無量寿仏観経

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ
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法然聖人門下に御開山の先輩で10歳年上の幸西大徳という方がおられる。あまりなじみのない方であるが『歎異抄』末尾の流罪記録に幸西成覚房と記されている人がその方である。(*)
凝然大徳の『淨土法門源流章』(*)には法然上人の弟子として一番最初にあげられておられる方でもあるのだが、その法流がはやく廃れたためあまり著名ではない。
この幸西大徳の思想は非常に御開山と近い。この人の著書である『玄義分抄』は大正時代に発見された。それの解説である梯實圓和上著の『玄義分抄講述』をはじめて読んだときは、法然聖人と御開山を結ぶミッシングリングに出逢えたようで非常に感銘した記憶がある。
もちろん御開山の書写された『西方指南抄』(*)や、法然聖人の語録『三部経大意』(*)、『醍醐本法然上人伝記」(*)、『三心料簡』(*)などを詳細に拝読すると、御開山の仰っていることは正確に法然聖人の意図を受け、それをより精密に発展させたものであるということが判る。
『歎異抄』で御開山の言葉だと言われていた「善人なほもつて往生をとぐ、いはんや悪人をや」なども、 『三心料簡』には、善人尚以往生況悪人乎事《口伝有之》(*)と、そのまんま出ているのである。

さて、御開山は『観経』のことを『無量寿仏観経』(*)とされておられる。このような呼び方は御開山だけである。これは善導大師が『無量寿観経』と呼ばれていたからでもあろうが、この『無量寿観経』という呼称について、前述の『玄義分抄講述』から少しく窺ってみようと思ふ。なお、本文の記載の頁数は原典版七祖編のページである。(本書の出版当時は註釈版が出ていなかった)

第三講 釈名門

釈名門の概要

釈名とは「仏説無量寿観経一巻」という経の題名を釈することをいう。古来、「題は一部の総標」といわれるように、経の内容がすべて標示されているから経題を釈すれぼ『観経』の法義の概要を示すことが出来る。それゆえ序題門につづいて釈名門がおかれるのである。はじめに経題をあげて仏、説、無量寿、観、経一巻のそれぞれについて詳説される。特に「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言ふは、又是西国の正音なり」(三四〇頁)といい、さらに梵漢対訳していかれるが、後世この六字全体を名号とみる釈が注目されていく。
善導はその南無阿弥陀仏(帰命無量寿覚)という名号を人法に分け、所観の境である依正二報を詳説し、ついで「観」を釈して能観の心を明していく。そして「経」の意味を釈して、「観経』の法義を結んでいかれるのである。

ところで善導がここで釈名される経題は、今日一般に拝読しているものが「仏説観無量寿経一巻」となっているのと異なっている。あるいは善導の所覧本がそうなっていたのであろうか。しかし幸西は、この題号によって特異な釈を施していかれる。

無量寿観の意義

[本文]

一、「無量壽観経一眷」トイハ題目ニ二ノ法アリ。「無量壽」ト云ハ念佛、彼ノ佛ノ名ヲ念ス。故ニ南無阿彌陀佛ト釋シ御セリ。此ノ義三部ノ題二通ス。「觀」ト云ハ觀無量壽、彼ノ佛ノ色相ヲ観ス。題ノ初二還テ此ノ異ヲ知ラシメムカ為二無量壽ノ下ニ觀ノ字ヲ置ケリ。然ルニ経ハ定散ノ次第ヲミタラス無量壽ノ上二觀ノ字ヲ置ク。若細ク経名ヲ題セハ觀無量壽無量壽経ト云ヘシ。此ノ義ノ為ノ故二無量壽観経ト引ケリ。

一、従「言無量壽者」下至「故名阿彌陀」已來ハ念佛ヲ釋ス。
一、従「又言人法者」下至「正明依正二報」已來ハ觀佛三昧ヲ釋ス。「又言人法是所觀之境」トイハ正ク眞身ヲ指ス。「即有其二」已下ハ依正二報通別眞假等、皆眞身觀之方便ナル事ヲ釋セリ。
一、従「言觀者照也」下至「照彼彌陀正依等事」已來ハ觀相ヲ結ス。

「意訳」

一、「無量寿観経一巻」というのは経の題目である。この題目に二種の法がある。
「無量寿」というのは念仏をあらわしている。それは彼の仏のみ名を念ずることである。ゆえに下に梵漢相対して釈されるとき「無量寿」を南無阿弥陀仏と釈されている。この義は浄土三部経の題のすべてに通ずることである。
「観」というのは、観無量寿ということで、かの仏の色相(すがた、かたち)を観ずることである。経題を釈するにあたって、無量寿という念仏と、観無量寿という観仏とが、この経に説かれているということのちがいを知らせるために、善導は「無量寿観経」と、観の字の下に置いて示されたのである。しかるに、経には「観無量寿経」となっている。これは、はじめに定善(観仏)を説き、つぎには散善を説いて最後に念仏を説くという順序になっているから、その順序を乱さないように無量寿の上に観の字を置かれたわけである。もし詳細に経名をかかげるということになれば「観無量寿無量寿経」というべきである。こういう道理があるので「無量寿観経」という題目をかかげられたのである。

