涅槃経

林遊@なんまんだぶつ Posted in つれづれ
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しばらく『涅槃経』をタッチしていたのでブログの更新がおろそかになっていた。
御開山が学んでいたのは、『法華経』を所依とする天台教学であったが著作の中に引文の孫引きは別として『法華経』は全く取り上げられることはない。天台の教判では釈尊一代の教をその説かれた時を五時に分類して考察している。いわゆる、華厳時、阿含時、方等時、般若時、法華・涅槃時の五時教判である。もっともこの分類法は現在の仏教教理史上では受け入れられていないのだが、天台僧として二十年にわたって学ばれた御開山にとっては当然のことであったと思われる。
『教行証』では、『涅槃経』と『華厳経』を連引されるのだが、釈尊の最初の説法とされる『華厳経』と最後の説法であるとされる『涅槃経』をあげることによって全仏教を総摂するという意もあったのであろう。いわゆる仏教のアルファとオメガである。
ともあれ、『信巻』では『涅槃経』の阿闍世の回心を長々と引文され、『真仏・真土巻』では、覚りの世界である浄土の様相を、これまた『涅槃経』の文を相当量引文されておられ、器世間としての浄土の荘厳に触れられることは殆どない。浄土は智慧の世界であり無量光明土であるとされておられるのである。林遊としては花咲き鳥が歌うユートピア的世界が理想なのであるが御開山の示される浄土は違うのである(笑

そんなこんなで、『涅槃経』のあちらこちらから自由に引文される御開山の引文の順序に従って次への文のリンクを施してみた。一部林遊が原文の脈絡を理解するために引文の前後を読下してある。

→「信巻」での引文はここから

→「真仏土巻」での引文はここから