ジャストシステムの宣伝ではない(笑
旧国定教科書国語読本に載っているエピソードである。
多度津の港から日露戦争に出兵する倅が出征する。
港から五里も離れた山奥の老いたおっ母さんは、倅に餅を食わそう、ぼた餅を食わそうと用意した。
それを腰にぶら下げて五里の山道をわらじがけで多度津の港へ急ぐ。
しかし、あにはからんや、倅を乗せた軍船は港を離れて出て行く。
いったろうやぁい、母が来たぞう~。
ぼた餅持って来たぞぉ、餅ついてお前に食わそうと持ってきたぞぉ~。
聞こえたら鉄砲上げろぉ。
おっ母さんの声は海原を渡る。
すると甲板の上で鉄砲を上げたものがいる。
一太郎やぁあい、とおっ母さんの声。
おむつを取替え、かき抱いて乳を飲ませて育てた倅が出征する。
産んで育てた倅の出征。
あらゆる想いを載せ、まさに万感の想いを込めて倅の名前を呼ぶのであろう。
一太郎やぁあい。
人の想いは何に載せて届けられるのだろう。
法蔵菩薩は、声となって称えられる如来になると願われた。
人の嘆きや悲しみや感謝や慙愧、あらゆる想いを載せて我が名を称えよ、と阿弥陀如来に成られた。
もし、声となって称えられなければ正覚を取らないと誓われた。
なんまんだぶの声である。
言葉にならない想い、言葉以前の言葉が、なんまんだぶである。
そして、自分で称える、なんまんだぶは、そのまま来いよ、間違わさんぞ、待っておるぞ、と林遊の耳に聞こえる。
法然聖人は、「声につきて決定往生のおもいをなすべし」と仰せであった。
我、名号となりて
衆生にいたり
衆生かえらずんば
我もまた還らじ
蛇足:
コメント欄のなんまんだぶによって、想いにならない思いというものを想起して、むかし法話で聴いた「一太郎やぁあい」の話を思い出して書いてみた。
参照「一太郎やぁあい」
http://www5b.biglobe.ne.jp/t-kamada/Museum/graphtadotsu/i…
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
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