ある方が懇志を提供してくださったので、サーバーを増強し新しいSNSサイトを作ってみた。
ここではSNSとは、同じような価値観、世界観を持っている人のネットワークとして定義しておく。もちろん浄土真宗という宗教によって生と死を超える道を、往生極楽の道として阿弥陀如来の願いを聞いていこうというSNSである。
仏教の三学、戒・定・慧(戒律と禅定と智慧)を磨いて生と死を超え、この世で悟りを得る道もあるのであろう。
しかし、自らで制御できない煩悩に呻吟しながらもなお、仏道を求め仏陀と同じ悟りに至る道もある。それが「往生極楽の道」である。
法然聖人は「聖道門の修行は、智慧をきわめて生死をはなれ、浄土門の修行は、愚癡にかへりて極楽にむまる」と仰ったそうである。これは親鸞聖人の消息の中で「故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」と候ひしことを、たしかにうけたまはり候ひしうへに、ものもおぼえぬあさましきひとびとのまゐりたるを 御覧じては、「往生必定すべし」とて、笑ませたまひしをみまゐらせ候ひき。」『御消息』p.771 とある。
人間を含めた動物、いや植物まで含んで弱肉強食・優勝劣敗が生物の進化という名の歴史であった。
しかし、弱者や世俗から受け容れられない悪人と呼ばれる者を救済の対象として真正面から取り上げ苦闘のなかで組み上げた思想が浄土真宗という、阿弥陀如来の本願を宗となし名号を体とする宗教である。(宗教とは元来、宗とする教えという仏教語だが、明治期に欧米語の翻訳語として使われてから意味が変わった)
日常茶飯の何気ない事柄から、阿弥陀如来に願われている意味を聴いていくのが浄土を真実とする宗である。この”いのち”、どこから来て何処へ行くのか、そして阿弥陀如来とはどのような存在なのかを、心の余裕を持って語り合い、過激な発言にはちょっぴり、はらはらどきどきしならが語り遇えるSNSになって欲しいと思ふ。
念のために書いておくけど、浄土真宗はTS会のいうような、信じて救われるご法義ではありません。
必ずこれで救われてくれるという、阿弥陀如来の本願を聞信するご法義です。私が救われようと思う前に、如来の救済の道が用意されていたことの驚きが如来の名を称えるということです。救われてありがとうというサンキュウの意味は名号にはありません。
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