法然聖人の立教開宗

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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『拾遺漢語灯録』

又一時師語曰。我立淨土宗之元意、爲顯示凡夫往生報土也。
且如天台宗、雖許凡夫往生、其判淨土卑淺。
如法相宗、其判淨土雖亦高深不許凡夫往生。
凡諸宗所談、其趣雖異、總而論之不許凡夫往生報土。
是故、我依善導釋義、建立宗門以明凡夫生報土之義也。
然人、多誹謗云、勸進念佛往生、何必別開宗門、豈非爲勝他邪。
如此之人、未知旨也。
若不別開宗門、何顯凡夫生報土之義乎。
且夫人問所言、念佛往生是依何敎何師者既非天台・法相又非三論・華嚴、不知以何答之。
是故、依道綽・善導意、立淨土宗。全非爲勝他也。
拾遺漢語灯録

また一時、師(法然聖人)語りていわく。我、浄土宗を立てる元意は、凡夫、報土に往生することを顯示せんが為なり。

しばらく天台宗のごときは、凡夫往生を許すといえども、その判ずる浄土は卑淺なり。法相宗のごときは、その浄土を判ずることまた高深なりといえども、凡夫往生を許さず。おおよそ諸宗の所談その趣、異なるといえども、すべてこれを論ずるに凡夫報土に往生することを許さず。

このゆえに、我、善導の釋義に依って宗門を建立し以って凡夫報土に生まるの義を明かすなり。しかるに人、多く誹謗していう、念佛往生を勧進せんに、何ぞ必ず別に宗門を開く、あに勝他の為に非ずや。このごときの人、未だ旨を知らざるなり。
もし別に宗門を開かざるんば、いかんぞ凡夫報土に生まるの義を顯わさんや。
かつそれ人の言わゆる、念佛往生これ何れの敎何れの師に依るやと、問はば、既に天台・法相に非ず、また三論・華嚴に非ず。知らず何を以ってかこれに答えん。これゆえに道綽・善導の意に依って浄土宗を立す。全く勝他の為に非ずなり。

白文ならお手上げだけど、ここは訓点があるから便利。

法然聖人は、「聖道門の修行は智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は愚癈にかへりて極楽にむまる」と、仰ったそうだが、林遊のような者にも仏に成る方途を明らかにして下さったのは有り難いこっちゃな。
御開山の絵像では、珠数をつまぐっておられるが、なんまんだ、なんまんだと、法然聖人のお示しの「南無阿弥陀仏 往生之業念仏為本」を実践されておられたのだな。
このご法義を誤解する人は、阿弥陀如来に救われると思量して、具体的に声となって届いている称えられる名号による救済を知らない。そもそも真如・法性である覚りの世界を想像することさえ不可能であるにも関わらず、これを持している如来を想起し救済を妄想するから、有りもしない信心を求めて狂奔するのであろう。
今、ここに、私に、届き称えられている名号の他に浄土真宗の救いは無い。口に称えられ耳に聞こえる、なんまんだぶの他に救いがあるというなら、それは、法然・親鸞両聖人が示された、往生成仏の道ではないのである。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ、順彼仏願故。