お浄土があってよかったね

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現代社会のこのような巨大な世俗化の出来事は、またそれ自身本質的には宗教的な性質をもっているのである。
人々がいろいろな擬似超越というものへ走るのも、超越という宗教的要求が、いつの世にも人間の心にあるという事実を物語っていると言えるだろう。

日本仏教の諸宗派のなかでは浄土真宗が、そういう世俗化の流れと今日でも闘っている珍しい例だとおもわれるが、その浄土真宗の現場においてさえ門信徒との法座の中で、
「<死にたくない>と繰り返す病人の前で、お念仏申せと言えなかった。言った方がよかったか」というような僧侶の意見があったことが報告されている(浄土真宗本願寺派『宗報』平成八年九月号)。
これが今日の浄土真宗の現場の正直な状況であるかもしれない。
しかし、これに対して浄土真宗が現代社会の中で実践されている極めて貴重な記録の一つとして、ある臨床医が書いたつぎのような文章がある。筆者は宮崎病院副院長の宮崎幸枝医師である。

●平成八年十二月十三日

病棟に入る。主任より報告を受け、真っ先にTさんのいる重症室へ。担当のAナースか「待っていました。早く指示を下さい」という目で私を見る。
耳介のチアノーゼだけが遠目にも鮮烈に視野に飛び込んでくる。Aさんが脈拍、呼吸、血圧、尿量と諳んじて言う数値はいずれも末期的な数ばかり。点滴へ、側管へと数種類を指示。

胃ガン摘出後四年を経てこの度肺へ転移。長いおつき合いのTさん。八四歳女性。
数日前のこと
「こんどは治らないかもしれないね」というと
「そう?」
と、か細いが、はっきりした声。そして
「やっぱり…」
という淋しげな表情。
「Tさん。たとえTさんがいま命終わったとしてもね、Tさんはこれでおしまいじゃないのよね。ビハーラで聞いたお話…」と仏様のお慈悲のお話をした。まだ症状は軽くゆっくりお話ができた。

今日、容態は一変した。厳しくせっぱつまった状況である。眉間の深い縦じわが苦痛を示し、不安そうな目を向ける。
「どこが苦しいですか?」
「ゼンブ!」
「何が一番不安ですか?」
「ゼンブ!」
聞くと即座にはね返すような返事。

先日の仏様のお話の続きが自然と私の口を動かしてはじまった。
「Tさん、お念仏はね。仏様が<私を頼りにしておくれ。必ずお浄土にあなたを迎えてお悟りの仏様にするよ>という仏様のお声なのよ。
お浄土があるよ。仏様と一緒にいるのだよって、今、仏様はTさんをだっこしてくださっているのよ。心配ないのよ」
「ウン」
「お浄土があってよかったね。私もTさんのあとから必ず往くからね。お念仏しましょう」

この時突然、Tさんの眉間のしわが消えた。そして満面の笑みがあらわれた。「ナマンダブツ」と称名。
「センセ、アリガトー」と言われる。よかった…と、その時傍らでびっくりすることが起こった。
今までベッドをはさんで向かい側Tさんの足許近くで聞いていたナースのAさんが突然大きい声で「Tさんよかったね」とTさんに近寄り言った。その目には涙が光っていた。彼女の感動が私にも伝わり、胸が熱くなる。

人間の、科学の限界である。三人三様の無力感の中に、知らず知らずのうちに仏語に頭が下がっていたのだろう。仏様の大きなお慈悲の前に、三人は裸のいのち三つをそこに並べていた。
『ようこそ』第9号、医療法人精光会宮崎病院、平成九年五月発行)
『蓮如のラディカリズム』大嶺顕著P45~


阿弥陀経には「倶会一処」とあるが、また倶(とも)に会える世界を持てるのはありがたいこっちゃな。
宮崎先生とは大昔に温泉津での深川和上の法話会の懇親会で一杯呑んだ事があったが、ありがたいお医者さんだな。

なんまんだだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ…

自業自得の救済論

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高森親鸞会という浄土真宗を名乗る新興宗教の団体がある。 この団体は、かって本願寺派紅楳英顕氏との間で宿善について論争したことがある。 紅楳氏の「破邪顕正や財施を修することが獲信のための宿善となる」という文証があれば示して欲しいとの主張を、「真宗に善をすすめる文証などあろうはずがない」と言い換え、紅楳氏の主張を歪曲し非難した過去がある。「派外からの異説について

その論争の中で真宗における善の勧めの根拠として高森親鸞会から提示されたのが「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」という七仏通誡偈であった。 この、七仏通誡偈をもって真宗に善の勧めがある、と高森親鸞会は主張するのである。

か くて、大上段に〝修善をすすめた文証など、あろうはずがない〟と、アッと驚く、タメゴローならぬ、外道よりも、あさましい放言をなさるのである。【本願寺なぜこたえぬ p138】

