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廃悪修善

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ, 管窺録
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御開山の仰ることは重層的なので非常に判りにくい。
「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」『歎異抄』という非常にシンプルな教えなのでだが、シンプルであるがゆえに誤解する者も多い。
中には、浄土真宗は廃悪修善を勧めないから、おかしいという意見もあるのだが、この廃悪修善について、善導大師、法然聖人、御開山聖人のお示しを窺ってみよう。
まず、善導大師は『観経疏』「玄義分」で、

娑婆の化主(釈尊)はその請によるがゆゑにすなはち広く浄土の要門を開き、安楽の能人(阿弥陀仏)は別意の弘願を顕彰したまふ。
その要門とはすなはちこの『観経』の定散二門これなり。 「定」はすなはち慮りを息めてもつて心を凝らす(息慮以凝心)。 「散」はすなはち悪を廃してもつて善を修す(廃悪以修善)。この二行を回して往生を求願す。
弘願といふは『大経』(上・意)に説きたまふがごとし。 「一切善悪の凡夫生ずることを得るものは、みな阿弥陀仏の大願業力に乗じて増上縁となさざるはなし」(*)

と、要門と弘願ということを示して下さった。
ここで、要門とは、即慮凝心と廃悪修善であり、弘願とは阿弥陀仏の大願業力に乗ずることであると善導大師は定義される。
この文の解釈が、定散二門の行をもって弘願に乗ずるのであるか、それとも要門という法義と弘願という法義の二つの法門を指すのかに解釈が分かれた。

例えば、鎮西派の良忠上人は、「第四、問何名要門弘願耶 答、要門者定散二善 即往生之行因也。故文云 迴斯二行。弘願者 彌陀本願即往生之勝縁也。故文云 爲增上縁。是則因縁和合 得往生果也」『淨土宗要集』(*)
(第四。問う、何ぞ要門・弘願と名づくや。答う、要門は定散二善、即ち往生の行因也。故に文に斯の二行を迴してと云う、弘願は彌陀の本願、即ち往生の勝縁也。故に文に増上縁と為すと云。是れ則ち因縁和合して往生の果を得る也。)

と、され、要門と弘願は、因と縁の関係にあり、要門(因)と弘願(縁)が相依って往生の(果)を得るとされている。これは増上縁を、仏果を引く優れた縁と解釈し、定・散の二行を回向して阿弥陀仏の大願業力に乗ずるのだとされている。
これは常識的な見方であり、当然、廃悪修善という行が、往生の行に含まれているというのである。
以下の、七仏通誡偈にあるごとく、

諸悪莫作(もろもろの悪を作すこと莫く)
衆善奉行(もろもろの善を行い)
自浄其意(自ら其の意<こころ>を浄くす)
是諸仏教(是がもろもろの仏の教えなり)

という、廃悪修善は、仏教上での常識的な解釈であろう。

ところが、法然聖人には廃悪修善について以下のような法語がある。

ある人問ていはく、つねに廃悪修善のむねを存して念仏すると、つねに本願のむねをおもひて念仏するといづれかすぐれて候。
答ての給はく、廃悪修善は、これ諸仏の通誡なりといへども、当世のわれらことごとく違背せり。若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか。『諸人伝説の詞』(*)

一。つねに悪をとどめ、善をつくるべき事をおもはへて念仏申候はんと、ただ本願をたのむばかりにて、念仏を申候はんと、いづれかよく候べき。
答。廃悪修善は、諸仏の通戒なり。しかれども、当世のわれらは、みなそれにはそむきたる身なれば、ただひとへに、別意弘願のむねをふかく信じて、名号をとなへさせ給はんにすぎ候まじ。有智・無智、持戒・破戒をきらはず、阿弥陀ほとけは来迎し給事にて候なり。御意え候へ。『一百四十五箇条問答』(*)

或人問云、常存廃悪修善旨念仏与、常思本願旨念仏何勝哉。
答、廃悪修善是雖諸仏通戒、当世我等、悉違背、若不乗別意弘願者、難出生死者歟云云『一期物語』
( 或人問て云く、常に廃悪修善の旨を存じて念仏すると、常に本願の旨を思い念仏すると何れが勝れたるや。
答、廃悪修善は是れ諸仏の通戒といえども、当世の我等、悉く違背せり、若し別意の弘願に乗ぜずば、生死を出で難きものか。云云

廃悪修善は諸仏の通誡(七仏通誡)ではあるが、「当世の我等はことごとくこれに違背」していると仰るのである。黒田の聖人へつかはす御文には、「罪は十悪五逆のものむまると信して、少罪おもおかさしとおもふべし」(*)とあるが、悪を廃することの重要性を知りながら、その上で、悪を廃することのできない凡夫の現実の姿を直視されておられるのである。
七仏通誡偈をめぐっては、白居易と鳥窠道林のエピソードにもあるように、実践の場に於いては<判る>と<出来る>は違うのである。
これを誤解すると七仏通誡偈は単なる世俗の道徳に陥ってしまうであろう。

