さて、「至誠心」が明らかになったので「不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮」についてもう少し梯實圓和上の『法然教学の研究』から窺ってみよう。漢文読み下しは私において付した。
二、内外相翻釈の意義
『選択集』「三心章」の私釈には、『散善義』の「不得外現 賢善精進之相、内懐虚仮」といわれた文意をつまびらかにするために、内外相飜の釈が施されている。
外者対内之辞也、謂外相与内心不調之意、即是外智内愚也。賢者対愚之辞也、謂外是賢、内即愚也。善者対悪之辞也、謂外是善、内即悪也。精進者対懈怠之辞也、謂外示精進相、内即懐懈怠心也。若夫飜外蓄内者、祇応備出要。内懐虚仮等者、内者対外之辞也、謂内心与外相不調之意、即是内虚外実也、虚者対実之辞也、謂内虚外実者也。仮者対真之辞也、謂内仮外真也。若夫飜内播外者、亦可足出要。
(外は内に対する辞なり。いはく外相と内心と不調の意なり。すなはちこれ外は智、内は愚なり。賢といふは愚に対する言なり。いはく外はこれ賢、内はすなはち愚なり。善は悪に対する辞なり。 いはく外はこれ善、内はすなはち悪なり。精進は懈怠に対する言なり。いはく外には精進の相を示し、内にはすなはち懈怠の心を懐く。もしそれ外を翻じて内に蓄へば、まことに出要に備ふべし。「内に虚仮を懐く」と等とは、内は外に対する辞なり。いはく内心と外相と不調の意なり。すなはちこれ内は虚、外は実なり。虚は実に対する言なり。いはく内は虚、外は実なるものなり。仮は真に対する辞なり。いはく内は仮、外は真なり。もしそれ内を翻じて外に播さば、また出要に足りぬべし。)
といわれたものがそれである。すでにのべたように疏文の当分は、内外不調を不真実といい、内外相応して真実心でなければならないといわれているのである。それに対して法然は、外相が智、賢、善、精進、実、真であっても、内心が癡、愚、悪、懈怠、虚、仮であるならば至誠心ではない。しかし外を飜えして内に蓄え、内を飜えして外に播すならば、出離の要道となりうるといわれるのである。この内外虚実の相対について「往生大要抄」には次のように四句分別をされている。
「一には、ほかをかざりて、うちにはむなしき人。二には外をもかざらず、うちもむなしき人。三にはほかはむなしく見えて、うちはま事ある人。四にはほかにもまことをあらわし、うちにもまことある人」というのがそれである。そして「前の二人をば虚仮の行者といふべし、後の二人をば、ともに真実の行者といふべし。しかればたゞ外相の賢愚、善悪をばゑらばず、内心の邪正迷悟によるべき也」といわれている。
この釈によれば、外相と内心が不調である場合に二種があって、内に虚仮心を抱いて、外に賢善精進を現ずるものを不真実とするのであって、内に真実があるならば、外相はたとえ愚悪懈怠の相であっても、出離に足る真実心であるとみなされていたことがわかる。これは、善導には見られない釈であって、外相よりも内心を問題とし、重視することによって、浄土教を内面化しようとされたからであると考えられる。
「往生大要抄」に「しかるを人つねにこの至誠心を熾盛心と心えて、勇猛強盛の心をおこすを至誠心と申すは、此釈の心にはたがふ也」といって、至誠心を、勇猛強盛なる熾盛心と誤解する人々のいたことを指摘し、誡められている。これについて井上光貞氏は『台記』の久安四年(一一四八)五月十四日の条などに出てくる、四天王寺念仏衆の出雲聖人の如きものを指しているのであろうといわれている。彼は勇猛念仏を修して多くの人々の信仰を得ていたが、『台記』の著者の頼長は、「其説 非正直、足為怪」(この説正直に非ず、怪しむとなすに足る)といい、外面の賢善ぶりに比して内心は非正直だと評しているのが好例であるといわれている。もっとも勇猛なる至心念仏を強調したのは、永観の『往生拾因』であって、法然もあながちに勇猛心熾盛心を否定しているわけではない。「往生大要抄」には前文につづいて「さればとてその猛利の心をすべて至誠心をそむくと申にはあらず、それは至誠心のうゑの熾盛心にこそあれ、真実の至誠心を地にして熾盛なるはすぐれ、熾盛ならぬはおとるにてある也」といわれている。至誠心なき熾盛心は、名聞に堕するが、至誠心のうえの、つまり起行門としての熾盛心は評価されているのである。ともあれ法然は内に願生の信心をもたずに、名利のために後世者ぶるものを「ひじり名聞」と批判し、それを虚仮不実の心として厳しく誡められたのであった。
もっとも外相はいかにもあれ、といったからとて、「人のそしりをもかへりみず、ほかをかざらねばとて、心のままにふるまふがよきと申すにてはなき也。菩薩の譏嫌戒とて、人のそしりになりぬべき事をば、なせそとこそいましめられたれ」といい、譏嫌戒をまもって、放逸をつつしみ、人のそしりを招かないようにはげむべきであると注意されている。