仏教で『七仏通戒偈』は、有名である。 すべての、仏教に共通した教えを、一言で喝破しているからだ。 「諸悪莫作、衆善奉行、自浄其意、是諸仏教」 〝もろもろの、悪をなすことなかれ、もろもろの、善をなして、心を浄くせよ、これが、諸仏の教えだ〟というのである。 本願寺サン、『七仏通戒偈』も、お忘れになったのか、と驚かされる。【本願寺なぜこたえぬ p138】

本願寺派では、あまりにも浄土真宗の基礎を知らない幼稚な主張にあきれはてて放置しておいたのだろうが、これをもって高森親鸞会内部では本願寺を論破した稀代の善知識として会員獲得のスローガンになっているらしい。

また、 「善因善果 悪因悪果 自因自果」の厳然たる因果の道理を知らされた者は、必ず「廃悪修善」の心が起きる。
高森親鸞会HP
と、主張し、「廃悪修善」を勧めていることは周知の事実である。 同様に、高森親鸞会では「善の勧めはなぜなのか」と自問し、

「十方衆生のほとんどが、仏とも法とも知らぬのだから、まず宇宙の真理である「善因善果、悪因悪果、自因自果」の因果の大道理から、廃悪修善の必要性を納得させ、実行を勧め、十八願の無碍の一道まで誘導するのが弥陀の目的なのだ。 要門と言われる十九願は、善を捨てさす為のものではなく、善を実行させる為の願であることは、明々白々である。 実践しなければ果報は来ない。 知った分かったの合点だけでは、信仰は進まないのである。」
同HP

と主張している。 親鸞聖人には「願海真仮論」があるが、高森親鸞会では、この三願転入の論理を聖道門の自業自得の因果論によって解釈し、会員に善を勧め(主として人集め金集め)十八願直入の道を遮蔽しているのである。

十八願は阿弥陀如来の本意の願であり、十九願二十願は不本意の願である事は親鸞聖人の「願海真仮論」によって顕かである。何故に会員に阿弥陀如来の不本意の十九願二十願を勧め、ましてや六度万行(六波羅蜜)という法蔵菩薩の五劫兆歳永劫の修行を会員に策励するのであろうか。 本願寺派勧学梯實圓和上は自著『顕浄土方便化身土文類講讃』で以下のように述べられている。

真仮論の救済論的意義ー自業自得の救済論

阿弥陀仏の本願のなかに真実と方便を分判し、浄土三部経にも真実教と方便教があるといわれた親鸞聖人は、そのように真仮を分判しなければならないのは「真仮を知らざるによりて、如来広大の恩徳を迷失す」るからであるといわれていた。逆にいえば、真仮を分判することによって、はじめて如来の救いの真相が明らかになるというのであった。

その意味で真仮論は、聖人の救済論の根幹にかかわることがらだったのである。 真仮論とは、浄土教を、さらに広くいえば仏教を、二つのタイブの救済観に分けることであった。

第一は、自業自得の因果論に立った救済観であり、それは論功行賞的な発想による救済観であった。 第二は、大悲の必然として救いが恵まれるとする自然法爾の救済観であって、それは医療に似た救済観であった。 自業自得の因果論に立脚した救済観というのは「誠疑讃」に

自力諸善のひとはみな
仏智の不思議をうたがへば
自業自得の道理にて
七宝の獄にぞいりにける

といわれているような、自力の行信因果をもって救済を考えていく思想をいう。
それは浄土教というよりも、むしろ仏教に一般的に共通した思考形態であったといえよう. 有名な七仏通誠の偈とよばれる詩句がある。

諸悪莫作(もろもろの悪は作すことなかれ)
衆善奉行(もろもろの善は奉行せよ)
自浄其意(自らその意を浄くす)
是諸仏教(これ諸仏の教えなり)

というのである。悪を廃して善を行じ、無明煩悩を断じて、自心を浄化し、安らかな涅槃の境地に至ることを教えるのが、すべての仏陀の教えであるというのである。

このように廃悪修善によって涅槃の果徳を実現しようとする自業自得の修道の因果論が、七仏通誠といわれるように、仏教理解の基本的な枠組みであった。 このような自業自得の因果論の延長線上に浄土教の救済を見るのが第一の立場であった。

法然聖人を論難した『興福寺奏状』の第六「浄土に暗き失」によれば、諸行往生を認めない法然は『観経』等の浄土経典や、曇鸞、道綽、善導にも背く妄説をもって人々を誤るものであるといっている。 すなわち『観経』には、三福九品の諸行による凡聖の往生が説かれているが、彼等が往生するとき、仏はその先世の徳行の高下に応じて上々から下々に至る九品の階級を授けられていく、それが自業自得の道理の必然だからである。

