先日のブログのリンク先で、法然聖人に影響を与えたであろう『末法灯明記』の話しがあったので、伝最澄撰といわれる『末法灯明記』をUPした。
伝という表現は、最澄撰述と伝えられているという意味であり、最近の書誌学などの成果で、真偽が定まっていない場合に「伝」という。
もちろん、法然聖人や御開山は、最澄の撰述として『末法灯明記』をご覧になっている。
御開山は、化巻で『末法灯明記』をほぼ全文引いておられるが、乃至されたり略された部分があるので全文を復元してみた。この『末法灯明記』は、念仏を弾圧した『延暦寺奏状』で、今は未だ末法ではないという諭を、延暦寺の開山である最澄の『末法灯明記』を依用して正・像・末の旨際を明かそうとされたのであろう。あなた達の延暦寺を開創した伝教大師も言われているではないか、と仰りたかったのである。(106)
無戒名字の比丘なれど
末法濁世の世となりて
舎利弗・目連にひとしくて
供養恭敬をすすめしむ
ともあれ、戒は無くても、本当のなんまんだぶのご法義をお取次ぎしてくれる坊さんなら、われら門徒も応援するであろう。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