『涅槃経』を斜め読みしてたら、四種の馬の話があった。
昔、お説教で聞いた、仏道に入る機根の違いの話なので、少しく調べたら『雜阿含經』に出拠があるようなので早速SATでチェックしてみた。
いわゆる、仏道に入るには人によってそれぞれ違いがある。その個性の違いを、馬と鞭杖の関係であらわしている譬えである。
面白いのは、機根の違う四種類の馬はすべて良馬となっている事だ。ともすれば宗教の名の下で、あの人はよく分かっているとか、この人は今一つ理解が進んでいないなどと、それぞれの人の機根の違いを論じやすい。
しかるに、一たび仏道に歩みだした人に差はないのである。それが四種類の機根の違う馬を良馬というのであろう。
我が浄土真宗のご法義においても、各人の機根の違いは問わないのである。それぞれのご信心の領解の深浅を問題にするならば、それは信心の深浅が救済に関与することになってしまうであろう。このような信心の深浅によって差を付けることは、各人の能力に応じた公平な救済ではあるが、阿弥陀如来の「凡按大信海者、不簡貴賤緇素、不謂男女老少、不問造罪多少、不論修行久近、」(*)(おほよそ大信海を案ずれば、貴賤緇素を簡ばず、男女・老少をいはず、造罪の多少を問はず、修行の久近を論ぜず)の善悪平等の救いではない。
各人の資質の違いや、為した行為によって差を設けるというのが『観経』の、公平に立脚する九品の教説であった。しかるに我が善導大師は『観経』の流通分に、「仏告阿難 汝好持是語持是語者 即是持無量寿仏名」(仏、阿難に告げたまはく、「なんぢ、よくこの語を持て。この語を持てといふは、すなはちこれ無量寿仏の名を持てとなり」と。)という文によって、一見観仏を勧めるように見える『観経』であるが、その実は、『大無量寿経』の乃至十念の、なんまんだぶを称えさせしめる経典で見られたのであった。
この意を善導大師と法然聖人から正確に受けられた御開山があらわされたご法義は、回向された「同一念仏無別道故」(*)の、なんまんだぶを称え往生浄土を期する法義である。
これが、「すなはち仏の名号をもつて経の体とする」(*)とする名号為体の法義である。
たとえば、体とは水である。静かな湖に満々とたたえられた水の上に、大悲の願(第十七願)の風がふくことによって波がたつ。この波が念仏往生の願(第十八願)より出でたる信である。水のない所には決して波が見られないように、なんまんだぶの名号の体があるからこそ、個々の人の上に信心という波がたつのである。
以下に『雜阿含經』の引文と読み下し文を提示するが「正法律」を、口称のなんまんだぶに置き換え、「調伏」を御恩報謝に置き換えて読むことも可能であり仏徳を讃嘆する縁(よすが)にもなるであろうと思ふ。
雜阿含經卷第三十三
(九二二)
如是我聞。一時佛住王舍城迦蘭陀竹園。
爾時世尊告諸比丘。世有四種良馬。(*)
:その時、世尊、諸の比丘に告げたまわく。世に四種の良馬あり。
有良馬駕以平乘。顧其鞭影馳駃 善能 觀察御者形勢。遲速左右隨御者心。是名比丘世間良馬第一之徳。
:良馬あり、駕、平乘をもってす。其の鞭影を顧み馳駃、善く能し。御者の形勢を觀察し、遲速左右し御者の心に隨ふ。是れを比丘、世間の良馬、第一の徳と名づく。
復次比丘。世間良馬 不能顧影而自驚察。然以鞭杖觸其毛尾。則能驚速察御者心。遲速左右。是名世間第二良馬。
:復た次に比丘、世間の良馬、影を顧みて自ら驚き察することあたわず。然も、鞭杖を以って其の毛尾に觸るれば、則ち能く驚きて速に御者の心を察して、遲速左右す。是れを世間第二の良馬と名づく。
復次比丘。若世間良馬 不能顧影及觸皮毛能隨人心。而以鞭杖小侵皮肉則能驚察隨御者心。遲速左右。是名比丘第三良馬。
:復た次に比丘、若しは世間の良馬、影を顧み及び皮毛に觸れて能く人の心に隨うこと能わず。而も鞭杖を以て小しく皮肉を侵せば、則ち能く驚き察して御者の心に隨ひ、遲速左右す。是れを比丘、第三の良馬と名づく。
復次比丘。世間良馬 不能顧其鞭影及觸皮毛小侵膚肉。乃以鐵錐刺身。徹膚傷骨然後方驚。牽車著路。隨御者心遲速左右。是名世間第四良馬。
:復た次に比丘。世間の良馬、其の鞭影を顧みること能はず、及び皮毛に觸れ小しく膚肉を侵すものなり。乃ち鐵錐を以って身を刺し、膚を徹し骨を傷け然る後に方(まさ)に驚き、車を牽き路に著き、御者の心に隨ひ遲速左右す。是を世間第四の良馬と名づく。
如是於正法律 有四種善男子。何等爲四。謂善男子 聞他聚落有男子女人疾病困苦乃至死。聞已能生恐怖。依正思惟。如彼良馬顧影則調。是名第一善男子於正法律能自調伏。
:是のごとくに正法律に於いて四種の善男子あり。何等を四となす。謂く善男子、他の聚落の男子女人ありて、疾病困苦乃至死せるを聞きて、聞き已りて能く恐怖を生じて、正思惟に依る。彼の良馬の影を顧みれば則ち調へるがごとし。是を第一善男子、正法律に於いて能く自ら調伏すと名づく。
復次善男子 不能聞他聚落若男若女老病死苦。能生怖畏依正思惟。見他聚落 若男若女老病死苦。則生怖畏依正思惟。如彼良馬觸其毛尾能速調伏隨御者心。是名第二善男子於正法律能自調伏。
:復た次に善男子、他の聚落の若しくは男、若しくは女の老病死苦を聞きて、能く怖畏を生じ正思惟に依ること能はず。他の聚落の若しくは男、若しくは女の老病死苦を見て、則ち怖畏を生じ正思惟に依る。彼の良馬の、其の毛尾に觸れ能く速に調伏し御者の心に隨ふがごとし。是を第二善男子、正法律に於いて能く自ら調伏すと名づく。
復次善男子 不能聞見他聚落中男子女人老病死苦。生怖畏心依正思惟。然見聚落城邑 有善知識及所親近老病死苦。則生怖畏依正思惟。如彼良馬觸其膚肉然後調伏隨御者心。是名善男子於聖法律而自調伏。
:復た次に善男子、他の聚落中の男子女人の老病死苦を聞見して、怖畏の心を生じて正思惟に依ること能はず。然に聚落城邑の善知識及び親近する所の老病死苦あるを見て、則ち怖畏を生じて正思惟に依る。彼の良馬の、其の膚肉に觸れ、然る後に調伏して御者の心に隨ふがごとし。是を(第三)善男子、聖法律に於いて而も自ら調伏すと名づく。
復次善男子不能聞見他聚落中男子女人及所親近老病死苦。生怖畏心依正思惟。然於自身老病死苦能生厭怖依正思惟。如彼良馬侵肌徹骨然後乃調隨御者心。是名第四善男子於聖法律能自調伏。
:復た次に善男子、他の聚落中の男子女人及び親近する所の老病死苦を聞見して、怖畏の心を生じて正思惟に依ること能はず。然るに自身の老病死苦に於いて能く厭怖を生じ正思惟に依る。彼の良馬の、肌を侵し骨を徹し、然る後乃ち調し御者の心に隨ふがごとし。是れを第四善男子、聖法律に於いて能く自ら調伏と名づく。
佛説此經已。諸比丘聞佛所説。歡喜奉行。
仏、この経を説きおわるに、もろもろの比丘、仏の所説を聞きて歓喜し奉行す。
追記:
『涅槃経』における四馬の譬え(*)