他力とは野中にたてる竹なれや

林遊@なんまんだぶつ Post in つれづれ, 管窺録
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他力とは野中にたてる竹なれや

よりさわらぬをば他力とぞいう

越後の良寛さんの句だそうだが、米を作る百姓の経験のない人には、ほとんど意味不明の句であろう。稲城和上がこの句を用いて法話をされているのをUPしてあるのだが誤解されないように少しく注釈をしてみた。
なんまんだぶのご法義は天下国家を論ずる方面ではなく、日々の暮らしの中であれこれの煩悩に呻吟している者を対象とするご法義である。その意味では生活に密着したご法義であり、この句も、人が生きるという現場でこそ味わえる句であろう。

以下注釈としてUPした文章>>

この句の「他力とは野中にたてる竹なれや」とは、稲刈りのあと乾燥させるために稲束を竹に架けてることをいう。稲が乾いてくるとそばに寄って竹に触れば稲の穂の実がパラパラと落ちてしまう。このことから他力(本願力)の法には凡夫の側からあれこれと、はからいの手を出すべきではないという意味である。よりさわらぬは御開山の云われる「義なきを義とす」という意味である。田舎の農民の日々の暮らしの機微をご存知であった良寛さんらしい句である。

なお、よく似た句に「他力とは野中に立てる一つ松 寄り触らぬを他力とはいう」(未見)があるそうだが、この場合は法然聖人が「本願の念仏には、ひとりたちをせさせて助(すけ)をささぬ也。助さす程の人は、極楽の辺地にむまる。すけと申すは、智恵をも助にさし、持戒をもすけにさし、道心をも助にさし、慈悲をもすけにさす也。」(諸人伝説の詞)と仰ったように、選択本願のご法義は、なんまんだぶ(念仏)一行を行じて報土に往生するのであって安心においては助業を用いないことを「寄り触らぬを他力とはいう」と云われたのであろう。
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