親鸞聖人が『教行証文類』という題号で呼ばれておられるのは、聖道門の教行証に対抗しておられるからである。
もちろん
「つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。往相の回向について真実の教行信証あり。」(教巻)
と仰っているのであるから信を無視されたものではない。
「しかるに本願力の回向に二種の相あり。一つには往相、二つには還相なり。往相について大行あり、また浄信あり。」(浄土文類聚鈔)
教巻では、往相と還相をを回向されるのが浄土真宗であると教法名でいわれ、浄土文類聚鈔では本願力の回向を往相と還相だとされる。
つまり、本願によって往相/還相を恵まれるのが浄土真宗であるという事である。
法然聖人の『選択集本願念仏集』の選択集二門章では、道綽禅師の『安楽集』の聖浄二門判を引いて仏教には聖道門・浄土門の二道があるとされた。
そして、
おほよそこの『集』(安楽集)のなかに聖道・浄土の二門を立つる意は、聖道を捨てて浄土門に入らしめんがためなり。
とし、現在は末法であるから浄土門でなければ証を得ることができないとせられた。この選択集に対する論難に応答する書がまさしく『教行証文類』である。
この事は後序の
ひそかにおもんみれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道いま盛んなり。
の文で判る。
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