ホンコサンとは「報恩講」の越前訛りである。
この時期は、全国津々浦々、もちろん山や里の寺の浄土真宗寺院で行われるのが「報恩講」である。
親鸞聖人有縁の、二万数千ヶ寺で行われる行事であり、門徒の各家々でも行われる行事である。
そんな時期になると以下の文章を思い出すのだが、古いHPからサルベージしてみた。
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越前では秋には浄土真宗の各寺院ではホンコサン(報恩講)が行われ御開山聖人の遺徳を偲びます 。
浄土真宗の一番大切な行事は報恩講です。門徒の家々では御内仏の報恩講が営(いと)なまれます。
一年は報恩講に始まって、報恩講で終わるのです。そんな報恩講での御法話で聞いた話です。
ある寺で報恩講が行われている時に、TVが取材に来たことがありました。
東京から来た新進気鋭の教養のありそうなレポーターが、寺の本堂のばぁちゃん達に質問をします。
「きょうはよくお詣りですね。ところで今日は何をお願いしたのですか」
いかにも百姓仕事で日焼けした田舎くさいばぁちゃんは、TVのライトを浴びて恥ずかしいのか乱杭歯をむき出して照れ笑いをしながら答えます。
「いやぁ、ウラは今日はオレイトゲに詣らしてもらいました」
レポーターは何の事やらさっぱり判らない顔をして
「オレイトゲって何ですか」と聞き返します。
「オレイトゲって言うのは、お礼を遂げさしてもらうって事ですんにゃ」
と、ばぁちゃんはそんなことも知らないのかという顔をして答えます。
レポーターは判ったような判らないような顔をして
「はあそうですか、良かったですね」と答えて次のシーンになりました。
閑話休題
オレイトゲというのは「お礼を遂げる」ということなのですね。
親鸞聖人をお迎えした報恩講で、御開山さま有り難うございましたと浄土真宗のおみのり(法)に遇(あ)えた喜びのお礼を遂げるのです。
全分他力のご法義です。こちら側では何にもする事がない阿弥陀様のご法義です。信ずることもお願いすることもいらない、もうすでに私を包み込んである、広大な阿弥陀様のお慈悲の浄土真宗でしたね。
浄土があるとかないとかの話ではありませんでしたね。ただただ阿弥陀様が浄土を用意して下さって、お前はそこへ往くのだよ。
そしてやがてまた娑婆へ還ってきて、煩悩の林の中で遊ぶがごとく衆生済度をする楽しみがあるんだよと御開山さまが仰せになりますから、今年もオレイトゲの報恩講に詣るのですね。
月に人間が行く時代だからこそ、その船に乗って、「この船は壊れないだろうか、無事に帰れるだろうか、もし死んだら家族はどうなるんだろうか」と疑い深い煩悩具足の、どうしようもない愚かな私達のご法義でした。
この道に入って良かった。御開山聖人が切り拓いて下さったこの道を、愚かな原初の人間にかえり、つたない足取りのまま歩かせて頂きます。
「たとひ一代の法をよくよく学すとも、一文不知の愚鈍の身になして、尼入道の無智のともがらにおなじくして、智者のふるまひをせずして、ただ一向に念仏すべし」と御開山さまの御師匠様の法然聖人も仰せになりましたね。
この道は解説する道ではありませんでした。誰に説く道でもない、私一人のために用意された本願の大道でありました。
この上は御恩報謝の楽しみ事として、せめて聴聞に励み、御開山さまのお遺し下さったお聖教を拝読させて頂きながら、おぼつかない足取りではありますがこの道を歩いてまいります。
お浄土まいりの用意は向こう側が仕上げて下さって、「なんまんだぶつ、なんまんだぶつ」の呼び声を自分で称えながらの、御恩報謝の楽しみ事の報恩講ではありました。
往相回向の大慈より
還相回向の大悲をう
如来の回向なかりせば
浄土の菩提はいかがせん
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なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