つまらない事で悩んでいたりする時などは、芒洋とした仏教の経典を読むことでちっぽけな自分を知ることが出来て面白い。
自分の理解を超えた世界を垣間見ることで、言葉という概念を超えた世界があることを知ることができるのであろう。
あの本願力回向の世界から届けられる、なんまんだぶに出あったのはよかったな。
所詮、人は荘子の言うように、「蝸牛角上の争い」を、凡人はまるで天地が裂けるように想いなすのである。そのような時は酒の十徳の一である、「憂いを払う玉箒」を依用し、しばし笑って吹き飛ばすことも有用ではあろう。
と、年中酔っ払っている林遊は思ふ。
酒に対す(白楽天)
蝸牛角上争何事
(かぎゅうかくじょう何事をか争う)
石火光中寄子此身
(せっかこうちゅう此の身を寄す)
随富随貧且歓楽
(富みに随い貧に随いしばらく歓楽す)
不開口笑是痴人
(口を開いて笑わざるは これちじん)
でんでん虫の左の角に触という国があり、右の角には蛮という国があってお互いに争い数万人が死んだというが愚かなことではないか。
人の一生とは、まるで火打石の起こす火花のような短く空しいものである。
しかれば、しばらく金持ちとか貧乏人という、しばしの境遇にあるだけであるから、そのことを楽しもうではないか。
まことに、悠久なる時間の中にある我らであるから、憂いによって、への字に曲げた口を開いて呵呵大笑しようではないか。
白楽天には、道林禅師との七仏通誡偈に関するエピソードが有名だが、唐代のシナにはのちの時代をリードする偉人が輩出したのかもな。
なにはともあれ酔生夢死の人生で、なんまんだぶのご法義に出あったのはよかった。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……
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