光なき人 光を仰ぐ

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集, つれづれ
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加賀の三羽烏といわれた藤原鉄乗師に、

光追う 人に光は  なかりけり
光なき人 光を仰ぐ

という句がある。
若い時には理想や自己実現という願望の光を目指すのである。しかして、その理想と現実のギャップの中に存在している光なき自己の現実に気がついたとき、ごまかす事のできない、苦悩の中にあった自己を発見するのであろう。
理想と現実のはざまで、夢や期待の光を追いかけていた自己の存在の基底の、光なき煩悩の闇の中に息づいている自力の中にいる己を発見するのであった。
小林一茶は、世の中は 地獄の上の 花見かな、という句を詠んだが、理想の実現をおい求めることを想い描く自己の足下には、いつか現実化される厭わしい世界が着々と根底に準備さつつあるのであった。
老いるとは、死なねばならぬという現実の中で、自らの想いの火を消して浄土からの、なんまんだぶという救いの光を仰ぐことであり、これが他力の浄土を目指す浄土真宗のご法義であった。
ともあれ、仏教には心理学的な方面からの考察もあり、ユング派の河合隼雄氏の「灯を消す方が よく見えることがある」という考察は、第十九願や第二十願の光を求めるという発想の逆であろうと思ふ。
以下、河合隼雄氏の『こころの処方箋』から引用。

灯を消す方が
よく見えることがある

子どもの頃に読んだ、ちょっとした話がずっと心のなかに残っていることがある。次に紹介する話も、少年倶楽部あたりで読んだのだと思うが、妙に印象的で心のなかに残り続けていたものである。
何人かの人が漁船で海釣りに出かけ、夢中になっているうちに、みるみる夕闇が迫り暗くなってしまった。あわてて帰りかけたが潮の流れが変わったのか混乱してしまって、方角がわからなくなり、そのうち暗闇になってしまい、都合の悪いことに月も出ない。必死になって灯(たいまつだったか?)をかかげて方角を知ろうとするが見当がつかない。
そのうち、一同のなかの知恵のある人が、灯を消せと言う、不思議に思いつつ気迫におされて消してしまうと、あたりは真の闇である。しかし、目がだんだんとなれてくると、まったくの闇と思っていたのに、遠くの方に浜の町の明かりのために、そちらの方が、ぼうーと明るく見えてきた。そこで帰るべき方角がわかり無事に帰ってきた、というのである。

この話を読んで、方向を知るために、一般には自分の行手を照らすと考えられている灯を、消してしまうところが非常に印象的だったことを覚えている。子ども心にも何かが深く心に残るということはなかなか意味のあることのようで、このエピソードは現在の私の仕事に重要な示唆を与えてくれている。
子どもが登校しなくなる。困り切ってその母親が相談に行くと、学校の先生が、「過保護に育てたのが悪い」と言う。そうだ、その通りだと思い、それまで子どもの手とり足とりというような世話をしていたのを一切止めにしてしまう。ところが、子どもは登校しないどころか、余計に悪くなってくる気がする。そこで他の人に相談してみると、子どもが育ってゆくためには「甘え」が大切である。子どもに思い切って甘えさせるといい、と言われる。困ったときの神頼みで、ともかく言われたことをやってみるがうまくゆかない。どうしていいかわからないということで、われわれ専門家のところにやって来られる。
「過保護はいけない」、「甘えさせることが大切」などの考えは、それはそれなり一理があって間違いだなどとは言えない。しかし、それは目先を照らしている灯のようなもので、その人にとって大切なことは、そのような目先の解決を焦って、灯をあちらこちらとかかげて見るのではなく、一度それを消して、闇のなかで落ちついて目をこらすことである。そうすると闇と思っていたなかに、ぼうーと光が見えてくるように、自分の心の深みから、本当に自分の子どもが望んでいるのは、どのようなことなのか、いったい子どもを愛するということはどんなことなのか、がだんだんとわかってくる。そうなってくると、解決への方向が見えてくるのである。
不安にかられて、それなりの灯をもって、うろうろする人(このことをできるだけのことをした、と表現する人もある)に対して、灯を消して暫らくの闇に耐えて貰う仕事を共にするのが、われわれ心理療法家の役割である。このように言っても、闇は怖いので、なかなか灯を消せるものではない。時には、油がつきて灯が自然に消えるまで待たねばならぬときもあるし、急を要するときは、灯を取りあげて海に投げ入れるほどのこともしなくてはならぬときがある。そんなことをして、闇のなかに光が必ず見えてくるという保証があるわけでもない。従って、個々の場合に応じて、心理療法家の判断が必要となってくるのだが、その点については、ここで論じることはしない。
もっとも、不安な人は藁をもつかむ気持で居られるので、そのような人に適当に灯を売るのを職業にしている人もある。それはそれなりにまた存在意義もあるので、にわかに善し悪しは言えないが、それは専門の心理療法家ではないことは確かである。
子ども心にも、特に印象に残る話というのは、やはりその人にとって、人生全体を通じての深い意味をもっているものなのだろう。子どもの頃に知って記憶している話が、現在の自分の職業の本質と密接にかかわっていることに気づかれる人は、あんがい多いのではなかろうか。
別に心理療法なんかを引き合いに出さなくとも、目先を照らす役に立っている灯──それは他入から与えられたものであることが多い──を、敢て消してしまい、闇のなかに目をこらして遠い目標を見出そうとする勇気は、誰にとっても、人生のどこかで必要なことと言っていいのではなかろうか。最近は場あたり的な灯を売る人が増えてきたので、ますます、自分の目に頼って闇の中にものを見る必要が高くなっていると思われる。

