旧HPからの転載

林遊@なんまんだぶつ Post in 仏教SNSからリモート
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10数年前に書いたHPの文章から転送。

私ひとりの五劫

夕飯の時じいさんと話をしていて、何で阿弥陀様は五劫もかかんなさったんにゃろ。一劫くらいで解からんかったんにゃろか、という話になった時の事。

ひょっとして法蔵菩薩は一人ひとりの人生を、隈(くま)無く一回やんなさったに違いないと言うことになりました。
人が悩み苦しんでいるときには辛く悲しいものです。そして誰か私のこの苦しい気持ちを解って欲しいと思っても、誰も当人のようには解ってくれません。

かえって他者がこの気持ちを解ってくれない事に苦悩が倍増する事もあります。あなたの気持ちは解るなどと口でいくら言ってくれても、現に経験している苦悩は、経験しているその人にしか解りません。

その経験すらもそれぞれの境遇や生きてきた道のりなど、一人として同じものはないのですから、共感にはなりえても苦悩を共有することはできません。

そりゃそうです。自分自身が他者の苦悩を、自己の苦悩のように苦しみ悲しみそして解ってさしあげた事など、未だかってないのですから。

法蔵菩薩、五劫兆載永劫の時あらゆるいのちを一度経験し、あらゆる衆生の苦悩をつぶさに経験して下さって、仕上げて下さったなんまんだぶつです。
小生のいのちを、人生を、苦悩を一通り経験して下さったからこそ、これで間違いないと建てられたご本願でした。
何をしでかすか危ぶまれてならない、このいのちを目当てに、苦悩を材料としてのなんまんだぶつです。
この人生は、法蔵菩薩の経験して下さった人生を、苦悩を、悲しみをもう一度なぞっていく人生なのかも知れません。
腹がねじ切れるような煩悩に襲われた時、法蔵菩薩さんもこの想いを経験なさったのだなあ。この悲しみ、寂しさ、怒り、そして喜びも。あらゆる想いを経験して下さったから、そのままでいいんだよ、間違いないよと催促してまで聞こえて下さる喚び声なのだ。

胸をたたき、おなかをさすり、ここがあなたのお宿りの場所。よぉかったなぁ。

なんまんだぶ、なんまんだぶ。あまり阿弥陀様に心配かけんようにしょうっと。

なんまんだぶ、なんまんだぶ 、なんまんだぶ、称名相続 ...

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