通常のコミューケーションの道具としての言葉ではなく、自己の内面から沸き起こるリピドーを言葉に変換したものが詩であろう。
他者に、理解してもらおうとか、言葉を共有しようという思いのない言葉が詩なのである。
タスカッテミレバ
タスカルコトモイラナカッタ
ワタシハコノママデヨカッタ
竹部勝之進という、求道放浪の末に、氏の脳裏をよぎった詩であろう。
意訳というか、主語を付加して味わってみる。
(阿弥陀さまによって) タスカッテミレバ
(私の想いで) タスカルコトモイラナカッタ
ワタシハコノママデヨカッタ
「ワタシハコノママデヨカッタ」というところで、世俗の論理に苦しむ者の救いがあるのでろう。
アナタハ、アナタノママデ、イイノデスヨと教説が慈悲の至極としての浄土真宗である。阿弥陀さまがご一緒であるから。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、この広大な世界から届いてい名号を理解できる人は少ないな。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