お月さんいくつ

林遊@なんまんだぶつ Post in 仏教SNSからリモート
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を月(讃?) 幾ツ 十三七ツ
画像は仙厓和尚の手であるが全く関係の無い話。

宗教は科学や論理の所産ではない。
人が生きるという事はどういう事なのかを追求するものである。
(尤も、煩悩と言う欲望を刺激する邪教もあるので、本物と偽者を見分けることは難しい)

さて、お月さんに人を送ろうという計画を実行に移したのは、米国のケネディ大統領だった。
いわゆる科学の粋を集めたアポロ計画というものがそれである。

お月さんには兎が住んでいるとか、月の光りを月光菩薩と呼んでいた宗教という蒙昧迷信に一大鉄槌を下す科学の勝利の目論見である。

しかし、国の命令でアポロ宇宙船に搭乗する事になった乗組員や家族の思いは違う。

どれだけNASAの科学者が口を酸っぱくして安全だと言っても、宇宙船に乗るのは人間である。

ひょっとしたら、ロケットの打ち上げが失敗して宇宙船が爆発するのではなかろうか。

俺が死んだらワイフは新しい男と一緒になって俺のことを忘れてしまうのではないか。

政府や科学者は宇宙船は安全で大丈夫だというが、ひょっとしたら夫は帰らない人になるのではなかろうか。

あなた、死んじゃ駄目よ。どれだけ補償金を貰っても、あなたの子供の父親はあなたしかいないのよ。

などなど、科学の粋を集めたアポロには、煩悩一杯の男を載せて宇宙船は打ち上げられるのだった。

科学を否定するのではない、しかし科学という名によって消され抹殺された人の思いを忘れないで欲しい。そしてそれが宗教という人の生きる道なのである。

タバコを吸えば肺癌になる可能性が高くなるという医学的見地は百も承知である。酒という名のキチガイ水を飲めば正常な人間でいられないという事も合点している。

それでもタバコを止められず、旨しの酒に浮世の憂さを晴らす人がいる事を忘れないで欲しいと思ふ。
私という存在は、科学の論理の世界には居ないのである。悩んで苦しんで、どうしようもない現場に生きているのが私であった。
これはこれ、酔っ払いの戯言である。

を月さんいくつ、十三ななつ…
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