人は見たいものを見たいように見るという。
そして一度脳内で記憶が固定されると、それからの離脱は困難であるとされる。
ここに上げた画像は「ネッカーの図形」といわれるものである。通常はabcdの頂点とした面が前面であるように見える。しかし、よく見るとABCDを前面とした図形にも見えるのである。慣れないと視覚が混乱して気持ち悪くなるかも知れないので不悪。
御開山聖人の著書を読んでいると、何故このように読めるのかという所が多々ある。
依義不依文(義に依りて文に依らず)の姿勢なのであり、また「聞くところを慶び、獲るところを嘆ずる」お心なのであろう。
そして、宗教的天才には、常人にはネッカーの図形は、abcdが前面にしか見えないのだが、天才は融通無礙な視点で、凡人には見えない世界が見えるのであろう。お聖教を縦横無尽に引文されて訓点まで変えておられる宗教的天才のなせる技である。
林遊のような愚鈍な者には、御開山のご著書の真意は理解不能なのだが、それでも拝読させて頂く度に、前には判らなかったことが少しだけ判る気がする。これも、お育てなんだろうな、ありがたいこっちゃ。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
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