一向専念無量寿仏という語句を見かけたので少しく解釈してみた。
ブログへ書こうかとも思ったのだがWikiArcに「一向専念無量寿仏」という項目があったので、そのノートに記述したのでリンクしておく。
念仏といえば、元来の言葉の意味は仏を念ずることであり意業である。それを現代では念仏といえば、口称のなんまんだぶと取るのが当たり前だが、ここへ至る経緯には諸師方のご苦労があったのであろう。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
一向専念無量寿仏という語句を見かけたので少しく解釈してみた。
ブログへ書こうかとも思ったのだがWikiArcに「一向専念無量寿仏」という項目があったので、そのノートに記述したのでリンクしておく。
念仏といえば、元来の言葉の意味は仏を念ずることであり意業である。それを現代では念仏といえば、口称のなんまんだぶと取るのが当たり前だが、ここへ至る経緯には諸師方のご苦労があったのであろう。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
越前というか林遊の住む在所では、盆といっても何も特別なことはしない。(嫁はんの誕生日だけど)
近年TVの影響からか墓参りすることもあるが、元々在所にある墓なので身近であり、田んぼや畑に行くついでに手を合わせたりしていたものである。
なんまんだぶと称える声に、先立った人は、倶会一処と蓮の華の半座を空けて待っていてくれるので、宗教的イベントとしての盆の行事を考えることは無い。ちなみにこれを示す四字熟語に一蓮托生という語句があるのだが、近年ではネガティブなイメージなので困ったものである。
とにかく盆とは、ふだん会うことの稀な親族が集まって越し方の四方山話に花をさかせ、一杯呑むことの方が盆という行事であった。
いわゆる浄土にリアリティを持っているから、ことさらイベントをするでもなく、なんまんだぶを称える中に、先立って浄土へ移住した人との会話が成立していたのだと思ふ。普段着のご法義である。
浄土真宗に於ける大切なイベントは「報恩講」であって、盆とか彼岸などというものは枝葉末節である。坊主の糊口をしのぐ金儲けではあるかもだが(笑
こんな事、書いてるから真宗の坊さんに嫌われるんだろうけど、本当の御開山の門徒なら坊主に嫌われてナンボだと思ふ。
と、いうわけで〔いのち〕の行く末の思いを馳せる盆だし、御開山が敬仰された賀古の教信沙弥の伝記を伝える1000年ほど前の浄土願生者であった永観師の『往生拾因』の《序》を読下してみた。
同書で示される教信沙弥の行状については、「ノート:教信沙弥」で読下し文が読めると思ふ。あほだから漢文は判らないし適当だから責任は持たない。
→『往生拾因』の序
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
『無量寿経』は、格義仏教時代に翻訳されたそうで、自然という言葉が五十数回出てくる。この自然ということを考えていて、ふと、古いSNSでの日記を思い出し少しく編集しなおしてみた。かなり古い記憶ではある。
『時間の砂』という1992年代の映画がある。シドニィ・シェルダンの原作で知っている人も多いだろう。
この映画の中で、バスクの独立を目指す若いゲリラの純朴な農夫が、父を殺され復讐の為に人を殺して逃亡する、修道女に扮した女性に語る奇跡について語る言葉に感動した記憶がある。何でもないような種を蒔き収穫するという事象を彼は奇跡と呼ぶのであった。あとで何かの拍子にマルコの福音書「成長する種」からの引用であるという事が判った。
「成長する種」の譬
また言われた、神の国はこのようなものである。
人が地に種をまいて、 夜昼、寝起きしている間に、その種は芽を出して成長していくが、どうしてそうなるのか、その人自身は知らない。
地はおのずから実を結ばせるもので、初めに芽、つぎに穂、つぎに穂の中にゆたかな実ができる。
実がいると、すぐに鎌をいれる。刈り入れの時が来たからである。(マルコ福音書 四章二六~二九節)
自然は克服すべき対象と見るのが砂漠の民のセム族来由の宗教であり、自然と共生する森の宗教が仏教であり、キリスト教と仏教の存立基盤の違いであると思っていた林遊には、ちょっと意外ではあった。もっとも宗教という言葉は、本来は釈尊が説かれたとされる無数の経典の、どの〔教〕えを〔宗〕とするかという仏教語であって、キリスト教という、創造者である絶対神を立てる教義や、常一主率なるアートマンを否定する仏教の教義とは基本的に異質ではある。
