角川の仏教思想シリーズの『絶対の真理(天台)』を読んでみた。数十年前に購入して読んだ本だが当時は意味がさっぱり判らなかった。いま読み返してみると、こういうことかと、判ることがある。これもお育てであろう。
浄土真宗の浄土という言葉は一般名詞であり、三部経での固有名詞では安楽とか安養、極楽などといわれる。
天台大師智顎の、伝『観経疏』 には、凡聖同居土、方便有余土、実報無障礙土、常寂光土の四種浄土(*)が説かれていて、阿弥陀如来の浄土は報土ではなく凡夫と聖者が同居する凡聖同居土であるとされていた。
このような天台の仏道体系の中にあっては、善導大師が描いて下さった順彼仏願故の、なんまんだぶを称える一行によって凡夫入報(凡夫が報土に生る)の義をあらわしえないとして、別して「我、浄土宗を立つる意趣は、凡夫往生を示さんが為なり」(*)と、浄土宗を建立されたのが法然聖人であった。(*)
この法然聖人の開創された浄土宗を、本願力回向の概念によって包摂されたのが御開山の示される浄土真宗であった。彼土と此土の相待を包み込む本願力回向の世界である。
以下の引用の、田村芳朗氏の『絶対の真理(天台)』でいう、《ある》浄土、《いく》浄土、《なる》浄土というカテゴライズとはおもしろい。
なんまんだぶを称えて念仏衆生摂取不捨の言葉に包まれるている《ある》浄土。
選択本願念仏によってなんまんだぶを称えて往生する覚りの世界へ《いく》浄土。
そして、この二つの現在・当来の本願力回向から恵まれる、なんまんだぶを称える大悲の行を実践しつつ、他者を、本願力回向の仏陀の覚りの世界へ誘(いざな)うことの《なる》浄土。遇いがたき法にあいえた報謝という生き方の、《なる》浄土である。
以下、《ある》浄土、《いく》浄土、《なる》浄土という概念を、少しく田村芳明氏の『絶対の真理(天台)』から窺ってみよう。
三種の浄土観
この論理を浄土にあてはめれば、娑婆と浄土の不二・空ないし娑婆即浄土ということから、この現実の娑婆をおいて、ほかに浄土はないと、まず説かれよう。積極的にいえば、無常であり苦にみちた現世のただなかにあって、永遠・極楽の浄土を感得することである。
これを一口に、ある浄土といえよう。絶対浄土であり、絶対一元の世界である。天台智顎のいう常寂光土とは、これをさす。妙楽湛然は、それについて、「豈に伽耶(迦耶城)を離れて、別に常寂を求めんや。寂光の外に、別に娑婆有るに非ず」(『法華文句記』巻第二十五)と釈している。
日本天台にきて恵心僧都源信は、その著『往生要集』で常行三昧法にふれつつ、凡夫・娑婆と彌陀・浄土と「本来空寂にして一体」(巻上之末)と説き、『観心略要集』では、「我が身即ち彌陀、彌陀即ち我が身なれば、娑婆即ち極楽、極楽即ち娑婆なり。……故に遥かに十万億国土を過ぎて安養浄刹を求むべからず。一念の妄心を翻し法性の理を思わば、己心に仏身を見、己心に浄土を見ん」とのべている。
ところで、娑婆即浄土ということは、あるのは娑婆だけであって、浄土は存在しないということではない。ないというならば娑婆もなければ、それにたいする浄土もなく、あるというならば、娑婆もあれば、それにたいする浄土もあるということである。かくして、ここに不二の上の而二として娑婆と浄土の二が立てられ、生まれゆくべき世界として、浄土が娑婆の彼岸に対置されてくる。これを一口に、ゆく浄土といえよう。絶対の上の相対浄土である。さきの『観心略要集』に、「閻浮を厭離するに非ずして、而も之を厭離し、極楽を欣求するに非ずして、而も之を欣求す。……空なりと雖も、而も往生し、往生すと雖も、而も空なるのみ」と説くところである。
