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六字名号
親鸞聖人自署
他流には、名号よりは絵像、絵像よりは木像といふなり。当流には、木像よりは絵像、絵像よりは名号といふなり。
『蓮如上人御一代記聞書』
本物は本物であるから、あれこれ策を弄する必要はないのだがが、偽者は偽者を本物のように見せる必要があるから、コピー&ペーストなど、あれこれ策を弄する必要があるのであろう。「参照」
浄土真宗では、「名号の機にあるのを信心」というのであり、木像よりは絵像、絵像よりは名号、名号よりは口に称えられる、なんまんだぶである。
木像や絵像や名号に救われるのではなく、凡夫の口先に称えられる、なんまんだぶによって救われるのが浄土真宗のご法義である。
本尊論云々は、信のうえでのご報謝の遊び事である。灯をともし香を焚き華を飾って遊ぶ、ご恩報謝の楽しみ事である。
十方微塵世界の
念仏の衆生をみそなはし
摂取してすてざれば
阿弥陀となづけたてまつる
『弥陀経讃』
阿弥陀如来とは、十方微塵世界の、念仏の衆生をみそなはして摂取して捨てないから、阿弥陀如来というのである。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……称名相続