今生ゆめのうちのちぎりをしるべとして、来世さとりのまへの縁をむすばんとなり。われおくれば人にみちびかれ、われさきだたば人をみちびかん。
生々に善友となりてたがひに仏道を修せしめ、世々に知識としてともに迷執をたたん。
よき人に遇うてよかったな。
安心も信心も、なんまんだぶの一句におさまるとの御教化であった。愚者になりて往生すのお示しに、最前列でポカンと口をあけて全分他力のご法義を楽しませて下さったものだ。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ
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2012年12月19日 1:01 PM
こんにちは、親鸞会批判のブログを書いている青山です。
すみません、メールアドレスを存じないのでここに書き込ませて頂きます。
何か不都合があれば削除して下さって構いません。
一つ質問させて下さい。宮田さんのブログのコメント欄で、林遊さんは若いころの高森顕徹をご存知であるという旨の書き込みがあったと思うのですが、その頃の高森顕徹はどのような人物だったのでしょうか。もともとは「本当の真宗を伝えたい」という純心から作られた団体が親鸞会だったのでしょうか。今では目もあてられない状態ですが…。
2012年12月24日 11:32 PM
返事おくれてごめんです。
高森顕徹氏は、戦後のアイデンティティ崩壊の時代に、我何をなすべきかという意識に困惑し、その解決を宗教に求めたのでしょう。
ご質問の、当時の高森氏が「本当の真宗を伝えたい」という意図があったか否かですが、結論から言えば無かったと思います。
そもそも高森氏は、当時も今も浄土真宗のご法義を理解しておりません。理解していないから本物のご法義をお伝えすることは不可です。
近代的自我の上で、覚師の「信心正因」の語に幻惑されて第十八願の念仏往生の願を見失ったのでしょう。
高森氏が一時の感情の爆発を獲信と誤解錯覚したことが、高森親鸞会という奇態の組織を生むことになったのだと思います。
当時から、このような高森氏個人の誤解と錯覚の経験による組織(教団)は、高森顕徹氏一代で消え去ると言われていましたが、そのとおりになりそうですね。
2012年12月28日 1:24 PM
やはりそうですか。返信有り難うございます。
私は非行少年の更生保護ボランティアをやっていたこともあって、犯罪心理学を勉強したりしていたんですが、極悪人であればある程、その人物が過去に被った悪も大きいと言われます。つまり、健全な環境で育った子供は健全な大人に、いじめや虐待、その他大きな不幸の中で育った子供は犯罪者になりやすいということです。浄土真宗をねじ曲げ、あれだけ多くの人を不幸にしている高森顕徹という人物は、過去にその源となっている余程の出来事があったんだろうと想像しています。戦争経験もその一つだと思いますが。
凡夫対凡夫の目線で見れば、今にすぐにでも叩き殺してやりたい程の狸爺ですが、彼も不幸な一凡夫。本願のお目当てですから、信心の目から見れば憐れみの心も起きます。夜逃げでもいいから親鸞会を潔く解体して、静かに余生を暮らし、願わくば真実信心を決定してから死んでほしいものです。
南無阿弥陀仏