たとえば帝王が天に代わって官を授くるのに賢愚の品に随い、功績に応ずるようなものである。しかるに専修のものは、下々の悪人が、上々の賢善者と倶に生ずるように主張しているが、「偏へに仏力を憑みて涯分を測らざる、是れ則ち愚痴の過」を犯していると非難している。
これは明らかに自業自得、廃悪修善の因果論をもって、法然教学を批判しているもので、『興福寺奏状』の起草者、解脱上人貞慶からみれば法然聖人の浄土教は、仏教の基本的な枠をはみ出した異端でしかなかったのである。 『顕浄土方便化身土文類講讃』(梯實圓著)P61~


高森親鸞会のHP「承元の法難」には何故か『興福寺奏状』の第六「浄土に暗き失」が意図的に省かれている。
同HP
参考の為に意図的に省略された『興福寺奏状』の第六「浄土に暗き失」の部分を提示しておく。→興福寺奏状

これは、前掲の梯實圓和上の説にもあるように、高森親鸞会の主張する「廃悪修善」「自業自得の因果論」にとって都合の悪いものであるから意図的に省いたのであろう。

承元の法難では『興福寺奏状』に説かれる論理によって、法然聖人の門弟四人の死罪、法然聖人と親鸞聖人など中心的な門弟七人が流罪に処さるという未曾有の念仏弾圧が行われた。 高森親鸞会では、同じような廃悪修善の因果論の論理によって、まさに法然・親鸞という両聖人が説かれた選択本願念仏という宗義を破壊し毀損しているとしか思えないのである。 親鸞聖人は、

西路を指授せしかども
自障障他せしほどに
曠劫以来もいたづらに
むなしくこそはすぎにけれ

と、自らが迷い人を惑わせることを自障障他と言われているが、高森親鸞会の講師の方々に言いたい。 自らが迷うなら、それこそ自らの属する高森親鸞会の信条である「自因自果」であるが、どうか他者である会員を惑わせないで頂きたい。

加筆:
興福寺奏状に直接、「七仏通誡偈」の文言はない。

しかし、親鸞聖人の『教行証文類』撰述の動機となったといわれる、嘉禄の念仏弾圧事件の端緒となった元仁元年の『延暦寺奏状』には、この「七仏通誡偈」を論拠として念仏弾圧を行った事は明白であろう。

浄土真宗の根本の願である十八願には善の勧めはない。
この、阿弥陀如来から信心を恵まれる事に善の勧めがないことを根拠にして、念仏往生のご法義を弾圧して してきたのが聖道門であり世俗の法であった。

親鸞会は、まさに念仏弾圧の元となった廃悪修善の「七仏通誡偈」の論理をもって自らの依って立つ教義としているのであろうか。

『本願寺なぜこたえぬ』(高森顕徹著)恥ずかしい書物である。

法然聖人の回心

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されば出離の志しいたりてふかかりしあひだ、もろもろの教法を信じて、もろもろの行業を修す。
およそ佛数おほしといへども、詮ずるところ戒定恵の三學をばすぎず。
いはゆる小乗の戒定恵、大乗の戒定恵、頓教の戒定恵、密数の戒定恵なり。
しかるにわがこの身は、戒行において一戒をもたもたず、禅定に於いて一もこれをえず、智恵に於いて断惑證果の正智をえず・・かなしきかなかなしきかな。いかがせんいかがせん。

ここにわがごときは、すでに戒定悪の三學のうつはものにあらず。この三學の外にわが心に相応する法門ありや。わが身にたへたる修行やあると、よろづの智者にもとめもろもろの學者にとぶらひしに、をしゆる人もなく、しめすともがらもなし。

しかるあひだなげきなげき経蔵に入り、かなしみかなしみ聖教にむかひて、てづからみづからひらきてみしに、善導の『観経の疏』にいはく
「一心に専ら弥陀名号を念じ、行住座臥時節の久近を問はず、念々に捨てざる、是れを正定の業となづく、かの仏の願に順ずるが故に」
といふ文を見えて後、われらがごとき無知の身は、ひとへに此の文をあふぎ、もはらこのことはりをたのみて、念々不捨の称名を修して決定往生の業因にそなふべし。
ただ善導の遺教を信ずるのみにあらず、又あつく彌陀の弘願に順ぜり。順彼仏願故の文ふかくたましいにそみ、心にとどめたる也 (和語灯録)

なんまんだぶは、かの仏願に順ずるが故なんだよなあ。
法然聖人は、めちゃくちゃうれしかっただろうな。

なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ…

善知識帰命の過ち

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>>>引用開始

親鸞聖人は、私がいつも言っている事は「如来様にお任せするのだよ。自分に任せるのでもない、人に任せるんでもない。如来様に任せるのだよ。それから自分を信ずるでも、人を信ずるのでもない。如来様のお言葉を信ずるのだよ」と言われておられるのです。これだけをハッキリと心に定めれば問題はなくなる筈です。人だけが表に立って如来様が見えなくなる。これが非常に危険な事です。すぐれた宗教者というのは非常にインパクトの強い、というか、カリスマ性を持っていまして普通の人間よりは強い強烈な個性を持って人々の心の中に迫ってくるものがあるのです。それだけに人が表に立ってしまうのです。そして肝心のものが見えなくなる。これはすぐれた宗教者ほどその事に気がついていて、その事をみんなに注意する訳です。