さて、法然聖人は上記の法語で「別意の弘願」ということを仰っておられる。
これは、あきらかに前記の良忠上人の解釈とは違い、善導大師は定散の「要門」(廃悪修善)と「別意の弘願」(阿弥陀仏の大願業力に乗ずる)という二つの法門を示されていると領解されていた。法然聖人は、善導大師の『観経疏』は『無量寿経』の本願の意をもって『観経』を解釈さたと見られたのである。つまり、釈尊は韋提希の請によって浄土の要門を開き、阿弥陀仏は別意の弘願(特別な願=第十八願)の法門を顕された、と見られたのである。これが「若し別意の弘願に乗ぜすは、生死をはなれがたきものか」の述懐である。

御開山は、この法然聖人のお示しを受けて、要門と弘願を『観経」の法義の要と『無量寿経』の法義の弘願という二門の法義に分判されたのである。
そして要門を第十九願の法門であるとし、弘願門を第十八の願であると見られたのである。無量寿経の第十九願の「発菩提心 修諸功徳」は、まさに七仏通誡偈にあるごとく、聖道門仏教の願行を以って浄土を欣わしめる法門であるから、要門とされたのであろう。行は願によって転ずるといい、その願うところによって行の意味が変わる。この土で覚りを得ようとする聖道門の行をもって、浄土を欣わしめる法門であるから『観経」の「三福は報土の真因にあらず。諸機の三心は自利各別にして、利他の一心にあらず。如来の異の方便欣慕浄土の善根なり。これはこの経の意なり。」(*)といわれたのである。
なお、この欣慕の語は、「散善義」の深信釈、第三深信の観経深信「また決定して深く、釈迦仏、この『観経』の三福・九品・定散二善を説きて、かの仏の依正二報を証讃して、人をして欣慕せしめたまふと信ず。」(*) からであるのはいうまでもない。

このように見てくると、一部の三願転入派の、第十九願を経て第二十願に入り、そして第十八願に転入するというプロセスという考え方はおかしいのである。三願は、全く違った法門であるから御開山は転入と仰ったのであり、各プロセスの果てに第十八願の法門があるのではないのである。

三 願 三 経 三 門 三 藏 三 機 三往生
第十八願 仏説無量寿経 弘願 福智蔵 正定聚 難思議往生
第十九願 仏説観無量寿経 要門 福徳蔵 邪定聚 双樹林下往生
第二十願 仏説阿弥陀経 真門 功徳蔵 不定聚 難思往生

念仏成仏これ真宗
万行諸善これ仮門
権実真仮をわかずして
自然の浄土をえぞしらぬ (*) 

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

常に虎の説法

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ, 管窺録
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朝鮮民画 朝鮮民画(ちょうせんみんが)は、朝鮮の庶民の実用的な民俗絵画である。結婚還暦などの儀礼、装飾、魔よけ、開運などの実用的な目的のために、屏風掛軸にしたり、壁に貼ったりして用いられる。表現は稚拙ではあるが、滑稽味があり、素朴で大胆なところが、独特の味わいを出しているものが多い。{中略}
民画という言葉は、民芸運動の創始者である日本人の柳宗悦が、日本の大津絵などの民俗絵画を指して使い始めたものである。柳は、日本統治時代の朝鮮でも美術品を収集研究し、朝鮮民画の収集研究も始めた。柳によって、それまでは収集研究の対象とは考えられていなかった朝鮮民画が、注目され収集研究の対象となった。
以上、「Wikipediaの朝鮮民画の項より引用

上掲の図は、朝鮮民画の虎の絵である。素朴なタッチには惹かれるところも、ままあるのだが、美的センスのない林遊にはどうしても虎には見えず猫に見えてしまう。写実画がしっかり出来てこそ抽象画が描けるのだと聞いたことがあったが、何事も基本がしっかりしていれば派生するディティールもはっきり伝えられるのであろう。

さて、三願転入などに迷っている人に対する、浄土真宗ご法義の基本の話である。知人から貰ったTEXTだが、以下に、三願転入というプロセスに迷い如来の真実義を見失っている人に対する、某氏の古い著述を引用する。

