シベリアで何十年も百姓をしてきた農夫が畑を耕していて、
ある日ふと地平線を見上げるとちょうど夕陽がはるかな西の地平線に沈みゆくところであった。
それを見たとたん、突然手にした鋤を投げ捨て、自分の家族や自分の関わってるもの全てを投げ捨て、ただひたすらその夕陽に向かって歩き出す。
ヒステリアンシベリアカというそうだが、20年位前にパソコン通信で目にした話ではある。
同じように突然西方へ向かう人の話が、
『今昔物語集』19-14に「讃岐國多度郡五位、法をききて聞法即ち出家せる語」にある。
悪の限りを尽くしてきた源太夫が、ひょんなことから西方浄土を知り、悪の限りを尽くした者でも阿弥陀仏という名号を称えれば、仏になるということを聞いて、即座に発心出家して「阿弥陀仏よや、を~いを~い」と称えながら、ひたすら西方を目指し歩き続けて往生したという説話である。
http://www.geocities.jp/yassakasyota/konjyaku/konjyaku.html
芥川龍之介の『往生絵巻』は、この説話に題をとった作品である。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/117_14836.html
西方に沈む夕日は、耽美的な美しさ同時に、自らの心の底にある本当の願い、人間が生まれて来たという、根源的な意味を問いかけるものでもあるのだろう。
子供の頃に、美空ひばりが歌う「花笠道中」の、♪西へ行くのは こっちかえ~という歌に、西方には真実の国があるんだなと思いながら口づさんだものだった。
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