お釈迦様もそうです。「我を見るものは我を見ず。法を見るものは我を見る。」とおっしゃいます。或いは「私の影を踏み、私の衣に触れたとしても、仏に触れたとはいえない。」といわれています。私の衣の袖を捕まえていたとしても仏陀としての私に触れた事にはならないのです。影を踏むというのですから余程近い所にいます。影を踏んでいても私を見た事にならない。「我を見るものは我を見ず。法を見るものは我を見る」というのです。お釈迦様の事を非常に尊い方という事で釈尊といいます。釈迦族出身の聖者で、もう絶対的な人格として弟子達には映る訳です。しかし釈尊自身は「私を見てはいけない」という事をいつも言い続ける人なのです。「私を支え、私を目覚めさせているその法を見なさい。法を見るものは我を見る」というのです。だから「仏に帰依する」という、その次に必ず「法に帰依する」とでてきます。「南無帰依仏、南無帰依法、南無帰依僧」といいます。仏に帰依するというのは仏が悟り、そして仏が説かれたその法に心が向いている、しかし仏を通さなければそれが分かりませんから。仏を通して、しかし仏を突き抜けて、仏をして仏たらしめている法を受け入れる。これが仏教なのです。

親鸞聖人もそうです。「私のいう事を信ぜよ」とは決しておっしゃらないのです。寧ろお釈迦様以来ズウーと伝わってきた法を信ずるのだ。お釈迦様を揺り動かし、七高僧を揺り動かし、そして私達を呼び覚ましている法を信ずるのだ。それは七高僧を通して、お釈迦様を通して我々の上に実現している。けれども真宗ではどこまでもお釈迦様というのは善知識です。救済主ではないのです。救済するのはお釈迦様ではなくて阿弥陀様です。だからこの場合にお釈迦様というのは教主です。教えを説く人です。阿弥陀様は救主です。阿弥陀様がお救いになる事をお釈迦様が私達に解説をして下さる訳です。だから私達はお釈迦様を通して阿弥陀様に一人一人が直参しなければなりません。だから真宗ではお釈迦様が本堂にご安置されていません。阿弥陀様だけがご安置されています。信仰の対象はお釈迦様よりも阿弥陀様になる訳です。お釈迦様は阿弥陀様の教えを私達にお取次をして下さる訳です。だからどこまでも私達はお釈迦様を通して阿弥陀様の教えを聞く、弥陀の本願を聞くのです。その阿弥陀様の本願をお説きになるのがお釈迦様ですから、お釈迦様の言葉を通して阿弥陀様の教えに直参するという事です。その善知識としてのお釈迦様をズウーと伝統したのが七高僧であり、我々にとっては親鸞聖人もそうです。だから私達にとって親鸞聖人も善知識ではありますが救済主ではありません。親鸞聖人に救って貰うのではありません。親鸞聖人が「阿弥陀様に救って頂くのだよ、この本願に救って頂くのだよ」といわれたその本願を信じ、そして念仏を申すという事になる訳です。

それが逆に善知識が表に立ちますと法が見えなくなるのです。そうすると非常に危険な形がでてくるのです。真宗で知識帰命という事を厳しく戒めるのはそれなのです。蓮如上人もその事を厳しく戒めていらっしゃいます。蓮如上人が吉崎御坊にお越しになった頃に蓮如上人の教えを受けて雪崩現象を起こして北国一円が本願寺の門徒に変わっていくというような大変な状況が出てくる訳ですが、ああいう風になりますといわゆる人気が人気を呼ぶのです。蓮如上人はスターどころかスーパースターです。とにかく顔を見るだけで有り難い。お声を聞くだけで極楽へいけるような気がするのです。これが集団でそういう状況になりますと一種の集団催眠術にかかったようなものなのです。またそれくらいの能力を持っていないとあれだけの伝道は出来ない訳です。それだけに危険な落とし穴がある訳です。それを蓮如上人は自分自身でよく知っておられた訳です。吉崎に参ってくる人達は大変な数だったらしいのです。開門と同時にワァーと入ってくる訳なのです。それで押されして将棋倒しになって怪我人まででるのです。吉崎では死人はでなかったけれども井波の瑞泉寺においでになった時には死人が出ています。雪崩をうってワァーと入りますから。少しでも蓮如上人に近い所へいって顔を見て声を聞いて、出来たら手ぐらい握ってもらおう、そうすれば極楽へ一直線に参れると思っていますから制止も何も聞く者はいないのです。一斉に入ってくるから折り重なって死んでしまう訳です。しかし死んでも良いのだ。ここで死んだら極楽へいけるのだというのですからかないません。