浄土は、本来、この世界に対立してどこそこにあるとか、未来のかなたにあるとかいう、そういう時間・空間をこえたものである。いいかえれば、浄土は単にこの世界そのものでもないが、単にこの世界に対立して存するものでもない。これを積極的に表現すれば、それは、われわれの前に現在する浄土であるとともに、死ぬことによっておもむく浄土でもある。逆に、死後生まれゆく浄土は、現世において、すでに、その中に生きてある浄土である。このある浄土とゆく浄土とは、仏の側からは、全く一なるものである。けだし、仏にあっては、未来は常に永遠の現在(本時)であり、彼岸は常に永遠の此岸(本土)であるといいうるからである。本時とか本土ということは、『法華玄義』巻第七上などで強調されている。
われわれについていえば、有限・相対の種々の衣をまとって生活せねばならないこの人生にあるあいだは、信によって無限・絶対の浄土にひたる(ある浄土)のであり、死の門をくぐるときには、それらの衣をぬぎすてて、その浄土におもむく(ゆく浄土)のである。こういうわけで、浄土が来世に設定される。
なお、浄土観について、いま一つ存する。それは、よく浄仏国土ということばで表現されるものである。つまり、仏土を浄めるということであり、浄土の現実実践であり、浄土を現実社会の中に実現するということである。社会の浄土化である。これを.一口に、なる浄土といえよう。人間としてこの世に生をうけた意義・目的、あるいはなすべき努力、仏教用語でいえば菩薩行は、この浄仏国土にあるとされる。『維摩経』に、「諸仏の国土の永寂如空なるを観ずと雖も、而も種々の清浄の仏土を現ずる、是れ菩薩の行なり」(「問疾品」第五)と説かれ、『法華経』においても、「仏土を浄めんが為の故に、常に勤め精進し、衆生を教化せん」(「五百弟子受記品」第八)などというところである。
このなる浄土をさきのある浄土とゆく浄土とに合わせると、つぎのごとく考えられよう。この人間界に生をうけたわれわれは、仏法を信じ、実相を体得することによって、有限・相対の人間界にありながら無限・絶対の境地にひたる(ある浄土)のであり、そうして生あるかぎり、各自、その持ち場をとおして仏法を生活に顕現し、ひいては仏国土建設に努力していく(なる浄土)のであり、生を終えて死の門をくぐるときには、本来の永遠なる故郷に帰りゆく(ゆく浄土)のである。
こうして仏教に、ある浄土となる浄土とゆく浄土の三つが立てられるにいたったのである。日蓮に例をとれば、『立正安国論』(三十九歳)の述作ごろまでは、絶対的一元論に立って現実を肯定し、ある浄土を主張し、それ以後、佐渡流罪(五十歳)にかけては、受難を契機としてしだいに現実対決的、社会改革的となり、なる浄土を強調し、身延退隠(五十三歳)以後は、仏国土建設は未来に託し、みずからはゆく浄土を志向するにいたっている。
この三種の浄土観は、あい矛盾するものではなく、もともと一体たるものである。時と場合、あるいはひとびとの機根に応じて、その中のどれかに力点がおかれ、強調されたのである。そういうことで、阿彌陀仏および西方浄土を止観の対象とする常行三昧法が考案された次第である。
ようするに、三種の浄土観は、なんまんだぶの一句が根源であり、それを披いての考察であろうが、御開山が浄土真宗と定義された上からは、往生浄土の《いく》浄土をであった。天台教学の素晴らしさを受容しつつ、
しかるに末代の道俗、近世の宗師、自性唯心に沈みて浄土の真証を貶す、定散の自心に迷ひて金剛の真信に昏し。(信文類)
しかれば如来の真説、宗師の釈義、あきらかに知んぬ、安養浄刹は真の報土なることを顕す。惑染の衆生、ここにして性を見ることあたはず、煩悩に覆はるるがゆゑに。(真仏土文類)
と、真の仏性の開覚(見性)は浄土であると述懐されたのではあった。
意味が判らなくてもいいのですよ。なんまんだぶと称える中に、《ある》浄土も、《いく》浄土も、《なる》浄土も、全部用意してあるから、なんまんだぶを称え生きて、そして死んで来いというのである。本願力回向の大悲の至極であった。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ やったね!!
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