林遊の好きな禅僧の一人に仙厓和尚がいる。
浄土真宗のご法義が解らなくて、石見の国からはるばる博多の仙厓和尚を尋ねた坊さんに、
「貴様、南無阿弥陀仏の他に何の不足があってここにやって来たかッ!!」
と、怒鳴りつけて引っ込んでしまったというエピソードがあるが、ようこそようこそである。その和尚に「老人六歌仙」という洒脱な句がある。加齢という現象は、生・老・病・死という苦なる無常であるのだが、死の彼方に、輝くような無量光明土という世界を信知するからこそ老いを拈弄(ねんろう)し諧謔(かいぎゃく)することも出来るのであろう。
「老人六歌仙」
しわがよる、ほくろができる、腰まがる、頭ははげる、ひげ白くなる。
手は振れる、足はよろつく、歯は抜ける、耳は聞こえず、目はうとくなる。
身に添うは、頭巾、襟巻、杖、眼鏡、たんぽ、温石、しびん、孫の手。
聞きたがる、死にとむながる、寂しがる、心はまがる、欲ふかくなる。
くどくなる、気短になる、ぐちになる、出しゃばりたがる、世話やきたがる。
またしても、同じはなしに子を誉める、達者自慢に人は嫌がる。
なんまんだぶのご法義は、若いときに聞いておきなさいよ、というご法義である。
年老いた己を時間軸の上に見出す「老人六歌仙」の世界を信知するとき、愚痴にまみれながらも、なんまんだぶを称える豊かな老いを楽しめるのであろう。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
仙厓和尚「老人六歌仙」
http://www.idemitsu.co.jp/museum/collection/introduction/sengai/sengai06.html