虎の説法

信前の人に、称名念仏をはげみなさい、そうすれば早く助かると勧めなさるのは、二十願のすゝめで浄土宗の教えである。即ち『浄土和讃』に、
定散自力の称名は、
果遂のちかひに帰してこそ、
おしへざれども自然に
真如の門に転入する。
と説かれているように、一声でも念仏称えた者は一度は晴れて満足の明信仏智の第十八願の世界まで転入させずにはおかぬというのが二十願で果遂の誓というのだが、この果遂について一生の果遂、二生の果遂等があり、自力念仏の人が此の世で他力に入るのは一生の果遂であり、次生で他力に入るのは二生の果遂である。このように無窮に果遂を味うことが出来るが一度は他力の信に入らねば報土の往生は絶対に出来ないのだ。
然るに、わが浄土真宗は、このような十九、二十の本願に当る浄土宗とは違って十八願の願意である、信心正因、称名報恩の仏意を弘通する教えであるから、信前の人にも信後の人にも、始終一貫して信心正因、称名報恩の教えを勧めなければならない。
勿論、機には未熟の者もあるから、いくら信心正因、称名報恩、信心が往生の正因であり称える念仏は報謝だから、早く信心決定して報謝の念仏称える身になって下さいと勧めても、直にその通りになれない人もあろうけれども、それは機の過失であって法門は常に信因称報の仏意を説き示さなければならない。
喩えば、虎の手本をみて虎を描こうと思っても、どうしても最初の間は虎ではなく猫の絵になってしまうが、たゆまず屈せずアキラメず虎の手本を見て描いているうちに本当の虎の絵がかけるようになるように、手本は如何に信心正因、称名報恩でも機執によって、そのようになれず、或は定散自力の称名となり、称名正因となるものもあろうが、たゆまずアキラメず信心正因、称名報恩の教えを勧めていれば、やがてその真意を諦得出来るようになるのである。
或る画家が弟子に虎を描かす為に虎の手本を渡した。ところが弟子のかいたものは、どうみても虎ではなく、猫の絵であった。画家は再三描かせてみたが、やはり猫しか書けなかった。そこで師匠は虎をかゝせることをあきらめて猫の手本をわたした。その弟子は一生猫より描くことが出来なくなったという。

未熟な人に合せて信心正因、称名報恩の教え以外の法門を説いて信心を得る方法には称名せよなどと教えればあたかも猫の手本を与えて虎をかく方法とするようなものである。故に教家は常に虎の説法をしなければならないのである。

驚くべきことに、これは現在、三願転入という名目で、仮である『観経』の定善・散善の善という語に立脚して「善の勧め」を勧励している会の会長の文章である。善と称し会員の財物と時間を搾取している会長の過去の著述である。法の前では聞信するということを知らないため、自らを「教家」に擬しているのは若さゆえの過ちであろう。もちろん、彼の資質がそのようなものを内包していたのであろうが、浄土真宗史上、未だかってないような異義・異端・異安心を輩出したのみならず、多くの若者を宗教の名の下で塗炭の苦しみを味あわせてきたのである。
寺の次男坊として生まれ、参詣の老婆が称える行具の三心のなんまんだぶを知らず、若さゆえの性的リピドー の爆発を、浄土真宗のご信心と錯覚・誤解したのが若き氏であったのだろう。浄土真宗は、なんまんだぶを称えることによって往生して、証(仏の覚り)を得る宗旨である。

念仏誹謗の有情は
阿鼻地獄に堕在して
八万劫中大苦悩
ひまなくうくとぞときたまふ 『正像末和讃

自らには、有る事のない信心を求め他者に強制し、阿弥陀如来から回向される行信を知らなかった氏は、なんまんだぶという回向されたお念仏を誹謗し遮蔽した罪によって、阿鼻地獄に堕在するのかも知れない。林遊がいうのではなく、御開山が和讃しておられるのである、為念。

ちなみに、『観経」の下中品では、不浄説法とか邪命説法を戒められている。不浄説法とあるから当然、法を説くものへの教戒である。

仏告阿難及韋提希 下品中生者 或有衆生毀 犯五戒八戒及具足戒 如此愚人 偸僧祇物 盗現前僧物 不浄説法無有慙愧 以諸悪業而自荘厳 如此罪人以 悪業故応堕地獄命欲 終時地獄 衆火一時倶至
意訳:釈尊はまた阿難と韋提希に仰せになった。 「 次に下品中生について説こう。五戒や八斎戒や具足戒などを犯し破っているものがいる。このような愚かな人は、教団の共有物を奪い、僧侶に施されたものをも盗み、さらに私利私欲のために教えを説いて少しも恥じることがなく、いろいろな悪い行いを重ねてそれを誇ってさえいる。このような罪深い人は、その犯した悪事のために地獄に落ちることになる。 この人がその命を終えようとするとき、地獄の猛火がいっせいにその人の前に押し寄せてくる。」

命終わる時に火の車に載せらて動転し、嘆き悲しむときの臨終説法には、なんまんだぶを称える人を招きなさいよ。これが本当の善知識だから……
そうそう「阿鼻の炎も毘盧の依正」というから、心を入れ換えて本物のご法義を説けば、阿鼻地獄に堕ちても、なんまんだぶの救いが聴けるかもですね(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……

 

 

至誠心釈 再び

林遊@なんまんだぶつ Post in 管窺録
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善導大師の『観経疏』の至誠心については至誠心釈で少しく述べたが、あい変らず至誠心釈を誤解してブログを書いている人がいる。
「浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い」というブログで、至誠心釈の「不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮」の文を善のすすめの根拠としているのだが、この人は『観経疏』を読んだことがないのであろうか。
親鸞聖人は『教行証文類』化巻で、法四依を引文されて「義に依りて語に依らざるべし」(化巻p.414)といわれている。