宗教の世俗化ということが久しいのだが、浄土真宗の坊さんが「場あたり的な灯を売る」、癒しを説く人になっているのは門徒として悲しいことではある。

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浄土真宗の信心

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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wikiarcで使用しているmediawikiというソフトには、他のページや外部のwikiのページを転送して文章の一部として出来る機能がある(*)。いわゆる文章の多重化というコピーと違って、転送先の文書に変更があれば自動的に参照している文章も変更されるのでコンテンツの共有には便利である。
そんなこんなで、wikiarcの「信心」の項目を更新してみた。以下は林遊が追記した文章だが、転送した梯實圓和上の「たまわりたる信心」という考察はありがたいものである。

一般的には、信心とは神仏への加護や救済を願い祈ることをいう。 しかし、浄土真宗に於ける信心という概念は、いわゆる信仰型の諸宗教における信心とは大きな違いがある。
浄土真宗においての信心とは、私の側で信を起こす心の意味ではない。私に浄土で仏のさとりを得させようという、本願(仏の願い)に対しての宗教的態度の表現をいう。真如から来生する、如-来の願いを受容する態度を表現する言葉が浄土真宗の信心である。このような本願に対する受動的態度を、信知信受信順などとも呼び、真宗独自の、無義為義である宗教言語表現を御信心(ご-しんじん)というのである。信はたまわるものであり、私の側に見ないから敬語表現で「ご信心」というのである。このご法義の先達が「信は仏辺に仰ぎ、慈悲は罪悪機中に味わう」といわれた所以である。この仏の本願を受け容れ信順することを『歎異抄』では「たまはりたる信心」(*)というのであった。
なお、浄土真宗における救済とは、仏の本願によって浄土に生まれ(往生、到彼岸)、仏のさとりを得て仏と成り(成仏)、生死を超える(解脱)ことを救済というのである。浄土真宗という宗名は、往生浄土の真実の宗という意味である。このような意味から現世での我執による利益を欣うことを否定するのが浄土真宗の特徴である。 →法話 他力の信の特色

→「信心」

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興福寺奏状とは

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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wikiarcにUPしてある『興福寺奏状』の表題の解説を記(しる)してみた。
そのうちに、『興福寺奏状』の各条ごとに善導大師のように、

いぶかし、今時の一切の行者、知らずなんの意ぞ、凡小の論にすなはち信受を加へ、諸仏の誠言を返りてまさに妄語せんとする。 苦しきかな、なんぞ劇しくよくかくのごとき不忍の言を出す。

の、信受の突っ込みを入れたいと思っていたりする(笑
以下追記した語。

『興福寺奏状』は、元久2年(1205)奈良興福寺の衆徒が法然聖人の提唱した専修念仏の禁止を求めて朝廷に提出した文書で、起草者は、法相宗中興の祖といわれる解脱坊貞慶上人とされる。法然聖人弾劾の上奏文というべき文書であり、これを因として、承元の法難と称される法然師弟に対する死罪を含む専修念仏への弾圧がなされた。御開山は『教行証文類』の後序で、

ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。しかるに諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷ひて邪正の道路を弁ふることなし。
ここをもつて興福寺の学徒、太上天皇[後鳥羽院と号す、諱尊成]今上[土御門院と号す、諱為仁]聖暦、承元丁卯の歳、仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ。これによりて、真宗興隆の大祖源空法師ならびに門徒数輩、罪科を考へず、猥りがはしく死罪に坐す。あるいは僧儀を改めて姓名を賜うて遠流に処す。予はその一つなり。