それで蓮如上人は『御文章』(→帖外) の中で「参ってくる人の中には私を拝みに来る人がいる。この生臭い坊主を拝んで何になるか、私を拝むような不心得ものは一切来るな。私を拝みに来るぐらいなら、墓場でひっくり返っている卒塔婆でも拝んでおれ。その方がまだ功徳がある」とおっしゃっています。それくらい私を拝むのではないぞとおっしゃる訳です。それくらいに蓮如上人を慕う事によって教えというものが入ってくる訳でしょうが、それがまた蓮如上人を余りにも頼りますから、そうすると阿弥陀様が見えなくなるという事になるのです。

その典型的な例は、お釈迦様の弟子の阿難尊者です。阿難尊者はお釈迦様の従兄弟です。お釈迦様の五十五才頃から八十才で亡くなるまでの晩年の二十五年間というものはズウーとお釈迦様に付いていたのです。いわゆる多聞第一といわれるように教えを一番よく聞いていた人です。しかし彼はお釈迦様の生きている間に究極の悟りを開く事が出来ませんでした。僅かに預流果という聖者の位としては一番低い所に居たのです。『仏説阿弥陀経』では「千二百五十人みなこれ大阿羅漢にして衆に知識せらりき」と書いてありますが、他の経典では殆どの場合は「みな大阿羅漢にして、阿難の場合だけは違う」と書いてあります。

殆どの人はみな阿羅漢の悟りを開いているのだけれども阿難だけは除くというのです。まだ究極の悟りを開いていなかったという訳です。何故かというとお釈迦様にズウーと付いていたからなのです、ズウーとお釈迦様に付いていますとどうしてもお釈迦様に頼りきってしまうのです。そのために法が見えなくなる。沢山聞いて知っているんだけれども肝心の所が悟られていないのです。それで彼はお釈迦様が亡くなった後にお釈迦様の教えを全部編集しようと弟子達が全て集まって「ある時に私はこう聞いた」「私はこう聞いた」というものを全部持ち寄ってお釈迦様の説法を集録したのです。お釈迦様は一字も書いて残しておられませんから原稿は残っていない訳です。テープレコーダーがある訳でもありません。だから聞いた人が死んでしまいますと、それで消えてしまいますから聞いた人がまだ生きている間に皆その言葉を集めたのです。ただし本格的な悟りを開いたものでなかったら聞いた事がただ言葉としてだけ聞いて、それが自分の中でハッキリと確認されていないと聞き損なっている場合があります。だから本当の悟りを開いた人でなかったら編集会議に集まれないのです。悟りを開いた人だったら、教えの言葉をその悟りの心によってチャンと確かめている訳です。確かめていますから少しぐらい言葉が変わっていても大丈夫なのです。その言葉は正確なのです。
{中略}
そんな事で阿難尊者はお釈迦様に付いていましたから沢山覚えて知ってはいますけれども自分自身が阿羅漢という悟りの境地に到達していません。だからその言葉は確認された真理ではない訳です。だから信用できない訳です。そういう事で阿難尊者は経典編集会議には参加させて貰えなかったのです。それで彼はこれではお釈迦様に対して申し訳ないというので編集会議が行われる迄の間に彼は悟りを開くのです。死体置き場へ行き恐ろしい所で瞑想に入りまして、結集(編集会議)の行われる直前に彼は忽然と悟りを開くのです。そして彼は悟りを開いた事を編集会議の最高責任者であった摩訶迦葉に、その領解を述べますと「よろしい貴方はもう大丈夫だ。見るべきものを見た、悟るべきものを悟った」と承認され編集会議の中に入る事が出来たのです。そして「如是我聞……」と説いていく訳です。

このように偉大な人格が前にありますと、その人格に押されてしまいまして、その人格のもう一つ向こうに、その人格を包んでいる法が見えなくなるのです。そうすると一番大切なものが見えないという事になるのです。親鸞聖人や蓮如上人もそうですし、法然聖人もそうですが、それを非常に警戒されている訳です。真宗では「知識だのみ」といいます。善知識に心の焦点があってしまって、善知識が伝えようとしている根元的な真理が見えなくなってしまう事を善知識だのみといいます。それを禅宗の方では「人惑を受ける」といいます。人に惑わされる。人に惑わされるという事は人を見ているから人に惑わされるのです。人を見るな、人を超えて法を見よ。これを仏教では「法によって人によらず」或いは「義によって語によらず」言葉は言葉を超えた真理を伝える道具なのです。だから言葉を超えてその言葉が伝えようとする真実によるのだ。言葉によってはいけない。言葉を通して言葉を超える。「義によって語によらず」「法によって人によらず」こういう事がよく言われます。

朝日カルチャー「親鸞聖人とその妻の手紙」梯實圓和上 から抜書き
>>>引用終了

→「法を見るものはわれを見る」

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弥陀をたのむとは、向きをかえるなり

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一蓮院秀存につかえていた広部信次郎が、つぎのような逸話をつたえております。
あるとき四、五人の同行が、一蓮院の役宅をたずねてきて、御本山に参詣した思い出に、浄土真宗のかなめをお聞かせいただきたいとお願いしたとき、一蓮院は、一同に、