隆寛律師は「他力往生の道理」に立つ浄土門は、「自力得脱の道理」に立つ聖道門とは教格が異なるのであるから、聖道門の論理をもって浄土門を論じてはならないとされ「文に依って義に依らざるは、愚者の好む所なり。はづべし、はづべし」といわれている。このような立場も親鸞聖人と同じく「義に依りて語に依らざるべし」の不依文依義 の立場に立たれておられたからであろう。

さて、ここで法然門下における至誠心釈について、梯實圓和上の『法然教学の研究』から窺ってみよう。なお、文中の漢文読み下しは私において付した。

第二節 至誠心の意義

一、至誠心釈の概要

『選択集』「三心章」によれば、三心は念仏行者の至要であって必ず具すべき心とされている。至誠心とは真実心であり、深心とは二種深信であらわされるような無疑の信心であり、廻向発願心とは、善根回向の義と、決定得生の願往生心という意味とをもっているとみなされていたようである。

第一の至誠心を、真実心とするのは『散善義』の至誠心釈に、

一者至誠心、至者真、誠者実、欲明一切衆生、身口意業所修解行、必須真実心中作、不得外現賢善精進之相、内懐虚仮。
一には至誠心と。「至」とは真なり、「誠」とは実なり。一切衆生の身口意業所修の解行、かならずすべからく真実心のうちになすべきことを明かさんと欲す。 外に賢善精進の相を現じ、内に虚仮を懐くことを得ざれ。

といわれたものによっている。すなわち至誠心を具するとは、真実心をもつことであり、具体的には、願生行者が修する身口意の三業行はすべて真実心をもってなすべきで、外に賢善精進の相を現じて内に虚仮を懐くような内外不調があってはならないというのである。そして次の如く「内懐虚仮」のありさまを釈される。

貪瞋邪偽、奸詐百端、悪性難侵、事同蛇蝎、雖起三業、名為雑毒之善、亦名虚仮之行、不名真実業也。若作如此安心起行者、従使苦励身心、日夜十二時、急走急作、如炙顕燃者、衆名雑毒之善、欲廻此雑毒之行、求生彼仏浄土者、此必不可也。何以故、正由彼阿弥陀仏因中行菩薩行時、乃至一念一刹那、三業所修皆是真実心中作、凡所施-為趣求、亦皆真実。
貪瞋・邪偽・奸詐百端にして、悪性侵めがたく、事蛇蝎に同じきは、三業を起すといへども名づけて雑毒の善となし、また虚仮の行と名づく。真実の業と名づけず。もしかくのごとき安心・起行をなすものは、たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。なにをもつてのゆゑに。まさしくかの阿弥陀仏因中に菩薩の行を行じたまひし時、すなはち一念一刹那に至るまでも、三業の所修、みなこれ真実心のうちになしたまひ、おほよそ施為・趣求したまふところ、またみな真実なるによりてなり。

内に貪瞋邪偽の煩悩悪性をいだいているならば、三業を苦励し、頭燃をはらうが如く急作急走してつとめてみても、すべて雑毒の善であり、虚仮の行であって、浄土に生まれることはできない。何故ならば、浄土は阿弥陀仏が因位のとき、真実心をもって三業二利の行を修して成就された真実の境界である。それゆえ真実ならざる解行、すなわち安心起行をもって往生することはできないといわれるのである。
疏文は、さらに行者の修すべき真実なる行業を自利と利他に分け、その自利行について止悪門と作善門にわたって詳細に解説し、内外、明闇をえらばず、皆真実であるべきことを勧励されている。この『散善義』の文脈によれば、あくまでも願生行者が、内外ともに賢善精進であることを真実心を具している相とみなされていたとせねばならない。しかもその真実心の典型として、法蔵菩薩の浄土建立の菩薩行の真実性をあげられたことは重要な意味をもってくる。
後に親鸞が「信文類」において至心釈を施されるとき、『大経』と『如来会』の勝行段の文を出して、真実心の何たるかを釈出されたのは、善導のこの釈意をうけられたものである。しかし法蔵の如き真実心をもって二利行をなせというのは、凡夫の行者にとっては至難の要求であった。むしろ行者は、この教説に直面して真実の何たるかを知らしめられると同時に、自身の反真実性、煩悩性が顕わになり、痛切な懴悔が生ずるはずである。善導が『礼讃』や『法事讃』に、切実な懴悔の表白をされているのはそのあらわれである。特に『礼讃』に示された上品、中品、下品の三品の懴悔は有名である。