この点で、阿弥陀如来一仏を尊崇する浄土教は絶対神をたてるキリスト教と似ているといわれる。もちろん浄土真宗は智慧と慈悲の完成を目指す仏教であって、人格的に表現される慈悲を強調することから誤解される面も多い。
そのような意味では日本にキリスト教が普及しない原因として、人格化された阿弥陀仏の浄土教があるからであるといわれたりするのだが、そのような解釈もあるのであろう。
ともあれ、キリスト教の時間論でいえば、有始有終(始めがあって終わりがある)の時間論であり、因果は巡る糸車というような仏教でいう無始無終(始めも無く終わりも無い)の時間論ではない。「袖すりあうも多生の縁」というような幾多の生を経巡って縁を結ぶという発想はキリスト教にはない。たとえば行基菩薩の、
山鳥のほろほろと鳴く声きけば
ちちかとぞ思ふははかとぞ思ふ
と、詠うような、山鳥の声にあの鳥はもしかして、先立った父ではなかろうか母ではなかろうかといういうような、時間軸を超えた〔いのち〕の連帯を感じる輪廻と縁起の発想はキリスト教にはないのであろう。
先に、仏教では常一主率なるものを認めないと記したが、大乗の『涅槃経』では、涅槃の徳として常楽我浄を説く。一見、常一主率の否定と矛盾しているようであるが、それはまた生死に懊悩していかざるを得ない幾多の衆生の〔いのち〕の帰する処としての浄土の徳であり、「一切衆生悉有仏性 如来常住無有変易」の大乗仏教の目指した旗印でもあった。御開山が「真仏・真土巻」で『涅槃経』を引文して浄土の常楽浄を説かれる所以である。(常楽我浄の我については引文されておられない)
ともあれ、100年死ぬほど考えても死ぬとしか思えない、虚無の暗黒への墜落としか思えない〔いのち〕の存在に、往生という《意味》を与えてくれたのが浄土真宗の、本願を「宗」とし名号を「体」とするご法義であった。生きることに意味があるように、死ぬることにも意味付けをして下さったのが、浄土を真実とするご法義である。生の依って立つ処、死の帰する処ということが、帰依するという意味であると示して下さったことである。
日本浄土教の先達である源信僧都は『往生要集』で菩提心を釈し、
知りぬべし、念仏・修善を業因となし、往生極楽を華報となし、証大菩提を果報となし、利益衆生を本懐となす。
たとへば、世間に木を植うれば華を開き、華によりて菓を結び、菓を得て餐受するがごとし。
と、なんまんだぶを称えることの究極の目的は、あくことなき無始無終の菩薩行を実現する為であると示して下さった。
願作仏心のなんまんだぶの種を播き、芽を出(い)だして実を結び、度衆生と刈り入れの時を迎えることこそが浄土教の目的である。
御開山は、「自然といふは、もとよりしからしむるといふことばなり」と、自然という自ずから然るという漢語を言換えて、本願力の自然のはたらきということを教えて下さった。なんまんだぶは自らが称えているようであるが、それは如来がしからしむことであるとされる。そして浄土真宗の大綱を「教文類」の冒頭で、
つつしんで浄土真宗を案ずるに、二種の回向あり。一つには往相、二つには還相なり。
と、往還ニ回向を示され、その結論ともいえる『教行証文類』の「証文類」末尾では、
還相の利益は利他の正意を顕すなり。
と、浄土真宗のご法義の正意(目的)を示されるのであった。まさに前掲のマルコのいう自然に「刈り入れの時が来たから」であろう。
(20)
浄土の大菩提心は
願作仏心をすすめしむ
すなはち願作仏心を
度衆生心となづけたり
(21)
度衆生心といふことは
弥陀智願の回向なり
回向の信楽うるひとは
大般涅槃をさとるなり
(22)
如来の回向に帰入して
願作仏心をうるひとは
自力の回向をすてはてて
利益有情はきはもなし
「本願を信じ念仏を申せば仏に成る」という非常にシンプルな教説は、林遊をして園林遊戯地門の出門の菩薩行を楽しめるご用意もあったである。急いで死にたくもないが、やがておとずれる死の彼方に、「念仏申すのみぞ、すゑとほりたる大慈悲心」が展開するご用意までもあるご法義は、ほんとにありがたいこっちゃな。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
唯信仏語
浄土教は信心の宗教でもあるのだが、浄土真宗では初っ端から「二種深信」を論ずるので途惑う者も多い。そもそも御開山は『教行証文類』の「信巻」に於いて『観経疏』の深信釈を長々と引文されておられるが、具体的に二種深信という言葉によって信心を考察されたところは無い。法然聖人には「二種の信心」という用語例はあるが、二種深信という言葉で浄土真宗の信心の意味を考察されたのは、存覚上人の『六要鈔』が嚆矢である。