「浄土真宗のかなめとは、ほかでもない、そのままのおたすけぞ」
といわれました。すると一人の同行が、

「それでは、このまんまでおたすけでござりまするか」
と念をおすと、師は、かぶりをふって、

「ちがう」
みなは驚いて、しばらく沈黙していましたが、また一人が顔をあげて、

「このまんまのおたすけでござりまするか」
とたずねました。しかし師は、またかぶりをふって、

「ちがう」
といったきり、お念仏をされます。皆はもうどう受けとっていいかわからなくなって、お互いに顔を見合わせていましたが、また一人が、

「おそれいりますが、もう一度お聞かせくださいませ.どうにも私どもにはわかりませぬ」
というと、師はまた一同に対して静かに、

「浄土真宗のおいわれとは、ほかでもない、そのままのおたすけぞ」

それを聞くなり、その人は、はっと頭をさげて、

「ありがとうござります。もったいのうござります」
といいながらお念仏いたしますと、一蓮院は、非常によろこばれて、

「お互いに、尊い御法縁にあわせてもらいましたのう。またお浄土であいましょうぞ」
といわれたそうです。

浄土真宗の法義を聞くというのは、ただ話を聞いて理解すればいいというものではありません。また、法話に感激して涙をながせばいいというものでもありません。
煩悩にまみれた日暮しのなかに、ただようている私に向って「そのままを助けるぞ」とおおせくださるみことばを、はからいなくうけいれて「私がおたすけにあずかる」と聞きひらかねば所詮がないのです。私のたすかることを聞くのが聴聞なのです。

梯實圓和上「妙好人のことば━わかりやすい名言名句」より。

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あるブログへの投稿 2(お節介だなあ)

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救いというものを勘違いなさってるのじゃないかな。
ひょっとして、仏教の救済を金魚掬いの金魚のように思っているから解からなくなる。
 
仏教の目的は成仏であって、浄土真宗で救済という意味は悟りを得て目覚めたブッダになるという事意外にはないです。
救済の済は斉(等しい)と言う意味であってブッダと等しい者にする/なるという事が救済という言葉の意味でしょう。
 
そして、その悟りが開覚するのは往生後(死んでから)である、というのが浄土を真実とする宗教なんだね。
今現在に、迷いを超えたブッダになる事が<確定していること>を真宗では救いと呼ぶわけだ。
決してある日突然私の身の上に奇跡が起きたり異常な体験をする事ではないんだ。
 
一時、自分探しという事が流行ったけど、真宗では自分を探して下さっていたのは阿弥陀様なんだね。
曠劫以来、阿弥陀様から<汝>と呼びかけられていた事に気付くのが信でしょ。
自分探しで言えば<汝としての自己の発見>が浄土真宗の信です。
 
二河白道で言えば、
また西の岸の上に、人ありて喚ばひていはく、〈なんぢ一心に正念にしてただちに来れ、われよくなんぢを護らん。すべて水火の難に堕せんことを畏れざれ〉
現代語:
また、西の岸の上に人がいて、<そなたは一心にためらうことなくまっすぐに来るがよい。わたしがそなたを護ろう。水の河や火の河に落ちるのではないかと恐れるな>
と呼び続けて下さっているのが阿弥陀様で、こちら側は<汝>として呼ばれている側です。
 
もっと具体的に行為で言えば、真宗の信は、なんまんだぶつを称える事です。
なんまんだぶつが私の口から称えられている事の驚きを信心という、と仰った方がおられましたが不安ならお念仏を称えてみましょう。
 
御開山は、
しかれば名(みな)を称するに、よく衆生の一切の無明を破し、よく衆生の一切の志願を満てたまふ。称名はすなはちこれ最勝真妙の正業なり。正業はすなはちこれ念仏なり。念仏はすなはちこれ南無阿弥陀仏なり。南無阿弥陀仏はすなはちこれ正念なりと、知るべしと。
http://wikidharma.org/4aebda9c2f43e
現代語:
こういうわけであるから、阿弥陀仏の名を称えるならば、その名号の徳用としてよく人びとのすべての無明を破り、よく人びとのすべての願いを満たしてくださいます。称名はすなわち、もっとも勝れた、真実にして微妙な徳をもった正定の行業です。正定業は、すなわち称名念仏です。念仏は、すなわち南無阿弥陀仏です。南無阿弥陀仏が、すなわち正念です。このように知るべきです。
http://wikidharma.org/4aebdaeec1442
と、仰いましたが、一切の無明を破し、我々の往生成仏の志願を満たして下さる名号です。
 
御開山はまた、
果遂の誓(第二十願)、まことに由あるかな。
とも仰ってますね。
なんまんだぶ、なんまんだぶと称えると、私の耳に、大丈夫、大丈夫と聞こえてきます。
半自力/半他力と人に言われてもいいじゃないですか。人はいざ知らず、私の後生、往生成仏の一大事じゃないですか。
 