就実有心願生者而勧、或対四衆、或対十方仏、或対舎利尊像大衆、或対一人、若独自等、又向十方尽虚空三宝、及尽衆生界等、具向発露懴悔、懴悔有三品、上中下、上品懴悔者、身毛孔中血流、眼中血出者、名上品懴悔、中品懴悔者、遍身熱汗従毛孔出、眼中血流者、名中品懴悔、下品懴悔者、遍身徹熱、眼中涙出者、名下品懴悔、……若不如此、縦使日夜十二時急走、衆是無益、若不作者応知。
実に心に生ぜんと願ずることあるものにつきて勧む。あるいは四衆に対し、あるいは十方の仏に対し、あるいは舎利・尊像・大衆に対し、あるいは一人に対す。もしは独自等なり。また十方尽虚空の三宝および尽衆生界等に向かひ、つぶさに向かひて発露懺悔すべし。懺悔に三品あり。上・中・下なり。「上品の懺悔」とは、身の毛孔のなかより血流れ、眼のなかより血出づるものを上品の懺悔と名づく。「中品の懺悔」とは、遍身に熱き汗毛孔より出で、眼のなかより血流るるものを中品の懺悔と名づく。「下品の懺悔」とは、遍身徹りて熱く、眼のなかより涙出づるものを下品の懺悔と名づく。……もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし。

ここに「若不如 此、縦使日夜十二時急走、衆是無益、若不作者」(もしかくのごとくせざれば、たとひ日夜十二時に急に走むとも、すべてこれ益なし。なさざるもののごとし)といわれているが、これは明らかに前掲の至誠心釈下に雑毒虚仮の行を批判して「縦使苦励身心、日夜十二時急走急作、如炙頭燃者、衆名雑毒之善、欲廻此雑毒之行、求生彼仏浄土者、此必不可也」(たとひ身心を苦励して、日夜十二時急に走り急になすこと、頭燃を救ふがごとくするものも、すべて雑毒の善と名づく。この雑毒の行を回して、かの仏の浄土に生ずることを求めんと欲せば、これかならず不可なり。)といわれたものと一致している。善導においては、こうした懴悔をなしつつ、安心起行していくことが至誠心の相であったといえよう。のちに親鸞が「浄土真宗に帰すれども、真実の心はありがたし、虚仮不実のわが身にて、清浄の心もさらになし」等と悲歎述懐されたのも、善導の至誠心釈に感応されたものである。如来の真実に直面して、自身の虚仮不実を知らされたものにとって「真実」とは、 自身に真実はないという懴悔することのほかになかったのである。

『礼讃』 には、 上掲の文につづいて、 具体的な発露懴悔の相を説示されるが、 そこには無始以来の十悪、 破戒等無辺の罪障があげられ、「唯仏与仏、 乃能知我罪之多少」(ただ仏と仏とのみすなはちよくわが罪の多少を知りたまへり。 ) といわれている。 これはまさに次の深心釈における機の深信の内容であったとしなければならない。 かくて善導においては、 法蔵の如く真実心であらねばならぬという教説に呼応して、 痛烈な懴悔の実修が行われ、 その懴悔をとおして、 「決定深信自身現是罪悪生死凡夫、 曠劫已来常没常流転無有出離之縁」(決定して深く、自身は現にこれ罪悪生死の凡夫、曠劫よりこのかたつねに没しつねに流転して、出離の縁あることなしと信ず。) という機の深信が呼びおこされ、 さらに機の深信と一 具なる法の深信が成立していくのであった。

ところで法然は、 この 『散善義』 の至誠心釈に対して、 大きな問題意識をもっておられたと考えられる。 それは後にのべる 『三部経大意』 の至誠心釈に 「もしかの釈のごとく一 切の菩薩とおなじく諸悪をすて、 行住座臥に真実をもちゐるは悪人にあらず、 煩悩をはなれたるものなるべし」 といい、 疏の文相のままならば、 煩悩具足の凡夫にはありえない至誠心になるのではないか、 というのである。 また 「回向発願の釈は、 水火の二河のたとひをひきて、 愛欲、 瞋恚つねにやき、 つねにうるほして、 止事なけれども、 深信の白道たゆることなければむまるることをうといへり」 といって、 二河譬との矛盾をとりあげておられるものなどがそれである。 すなわち至誠心釈を疏文のままに理解するならば、 煩悩悪性を止めなければ至誠心が具せられないことになり、 煩悩具足の凡夫が、 本願を信じ、 念仏して報土に往生するという凡夫入報の法義が成立しなくなるではないかという問題である。 法然やその門下の人々が善導の至誠心釈の文意の領解に苦心された所以である。

法然門下の学匠のなかで、 至誠心 (真実心) を如来のがわで語り、 無漏真実の心とみるものと、 あくまでも行者が発起すべき真実心とみるものとの二派が分れるが、 それもこの疏文の領解をめぐる見解の相違であった。 至誠心を阿弥陀仏の無漏清浄なる真実心とみたのは隆寛や親鸞等であり、衆生発起の心とみるのは弁長や良忠等であった。隆寛は『具三心義』に「所帰之願真実故、能帰之心名真実心、以此義故、立至誠心也」(所帰の願真実なるがゆえに能帰の心真実心と名づくるなり、この義をもってのゆえに至誠心を立てるなり)といい、『極楽浄土宗義』にも「是即指弥陀本願、名為真実、帰 真実願之心故、随所帰願、以能帰心、為真実心」(これすなわち弥陀の本願を指して名づけて真実となす。真実の願に帰するの心なるがゆえに所期の願に随って能帰の心をもって真実心となる)といい、至誠心の体を本願の真実と定め、所帰より能帰に名づけて、能帰の心も真実心と名づけられるといわれている。