とされておられる。法然聖人の提唱した選択本願念仏という教説は、仏教における宗教改革といえるような先鋭的な仏教思想であり、当時の──ある意味では現代においても誤解されやすい──仏教界には異端邪説としか受け取れなかったのであった。
なお、余談ではあるが、この『興福寺奏状』の起草者と目されている解脱坊貞慶上人は、死の半月前に口述された「観心為清浄円明事」(*)で、「予は深く西方を信ずる」としているから、いつしか貞慶も浄土教に帰順していたのであった。また、念仏弾圧を命じた後鳥羽上皇も承久の乱によって隠岐の島へ配流され、無常にかられ阿弥陀如来がまします浄土へ往生したいという意で、『無常講式』(*)を作り南無阿彌陀佛と述しておられるのであった。

「興福寺奏状」

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機無・円成・回施・成一

林遊@なんまんだぶつ Posted in WikiArc編集
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浄土真宗の先輩諸師方は、難解な『教行証文類』を読み解く為に、いろんな補助線を用意して下さってある。機無・円成・回施・成一という名目もその一つである。
漢字の特色の一つに造語力というのがあるのだが、宗教言語の世界で使われる漢語は辞書を引いても出てこない語(ことば)なので混乱する。また、その概念が判りにくいので、ご法話のお聴聞で学ぶしかないのであろうと思ふ。
昔は、絶妙なる譬喩で難しい概念を易しく説く布教使がたくさんいたものだが、最近の坊さんは浄土真宗の、なんまんだぶのご信心を説き切らないので困ったものである。
もっとも、聞く側の耳が育っていないからという面もあるのだが……

と、いうわけでwikiarcに、機無・円成・回施・成一の項目を追加してみた。

「機無・円成・回施・成一」

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最要鈔

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少しく調べたいことがあったので、覚如上人述の『最要鈔』を国立国会図書館デジタルコレクションから持ってきてUPしてみた。
覚如上人は、当時の鎮西浄土宗の多念義の傾向に対抗する為か、一念義的な傾向が窺える。いわゆる本願成就文の「信心歓喜 乃至一念」の一念の信を強調するあまり、乃至という〔なんまんだぶ〕の称名を軽視する嫌いがあると思ふ。
確かに信後の称名には、行者の意許(こころもち)では御恩報謝という意味もあるのだが、なんまんだぶと称えてなんまんだぶと聞える、浄土から顕現する呼び声を等閑に付する恐れもあるのである。

法然聖人は、

 又云、一念・十念にて往生すといへばとて、念仏を疎相に申せば、信が行をさまたぐる也。念念不捨といへばとて、一念・十念を不定におもへば、行が信をさまたぐる也。
かるがゆへに信をは一念にむまるととりて、行をは一形にはげむべし
又云、一念を不定におもふものは、念念の念仏ごとに不信の念仏になる也。そのゆへは、阿弥陀仏は、一念に一度の往生をあてをき給へる願なれば、念念ごとに往生の業となる也。(和語灯録p.633)

と、「信をば一念にむまるととりて、行をば一形にはげむべし」とのお示しであった。なぜなら乃至十念は、本願に誓われた往生決定の「行」であるからである。

御開山は、「信巻」で至心・信楽・欲生の三心を結釈されて、

 まことに知んぬ、至心・信楽・欲生、その言異なりといへども、その意これ一つなり。なにをもつてのゆゑに、三心すでに疑蓋雑はることなし、ゆゑに真実の一心なり。これを金剛の真心と名づく。金剛の真心、これを真実の信心と名づく。真実の信心はかならず名号を具す。名号はかならずしも願力の信心を具せざるなり。このゆゑに論主(天親)、建めに「我一心」(浄土論)とのたまへり。また「如彼名義欲如実修行相応故」(同)とのたまへり。 p.254

と、「真実の信心はかならず名号を具す。」とされておられる。行と信あいまっての、行信不離(*) が御開山の示して下さった浄土真宗というご法義である。その意味で信の一念に腰かけて、なんまんだぶを称えない者は、御開山の御同行ではないのであると思ふ。
御開山は、『大経讃』の結論として、

(71)
念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ (*)

と、「念仏成仏これ真宗」と、されておられ、真宗は〔なんまんだぶ〕を称え往生を目指すご法義であった。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
→『最要鈔』