詩人三好達治は。五年ほど福井県三国町に住んだことがある。その思い出からか三国町を「わが心のふるさと」と呼んだそうである。
彼は、福井県内の高校の校歌や「福井県民の歌」という県歌などの作詞も手がけた。東尋坊へ続く荒磯遊歩道には「三好碑」などもある。
そんな彼に「わが名をよびて」という詩がある。
わが名をよびて
わが名をよびてたまはれ
いとけなき日のよび名もてわが名をよびてたまはれ
あはれいまひとたびわがいとけなき日の名をよびてたまはれ
風のふく日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
庭のかたへに茶の花のさきのこる日の
ちらちらと雪のふる日のとほくよりわが名をよびてたまはれ
よびてたまはれ
わが名をよびてたまはれ
この詩で、「わが名をよびてたまはれ」と呼びかけている相手は誰であろうか。
「いとけなき日の名」と、幼い頃の名で「よびてたまはれ」とあり、母親にむかっての呼びかけであろう。もう二度と開くことのない母の口から、わが名をよびてたまはれという願いであろう。幼い頃の母の、われをよびたまふ声は、すべてを許し包容するなつかしい声である。
生きることの苦しみや悲しみも知らなかった頃。つらくやるせない言葉にもできないせつなさも知らなかったころの名で「わが名をよびてたまはれ」と、いうのであろう。
今はもう煩悩のかたまりでしかない私を、いま一度呼びさましてくれというのである。
浄土真宗では阿弥陀如来を親さまと呼ぶ。
信という字は信(まかせる)とも訓じるが、おやの呼ぶ声に全てを信(まか)せることが浄土真宗のご信心である。わたしが信ずるのではない、わたくしはおやの呼ぶこえに包まれているのである。なんまんだぶの声に包摂されているから、私は私の信を知る必要がない。私は知るものではなく如来の信によって知られるものであった。生も死も親さまが知って下さるからこちらが案ずることではない。これを安心(あんじん)というのである。
このご法義の先人は、
南無阿弥陀仏 声は一つに味二つ おやのよぶ声 子のしたう声
という句を示して下さった。
おやのよぶ声が、そのまま子がおやを慕う声である。
「わが名をよびてたまはれ」という想いは、なんまんだぶという声になり、なんまんだぶと聞こえる、わが名であるにちがいない。
仏から呼びかけられる声が、なんまんだぶであるということは、われをよぶ声がすなわちわれがおやをよぶ声である。
御開山が、「帰命は本願招喚の勅命なり」の喚の左訓に、よばう(呼び続ける)とされた所以である。
なんまんだぶ、なんまんだぶ、なんまんだぶ……