現前の仏勅に信順しているほかにはなく、決して過去形や未来形を取らないのが特徴であるからである。その意味で信心は初後不二であって、信心には一念はあるが多念はあり得ないといわねばならない。多念ということが成立するのは、一応数量として数えることが可能な称名においてのみ可能であったのである。本願を信ずる「ただ今」の一念は、こうして如来、浄土を中心とした新しい意味を持った人生を開いていくのである。それを親鸞聖人は現生正定聚という言葉で表されたのであった。