このご法義は名号摂化の御法義です。光明名号 摂化十方 但使信心求念と、光明名号の摂化が先でそれを受領したのが信心ですね。
一声のお念仏も無くて、ご信心に至る人はあり得ません。もしいるなら信機秘事の異安心です。
もちろん、私が称えたなんまんだぶつの功で救われるご法義ではなく、なんまんだぶつの謂われが私の心に届いてそれを受容した時に往生成仏が定まり、摂取不捨の利益を恵まれるのです。これが浄土真宗のご信心です。
 
その時に、自力で称えていたと思ったなんまんだぶつが、実は阿弥陀如来の曠劫以来の呼び声であった事に気付くのかもしれませんね。本当は称えられるなんまんだぶつには自力も他力もないのですが、自分の機執によって自力の念仏にしてしまってるのです。
 
信心に惑わずに、お念仏しましょうよ。私に用事がなくても阿弥陀様が用事がある称名ですよね。
 
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ…

あるブログへの投稿

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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信心について。
親鸞会では「信」を強調するあまりに、信心が目的になってしまって、会員の方は本来の仏教の目的が判らなくなっているのでしょうか。

仏教の目的は成仏であって悟りを得る事です。
仏教とは、
仏説教(仏が説く教え)
説仏教(仏を説く教え)
成仏教(仏に成る教え)
まとめれば、仏教とは、仏が、仏について説く教えを拠り所として、自らが仏になる教えです。

通常の仏教では「信解行証」といって、信は仏教に入る一番最初の段階を信といいます。
仏の説いた法を、信じて、解(理解)して、その解した行(戒・定・慧)を行じて証(さとり)へ至るというプロセスが当たり前の仏教の考え方。
このような立場を「善をしなければ信仰は進まない」と言えるかもしれません。

この努力して目的に至るプロセスという概念は誰にでも判り受け容れられるから「易信」(信じやすい)といい、しかし行は行じ難いから「難行」という。いわゆる「易信難行」というのが聖道門の論理です。
此土入聖というこの世で悟りを得ようというのが聖道門。

これに対して、浄土門では「易行難信」といって、行は南無阿弥陀仏を称えるという「易行」だが、信ずる事が難しいから「難信」という。
無量寿経の流通分で釈尊が、
「諸仏の経道、得がたく聞きがたし。菩薩の勝法・諸波羅蜜、聞くことを得ることまた難し。善知識に遇ひ、法を聞き、よく行ずること、これまた難しとす。もしこの経を聞きて信楽受持することは、難のなかの難、これに過ぎたる難はなけん。」
http://wikidharma.org/4ada97d64e3c8
現代語訳:
如来がお出ましになった世に生れることは難しく、その如来に会うことも難しい。また、仏がたの教えを聞くことも難しい。菩薩のすぐれた教えや六波羅蜜の行について聞くのも難しく、善知識に会って教えを聞き、修行することもまた難しい。ましてこの教えを聞き、信じてたもち続けることはもっとも難しいことであって、これより難しいことは他にない。
http://wikidharma.org/4aebd5b0ebfa9
と、「難中之難無過此難」と仰り、阿弥陀経でも「難信之法」と、お前に信じる事はできないぞ、と仰せです。

何故信じる事が出来ないかと言えば、他力だからです。仏が行じて仏が仕上げた仏の不可思議の本願であるから信じる事が難しいと仰るのです。

しかし、浄土真宗では「信心正因」といって、信心が成仏の因であるという。
これって、おかしいですね。
なぜ信が正因であるかといえば信は真実であるからというのが御開山の解釈です。
「信楽といふは、信とはすなはちこれ真なり、実なり」。
http://wikidharma.org/4ada9b663f394

では、その真実が我々にあるかといえば全く無い。
貪欲(とんよく)むさぼり、瞋恚(しんに)いかり、愚痴(ぐち)おろかさ、の三毒煩悩に苦悩しているのが、人が生きるという事の実体です。
この煩悩は死ぬまで無くならないし、死ななければ無くならない煩悩の中に、お前は仏に成るのだという阿弥陀如来の信心(真実)の言葉を聞いていくのが、浄土真宗でいう信でしょう。

利井鮮妙和上が、歎異抄の一条を、
「弥陀の誓願不思議にたすけられまゐらせて、往生をばとぐるなり」
で切って読め、と仰ったそうですが、この言葉が信心の中身だからでしょう。

「と信じて念仏申さんとおもひたつこころのおこるとき、すなはち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。」
本願によって浄土へ生まれさせて下さる事を、信じて(受け容れて)お念仏しよう、と思い立った時に摂取不捨の身にさせて頂くのです。