また親鸞は『教行証文類』「信文類」に、至心を釈して「斯心則是不可思議不可称不可説一乗大智願海回向利益他之真実心、是名至心」(この心すなはちこれ不可思議不可称不可説一乗大智願海、回向利益他の真実心なり。これを至心と名づく。)といい、成仏の因種となるような真実心は、煩悩具足の凡夫の上には法爾として存在せず、ただ如来より清浄真実なる智慧心を回向されてはじめて至心を具足するといわれている。
また『尊号真像銘文』(広本)には「至心は真実とまふすなり。真実とまふすは、如来の御ちかひの真実なるを至心とまふすなり。煩悩具足の衆生は、もとより真実の心なし、清浄の心なし、濁悪邪見のゆへなり」といい、至心、すなわち至誠心は如来の誓願の真実なるをいい、それを「ふたごころなくふかく信じてうたがはざれば信楽とまふす也」というふうに至心を所信の法とされる場合もある。いずれにしても親鸞は至心、真実心を如来の領分としてみていかれるのであって、真実心の体を無漏の仏智とされたことは明らかである。

これに対して弁長は『念仏三心要集』に「第一至誠心者、真実申事也。其真実心者、雑毒虚仮心無申也」(第一至誠心とは真実と申すことなり。その真実とは、雑毒虚仮心の無きを申すなり)といい、雑毒の毒とは名利心であり、驕慢心であるといわれている。
すなわち雑毒虚仮の行とは驕慢念仏、利養念仏、貪欲念仏、誑惑念仏のことであるとし「此名聞利養、驕慢貪欲二心捨、只一筋此念仏決定往生念仏也思取申至誠心念仏也。真実心念仏者也。穴賢、穴賢、此念仏以世過身過不可思」(この名聞利養、驕慢貪欲の二心を捨てて、ただ一筋にこの念仏は決定往生の念仏と思いとりて申すは至誠心の念仏なり。真実心の念仏者なり。あなかしこ、あなかしこ。この念仏をもって世を過ぎ身を過ごさんと思うべからず)といわれる。そして虚実について四句分別をし、一内虚外実、二内実外虚、三内外倶実、四内外倶虚とし、二は往生人、三は決定往生人、一と四は非往生人であるといい、「善導所立浄土宗意、此四句中第三内外倶実人以本意」(善導所立の浄土宗の意は、この四句の中に第三内外倶実の人をもって本意とす)と決定されている。
要するに名利心を捨て、驕慢心を去り、貪欲をはなれて、臨終正念往生極楽のためにのみ念仏することを至誠真実心というのである。石井教道氏はこの場合の真実心は煩悩と雑起する真実心であるから、凡夫有漏の真実心であるといわれている。有漏ではあるけれども根本真如を体としているから、凡夫の弱い有漏真実も、仏の真実に相順する理があり、強力な本願力によって摂取されて往生をうるというのである。良忠は、『散善義記』一に「但菩薩真実強、聖心堅固故、行者真実弱、凡心羸劣故、強弱雖異、真実相順、謂仏願強故、摂行者弱心、以令生浄土也」(菩薩真実強し聖心堅固ゆえに、行者真実弱し凡心羸劣ゆえに。強弱異るといえども、真実相順、謂仏願強ゆえに、行者弱心を摂して、もって浄土に生ぜしめるなり也)といわれる。すなわち地上の菩薩は強い無漏真実心が発るが、凡夫の行者は弱い有漏の真実心しか起こせない。しかし真実相順の道理によって、強い仏願に摂取されていくというのである。

法然が「十二箇条問答」に、

はじめに至誠心といふは、真実心也と釈するは、内外とゝのほれる心也。何事をするにも、ま事しき心なくては成ずる事なし。人なみくの心をもちて穢土のいとはしからぬをいとふよしをし、浄土のねがはしからぬをねがふ気色をして、内外ととのほらぬをきらひて、ま事の心ざしをもて、穢土をもいとひ、浄土をもねがへとおしふる也。

といわれたものは、弁長の考え方に親しい。但しこれを石井氏のように有漏の真実というべきかどうかは問題である。また後に詳述するように醍醐本『法然上人伝記』「三心料簡事」に、