ところで『選択集』の内外相飜について石田充之氏は「飜外蓄内」とは、内外一致して賢善なる賢者のことであり、「飜内播外」というのは内外一致して愚悪なる虚仮者のこととみ、賢者は賢者のまま、愚者は愚者のまま「その現状のありのままの姿や心で、内外一致して至心に阿弥陀仏の本願の真実心に帰順する意味だといった理解を」示されたものであって、善導の至誠心釈に一大変革を与えられた釈であるとみられている。
たしかに法然が「弥陀如来の本願の名号は、木こり、くさかり、なつみ、みづくみのたぐひごときものゝ、内外ともにかけて一文不通なるが、となふれば、かならずむまれなんと信じて、真実に欣楽して、つねに念仏申を最上の機とす。……浄土門の修行は、愚癡に返りて極楽にむまると」といわれたものも「十悪の法然房が念仏して往生せんといひてゐたる也。又愚癡の法然房が念仏して往生せんといふ也」といわれたものは、まさに内外ともに愚悪なままに本願に帰して念仏する至誠心のあったことが知られる。
しかしこのように内外一致して虚仮なるものに至誠心をみとめるということは、さきにあげた「往生大要抄」の四句分別の釈と矛盾するようにみえる。彼の第二句の内外倶虚のものは、至誠心なき虚仮の行者で、往生できないとされていたからである。しかし「大要抄」をしさいにみると、第一句の外実内虚の者は、願生の信なくして、名利ばかりの後世者をさしており、第二句の内外倶虚の者は、願生心なき世俗の人であり、第三句の外虚内実の人は、願生の信をもつ愚者であり、第四句の内外倶実の人は、信をもつ賢者をあらわしていた。従って第三句の外愚内実の人と、内外倶虚の願生者とは、結局同致するとみるべきであろう。もっとも親鸞が『愚禿鈔』において
「聞賢者信、顕愚禿心、賢者信、内賢外愚也、愚禿心、内愚外賢也」(賢者の信を聞きて、愚禿が心を顕す。賢者の信は、内は賢にして外は愚なり。愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり。 )といって自身を慚愧されたものは、法然のそれを更に展開されたものである。
浄土真宗とは、親鸞聖人の御領解を基本とし規矩とするご法義である。
『観経疏』の玄底を探り、善導大師の凡夫入報の真意を顕して下さったのが「至誠心釈」の訓点の付け換えであり読み換えであった。
「不得外現 賢善精進之相 内懐虚仮」を、「外に賢善精進の相を現ずることを得ざれ、内に虚仮を懐いて」と、読むことによって機の真実を知らされ同時に阿弥陀如来の真実心(至心)によっての救済が明らかになるのである。
親鸞聖人は『愚禿鈔』で、「愚禿が心は、内は愚にして外は賢なり」と仰せであるのも、そのお心である。
しかるに「高森親鸞会のホームページ」や「浄土真宗親鸞会 奥越親鸞学徒の集い」では、この文を、鎮西浄土宗が読むように、「外に賢善精進の相を現じて、内に虚仮を懐くことを得ざれ」と読み、会への寄付や人集めの善の奨めの根拠としている。これはもう親鸞聖人のお示しの浄土真宗とはいえないであろう。早々に浄土真宗の看板を下ろして浄土宗鎮西派とでも名乗ったら如何であろうか。
なお、親鸞聖人が善導大師を「正信念仏偈」の「善導独明仏正意」や「高僧和讃」で「大心海より化してこそ 善導和尚とおはしけれ 末代濁世のためにとて 諸仏に証をこふ」と讃詠されておられるのは、『大無量寿経』の第十八願の意から『観経疏』を顕されたからである。主著が『観経疏』であるからといって善導大師は『観経』の顕説の教説に立たれたのではないのである。
善導独明仏正意 矜哀定散与逆悪
光明名号顕因縁 開入本願大智海
行者正受金剛心 慶喜一念相応後
与韋提等獲三忍 即証法性之常楽善導独り仏の正意をあきらかにせり。定散と逆悪とを矜哀して、
光明・名号因縁を顕す。本願の大智海に開入すれば、
行者まさしく金剛心を受けしめ、慶喜の一念相応してのち、
韋提と等しく三忍を獲、すなはち法性の常楽を証せしむといへり。
光明名号顕因縁とあるように、善導大師は『観無量寿経』の流通分の「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」によって、「上来定散両門の益を説くといへども、仏の本願に望むるに、意、衆生をして一向にもつぱら弥陀仏の名を称せしむるにあり。」とされる。
一見すれば定善、散善の善を説くように見える『観無量寿経』は、実は南無阿弥陀仏という称名を勧める経典であると、古今誰もが成しえなかった『観無量寿経」に説かれる真意を見出されたのが善導大師であった。この釈功を親鸞聖人が讃嘆されておられる文が「善導独明仏正意」であり「大心海より化してこそ」なのである。