本願文に、
至心 信楽 欲生我国 乃至十念
本当に(至心)疑いなく(信楽)私の国に生まれると欲って(欲生我国)、たとえ十声でもお念仏を称えてくれ(乃至十念)、とあります。
どのように考えても死ぬとしか思えないことを、我が国に生まれるんだと欲(おも)え、というのですから信じられる訳がありません。
しかし、生と死を超えていく術(すべ)もない私が、阿弥陀さまの仰る事は解かりませんが、阿弥陀さまの仰る事に間違いはない、と受け取らせて頂きますというのが利他の信心です。

この信心は、阿弥陀如来の信心です。
「この心はすなはち如来の大悲心なるがゆゑに、かならず報土の正定の因となる。如来、苦悩の群生海を悲憐して、無碍広大の浄信をもつて諸有海に回施したまへり。これを利他真実の信心と名づく。」
http://wikidharma.org/4ad12a1bd5d4a
現代語訳:
この心、すなわち信楽は、阿弥陀仏の大いなる慈悲の心にほかならないから、必ず真実報土にいたる正因となるのである。如来が苦しみ悩む衆生を哀れんで、この上ない功徳をおさめた清らかな信を、迷いの世界に生きる衆生に広く施し与えられたのである。これを他力の信心というのである。

阿弥陀如来の信心であるからこそ、往生成仏の正因であるというのが「信心正因」という事なのです。
昔から、大きな信心十六ぺん、ちょこちょこ安心数しれず、という言葉がありますが、自らの拵えた「行に迷ひ信に惑」うよりも、阿弥陀仏に向かって本願のお言葉を拝聴することこそが肝要ですね。

手を離せ

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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浄土真宗の御法義は他力にうちまかせる御法義だが、なかなか判りにくい。で、ちょっといい話を読んだのでUP。
 
途中に宇曽川という川があって川上で夕立でもあったのか増水しています。
 
橋のある街道すじまで廻つて帰ると一里か、それ以上も廻りみちになります。
 
和上『これはアカン、仕方がない、廻り途をしよう。』
と云われますが、若者は承知しません。
和上も「それもそうだ」というわけで、着物をぬいでハダカになられました。
 
若者は和上の手をひいて、川を渡りはじめましたが、案外水は深く、川のマン中ほどまでくると、スネから腰、腰から胸と、次第に深くなって、どうかすると、年老りの和上は足をとられそうです。
 
和上「オイ、これはアカン、流されそうじやたすけてくれョ。』
と若者の腰にすがられる。

若者「老僧さん、アカンアカン。そんなに抱きつかれては私が歩けん、老僧さん離しておくれ。」
 
和上『無茶云うな、手を離したらワシは流されるやなないかー』
 
若者「でも、そんなにシガミつかれたんでは私も流される。手を離しておくれ。」
 
川の流のマン中で、大そうどうであります。しばらくたって、和上は、若者の腰から手を離されたが、和上が手を離されるなり、若者がしっかりと和上の手をつかんで、引きずるようにして向うの岸にわたりました。
 
引きずられながら、和上の口からはお念仏がとめどもなく流れ出てまいります。やがて、対岸につくと
 
和上『お前まあ、そこへすわれ。』
 
若者「もう日もくれますから、早く着物をきて帰りましよう。」
 
和上「イヤ、とにかくすわつてくれ、ワシはお前に礼を云わねはならぬ。是非ともお前に聞いてもらいたいことがある』
 
若者を無理に坐らせて、川の土手の上で、ハダカのままでのお話であります。
 
和上『お前、ようワシを渡してくれた。イヤそれよりも、ワシに大きな味わいをくれたでそのお礼を云わねばならぬ。さっき、お前が川のマン中でワシに手をはなせというた、あのときの、ワシの胸のうちはどうだったろう。
 
ふだんは和上さん、老僧さんといたわり、うやもうてくれるが、イヨイヨとなると、背に腹かえられぬ、自分だけ助かったらよいと思うて、ワシに手を離せという、ヒドイ奴じや」と思うと煮えかえるようだつた。
 
しかし考えて見れぱ、ワシは老さき短かい老僧、お前は元気な若者じや、連れて死んでもすまんと思うて手を離すやいなや、お前がしっかりワシの手をつかまえて渡してくれた。』
 
『ワシがいつも云うておるが、蓮如さまが仰せられる「雑行雑修自力のこころをふりすてよ」との御教化はここの味わいじゃ。よう聞いてくれよ』
 
『お名号をつかまえ、お名号につかまって 助かろうとする、そうしてお名号のおはたらきをさまたげて、自分は流れるのじゃ。わがハカライを離れたとき、阿彌陀如来はしっかりと、ワシをつかんでわたして下さるのじや。』
 
『お前はいま、身体にかけて、この味わいを見せてくれだが、 「雑行雑修のこころをふりすてよ」とは如来(おや)さまのお慈悲のありだけじやで、どうかここのところを頂いておくれや。」
 
宇曽川の土手の上で裸のま~の御教化であつたつたと伝えられております。
 
宏遠和上の裸のままの御教化。