由 阿弥陀仏因中真実心中作行、悪不雑之善故云真実也、其義以何得知、次釈凡所施為趣求亦皆真実文、此以真実施者、施何者云、深心二種釈、第一罪悪生死凡夫云施此衆生也、造悪之凡夫、即可  由此真実之機也。
阿弥陀仏因中真実心中作に由るべし行こそ悪雑はらざるの善なるが故に真実と云ふ也。其の義何を以て知るを得。   次の釈に、凡そ施為趣求する所また皆真実なりの文。此の真実を以て施すとは、何者に施すと云へば、深心の二種の釈の第一 罪悪生死凡夫と云へる此の衆生に施すなり。造悪の凡夫、即ち此の真実に由るべき之機なり。

といわれたものは、隆寛や親鸞の無漏真実心の領解に親しいといわねばならない。

法然の至誠心釈には、こうした両面があって、しかもそれらは決して矛盾するものではなかったといわねばならない。行者が発起する至誠心は、心相であり、如来の真実心は、至誠心の心体であったといえよう。さらに心相としての至誠心にも、後述するように安心門の所談と起行門にかけての釈があったと考えられる。もっとも心体と心相といっても後に親鸞が『教行証文類』で展開されるような本願力回向の信心論が教義的に確立されていて、両者が構造的に統一されていたわけではない。後に述べるようにそのような考え方は萠芽的にみとめられるに過ぎないのである。


親鸞聖人は「不得 外現賢善精進之相 内懐虚仮」の文を「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」と読まねばならなかったのは「至誠心」(真実心)を、如来の領分としてみていかれ、真実心の体を無漏の仏智とされたことによるのである。
真実の証明に自らには真実がないという慙愧を通して真実の証明をされ、阿弥陀如来の真実を回向されるという本願力回向の宗義を明らかにされたのが親鸞聖人であった。

無慚無愧のこの身にて
まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば
功徳は十方にみちたまふ

つづく

自業自得の救済論

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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高森親鸞会という浄土真宗を名乗る新興宗教の団体がある。 この団体は、かって本願寺派紅楳英顕氏との間で宿善について論争したことがある。 紅楳氏の「破邪顕正や財施を修することが獲信のための宿善となる」という文証があれば示して欲しいとの主張を、「真宗に善をすすめる文証などあろうはずがない」と言い換え、紅楳氏の主張を歪曲し非難した過去がある。「派外からの異説について

その論争の中で真宗における善の勧めの根拠として高森親鸞会から提示されたのが「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」という七仏通誡偈であった。 この、七仏通誡偈をもって真宗に善の勧めがある、と高森親鸞会は主張するのである。

か くて、大上段に〝修善をすすめた文証など、あろうはずがない〟と、アッと驚く、タメゴローならぬ、外道よりも、あさましい放言をなさるのである。【本願寺なぜこたえぬ p138】

仏教で『七仏通戒偈』は、有名である。 すべての、仏教に共通した教えを、一言で喝破しているからだ。 「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」 〝もろもろの、悪をなすことなかれ、もろもろの、善をなして、心を浄くせよ、これが、諸仏の教えだ〟というのである。 本願寺サン、『七仏通戒偈』も、お忘れになったのか、と驚かされる。【本願寺なぜこたえぬ p138】

本願寺派では、あまりにも浄土真宗の基礎を知らない幼稚な主張にあきれはてて放置しておいたのだろうが、これをもって高森親鸞会内部では本願寺を論破した稀代の善知識として会員獲得のスローガンになっているらしい。

また、 「善因善果 悪因悪果 自因自果」の厳然たる因果の道理を知らされた者は、必ず「廃悪修善」の心が起きる。
高森親鸞会HP
と、主張し、「廃悪修善」を勧めていることは周知の事実である。 同様に、高森親鸞会では「善の勧めはなぜなのか」と自問し、

「十方衆生のほとんどが、仏とも法とも知らぬのだから、まず宇宙の真理である「善因善果、悪因悪果、自因自果」の因果の大道理から、廃悪修善の必要性を納得させ、実行を勧め、十八願の無碍の一道まで誘導するのが弥陀の目的なのだ。 要門と言われる十九願は、善を捨てさす為のものではなく、善を実行させる為の願であることは、明々白々である。 実践しなければ果報は来ない。 知った分かったの合点だけでは、信仰は進まないのである。」
同HP

と主張している。 親鸞聖人には「願海真仮論」があるが、高森親鸞会では、この三願転入の論理を聖道門の自業自得の因果論によって解釈し、会員に善を勧め(主として人集め金集め)十八願直入の道を遮蔽しているのである。

十八願は阿弥陀如来の本意の願であり、十九願二十願は不本意の願である事は親鸞聖人の「願海真仮論」によって顕かである。何故に会員に阿弥陀如来の不本意の十九願二十願を勧め、ましてや六度万行(六波羅蜜)という法蔵菩薩の五劫兆歳永劫の修行を会員に策励するのであろうか。 本願寺派勧学梯實圓和上は自著『顕浄土方便化身土文類講讃』で以下のように述べられている。

