浄土真宗の教えは難しいとよく言われる。
何故難しいかといえば簡単すぎるから難しいのだろう。
例えば「歎異抄」では次のように言われる。
「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなり
と信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」(歎異抄)
同書の12条ではより端的に「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」とある。
しかし、簡単という事と理解できることは違う。この狭間で信心とか念仏を論じて解からなくなってしまう人が多い。
この事についてしばらく諸先輩方の研究を参照しWikiArcの聖典を引用しながらして考えてみようと思ふ。
まるで、菅の穴からから天を窺うような試みなので、「管窺日記」としておこう。
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