『西方指南抄』という、御開山が書写された法然聖人の法語集の全六巻の編集がほぼ終わった。
法然聖人の法語と称する物には偽作、真偽未詳なものが多いと言われている。書誌学的にはあれこれ論じられることがあるらしい『西方指南抄』だが、親鸞聖人の転写であり、御開山の眼を通っているのが安心ではある。
読んでて思うのだが、法然聖人は対機説法(相手の理解力に応じて話をすること)が上手だった。この事は、誰でも仏に成れるという、浄土宗(教団名ではなく教法名)を、初めて開宗されたので、それに対するあらゆる非難に対処されたという面もあるのだろうが、法然聖人の頭の良さと懐の深さというものを感じさせる。
宗教の世界は、世間とか自己と他者との関係とかではなく、自己自身の存在そのものが問題になった時、開かれる門である。まさに越前永平寺の道元禅師が言われるように、「仏道をならふといふは、自己をならふ也。」である。経・釈(お経やその解説書)によって、仏の法を理解することは可能であろうが、その仏法が私にとって、どのような実践として与えられているのかに悩み、比叡山において、智慧第一の法然房と称されながら、自己の出離の道を見出せなかったのが法然聖人であったのであろう。
御年、四十三にして、悩み悩みながら仏典を繰り、シナの善導大師の『観経疏』散善義の「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼佛願故」の、順彼佛願故の文にぶち当たって、浄土へ往生する業因は、口称の、なんまんだぶ一つというカルチャー・ショックに遇われたのである。
天才の凄いところは、これだ、と思い立ったら、学んだ学問を全て捨てて、市井の、なんまんだぶを称える人と同じ地平に自分を投擲できるのである。
この原点に立ちながら、順彼佛願故の意味を追求し、それは本願力回向であると「論註」の用語によって他力という用語の真の意味を示されたのが御開山親鸞聖人であった。