真仮論の救済論的意義ー自業自得の救済論

阿弥陀仏の本願のなかに真実と方便を分判し、浄土三部経にも真実教と方便教があるといわれた親鸞聖人は、そのように真仮を分判しなければならないのは「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」るからであるといわれていた。逆にいえば、真仮を分判することによって、はじめて如来の救いの真相が明らかになるというのであった。

その意味で真仮論は、聖人の救済論の根幹にかかわることがらだったのである。 真仮論とは、浄土教を、さらに広くいえば仏教を、二つのタイブの救済観に分けることであった。

第一は、自業自得の因果論に立った救済観であり、それは論功行賞的な発想による救済観であった。 第二は、大悲の必然として救いが恵まれるとする自然法爾の救済観であって、それは医療に似た救済観であった。 自業自得の因果論に立脚した救済観というのは「誠疑讃」に

自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがへば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける

といわれているような、自力の行信因果をもって救済を考えていく思想をいう。
それは浄土教というよりも、むしろ仏教に一般的に共通した思考形態であったといえよう. 有名な七仏通誠の偈とよばれる詩句がある。

諸悪莫作(もろもろの悪は作すことなかれ)
衆善奉行(もろもろの善は奉行せよ)
自浄其意(自らその意を浄くす)
是諸仏教(これ諸仏の教えなり)

というのである。悪を廃して善を行じ、無明煩悩を断じて、自心を浄化し、安らかな涅槃の境地に至ることを教えるのが、すべての仏陀の教えであるというのである。

このように廃悪修善によって涅槃の果徳を実現しようとする自業自得の修道の因果論が、七仏通誠といわれるように、仏教理解の基本的な枠組みであった。 このような自業自得の因果論の延長線上に浄土教の救済を見るのが第一の立場であった。

法然聖人を論難した『興福寺奏状』の第六「浄土に暗き失」によれば、諸行往生を認めない法然は『観経』等の浄土経典や、曇鸞、道綽、善導にも背く妄説をもって人々を誤るものであるといっている。 すなわち『観経』には、三福九品の諸行による凡聖の往生が説かれているが、彼等が往生するとき、仏はその先世の徳行の高下に応じて上々から下々に至る九品の階級を授けられていく、それが自業自得の道理の必然だからである。

たとえば帝王が天に代わって官を授くるのに賢愚の品に随い、功績に応ずるようなものである。しかるに専修のものは、下々の悪人が、上々の賢善者と倶に生ずるように主張しているが、「偏へに仏力を憑みて涯分を測らざる、是れ則ち愚痴の過」を犯していると非難している。
これは明らかに自業自得、廃悪修善の因果論をもって、法然教学を批判しているもので、『興福寺奏状』の起草者、解脱上人貞慶からみれば法然聖人の浄土教は、仏教の基本的な枠をはみ出した異端でしかなかったのである。 『顕浄土方便化身土文類講讃』(梯實圓著)P61~


高森親鸞会のHP「承元の法難」には何故か『興福寺奏状』の第六「浄土に暗き失」が意図的に省かれている。
同HP
参考の為に意図的に省略された『興福寺奏状』の第六「浄土に暗き失」の部分を提示しておく。→興福寺奏状

これは、前掲の梯實圓和上の説にもあるように、高森親鸞会の主張する「廃悪修善」「自業自得の因果論」にとって都合の悪いものであるから意図的に省いたのであろう。

承元の法難では『興福寺奏状』に説かれる論理によって、法然聖人の門弟四人の死罪、法然聖人と親鸞聖人など中心的な門弟七人が流罪に処さるという未曾有の念仏弾圧が行われた。 高森親鸞会では、同じような廃悪修善の因果論の論理によって、まさに法然・親鸞という両聖人が説かれた選択本願念仏という宗義を破壊し毀損しているとしか思えないのである。 親鸞聖人は、

西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
曠劫以来もいたづらに
むなしくこそはすぎにけれ

と、自らが迷い人を惑わせることを自障障他と言われているが、高森親鸞会の講師の方々に言いたい。 自らが迷うなら、それこそ自らの属する高森親鸞会の信条である「自因自果」であるが、どうか他者である会員を惑わせないで頂きたい。

加筆:
興福寺奏状に直接、「七仏通誡偈」の文言はない。

しかし、親鸞聖人の『教行証文類』撰述の動機となったといわれる、嘉禄の念仏弾圧事件の端緒となった元仁元年の『延暦寺奏状』には、この「七仏通誡偈」を論拠として念仏弾圧を行った事は明白であろう。

浄土真宗の根本の願である十八願には善の勧めはない。
この、阿弥陀如来から信心を恵まれる事に善の勧めがないことを根拠にして、念仏往生のご法義を弾圧して してきたのが聖道門であり世俗の法であった。

親鸞会は、まさに念仏弾圧の元となった廃悪修善の「七仏通誡偈」の論理をもって自らの依って立つ教義としているのであろうか。

『本願寺なぜこたえぬ』(高森顕徹著)恥ずかしい書物である。