もっとも、御開山は機無・円成・回施・成一というかたちで『無量寿経』の至心・信楽・欲生の三信を釈しておられるので、機無を機の深信とし円成・回施・成一を法の深信と見る見方もできるであろう。
浄土真宗のご法義は、浄土教の必然として突き詰めれば二種深信に納まるとも言えるのだが、初っ端からこれを出されると間違いやすい。二種深信とは、阿弥陀如来の回向する衆生を済度する《法》と、その法の対象である《機》との関係を表す教説である。ちなみにここでいう《機》とは、《法》の対象であることを示す言葉であって、《法》を抜きに単独の《機》なるものを論じているのではない。(*) その法と機の関係を、善導大師が、『観経』の三心の一である「深心」を開いて、救済する《法》と救済される《機》の関係を示されたものが浄土真宗でいうところの二種深信という言葉である。開いたのであるから二種一具である。
さて、面白いことに御開山は二種深信ではなく、『二巻鈔』で『観経疏』の深心釈を七つに分けて考察されておられる。これは『観経疏』の深心釈で、善導大師は「亦有二種」として二種深信を釈されるのだが、これにひき続き「又」という言葉を使って深心を七つに分けて考察されていることによるのであろう。
さて、ここまで引っ張ってきたのだが、タイトルの「唯信仏語」である。いわゆる御開山が『二巻鈔』(愚禿鈔)で考察されている七深信中の第五深信である。この第五の「唯信仏語」の左傍に「利他信心」と註記されておられる。
【54】
第五の「唯信仏語」について、三遣・三随順・三是名あり。
三遣とは、
一には、「仏の捨て遣めたまふをば、すなはち捨つ」と。
二には、「仏の行ぜ遣めたまふをば、すなはち行ず」と。
三には、「仏の去ら遣めたまふ処をば、すなはち去る」となり。
三随順とは、
一には、「是を仏教に随順すと名づく」と。
二には、「仏意に随順す」と。
三には、「是を仏願に随順すと名づく」となり。
三是名とは、
一には、「是を真仏弟子と名づく」となり。
上の是名とこれと合して三是名なり。
以上の『二巻鈔』で示される御開山のお心を窺うに、深信釈とは、雑行を捨て、なんまんだぶを行じ、なんまんだぶを称えずに、信心獲得とか信心決定という妄想の自己のこしらえた信心を捨てて、随順仏教、随順仏意、随順仏願の、なんまんだぶを称える者こそが、「唯信仏語」の念仏の行者である。法然聖人は『観経』の三心の中で深心こそが仏意を顕わしているとされた。それは善導大師の深心釈に於いて、「一心専念弥陀名号 行住坐臥不問時節久近 念念不捨者 是名正定之業 順彼仏願故」と、なんまんだぶを称える《行》が示されているからであった。
要するに、浄土真宗とは、なんまんだぶを称えた者を済度するという第十八願の「本願を信じ念仏を申さば仏に成る」ご法義であって、これが「唯信仏語」ということである。
それにしても「信心正因 称名報恩」という覚如上人の創作教義は、一分御開山の意を汲んでいるのだが、法然聖人と、親鸞聖人の説かれた日本浄土教の体系からは、少しくズレているのかもと思っていたりする。(どうでもいいけど)
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ
浄土真宗の「信心正因」という言葉が独り歩きをして、この言葉と苦闘し悩み苦悩してきた同行をたくさん見てきた。また、「信心決定」というタームに青い顔をして聴聞している方もたくさん見てきた。
こんな難しいご法義なら、もう聞かん!といってお仏壇に鍵をかけた人もいたと聴いたこともある。
家の爺さんは、そのような人に『安心決定鈔』を読むことを勧めていた。この書物は「西山派」の書とされるが、自己が拵えた信心や、確信とか自覚を信心と錯覚している方には、眼から鱗のような趣がある書だと思ふ。なんまんだぶが説いてあるからである。 また二種深信の解説も、「わが身は罪深き悪人なりと思いつめて」などの言葉によって、いわゆる罪悪感に陥りやすい者にとって有益な視点を提供してくれるであろう。
と、いうわけで、「西山派」の顕意道教上人(1239-1304)作の『竹林鈔』をUPしてみた。日本語を漢文の文法で表現しているし、送り仮名がないので読みにくいので出来るだけ簡便にしてみた。御開山と少しく時代は下がるがほぼ同時代の浄土教の空気を感じられる書物だと思ふ。
なお、御開山は、隆寛律師、幸西大徳、聖覚法印や西山派の派組である善恵房証空上人などと同じグループに属していたと聞いたことがあった。
なんまんだぶ なんまんだぶ なんまんだぶ