この教団、もう駄目かも

林遊@なんまんだぶつ Posted in 仏教SNSからリモート
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門徒の懇念で新装成った御影堂。
明治28年に完成した木造建築では最大の広さを誇る御影堂である。
修復後の御影堂はピカピカして往年の古ぼけた味わいが無くなっている。
新しい瓦屋根を眺めながら、俺の寄進した瓦は何処にあるんじゃろと門徒同士の雑談。

林遊は、御堂の正面で大声で

な~んまぁ~んだ~ぶ~!!!

傍にいた坊主がびっくりして、よく透る声ですね。
あたりまえじゃ、声の大きさでは負けたことがないわい。

「正覚大音 響流十方」(正覚の大音、響き十方に流る)と、法蔵菩薩は師仏を讃嘆なされた。
法蔵菩薩は「我至成仏道 名声超十方」(われ仏道を成るに至りて、名声十方に超えん。 )と四十八願に重ねて我が名を届け聞かせるというなんまんだぶである。
御開山は「名声聞十方」と、聞けとお示しだから称えなければ聞こえないのである。

本願寺派の方はご存知であろうが、大谷派ではなんまんだぶの声を聞くことはほとんど無い。
春先には吉崎で蓮如さんの御忌ががある。
ここで東西別院の参詣衆の態度を比べると、本願寺派の門徒はなんまんだぶを称えるが大谷派の門徒はめったになんまんだぶを称えない。
家のじいさんは、本山では御念仏をしたらアカンとでも教えているのか、と苦言を呈していたものだ。

法要次第は真宗宗歌で始まった。
三番まで歌うのかと思ったら一番だけで終わり。
真宗宗歌は一番は求道、二番は安心、三番は報謝伝道になっているのだが一番だけ。
清沢満之師の求道主義、曽我量深師の唯識的真宗理解が大谷派の教学の基礎になっているそうだが、「しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。」の御開山の言葉が脳裏をよぎる。

真宗宗歌が終わったら、合掌というお姉ちゃんのアナウンス。
莫迦じゃないのか、ここは御影堂。
御開山のご真影に合掌してどうなる。御開山の御恩忌であるなら御開山の喜ばれるなんまんだぶを称えるべきであろう。

林遊は御堂に響き渡るように高声で、な~んまんだぁぶ~っ。
三千の参詣者は黙祷でもしているのか合掌して無言。たぶん仏を心で念じているのかしらん(笑

次はご門首猊下のおことば。
ご門首は言葉の発音がご不自由なので表白は聴きづらいのだが、大震災の被害にあわれた方々を案じるとともに宗祖親鸞聖人の『御消息』から、

なによりも、去年・今年、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候ふら んことこそ、あはれに候へ。ただし生死無常のことわり、くはしく如来の説きおかせおはしまして候ふうへは、おどろきおぼしめすべからず候ふ。
http://labo.wikidharma.org/index.php/%E8%A6%AA%E9%B8%9E%E8%81%96%E4%BA%BA%E5%BE%A1%E6%B6%88%E6%81%AF_%28%E4%B8%8A%29#no16
の文意を引かれて、生死無常と生死出ずべき道をお示しの表白であった。

林遊、な~んまんだぁぶ~っ。

しかし、後の内局の挨拶は無茶苦茶であった。
ご法義の話は全く無く、徹頭徹尾震災についての話であり、あまつさえ出きる限りの義捐金を出せと言うにいたっては、お前が着ている僧班を示す衣と金襴の袈裟を売り払ってお前がしろと言いそうになった。

以下、阿弥陀さまの阿の字も無い感話と下手な説教に、この宗門は宗教法人ではなく偽善を売る社団法人に改組した方がいいのではないかと密かに思っていた。

行事の合間の間隙を盗んで、林遊のな~んまんだぁぶ~っ。(笑
係員が「お静かに」というプラカードを持って会場を巡る。
あてこすりに、林遊のなんまんだぶ、なんまんだぶの声。

次は法要儀式。
さすがに『正信念仏偈』と和讃の唱和は門徒も参加するので有り難かった。
唯一の救いである。

次に災害対策本部とやらの報告で活動内容と義捐金の額を公表。
それから、参努とやらの宗教貴族の決意表明。←おひおひ決意表明って何だよ。(ここいらへんで林遊は切れていた)

最後は大谷派で依用する長調の「恩徳讃」唱和であるが、長調の「恩徳讃」は、なんか暗い響きである。
で、林遊の明るいなんまんだぶ、なんまんだぶ……

かくて、三千の大衆は一声の御念仏もなく五月二十六日の御開山の御遠忌の日中法要は終わった。
わずかに、同行した同朋のばあちゃん達が遠慮がちに小声で称えるなんまんだぶが聞けたのはよかったが…。

浄土真宗の法要は、なんまんだぶという声による荘厳であると林遊は思うのだが、観念論に懲り固まった世俗にしか視野を向けることが出来ない宗門では無理だとつくづく思ったものである。

なお、帰りのバスに中で、
どこで、なんまんだぶをすればいいのかよぉ判ったわ。こんどはウラがしるわ、と同行。おいおい、歌舞伎の大向こうの掛け声かよと苦笑したのだが、なんまんだぶは、こちらが称える念仏ではなく全て回向されたお念仏であるからまあいいか(笑

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ…