言南無者即是帰命(ごんなもしゃそくぜきみょう)
亦是発願廻向之義(やくぜほつがんえこうしぎ)
言阿弥陀仏者(ごんあみだぶつしゃ)
即是其行(そくぜごぎょう)
以斯義故必得往生(いしぎこひっとくおうじょう)
いわゆる善導大師の願行具足の六字釈だが、和上の声が耳の底に残っている。最初はなんのこっちゃであったが、少しくお聖教を拝読しているうちに意味が取れるようになった。ありがたいこっちゃな。
ちゅうわけで、この六字釈の因となった『攝大乘論』と『攝大乘論釋 』の別時意趣をUPしてみた。(*)
ちなみに御開山の六字釈は、本願力回向という宗義から、なんまんだぶつの主体を阿弥陀如来の方から語られているので、善導大師の「願行具足論」とは少しく趣が違うのだが、善導大師の六字釈も約仏に徹して読めば意は同じだな。
なんまんだぶは、林遊が行ずる行ではなく、阿弥陀如来が林遊をして仏にならしめんとして林遊の口をして行じさせる行であるから大行なんだな。
ちゅうわけで、この六字釈の因となった『攝大乘論』と『攝大乘論
ちなみに御開山の六字釈は、本願力回向という宗義から、なんまん
なんまんだぶは、林遊が行ずる行ではなく、阿弥陀如来が林遊をし
なんまんだぶ、なんまんだぶ、やったね。