一、「言無量寿者」より下の「故名阿弥陀」に至るまでは、念仏三昧に約して釈するものである。
一、「又言人法者(又人法と言ふは)」より下の「正明依正二報(正しく依正二報を明かす)」に至るまでは、観仏三昧を釈されたものである。
「又言人法是所観之境(又人法と言ふは是所観の境なり)」というのは、正しく真身をさしている。「即有其二(即ち其の二有り)」以下は、依報、正報について、通と別とがあり、また真と仮との別があることなどを明かすわけであるが、いずれも真身観を成就するための方便の観法であるということを釈したものである。
一、「言観者照也(観と言ふは照なり)」より下の「照彼弥陀正依等事(彼の弥陀の正依等の事を照らす)」に至るまでは、観の意味と、浄土の依正二報を観ずるという観の相とをあげて観の釈を結んだものである。

[講述]

「一、無量壽観経一巻トイハ題目二ニノ法アリ」とは、この題目に二つの意味が含まれているというのである。
第一は「無量壽」というのは阿弥陀仏の名号を念ずる称名念仏のことで、梵漢対訳して「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり。南無阿弥陀仏と言ふは、又是西国の正音なり」(三四〇頁)といわれているのと対照すると、「無量壽」という題目には念仏三昧為宗の立場が表されているというのである。第二は「観」で、これは「観無量壽」を略したもので、阿弥陀仏の色相を観ずることである。すなわちこの経の観仏三昧為宗の立場が表示されているとみるのである。こうして『観経』には念仏三昧と観仏三昧の二種の法門が説かれていることを知らせるために、無量寿の下に観の字を置いたというのである。

ところで我々が拝読している『観経』は、「観無量寿経」となっている。それは初めに定善(観仏)を説き、後に散善(称名)を説いていくという定散の次第を乱さないように初に観の字を置くもので、もし詳細に題名をあげるならば「観無量壽無量壽経」というべきである。これでは冗長にすぎるから、善導は「無量壽観経」という経題を掲げられたのであるといっている。

「一、従言無量毒者下至故名阿彌陀已來ハ念佛ヲ釋ス」というのは、「無量寿と言ふは、乃ち是此の地の漢音なり」(三四〇頁)から「人法並べ彰す、故に阿弥陀仏と名づく」(三四一頁)といわれた一段は、念仏(称名)の法体を釈したものであるというのである。ここには漢音で無量寿というのを、西国(インド)では南無阿弥陀仏というと六字の名号をあげ、さらにそれを梵漢対訳して、帰命無量寿覚という漢音六字をあげ、また無量寿(法)覚(人)を人法に分釈して阿弥陀仏の義意をあらわされている。これはすべて称名における所称の法体たる名号の義意を明かすものとして、全体を念仏を明かす釈としたものである。このように無量寿を南無阿弥陀仏すなわち帰命無量寿覚という名号の略称とした釈に、幸西は深い意味を読みとっていかれる。すなわち南無までも阿弥陀仏の名号とすることの意義は、のちに別時門の六字釈のところで明かされていく。

「一、従又言人法者下至正明依正二報已來ハ觀佛三昧テ釋ス」とは、「又人法と言ふは是所観の境なり。即ち其の二有り。一には依報、二には正報なり」(三四一頁)から「向より来言ふ所の通別・真仮は、正しく依正二報を明かす」(三四三頁)というところまでは、観仏三昧の内容を通別・真仮の依正二報をもって詳らかにしたものである。ところが幸西は、この釈文のなかの初めの「又人法と言ふは是所観の境なり」というのは正しく真身をさしているという。それは「無量寿と言ふは是法、覚とは是人なり。人法並べ彰す、故に阿弥陀仏と名つく」(三四一頁)といった文をうけて「人法と言ふは是所観の境なり」というのであるから、阿弥陀仏すなわち真身をさすというのである。そして「即ち其の二有り」というところから後は、依正二報について通別・真仮を明かしていかれるが、それは阿弥陀仏という真身を観ずるための方便の観法であるということを釈したものであるというのである。

なお「玄義分」には、所観の境としての依正二法について通別、真仮を分けて詳細な釈がなされているが、幸西は何も釈していない。おそらく読めぱわかることであったのと、観は方便でしかなかったからであろう。

「一、従言觀者照也下至照彼彌陀正依等事已來ハ觀相ヲ結ス」というのは、観とは浄信心を起こし、智慧の眼をもって弥陀の依正二報を照知することを観というと、観察するありさまを釈したものであるというのである。さきに述べたように幸西は所観についても詳しい釈を施していないように、能観についても特別の釈はされていない。理由は所観についてと同じことであろう。

「玄義分」の「この経は観仏三昧をとなし、または念仏三昧を宗となす」を、『観経」には観仏と念仏(なんまんだぶ)が説かれていると見られたのは法然聖人であった。これをふまえて善導大師の『無量寿観経』を、なんまんだぶ+観経とされたのであろう。
つまり南無までも阿弥陀仏の名号とする意図なのだが、御開山も南無を「本願招喚の勅命」であるとして南無する機まで成就した、なんまんだぶという名前であるとされた思想と共通しているのである。

なお、幸西大徳は一念義の派組といわれるが、その先鋭でラジカルな思想が誤解されたのであろう。徹底した廃立に立っての論法は、読んでいいてもすがすがしくなる。御開山と同じで、不依文依義(文に依らず義に依る)の釈風は信心の智慧から出てくるのであろう。

なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ

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